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ゲストハウス・プリ / Guest House Puli

日月潭、廬山温泉、合歓山(登山)等へ向かう拠点になる町≪埔里≫で生活する日本人オーナーの個人日記。

『烤鴨』の差し入れ。

2016年05月31日 | 日記
『烤鴨』

日本では『ペキンダック』などと呼ばれて中華街等で高額なお金を払って食べる料理ですが、ここ台湾では日常で普通に食べられている庶民の料理です。私の実家は横浜の中華街の近くで、何度か中華街で『ペキンダック』なる料理の金額を見てびっくりした事を覚えています。
確かに出来上がるまでの機材や準備諸々を考えると面倒かもしれませんが、それにしても日本での金額は.....。
とにかく、安く美味しく食べるならやはり台湾ですね。

この日は、息子の学校に’肉の差入れ’です。
彼らの学校はベジタリアンなので普段肉類を食べる事ができません。
そのため、週末は私が息子たちを連れ出して外で肉料理を食べさせているか、今回の様に’差入れ’をしています。
今回は息子からの要望で同級生たちとみんなで食べたいとの事だったので、ちょっと奮発して’2匹’準備しました。





皮と肉部分は小麦粉で作った餃子の皮のようなものに包んでいただきます。
骨には肉を多めに付けた状態でバジルと一緒にタレを入れて強火で炒めます。

一匹丸々料理してもらって430元【ペキンダック(薄皮+葱付き)+炒め物】。

子供たちにとっても久しぶりの’肉’。息子を含めた皆、むさぼるように食べていました。
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日帰りで行って来られる温泉

2016年05月30日 | 日記
(廬山温泉にて:私流『入浴方法』)

頭も体の一部。私は温泉に入浴する時はいつも一度は潜ります。
と、真似をする人は少ないかと思いますが、私のお勧め入浴方です。


こちらは私がいつも利用している温泉です。埔里から日帰りで行って来られる温泉はいくつかありますが、廬山温泉はバスで簡単に行って来られる場所にあります。途中『霧社』や『春陽』も通過するので、霧社事件に興味がある人は立ち寄る事もできます。

廬山温泉へは、景色の非常に良い山道をかなり進むので、バスに乗車しているだけでも飽きる事がありません。


夕方『地母廟』へお参りに行ったついでにヒラタクワガタとカブトムシに出会いました。


これからの季節、これら甲虫が増えて来るので私個人非常に楽しみです。
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美味しい鍋料理のお店

2016年05月27日 | 日記
埔里市内にある鍋料理のお店にて。

埔里は、台湾一を誇る『水』の町です。私がこの町で特に気に入っているのはいつでも無料で飲める『美味しい水』です。この町に住み続けて7年、一度もミネラルウォーターなるものを買った事がありません。この町の野菜や果物、キノコ類は特に自慢です。
今晩は日本人のお客さんたちとみんなで近所にある鍋料理のお店に行って来ました。本日のテーマは『キノコ鍋』。お客さんの中に1人だけキノコが大嫌いな人がいたので、鴛鴦鍋(二種類のスープ鍋)にして片方を’キノコ禁止令’にしました(笑)。


この町はキノコの産地なので、いろいろな種類の新鮮なキノコ類を食べる事ができます。



肉は鶏肉と豚肉を注文しました。肉の種類は多くても二種類ぐらいまでですね。増やしすぎるとスープの味が複雑過ぎになるので要注意です。


私の大好物のキクラゲ。この辺りは産地なので(乾燥物ではなく)新鮮なものが食べられます。


白菜や高山キャベツもお勧めです。高知で収穫された野菜類は一度埔里市内にある集荷場に集められてから全国に出荷されます。
だから埔里ではいつも新鮮な野菜が食べられます。


これ食べられる日本人は少ないかもしれませんね。『鴨血』です。日本ではあまり『血』を食べたりしませんね。これも私の大好物です。


『イカのすり身』。 このお店のオリジナルでお勧め料理です。


皆さん美味しく食べてくれたようです。

PS:このお店では営業時間中クーラーをガンガンかけているので、室内は寒いぐらいです。真夏でも鍋料理を美味しくいただけます。
このお店は、埔里市内で 台湾ロングステイ をされている日本人たちの間でも評判のようです。
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ついに捕まえた!

2016年05月22日 | 日記
私の宿にもヤモリが何匹か生活していて、今では共同生活をしている様な錯覚に陥るぐらいです。ヤモリはアリやゴキブリなどの小動物も捕食してくれるので、私も無理に捕まえません。

ここ数日、夜中に甲高い声で迷惑を顧みず楽しく歌っていた’ヤモリ君’が本日終に『御用』となりました。

私に捕まって不安そうな表情を浮かべていましたが、この後お代官の海の様な寛大な情けで、外の世界に『無罪放免』と言う事になりました。 でもヤモリはよく見ると本当に可愛い動物ですよ。
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宿のお客さんから素晴らしい写真をいただきました。

2016年05月21日 | 日記
私のゲストハウス4階の客室から/埔里市内

蝶の撮影で来られた日本人のお客さんから写真を提供してもらいました。私はいつもデジタルカメラの自動設定で写真を写しているので、その違いに驚くばかりです。流石に違います。
今回こちらの写真をご提供していただいた方から、私の様な初心者にも分かるようにいくつかの撮影時に設定するカメラの機能を教えていただきました。次回カメラを換える時は是非参考にしたいと思う今日このごろです。それにしても私にはこんな写真撮れませんよ....


以下、私も蝶の撮影ご同行させてもらった時に撮影された蝶たちです。私も何枚かいただきましたので、皆さんにもご紹介したいと思います。


山本さん撮影

自然と蝶たちがちょうど良いバランスで写っている写真ですね。


今回いただいた写真の中で私が特に気に入った写真の一枚です。
たくさんのイシガケチョウの中に一匹だけ鮮やかな蝶がバランス良く写っています。



すばらしい!
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2016年05月19日 | 日記
彩蝶瀑布へ続く道にて

私の住んでいる埔里の郊外には知る人ぞ知る、『蝶の名所』がたくさんあります。
最近ではどなたでも携帯電話で写真を撮れる時代になったこともあり、ここでも毎日たくさんの人たちが写真撮影に来ています。
かなり専門的な人から、私のような素人まで誰でもできることなので年々人の数も増えている様に感じます。みなさん一概に言える事は蝶を愛情を持って見ている事です。何か嬉しくなりますね。

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霧社事件で亡くなられた日本人たちの墓標がひっそりと存在しています。

2016年05月17日 | 日記
(『桃太郎さん』)



【霧社事件概要/ウィキペディアより】
1930年10月27日に(日本が台湾を統治していた時代)、霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの村の300人ほどが、霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した集団殺人事件。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。


【当時の霧社事件で犠牲になった日本人のお墓/以下写真左の2人は下山夫妻。】


日本の戦争敗戦で霧社からも日本人が撤退した時には、『霧社事件』で亡くなられた日本人の墓地が残っていましたが、後にこの地に介入して来た中国人たちによって上記墓石は粉々に破壊されてしまいました。下山夫妻は破壊される前の夜中にこっそりと墓石の頭部分を外して自宅に隠し持ち、長年にわたって保管してくれていました。
下山さんたちは、その後『第二の霧社事件』で移住した川中島付近にある眉原に移り住みました。この『墓標』は現在下村夫妻の娘さんたちの手によって『眉原』地区で大切に保管されています。切り取られた『墓標』は『桃』のような形をしている事から、『桃太郎さん』と親しみを込めて呼ばれています。

【下山さん一家】



下山ご夫妻の娘さんが墓石に私たちを案内してくれました。


この日は、現在私の宿に宿泊中の知合いの娘さんが同行してくれました。

(下山さんと記念撮影)


中国人たちから隠れて墓石を守っていただいた事、私は一日本人として本当に嬉しくなりました。

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ユイツノハナムグリ ?

2016年05月16日 | 日記
どなたか名前を知っていたら教えてほしいです。

山奥で見かけた甲虫ですが、私も始めてお目にかかったので名前を知りたいです。


昆虫の季節が始まりました。時間を見て又山に行こうと思います。

写真撮影の方たち大歓迎です。採集の方は場所の詳細等は私にお尋ねにならないで下さい(最近いろいろありまして...)。
PS:現在台湾の自然保護区(保育区)を始め、たくさんの場所で昆虫の採集が厳禁になっています。
私の宿の宿泊客でも山を監視しているレンジャーたちに連行された際は私にもどうにもできませんのでご理解願います。
貴重な自然環境を大切にしましょう。

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昭和天皇が宿泊した部屋

2016年05月13日 | 日記
昭和天皇が皇太子時代、日月潭に来られた時にご宿泊になった部屋。


ここは、私が時々お邪魔している埔里を代表する水彩画の巨匠『黄儀永先生』のアトリエです。
敷地内には、今でも日本統治時代に若き日の昭和天皇(皇太子時代)がご宿泊に利用された部屋が当時のまま残されています。
日月潭をご訪問になられた時に、宿泊先として日月潭周辺と埔里市内の黄先生のお父様の家が候補に挙がっていたそうで、当時
両方の候補地で受け入れ体制が整えられていたそうです。最終的にご宿泊されたのは黄先生のお父様の家となったそうです。
この部屋には、当時使われた茶器やコップ、扇風機等が今でもそのまま置かれています。

注意:こちらは個人のお宅の敷地内ですので、外部の方の立ち入りはできません。



本日は朝『地母廟』へ行って来ました。



台中から友人たちが遊びに来てくれました。綺麗なコガネムシ発見です。


午後から『観音瀑布』へ行って来ました。


道の途中で大量の『シジミチョウ』に遭遇しました。ものすごい数です。



こんなに大量のシジミチョウが一斉に吸水している場面は初めて見ました。感動です。
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おい、待て!

2016年05月10日 | 日記
3メートルぐらいの蛇

『逃げた魚は大きかった』..... 
かなりの’大物’でした。全体を撮影できなくて非常に残念です。
見かけた時は全体が道端に出ていたのですが、近づくと急いで脇に逃げ込んでしまいました。



【本題】
日本統治時代に原住民居住区(武界)で医療活動に奮闘した日本人医師(男性)がいました。
この地区への任務を受けた時、奥様も同行された様で日本人が2人だけと言う過酷な環境で生活をしていたそうです。
近隣の原住民をいくつも担当していたらしいのですが、なんせ時代が時代。どこへ行くにも歩くしかない状況だったそうです。
多くの人たちがこのお医者さんに助けられた事は間違いないでしょう。

昨年の事ですが、その医師の娘さんが私に連絡を取って来ました。
彼女は今は亡きご両親の『軌跡探し』を嘆願していたので、私も微力ながらお手伝いさせていただきました。
今回の何としても探し出したかった場所は、『当時の診療所』と『医療活動で訪れていた』等です。


先ず、私が事前にいただいた資料から推測した’出張診療’をしていたと思われる原住民へ行って来ました。






当時の資料とは表記漢字が違いますが、現在の中国語発音では同じ発音のです。場所は日月潭の少し手前、間違いないでしょう。


次に探しに向かった場所は、当時『武界』と呼ばれていた場所です。
大体の目安がついていたので、直接現地へ出向き住人に以前の地名などを確認したところやはり現在の『法治村』でした。



ありました!『当時の診療所』です。
建物は100年ぐらいは月日が経ってそうです。当時を思い出して手書きされたの地図上には、学校や警察署が記されていて、診療所はその隣との事でした。今も学校の正門のすぐ向かいにこの診療所の建物が残っていました。


ついでにこの辺りを流れている川『濁水渓』に飲み込まれてしまった昔の『日本人居住区跡』も見て来ました。


この川の50メートル近く下には、今も日本人が住んでいた当時の神社や警察署、学校などが沈んでいるそうです。
写真(拡大)は、当時あった『吊橋の橋桁』です。今でも上部分が川から突き出しています。
この川の下に日本人村が沈んでいると思うと、ちょっと寂しくなりますね。

この辺りで当時日本人として警察官をされていた山根さんです。

今年93歳、私も時々この辺りを訪れた時には顔を出すようにしています。


今回の一件で娘さんは、ご両親の軌跡を辿る事ができて非常に喜んでおられました。
私も微力ながら協力できて、嬉しい気持ちになれました。




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面白い写真が撮れました。

2016年05月09日 | 名所案内
(台湾の中心から少し上がった所から撮影)


ここはパラグラダーの練習場です。夕陽を見に訪れたところ、ちょっと変わった形をした雲が出ていたので、思わず写真に収めました。
見方によってはいろいろ創造ができます。皆さんはこの’雲たち’何に見えますか?私には『・・・・』に見えました。

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5月の第二日曜日は『母の日』です。

2016年05月08日 | 日記
本日はお金をたくさん使いました........。









まあ、美味しかったので良しとしましょう。
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油桐の花が最盛期を迎えています。

2016年05月06日 | 日記
(油桐花)


台湾全土でこの時期見れる花です。以前台北に住んでいた時は、『新店』の郊外によくこの花を見に出かけていました。
実はこの油桐、お花見をする時には注意が必要です。あまり知られていない事ですが、油桐は塗料等の材料になり、別名ドクエ(毒荏)と呼ばれていて、その名のとおり人体にはあまりよくない成分が含まれている木です。実際、毒蛾の幼虫が油桐の樹皮を食べて体に『毒素』を蓄えて鳥等の外敵等から身を守っています。
油桐のお花見をしていると、樹皮や葉に付いている毒蛾の幼虫が風等でよく落ちてきます。私も先日花見をしていて、現在も数個所毒蛾の幼虫に刺された跡が残っています。非常に痒いです。


私は以前油桐に群生していた毒蛾の幼虫の襲撃に遭って数百ヶ所を刺された事があります。

この数倍酷い状況が上半身全体に。病院で医者に『君、よく発狂しないで頑張ってるね』と言われたぐらいです。

皆さん、お花見も良いですが、落下してくる幼虫には注意しましょう。
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日月潭紅茶/魚池郷

2016年05月05日 | 名所案内
(日月潭紅茶/アッサム茶)

魚池郷と呼ばれているエリアで収穫された紅茶は、日月潭で『日月潭紅茶』として販売されています。
紅茶農園が点在している場所は日月潭からかなり離れているので、どうして『日月潭紅茶』になるのか....。
実際日月潭は魚池郷の中にあるので間違えではないのですが、大部分の観光客は『魚池』と言う地名すら知らないので
私はちょっと不自然に感じます。『日月潭紅茶』改め『魚池郷紅茶』の方が良いのではないかと思うぐらいです。
PS:日月潭の周辺でも少しだけですが、紅茶を栽培しています(観光客目的にも見えますが)。
地形的には、それほど紅茶栽培には適していないと茶農を営んでいる友人が言っていました。

魚池郷/鹿高地区


右の人がこちらのオーナーさんです。私とは5年来の友達です。

こちらの主要商品は『山茶(原生種)』『アッサム種』『改良種/18号』です。卸値で安く購入する事ができます。


これは紅茶の実から搾り取った『茶油』です。結構高級品ですよ。


(埔里珈琲)

ここ数年、彼らも珈琲の栽培に成功して今ではかなりの量を商品として出荷しています。この日は私たちも試飲させてもらいました。
ここでは『埔里珈琲』を直接購入する事もできます。


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昨晩は、近所に住む知合いの茶農さんの家にお邪魔しました。

2016年05月04日 | 日記
(ウーロン茶農園のご主人)

昨日は宿のお客さんたちを連れて、近所に住む茶農さんの所にお茶をいただきに行きました。彼らは山の中に数個所のウーロン茶の農園を持っていて、私も昨日は昼間お茶畑へお邪魔して来ました。現在ちょうど「春茶」のシーズンで、昨晩は新鮮な摘みたての茶葉をいただきました。

昨日いただいたウーロン茶は、「翠峰海抜2300産」と「奥萬大産」の茶葉でした。





台湾のウーロン茶は基本的に’手摘’みです。機械を使わないので、一枚一枚の茶葉がこのように丸めてあります。

注意:『五十嵐』『清心福全』『茶乃魔手』等のチェーン展開しているお店の茶葉は、そのほとんどがベトナムなどからの輸入品と、台湾で普通に出荷できないような茶葉を使用しています【私の友人が取り扱っているのでよく知っています】。
絶対に手摘みの高品質の茶葉ではありません。ご注意を。




彼らのお茶農園です。いつ来ても本当に気持ちの良い景色の場所です。
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