ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭や廬山温泉に向かう拠点になる町・埔里に住むゲストハウスオーナーの個人日記です。

『玄奘記念館』では、写経もできます。

2020年05月08日 | 名所案内

【玄奘三蔵 / 玄奘記念館】
西遊記(物語)で有名な三蔵法師は、大昔唐の太宗皇帝の命令で十数年の歳月をかけてインドへ赴き、650部あまりのお経を持ち帰った高僧です。
彼の遺骨(舎利:頭部の骨の一部)が、第二次世界大戦中に日本軍によって日本の埼玉県のお寺へ持ち去られしてしまいました。
後に日月潭の周遊道路上にある玄光寺⇒玄奘寺(現在)へと移されました。
玄奘寺の敷地内には現在『玄奘記念館』があり、彼(三蔵法師)の生誕から亡くなるまでの偉業や記録が紹介されています。



三蔵法師の初めの名前は『陳褘(出家前)』だったんですね。
13歳で出家をして、法名を玄奘に改めています。
私も以前お寺に住んでいたので多少は知っていますが、『出家=欲を断つ』なんですよ。
殺生したものは食べられない、もちろん肉なんてご法度!異性交友も禁止、彼女も作れない、結婚なんてありえない!修行に精進し、人生を楽しんじゃいけない!
世捨て人の様な生活、私には絶対に真似できません。
≪PS:私はお坊さんを尊敬しているので、悪口ではありません。≫


三蔵法師が偉いお経をいただく為に十数年の年月をかけて天竺(当時のインド)へ旅をした時のルートも紹介されています。
何ヶ所かは私も訪れた事がある場所なので、じっくりと見入ってしまいました。



『玄奘記念館』に入った所(入口付近)には、誰でも自由に行える写経コーナーもあります。





お時間のある人はお試しを。(無料)
※募金箱が隣においてあるので、写経をされた方は気持ちだけでも入れてあげて下さいね。





この敷地のメイン、玄奘寺。
3階には三蔵法師の舎利が納められています。(土足厳禁なので、1階で靴を脱いで上がって下さい。)


玄奘寺の目の前には日月潭が広がります。












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埔里の新名所で『藍花楹』がたくさん咲いています。

2020年04月30日 | 名所案内

【藍花楹 日本名:ノウゼンカズラ】
最近埔里でちょっと話題になっている場所です。
この花が今満開を迎えていますが、ここまで育てるのに20年の月日を要したとの事です。
昨日は、宿泊中のお客さんに付き合ってもらって散歩がてらにちょっと出動してきました。
私の宿からスクーターで10分ほどで行ける場所です。


確かに、こうやってみると花の形が『蔓(かずら)』特有の形していますね。

見た目、豆科の植物の様です。

濃い緑の葉に鮮やかな紫の花がすごく映えて良いですね。




週末になると、たくさんの観光客でにぎわっています。


ここでは、パラグライダーなんかもやっていますよ。
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日月潭の夕陽が綺麗な場所

2020年04月05日 | 名所案内

【日月潭/文武廟】
こちらは、私のお勧めの『夕陽スポット』です。
昼間はそれなりに湖面を見渡せて綺麗ですが、夕暮時はもっと美しい景色が見られます。
ただ一つだけ問題があるとすると、’交通手段’。
文武廟へ行くには、ビジターセンターのある『水社』から’≪環湖バス≫’を利用すると簡単に行けるのですが、
バスの最終便が夕方で終わってしまいます。綺麗な夕陽を見るには、ちょっと時間的に難しいかなと思います。
自転車のレンタルや、レンタルスクーターをご利用の方には是非夕暮時に訪れていただきたい場所です。

【以下、夕暮時の様子】


雲が多い日は、すごく幻想的な風景になります。
(※夕陽は天候によって綺麗に見えない事もあります。)



文武廟の入口付近。巨大な ’ 獅子? ’ が左右両脇にあります。




埔里から日月潭へ向かう途中には、たくさんの紅茶農園を見る事ができます。
今ちょうど『春茶』の茶摘が始まっています。
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地母廟

2020年04月04日 | 名所案内

【地母廟/埔里】
ここ数日曇りの日が続いています。
昨日は、道教の廟である『地母廟』へお参りに行ってきました。
名前の由来のとおり、土地の神様です。’母なる大地’と言った感じでしょうか。
大好きな場所なので、私も周に一度は訪れています。


夕陽の時間帯に訪れるとすごく綺麗なのですが、この日は残念賞でした。



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川中島へ行って来ました。

2020年03月13日 | 名所案内

【川中島部落(現:清流部落)入口】

★霧社事件:1930年(昭和5年)10月27日に霧社で起こった、台湾原住民による抗日蜂起事件。
『霧社セデック族』マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の300人ほどが、霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃。
日本人132人と和装の台湾人2人余りを惨殺。

★第二霧社事件:事件を起こした『霧社セデック族』が事件後投降(『セデック族保護蕃』と呼ばれる)⇒強制収容所に収容。
後に『味方蕃と呼ばれたタウツア社の人たち』を利用し強制収容所を襲撃。
収容されていた216人が殺され、生存者は298人。


★川中島遷移:1931年(昭和6年)5月6日、最終的に生存した『セデック族保護蕃』を北港渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住。
元々は『セデック族保護蕃』として強制的に移住させられた人々でしたが、2年後には疫病やマラリア等の影響で人口が3分の2まで減少。
その後は近隣部落(眉原・中原部落)と交流が始まり持ち直した。


★現在:強制移住を強いられた人たちの孫(曾孫)に当たる代の人たちが住んでいます。
※皆さんとても’親日感情’が強く、日本人である私はいつもすごく良くしてもらっています。







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川中島へ食材を仕入れに行って来ました。

2020年03月12日 | 名所案内

【芭蕉(モンキーバナナ)】
この品種のバナナは台湾ではちょっと珍しいですよ。インドネシア産のモンキーバナナを台湾に持ち込んで栽培されているとの事です。
普通のタイプのバナナ(埔里一帯では’山蕉’)に比べて酸味が強いのが特徴で、ボリュームもけっこうあるので一本でお腹が膨れます。

一斤で40元!けっこう良い金額しますね。現在埔里で売られている’山蕉’の相場は大体一斤で20元ぐらい(600gで70円ほど)ですから。



しっかりと太っているすごく良質の生姜です。明日は高山キャベツと豚肉と合わせて’しょうが焼き’に使おう!
生姜栽培の環境が10度以下の低温になると根腐れが起こったり、蛾の幼虫の被害にあたったりと栽培にはけっこう注意が必要な様です。


川中島部落内で収穫されたお米。これも素晴らしい。



本日の目的:『放し飼いされた地鶏の生みたて卵(ちょっと題名長すぎ)』。 これ最高です!


友人のオーナーさんと一緒に。私も原住民風に(髪留め着用)。

【本日の戦利品】

又、ほとんどお金使いませんでした...(申し訳ない+感謝)。
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登山愛好者必見情報。『奇來山登山口』まで続く【能高越嶺國家歩道】

2020年03月10日 | 名所案内

ここは、以前『黑色奇來山(遭難すると遺体が見つからない山)』等と登山家の間で呼ばれていた事もある『奇來山』
へ向かう入口となる『能高越嶺國家歩道』の入口です。
日本統治時代にはこの辺りの山は『能高山』と呼ばれていた様です。


この登山道入口へは、14号線をひたすら終点まで行って、そこからずっと森林道を登っていく必要があります。
埔里市内からだと、大体1時間半~2時間ぐらい車を走らせれば登山道入口に辿りつく事ができます。
≪【能高越嶺國家歩道』入口付近には駐車できるスペースがあり、いつも何台か駐車している。≫





一般的なルート
≪早朝出発⇒『能高越嶺國家歩道』⇒13キロ地点『天池山莊』で野営(テント設営1個所/500元)/ 能高瀑布・天池⇒明くる日、朝日を見て同ルートで戻る。≫

『天池山莊』:野営ができる場所。





私の宿からも、今までにたくさんの登山家たちが訪れています。
凄い人たちになると(1人では危険なので不可)、日帰りで15キロ地点の滝まで行って戻って来られる場合もあります。



行かれる方は、入山許可証を事前に申請(ネット上で申請可能の様です。外国人記入フォームもあり)してくださいね。
https://nv2.npa.gov.tw/NM107-604Client/



私も年に数回はこちらを訪れますが、目的は登山ではなく ’ 虫観察 ’ です。
≪私は疲れる山歩きが基本的に嫌いなんですが、そこには昆虫がいると思うので行っているだけなんですよ。



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觀音瀑布

2020年03月08日 | 名所案内

【觀音瀑布 / 埔里】
私が住んでいる土地柄、何ヶ所も日帰りで行ける『滝』があります。
中国語で『瀑布』、日本語の意味は『滝』を指しています。
今日行って来た滝は、私の宿から最も近い場所にある滝です。
普段はほとんど人がいませんが、日曜日の関係かたくさんの人が見物に来ていました。
最近雨がほとんど降っていなかったので、滝の水量も少なくちょっと迫力に欠けました。

※台風が過ぎた後に行くと、とんでもない光景を目にする事ができます。(自己責任でお願いします)。




観音瀑布の滝壷までは、入口からおよそ二十分ぐらいあるきます。
で、最後にこの心臓破りの階段を登ると滝の全貌を一望できます。



本日は、午後からでしたが台中に住んでいる友人一家が遊びに来てくれました。

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台湾の地理中心

2020年03月05日 | 名所案内

【地理中心/埔里】
埔里は台湾の地理的な中心に位置していて、書籍等では『台湾のオヘソ』なんて紹介されている事もあります。
『地理中心碑』と言うのがあるのですが、あくまで『石碑』です。『中心地点』ではありません。

『地理中心碑』は、公園の入口大通り脇に設置されている『石碑』の事です。
今では観光名所になっているため、いつでも写真目的に来る遊覧バスが停まっています。
中心点は、石碑から更に1キロほど坂道を登った場所のため、多くの観光客は『石碑』で記念撮影をするのみです。




『地理中心』から見る景色です。ここの標高自体はそれほど高くなく、600メートルぐらいしかありません。

地理中心から更に坂道を上がってみましょう。目指すはパラグライダーの離陸地点。夕陽の名所です。
標高もだんだん上がって来て、景色の良い風景が続きます。




樹木名:シマトネリコ。この坂道にはカブトムシが集まるシマトネリコが密集している場所もあります。
シマトネリコはあまり樹液が出ないので、カブトムシが木に傷を付けて樹液を吸います。
この瑕跡は昨年カブトムシが付けたものです。


道端にはユーカリの木も植えてあります。時期によっては凄く心地良いレモンの様な香りを発しています。


頂上に到着です。ここではパラグライダーも楽しむ事ができます。



夕陽の時間に間に合いました。ここから私の宿も見えるんですよ。





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南山渓入口にある『夢谷』

2020年03月03日 | 名所案内

【夢谷瀑布/昨日撮影】
蝶(吸水集団)の撮影場所として知名度のある場所です。
昨年の今頃は河川の工事(整理)が行われ、ショベルカー等も入っていてメチャクチャな状況となっていました。
昨日、日本のゴールデンウィークも近づいて来ているので、現況を確かめに行って来ました。

【以前の河川敷の様子/以前撮影の写真です。】

自然の景観のままで景色が良かったのですが、大雨等の時によく川が氾濫していて周囲の崖などが削られる事もしばしば....。
とにかく、危険でした。(探せば毒蛇とかも普通にいるし...)。

【以下写真、現在の様子/改修工事後。】


まだ雨季になっていないのでどうなるか確定はできませんが、以前よりは多少なりと良くなったかなと...。
(ちょっと河川敷が現代っぽい設計になってしまいましたが、河原に降りやすくなりました。)

周辺住民の知りあい(昆虫写真撮影家)とも話して来ましたが、けっこう皆さん楽観的の様でした。
これから暖かくなるので、植物の発芽と虫たちが戻れば夏までには何とかなるでしょう。



PS:南山渓は、元々昆虫の宝庫です。以前はたくさんの昆虫採集や写真撮影、研究者が訪れる場所でした。
最近では、どなたでもスマホで写真撮影ができる時代になったおかげが、ここ数年こちらへ訪れる写真目的にの人が増えています。
そのため、この河川敷工事は、村興し(部落興し?)の意味あいもある様です。
夢谷瀑布から流れ落ちる水 ’ 滝つぼ ’ もほとんど深さがないので安全で『水浴びの穴場』です。
週末は多少の人数がいますが、夏場の平日は、ほとんど人が訪れないので今年も楽しみです。
昨日は、既に十分な暑さがあったのですが、水着を持参していませんでした。
あと数週間したら今年の水浴びを始めるつもりです。


上記二枚目の写真は、夏場の様子です。平日なら、ほとんど人に会う事がありませんよ。(私の好きな、貸切状態です。)




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【標高三千メートル超え地点】からの ’ ご来光 ’ 。

2020年02月21日 | 名所案内

ここ数日暖かい日が続いています。この調子で’春’に突入してもらえるような気配です。
上記写真の場所は、台湾で最も高い道路地点の標高3275mを越えて、少し進んだ東峰付近の様子です。
角度的に『日の出』を見るにはこの辺りから少し進んだ所ぐらいまでが絶好の’ご来光スポット’になります。
阿里山の祝山(標高2400m)から見る日の出とは又違った趣があります。



【合歓山登山( 頂上標高3410m / level : ハイキング )】には、入山許可証が必要ありません。
特別な登山装備をしなくても、がんばればどなたでも頂上まで行ける山です。
※標高が三千メートルを超えているため気圧が高くなっています。
くれぐれもこの点を忘れずに、安全第一で訪れる様に心がけましょう。



合歓山へ, ご自分たちで行く事が難しい場合等は『オプショナル・ツアー』として私がお連れする事も可能です。
興味のある方は、私に直接 e-mail でお問い合わせ願います。
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観光客が激減しています。

2020年02月18日 | 名所案内

【日月潭】昨日は日月潭へ行ってきました。
コロナウイルスの影響だと思うのですが、埔里やその近郊の観光地を訪れる人が激減しています。
もちろん私の宿も影響を受けていますが、常連のお客さんたちが(風評にも関わらず)利用してくれている
ので、何とかやっています。

ずっと思っているのですが、日本でのこれ以上の感染拡大を防がないと安心して旅行どころではないと思います。
そのためには先ず ’ 中国からの全面入国禁止措置 ’ (台湾ですら、入国後二週間隔離されます)をするべきです。
≪未だに中国からの入国者を二週間の隔離もしないで、自由に野放し状態...。普通ウイルス拡散するでしょ【不思議の国:日本】≫



いつも込み合っている文武廟もほとんど人がいませんでした。

明日以降、気温が上がり出す様なので、コロナウイルスの拡散に歯止めがかかる事を期待します。
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モナ・ルダオたちの部落の末裔が住む川中島部落へ行って来ました。

2020年02月11日 | 名所案内


日本統治時代には『川中島』と呼ばれていた部落です。
ここには、『第二の霧社事件』で生き残った人たちの末裔たちが住んでいます。
【第二の霧社事件。興味のある方は、一番下に【ウィキペディア】よりの文章を貼ってあります。ご参照下さい。】


いつ来てもすごくのどかな場所です。
最近では『霧社事件』を題材にした『映画セデック・バレー』の影響もあって、こちらの部落にも観光客が訪れる様になりました。
現在、この部落には目立ったお土産屋さんは私の友人宅しかないのでけっこう繁盛しているみたいです。


週末には観光バスなんかも来ていますが、昨日は平日だったのでご覧のとおりほとんど観光客会いませんでした。



友人のお土産屋さん。どちらかと言うと、この辺で収穫された野菜や果物なんかの’野外販売所’と言った感じですね。
新鮮な地鶏の卵なんかも買えるので、私は重宝しています。


これは、かぼちゃですね。最近では日本から入ってきた『栗カボチャ(向かって右)』も普通に栽培されています。


香りのすごく良い『キンモクセイの花』を干したものです。
紅茶なんかに少し入れて合わせると、けっこういい感じになりますね。



私の大好物のサツマイモ。もらっちゃいました!
こちらのオーナーの奥さんが自分で栽培したと言っていたので、その事を私が褒めまくったらくれました...。
(本当は払うつもりだったのですが、最終的にお金もらってくれませんでした。何か申し訳ないですね。)

『昨日は、家に戻ったらただちにいただいたお芋をいただきました。』

私が発明した’≪超短時間で食べられる方法≫’ですが、厚めにスライスして、そのままフライパン(蓋を必ずする)で焼き上げます。
味付けに関しては、お芋の味が既にしっかりしているので『塩』だけ。濃厚な味で最高でした。


その他に『炊き込みご飯』も美味しかったです。




【第二霧社事件と川中島遷移】
1931年(昭和6年)4月25日、蜂起(日本人を大量殺害)に与した後に投降した霧社セデック族生存者(保護蕃と呼ばれた)をタウツア社(タウツア社はセデック族と対立しており、味方蕃として日本に協力した)が襲撃し、216人が殺され、生存者は298人となった。襲撃側のタウツア社の死者は1名であった。これを第二霧社事件という[

首を狩られたセデック族保護蕃と、首を狩ったタウツア族。警察官の姿も見える
1931年(昭和6年)4月25日、蜂起に与した後に投降した霧社セデック族生存者(保護蕃と呼ばれた)をタウツア社(タウツア社はセデック族と対立しており、味方蕃として日本に協力した)が襲撃し、216人が殺され、生存者は298人となった。襲撃側のタウツア社の死者は1名であった。これを第二霧社事件という。
霧社事件の後始末で警察が味方蕃から銃器を回収する寸前の出来事であったが、当時の警察官から、警察がタウツア社に襲撃を唆したとの証言がなされている。タウツア社への処罰はなされず、逆に蜂起部族の土地を与えられることとなった。

1931年(昭和6年)5月6日、最終的に生存したセデック族保護蕃は北港渓中流域の川中島(現在の清流)と呼ばれる地域に強制移住させられた。ここで生存者ら家族は警察からの指導のもとに生活した。強制移住後も蜂起参加者への警察の取調や投獄など責任追及は続いた。反乱に与しなかった霧社セデック族各社に対しても「反乱協力者」として投獄される例もあった。こうして最終的に蜂起有責者として38名が逮捕投獄された。当初警察はこれらを毒殺により処刑しようとしたが担当医師から毒薬注射を拒絶された。38名は留置処分となったが、逃亡を図り殺害された1名のほか全員が1932年(昭和7年)3月までに留置中に獄死した[18]。川中島への移住者には当局からの援助があったものの、労働力の不足やマラリアに苦しめられ、移住から2年後には人口が3分の2まで減ったという。ただしその後は持ち直した。【文章:ウィキペディアより引用】
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能高神社(日本統治時代)の『狛犬や石塔』が残っています。

2020年02月03日 | 名所案内

【醒靈寺の狛犬(石造)】
日本が台湾を統治していた時代、埔里には『能高社』と言う大きな神社がありました。
『能高社』は、大正14 (1925)年に建てられた天照大神を奉っていた神社です。
場所は現在の『地理中心碑』の辺りらしいのですが、本尊があった場所はたぶん現在の埔里高工(隣にある工業高校)
の敷地内の体育館倉庫のあたりだろうと言われています。今では完全に形跡もなくなってしまっていて確認する事が
できません。
ただ、地理中心碑(石碑)から中心点に続いている階段脇には当時使っていた石塔の残骸(捨ててある)を見る事ができます。
後に『能高社(地理中心碑の場所)』の『狛犬や石塔・その他資材』が埔里の入口付近にある『醒靈寺』に移築されました。


【醒靈寺】

場所は、愛蘭橋付近の高台にあります。




寺院の周りを少し散策してみました。この階段もけっこう古そうです。


こちらの寺院の人にも少しお話を聞けました。
現在現存している移築された物は、正門から下に伸びる坂道に並んでいる石塔といくつかの狛犬のみだそうです。
いくつもあった石塔に関しては、ご覧の様に現存部分は、『上の傘の部分』だけでした。



狛犬はかなり破損してしまったらしく、後からの修復の痕が痛々しかったです。






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『巨大豆』発芽しました!

2020年02月02日 | 名所案内

昨年末に御茶屋さん(茶農)からいただいた『巨大豆』が発芽しました。
すごく力強いです。


【以下、いただいた時の様子】



元々『食べなさい』と言われてもらったのですが、面白そうなのでゲストハウスの3階テラスで育ててみる
事に挑戦です。(冗談半分で植えてみると、巨大な芽が力強く土の中から出て来ました。





今後はテラスの上(日差し避け部分)を這わせ様と考えています。
将来は ' 豆狩り ' ができるかな....、成長が楽しみです。
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