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ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

(名所案内):近場の温泉

2010年10月29日 | 名所案内
本日、私のゲストハウスのダブルルームに初のお客さんが入りました。(万歳!!)
それも『日本人!!』。第一号のお客さんたちがとても礼儀正しい方たちで本当に良かったです。
私の温泉好きにも付き合ってくれました。それに温泉の後でナイトバザーまで付き合ってくれて食事までいっしょにしました。本当に良いお客さんでした。(又来てくださいね)

今回ご紹介する温泉は、『硫黄系の鉱物泉』の温泉です。かすかに硫黄の香りがして、温泉に含まれている鉱物純度が高いためか温泉に浸かっていると皮膚に触れるた水が『ふわふわ』する感じがします。言葉では表現しにくいのですが、体中が小さい気泡に包まれている感じになります。実際に浸かっている体は『泡だらけ』になっていました。何ともいえない不思議な感覚です。風呂上りは体がすべすべになっていました。温泉水も何分かに一度の割合で流れ込んできます。だからとても水がきれいです。お客さんにはけっこう喜んでいただけたみたいです。(良かった良かった)
私が知ってる限りでは、台湾ではこの水質は珍しいと思います。
    
今日は運良く他のお客さんがいませんでした。ゲストハウスのお客さんと私で貸切です(俺の風呂ってやつですね)
    
スパ用スペース けっこう水圧(マッサージ用)が高いです。
    
湯元は地下深くにあり、水質は鉱物を多く含んでいるため、白い物質が沈殿したり浮かんでいたりすることがございます。これらは天然鉱物で『湯花』と呼ばれています。って、勝手に名前付けてます。 
私は始めて聞きました、この『湯花』という名前。いいんですかね、勝手に名前つけちゃって(笑)。

温泉名:箱根温泉(店名)
泉質:炭酸鉱物泉(けっこう特殊)
源泉が定期的に流れ込んで来るので、いつも水がきれい。
場所:ゲストハウスより車で10分ほど
自転車で20分ほど
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(名所案内):中台禅寺(総本山):台湾4大仏教の一つ

2010年10月29日 | 名所案内
台湾四大仏教の一つ中台禅寺をご紹介します。
台湾に仏教団体は数多く存在していますが、その中でも特に大きくて(超巨大)勢力のある団体は4つ存在しています。:法鼓 佛光 慈済基金会 中台。

台湾人を始め、世界中の人たちがここ埔里に来る目的は主に『日月潭』『中台禅寺』です。正直この二つを外す人は少ないです。《この二つに行かない人は、ステーキやさんに行って、ソースのかかっていないステーキを食べて本当に美味しかったと言って帰る様なものです。》
旅行者はこれらをメインにして、サブメインとして埔里から日帰りで行って来られる『清境農場』や『盧山温泉』その他『滝などの自然系』を存分に堪能して帰って行きます。私も上記が一般論としての前提で、ここ埔里にゲストハウスを開いたのですが……なぜか日本人は『日月潭』しか行かない。 『どうして?』  大部分の旅行者達(殆ど日本人がいない)は私でさえ知らないような情報を集めて上手に回れているのに。なぜ大部分の日本人だけが…。わざわざ台湾中部まで来て、ちょっともったいないですね。



前置きがだらだらと長くなり、申し訳ありません。《本題に入ります。》
    とにかく巨大です。
    裏からの写真です。
    正面入り口付近。右手には、ここには写っていませんが、昨年開館したばかりの仏教博物館があります。中には中国から運ばれてきた貴重な物も数多くあります。今回は入場しませんでした。入場料は確か100元ぐらいでした。
    いつも観光客でいっぱいです。遊覧バスが賑やかにならんでますね。中国からのお客さんも多く、台湾中部=日月潭と中台禅寺ですから。
    中台禅寺の庭園 けっこう広くて綺麗です。
    中台禅寺の『家訓?教訓?理想?…』日本語でこういうのって何て言うんでしょうかね?よく分かりませんが、以前このお寺で日本語を教えていた時は毎日目にしていました。
    全て大理石です。けっこうお金かかってそうですね・
    たしか…七福神でしたっけ?すみません、仏教にはあまり詳しくないので。とにかく『儲かる系』ですよね。このお腹は。私もお祈りしておきました。(ゲストハウスが上手くいきますように…)
    メインになっている仏像。以前法師様から説明を聞いた事がありますが、すごいらしいです。(何がすごいんだ?)《あと材料も高いそうです:これは確か。》
    私のような無知な人間でも見ていると何か心が落ち着きますね。
    誰でも知ってる『ダルマ』さんです。私の実家横浜では『だるませんが、転んだ!』が京都では『坊さんが、屁をこいた!』らしいですね。以前法師の知り合いにこの事を話したら『大うけ』してました。
    入り口付近にあった『巨大鍾乳石』
    これってもしかして『戦い系?』ですかね。よく分かりません。 
    この人は私も知ってます。三国志に出てくる『カンウ』ですね。台湾では、『勉強の神様』として奉られています。 
    『どなた?』
    天井の模様が綺麗だったので撮ってしまいました。
    内部は『人人人…』でした。
    『赤犬?』なぜか毎週見ているテレビアニメ『ワンピースの赤犬大将』を連想してしまった。強そうです。 

*この中台禅寺、事前に予約をすれば、法師様の解説つきで一般に入れない内部も参観することが可能です。

*昨年オープンしたばかりの付設博物館は写真撮影禁止のためご紹介できません。入場料が別途100元かかりますが、100元以上の価値が十分にあるのでお薦めです。故宮博物館レベルの物が数多く展示されています。
特に博物館内2Fに展示されている『木彫りの仏像』は1000年ほどの歳月が経っており、見るものを感動させます。(私は見ていてなぜか自然に涙が溢れて来ました。)
PS:このお寺は中国色が強いので特殊なルートで中国から多くの博物品を運び込んでいます。
ここへ来たら絶対にこれら展示品を見たほうが良いと思います。

入場:無料
中台博物館:入場料100元(学生優待あり)
行き方:
ゲストハウスから約7キロ。車又は自転車で。
ゲストハウス車送迎サービス(一回/100元)
タクシー(片道200元)
ゲストハウス自転車レンタル(12時間/100元)



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恐るべし『ホステルワールド』

2010年10月28日 | 日記
昨日『ホステルワールド』登録の最終修正が終わり、ついに私のゲストハウスが記載されるようになりました。今回の登録にあたって台中でゲストハウスを経営されている大先輩の『力さん(日本人)』には本当にお世話になりました。ありがとうございました。http://tw.myblog.yahoo.com/leehostel こちらの『台中 リー ゲストハウス』は改装してまだあまり時間が経っていない事もありとても綺麗です。それに宿泊料金がとにかく安い。立地条件は『芸術街』という場所で、近くに東海大学があり若者のお洒落な街といった感じの場所です。私も『台中にこんなにお洒落な場所があったんだ…』とかなり驚きました。私はよく台中へ行っていたので『灯台元暗し状態』です。本当に綺麗な通りなのでお薦めです。オーナーはとても若いのに海外経験豊富な方でとてもユーモアのある方です。

本題:昨日『ホステルワールド』登録の最終修正をするために上海の『ホステルワールド本社』の係りの人に連絡を取りました。係りの人によると『今から24時間以内にサイト上でのあなたのゲストハウス検索が可能になります』と言われました。『ああ、やっと困難な英語での疎通が終了……

と 一安心したら…
一時間もしない内に欧米からの予約の第一報《恐るべしホステルワールド》こんなに早いの?『24時間以内って言ったじゃん!あ、でも一時間以内も24時間以内か…確かに。)心の準備がまだ…です。

『えっえっえ!!』って感じで大変なことになり救世主の『台中のLeeHostel』オーナーの力さんに電話。でも、この時すでに夜中だったので救世主は電話に出ず。(今考えると夜中にかけても次の日朝電話しても同じですよね。けっこう焦ってました)
私の登録が間違えていたみたいで1200TWDのダブルの部屋が一泊600TWDで予約が入ってしまっていた。まあ、人生いろいろありますよ。という事で、初のホステルワールドからのお客さんは特別優待料金と言うことに相成りました。
    問題の部屋です。(一泊600元は安いですね、次回から1200元からです)
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(名所案内):行きつけの喫茶店(BiDo Cafe) 

2010年10月28日 | お店や施設
BiDo Cafe と言う喫茶店(お酒も出してます)が近所にあってゲストハウス開幕前の小学校教師時代からお世話になっているお店です。ここは比較的外国人が集まる(私の勤めていた学校の教師が多いんですが)お店です。私は個人的にもオーナーと奥さんにはとてもよくしてもらっているので3日に2回は通っているお店です(いつもお金使っているとはかぎりませんけど…)。そんな訳でご紹介します。
    お店の名前は『ビッドーカーフェー(ちょっと強引な発音ですが)』です。
    朝8時半ごろから夜は10時ごろ(お客さんがいれば11時ごろまでやってることもあります)まで営業してます。この時は閉店前だったのでお客さんがいませんでした。いつものようにおしゃべりに立ち寄りました。
    オーナーと奥さんが二人で経営してます。夜はアルバイトの大学生のお姉さん(娘さんではない)もいたりいなかったりします。
    ここのチーズケーキは自家製です。プレーン・ベリー・チョコレート・アズキ・の種類があります。この間作り方を全部見せてもらいました。けっこう材料は単純なんですが、分量や材料の割合とかが難しいみたいです。
    オーナーはとても研究熱心でいつも新しいことや新メニューを考えています。けっこう話しやすい人がらなのでもし来店したら気軽に話しかけてみて下さい。
作品紹介:

    私のゲストハウスの紹介もしてくれています。(掲示板右上)


喫茶店以外にも、ゲストハウスから歩いていける場所に結構お洒落なBARなんかもあります。ちなみに埔里市内には24時間営業のお店もだんだん増えてます。

店名:BiDo Cafe
コーヒー、アイスコーヒー等が30元~飲める。
ご主人自慢のチーズケーキは自家製。
ゲストハウスより自転車で5分。
徒歩:10分以内
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(設備案内):お部屋案内(男女別ドミトリー)

2010年10月22日 | お店や施設
ブログ上でまだうちのゲストハウスの部屋案内をしたことがなかったので簡単に紹介します。
    先ず、男性用ドミトリーです。現時点ではベッドが四つあります。ベッドには「低反発マット」を使っています。低反発マットも「ピンからキリまで」なんです。(今回大量に買ってみてよく理解しました)台湾では、厚さが①5センチ②7センチ③8センチ④10センチの物があって、私はお店で全部広げて寝てみました。(他のお客さんたちからあいつなにやってるんだ?みたいに見られましたが。)結果、やっぱり10センチが寝心地が良かったです。そんな訳で「10センチ」を選びました。あ、でも人によってはこの「低反発マット」が苦手な人もいらっしゃいますよね。そんな人のための対策として別個に「沈まないマット」も準備しています。掛け布団は選ぶ時けっこう考えました。日本に住んでいる人が秋口に台湾に来ると普通「暑い暑い」言います。でも台湾人の感覚ではすでに「涼しい~寒い」の域に入り出しているんです。私はすでに10年以上もこの国に住んでいるのでどちらかと言うと台湾人の感覚に近いです。それで掛け布団はどうしようかと結構悩みました。結果としては安全圏を取って「薄めの羽根布団」を選びました。あと全部の部屋にトイレシャワーが付いています。シャワー用の電源は実は「太陽発電電池」を使っています。屋上にはソーラーパネルってやつがあります。電気代がかかってないんですね。(取り付けにはお金がかかりましたけど…)ゲストハウスの床は全部「大理石」です。話によると昔ここに住んでいた人は「蘭栽培で成功した超大金持ち」だそうです。(私のような超庶民にはちょっと不釣合いですが)でもかなり昔に建てた家らしいので写真は綺麗ですけど実際にはたいしたことありません。(期待に添えないと申し訳ありませんので)
    次に女性用ドミトリーです。基本的に男性用ドミとたいして変わりません。(私はそう思ってますが)男性用より少し広いです。室内には別に化粧用スペースと更衣室兼荷物置き場用のクローゼットがあります。
    クローゼットです。こういうのがある分男性ドミより女性ドミの方がほんの少し優待してるかもしれません。(男性の皆さんすみません。)  


そんな訳でけっこうお金を使いました。みなさん、来てください(冗談です)。
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日本の高齢者への台湾ロングステイ計画

2010年10月20日 | 日記
    ここ埔里には回り切れないほどの観光名所やお薦めスポットがたくさんあります。私は特別褒めるつもりはありませんが、ここ埔里はどこへ行くのにも便利な場所だと思います。温泉、山、川、滝、湖、多種多様な果物や野菜の農園等等。自然が好きな人にはたまらない環境です。どうしてこの町が日本人にとって知名度が上がらないのか(台湾では十分に有名ですよ)。
日本ではあまり知られていないかも知れませんが、実は今から何年か前に南投県政府(埔里は南投県にあります)がこれほどの自然に恵まれた土地を観光利用しないわけにはいかないと言うことで「日本人の台湾ロングステイ計画」を発動しました。当時は官民一体となって町を挙げての盛り上がりとなりました。町には日本語の看板や日本人対応用に翻訳文章が多く設置され準備万端で一組目の日本からの老夫婦を受け入れました。確か老夫婦の名前は「中村夫妻」です。この時、政府と中村夫婦の双方の考えに多少の違いが生じていました。中村夫妻は景色の良いハワイのコンドミニアムに住むようなつもりで来たのでしょう。南投政府は中村夫婦の年齢などを考慮して市中心にある高層マンションを準備しました。もちろんここは景色がよくありません。結局理想とは程遠い場所を準備されたと思い込んだ中村夫妻は一週間で逃げ出してしまいました。埔里を去る直前に何故か近くにある廬山温泉で記者会見を行い埔里生活の感想を話していました。夫妻は直接埔里の悪口を言っていません。私はその記者会見を見ていましたが、隣にいた通訳者の酷い通訳のせいで話すことが全て埔里市民を刺激するような内容に変わっていました。私も以前何度も通訳をしていたことがあるので、このとき程この仕事が怖いなと思ったことがありませんでした。中村夫妻の住んでいた家は、実際には大通りに面していましたが、10分もあるけば(道を間違えなければ)水田が広がるとても綺麗な風景の場所にでられたのです。観光局はそんな些細な事まで考慮していたわけですね。老夫婦はそんなことも知らないで日本に帰ってしまいました。彼らは’悪い部分だけ’みてこの土地の良い部分を見ていないのですから。本当にもったいないと思います。私は台湾に住んで14年が経ちましたが、ここほど自然が多くて、人情味にあふれた人たちが多く住む場所は他にないと思ってます。

この一件以来、南投県政府観光局も日本人のロングステイ受け入れには消極的になり今では特別日本人を誘致する気持ちが感じられません。非常に残念です。
    素材は全て紙でできている「教会」です。921大地震後、日本人の設計により寄贈されました。
柱も全て’紙’でできていますが、正直私にはこれが教会に見えませんね。    教会内の庭と池
    GOD TAIWAN やっぱり教会ですね。
    この教会は「桃米村」というエリアにあって、ここにはお洒落なレストランが何軒かあります。このレストランはお薦めです。
    一人ではちょっときついですが、何人か集まれば美味しい客家料理を安く食べられます。
    この中でも食べられます。
    私こういうのって大好きなんです。
    レストランの入り口にはこんなものまで飾ってました。
この桃米村、春から秋にかけて蛍が飛び交います。当ゲストハウスでは週に2回ほどの計画で蛍見学ツアー(約2時間ぐらい)のコースを定期的に開催します。超お薦めですよ。
    通りがかりの道が綺麗だったので、思わず写真撮影です。
    シイタケ栽培場  まだ生え出していません。この包みの中からシイタケが生えてきます。
    この子たちと話が弾んだので撮ってしまいました。
私:ここの子供?
子供たち:そうだよ。おじさん誰?
私:///小学校で日本語教えてたんだよ。
子供たち:先生?
私:そう。日本人だよ。
子供たち:ええ!日本人? じゃ、飛行機で来たの?
私:・・・・・・・んんそうだね、うん、飛行機だね。じゃ、行くね。バイバイ。
子供たち:ポカ~ン…。
(とにかく可愛らしい子供たちでした。)


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嬉しい存在 オープンしてくれてありがとう。

2010年10月18日 | お店や施設
    いやあ、待ちに待った『鉄板焼き屋さん』がやっとオープンしました。場所はゲストハウスの並びで徒歩2分。お店の垂れ幕が一ヶ月ぐらい前からかかっていたので期待しまくりで待ってました。感想は一言で言えば『めちゃくちゃ旨かった』です。肉質が台北で食べてたのとは全然違いました。本当に美味しかったです。    厳選された材料を使ってます。
    客の目の前で豪快に料理します。びっくりしたのはちゃんと『白ワイン』も使ってるじゃないか!どうりで心地よい香りが漂っていたわけですね。台北では考えられません。金額は台北とあまり変わりませんでしたが、材料の良さでは完全にこちらの『勝ち』ですね。それに白いごはんは食べ放題になってました。
    最後に『デザート』として『焼きバナナ』が出てきました。バナナは事前に小麦粉をまぶしてありサクサク感があって美味しかったです。

店名:鎮宝
お薦め料理:豚のステーキ
価格:一人前/170元~
場所:ゲストハウスより徒歩2分
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(名所案内):平穏な一日 紙工房 チョコレート工房 マコモ畑

2010年10月17日 | 日記
今日は特にどこへもいきませんでした。昨日からコンピューターをいじっていたら朝5時になっていました。最近出来上がったばかりの『ホームページ』が『キーワード』を打ち込んでも、どうしても画面上に現れない…。私の性格って『なぜ?』とか思うと納得するまで考え込むんです。だからジグソーパズルなんかをやらせたら最悪です。いつも1000ピースを全く寝ないで二日~三日で仕上げてしまいます。昨夜も悪い癖が出て…、それで気がつくと朝5時に。コンピューターの前に座りこんで10時間。自分でも『面倒な性格』だと思います。
それでも諦めず『キーワード』を打ち込む作業を続けていると、突然私の『ホームページ』が突然画面上に現れました。『え?どうして!』と思って業者に問い合わせてみると…。『キーワードは設定してから一週間ほどしないと機能しないんですよ』だって。何か精神的にこの一週間疲れました。【ほとんど寝てませんから】

そんな訳で『悩みが一つ解決した』ので昼寝をして夕方から気晴らしに近所へ散歩(オートバイですけどね)に行ってきました。    けっこう『癒し系』の場所も多いです。以前の忙しかった都会生活はなんだったのかなとか思ったりもします。
    榕樹(ガジュマル):台湾全土どこにでも生えていて、切っても切っても死にません。『根』からは『力強さ』を感じます。
    植物繊維を利用しての『紙工房』ってところですかね。
    道端に咲いていた花:綺麗だったので思わず撮ってしまいました。
    マコモタケの水田:私の大好きな風景です。

    最後に仲の良い『ラーメン屋さん』でご自慢ラーメンと餃子をご馳走になりました。
    ご主人と奥さんは、以前長野に住んでいたこともあり日本語が堪能です。私は今一人で生活しているので日本語が恋しくなると時々ここへ遊びに行きます。(ここも私にとって癒しの場所かも)
    でも、この『ご主人』は『癒し』にはちょっと遠いかもしれません。ご主人、奥さんは私にいつもよくしてくれています。今日もご馳走様でした。

    帰り道にちょうど『18℃チョコレート工房』の前を通ったので無料コーヒーをいただいて帰りました。    このお店台湾中からお客が押し寄せています。確かに美味しいですよ。
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(名所案内):霧社:日本統治時代の歴史

2010年10月16日 | 名所案内
(今日は週末なので、時間のある人はゆっくり見てください。気合入れてレポートします。)
『霧社』ここは、海抜2000m近い山の中にあります。日本統治時代(以前台湾は日本でした)の始まりに、日本軍が平穏に生活していた『原住民(主にタイヤル族』の村落に介入し強制的に統治しました。文字すらない彼ら原住民にとっては、日本人から多くの恩恵(インフラ開発や教育等)を受けた反面、過酷な重労働や使用言語の禁止(日本語を強制的に勉強させられていた)・自由の束縛等、多くの苦労もしていました。後に住民たちの不満は頂点に達し(正確には原住民の頭領たちらしいですけど)『霧社事件』へと発展しました。
以下は『ウィキペディア』からの抜粋です。
霧社事件(むしゃじけん)は、1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による日本時代後期における最大規模の抗日蜂起事件。

背景として、日本の警察官(当時2名の霧社タイヤル族警察官がいたほかは全て日本人警察官)が、地元の霧社タイヤル族住民に対し固有の文化を無視した生活指導を行ったこと、材木を担いで運ばせるなど重い労務を課したこと、商取引の利益を中間搾取していたこと、原住民村落に赴任する日本人警察官が原住民統治の観点から原住民有力者の娘を内縁の妻とし、後に捨てるケースが頻発していたこと、かつての日本軍の討伐により霧社タイヤル族に大きな被害が出たことへの怨念があったことなどが指摘されている。

蜂起の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に日本人巡査が原住民の若者を殴打した事件である。その日、巡査は同僚を伴って移動中に、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。巡査を宴に招き入れようとモーナ・ルダオ(霧社タイヤル族村落の一つマヘボ社のリーダー)の長男、タダオ・モーナが巡査の手を取ったところ、巡査は宴会の不潔を嫌うあまりステッキでタダオを叩いた。侮辱を受けたと感じたタダオは巡査を殴打した。この殴打事件について警察からの報復をおそれた人々が、特にモーナ・ルダオは警察の処罰によって地位を失うことを恐れ、蜂起したのだと言われている
タイヤル族 抗日活動の像   
タイヤル族 抗日活動の像
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タイヤル族の女性<br>
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私にとって台湾で一番の友人(この人日本人です)の奥さんもタイヤル族の方で、超美人です。ちなみに写真の女性とは原住民としての面影は似てますが、やっぱりちょっと似てませんね。《本人には口が裂けても言えない事ですが》
   
抗日活動で命を落とした英雄たちの記念碑がこの中にあります。
   
みなさん、よ~~く見てください。何が供えてありますか?
   
『タバコ…』それも火がついてました。原住民たちにとって今でも『煙物の贈与』は大切な友好の証みたいですね。
    
頭領の『モーナ・ルダオ』です。今でも『英雄』として崇拝されています。

第二霧社事件と川中島遷移『以下ウィキペディアからの抜粋』
1931年4月25日、蜂起に与した後に投降した霧社タイヤル族生存者をタウツア社(タウツア社は反乱側と対立しており、味方蕃として日本に協力した。)が襲撃し、216人が殺され、生存者は298人となった。襲撃側のタウツア社の死者は1名であった。これを第二霧社事件という。霧社事件の後始末で警察が味方蕃から銃器を回収する寸前の出来事であったが、当時の警察官から、警察がタウツア社に襲撃を唆したとの証言がなされている。タウツア社への処罰はなされず、逆に蜂起部族の土地を与えられることとなった。

1931年5月6日、最終的に生き残った人々は北港渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。ここで生存者らは警察からの指導のもとに生活した。その後も蜂起参加者への警察の摘発は続いた。反乱に与しなかった霧社タイヤル族各社に対しても、「反乱協力者」の摘発は行われた。こうして逮捕された摘発者38名を当初警察は毒殺しようとしたが担当医師から毒薬注射を拒絶された。38名は留置処分となったが、逃亡を図り殺害された1名を除き、全員が1932年3月までに留置中に死亡した。 川中島への移住者には当局からの援助があったものの、労働力の不足やマラリヤに苦しめられ、移住から2年後には人口が3分の2まで減ったという。ただその後は持ち直した。    
以前ちょっと紹介した原住民『川中島』です。

    
現在の『霧社』はとても静かでのんびりした場所です。『桜の苗木』を多く販売してます。昨年、私の原住民の友達から教えてもらい『桜の実』を拾って来て秋口まで冷蔵庫で保存していたのですが、結局『カビが生えて発芽の夢実現ならず』という結果に終わってしまいました。やっぱり素人が簡単にできることじゃないんですね。日本の両親にも同じ事をお願いしましたが、やはり結果は同じでした。
    
『最』台湾の商売人はこの字が大好きです。本当に『一番』なんですかね。
    

道端である物を発見しました。友人が珍しがって写真を撮ってます。
    
『猿の腰掛:霊芝』のあかちゃんです。私も何回か山に『霊芝採取』に行きました。私が採って来た霊芝は漢方薬としてではなく、乾燥させて飾りとして部屋においてます。とても良い香りがしますよ。
    
町の様子(霧社)とても小さい町です。
    

自給自足している人も多く、特に有名な産業はありません。近所の人たちが野菜を持ち寄って売っていました。
    
美味しそうに『カモ肉』を食べていました。本当は仲間になっていっしょに食べさせてもらおうかと思ったのですが(いつもならそうしてます)今回同行してくれた友人は『ベジタリアン』だったので遠慮しました。
    
こういうのは、どこにでも生えています。
    
元小学校教師として、小学校があったので中に入ろうと思いましたが、平日にかかわらず生徒の姿が見えませんでした。たぶん生徒少ないんでしょうね。
    
豔紫荊(アジアの桜と呼ばれている花です。)
    
風が強かったので『花』もちょっと元気がありませんでした。
    
みなさん、分かりますか?写真中央の断崖に『穴』があいているのを。以前はあの『穴』部分に『橋』がかかっていたそうですが、落下して綺麗な橋を作り直したそうです。ちょっと怖い話ですね。
    
離れた場所からの写真:落ちたら怪我しますね。

最後に。
太平洋戦争末期、台湾原住民により編成された日本軍の部隊。高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)は、フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入されて多くの方たちが亡くなりました。『日本軍の一員』として戦地へ赴いた原住民の存在を現在平和に暮らしている日本人は忘れてはいけないと私は思ってます。

場所:霧社
行き方:ゲストハウス斜め前バス停より『南投客運(バス)』で約40分。
霧社からの戻りバスの最終は17:30ごろ
PS:霧社は小さな町なので、この先の清境農場や盧山温泉へも行かれることをお薦めします。



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2010年10月15日 | 日記
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(名所案内):台湾で『水』と言えば、『埔里』です。 紹興酒用の古井戸

2010年10月15日 | 名所案内
私がここ、『埔里』に移り住んで一番満足している事は『水』です。
『水』が良いなら『料理』も美味しい。『水』が良いなら『皮膚』も綺麗。台湾では(たぶん世界中)こんな言い方がされています。あとみなさん、知ってましたか、ここ、『埔里』は『美人』がたくさんいるんですよ。『水美人』とか呼ばれています。皮膚が良いと綺麗に見えるんですかね。(さておき)

台湾人なら誰でも知っているとおり、ここの自然水(山や地下から濾過されたもの)は台湾一豊富です。この豊富な水を利用して多くの産業が発展して来ました。中でも酒製造には昔から欠く事ができないものでした。以前は『紹興酒』の里として最も有名でしたが、921大地震や大火事で紹興酒製造工場が閉鎖に追い込まれました。現在では紹興酒よりも『白酒:高梁酒』の製造に力を入れています。現在残っている紹興酒工場跡は歴史博物館みたいになっています。ここでのみ『20年物の紹興酒』が買えます。価格もそんなに高くありません。
今日は、朝からコーヒーに使う『水』を汲みに秘密の井戸へ行って来ました。地図やガイドブックには殆ど載ってない地元の人が生活用に使っている水です。
《洗濯場》朝4:30ごろからたくさんの人がここで洗濯をしています。今度日を改めて行ってみます。洗濯のピークは朝早くと夜です。

本日知り合った『法師様』です。条件反射で『師傅、阿弥陀仏。(合掌)…』してしまいました。私は元々ここ埔里にある仏教系の学校で日本語を教えていて、法師様たちは私の上司でした。いつも挨拶は『師傅、阿弥陀仏。(合掌)』だったので条件反射ってやつですね。こちらの法師様も水を汲みに来ていました。なぜかいつものように話し込んでしまい、名刺まで渡してしまいました。写真を撮らせてもらった時に『あ、私は出家してるから写真はまずい』と言いながら笑顔でこちらを向いてくれました。私もたくさんの法師様の知り合いがいますが、どの方も話をしていて本当に気分がよくなります。寺院関係で日本語を教え出す前は、正直宗教には少し偏見をもっていました。しかし、実際この方たちと接してみると『人生の意義』みたいなことを原点に返って考えさせてくれます。どの法師も会話の中に『批判、偏見、中傷』が一切出てきません。会話をしていて幸せな気分になれるのは私の思い込みのせいでしょうか。
 
ここに書いてある事を簡略すると
大昔、ここ(山の上)は『水場』がないので、外地の女性はお嫁に来たがらないような土地でした。井戸水が出てから、その水質の良さで町が『醸造酒』産業へと発展しました。めでたし、めでたし!《ちょっと簡略化し過ぎかな?》私の以前の仕事は翻訳でしたからお金をもらわないと真面目に細かく翻訳しません。(職業道徳ってやつですね《冗談》)
 
これが昔使われていたと言う水汲み用のポンプ?ですね。

あ、今日の目的をまだ書いてませんでしたね。私の目的はこの水汲み場の奥にある『井戸』。まあ、この場所の『源泉』というか『元』から出ている水です。写真では紹介しませんがこの『源泉水』で沸かすコーヒーは格別なんです。《美味しいと感じるのは雰囲気と気持ちの問題かもしれませんが》写真はさっき汲んできた『水』とこの土地名産の『恵蓀コーヒー』。
*『水』はアルカリ度のかなり高い水質です。沸騰させなくてもそのまま飲めます。
当ゲストハウスでは、この土地名産の『水』は無料で提供しています。《あ、安心してください。お客さんに渡している水はペットボトル600ccの買って来た物ですから。《笑》)

行き方:ゲストハウスから車で10分程
場所:愛欄橋付近


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(名所案内):921台湾集集大地震のその後(リポート)

2010年10月14日 | 日記
921大地震は、台湾時間の1999年9月21日1時47分18秒に、台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したモーメントマグニチュード(Mw)7.6[1](USGS、台湾中央気象局はMs7.3)の地震。台湾では20世紀で一番大きな地震であった。
死者:2,415人
負傷者:11,306人
行方不明者:29人(台湾行政当局の発表)
特に被害が甚大だったのは震源の南投県と、南投県に隣接する台中県だが、震源から比較的離れた台北市と台北県でもビルが倒壊し多くの死傷者が出た。台湾鉄路の集集駅駅舎は倒壊(2001年に修復再建された)。《ウィキペディア抜書き》

およそ10年前の事ですが、今でもはっきり覚えてます。当時私は台北に住んでいました。震源地からかなり離れているにもかかわらず、とても揺れました。夜中だった事もあってパニックした町中が停電し本当に怖い思いをしました。明くる朝、職場へ行ってみると職場のビルが『ヒビだらけ』になっていて『立ち入り禁止』になっていました。テレビのニュースで『本日は台湾全土お休み:(会社や学校)』と報道していたらしいけど停電とかの関係で情報が入らず私は職場へ行ってから『あ、なんだ…今日休みか…』と納得して家へ帰ったことを覚えてます。
今日では、お洒落なレストランやお店の立ち並ぶエリアも増えて、町の様子も風変わりしています。台湾では集集と言えば誰でも知っている『921大地震被災地跡』としての有名な観光地です。流石は台湾人ですね。
集集の駅舎。『集集』で最も有名な観光名所:武昌宮 被災当時のまま残されてます。

町には緑が多く植えられていてとても気持ちよかったです。自転車やオートバイのレンタル屋さんが数多くありました。

ここも町中に水が流れていました。
町から少し離れると開発が遅れている事が目立ちました。集集へは埔里からバスで向かうことができます。
PS:途中『車埕』というとても綺麗な(景色や町並み)町があって、そこから昔懐かしい電車で『集集』へ向かうのが『台湾流』です。この人のブログは中国語ですが、とてもよく写真が撮れてます。http://viablog.okmall.tw/blogview.php?blogid=177



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あなたならどれを選ぶ?

2010年10月12日 | 日記
日月潭の周囲には多くの自転車レンタル屋さんが点在しています。3000元ぐらいの自転車から10万元以上する自転車まで自由に借りる事ができます。私は流石に『10万元(日本円で30万円)は遠慮しますが…。因みにジャイアント社(台湾で結構有名な自転車メーカー)の10万元の自転車はレンタル料金1000元(3000円)から借りられます。
日月潭をもし一周するとなると36KMの距離を進まなければなりません。それに登りとか下りとかけっこう体力が必要です。私も以前一度自転車をレンタルして回ったことがありますが、『けっこう疲れました…』あと自転車のイスってなんであんなに小さいんでしょうかね?かっこういいけど実用的でないように思えるのは私だけですかね。私の様な『自転車の素人』が長時間あのイスに座っているとちょっときつかったです。やっぱり『日本のママチャリ』がイスが広くて一番乗り心地いいんですけどね、私にとっては。最近は業者間の競争も激しいらしく、今日では『電動式の自転車』までレンタルされています。
レンタル料金は一時間/150元(450円)だそうです。3時間以上のレンタルは優待があります。このお店の『良いところ』は支店が湖を囲むように6ヶ所あり、それらの支店で『乗り捨て』【注意:本当に捨ててはいけません】ができるんです。日本のレンタカーなんかでもありますよね。横浜支店で借りて、静岡支店で車を返して新幹線で戻ってくるみたいな
写真にある『29.9Km』というのは途中林道を抜ける近道を通った場合だそうです。

電動自転車は日本の『50ccの原付バイク』と同じ扱いになるそうなので免許証が必要です。日本からの観光客は【日本の普通自動車の免許証】を見せてもらえればレンタルできると店の人から言われました。日本人ってやっぱり優待されてますよ、ここ台湾では。

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(名所案内):観音瀑布?布瀑?・・・あれ?どっちだっけ。

2010年10月11日 | 名所案内
中国語を忘れてしまいましたが、とにかく『滝』です。バイクで10分のところにこんな滝があったなんて…。観光案内では観音滝が『ある』とは聞いていましたが実際に見たのは本日が始めて。すごくよかったです。滝は入り口付近と徒歩15分ほど登ったところ(大滝)に2ヶ所ありました。この大滝の滝つぼで『水遊び』することができます。大滝までの途中水遊びできる場所がいくつもあったので来年は『水浴び』に通うことに決めました。


名称:観音瀑布(滝)
場所:14号線沿い(霧社へ向かう道沿い)
ゲストハウスより車で10分
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元同僚たちと食事

2010年10月11日 | 日記
日本語とスペイン語の先生たちです。

初めて来たお店でしたけど結構量があって美味しかったです。
食後みんなでよく利用している洒落たバーに足を運びました。が、しかし!本日はお休みでした。・・・・。で、結局  こうなりました。私のゲストハウスで飲み直しです。みなさん明日も朝早くから授業なので本日はお酒抜きです。(お菓子類は隣のファミリーマートで買って来ました。)
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