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■【きょうの人】 1129 マリア・テレジア ハプスブルク帝国の領袖・女帝

2023-11-29 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1129 マリア・テレジア ハプスブルク帝国の領袖・女帝

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ マリア・テレジア ハプスブルク帝国の領袖・女帝


 
独: Maria Teresia
 1717年5月13日 - 1780年11月29日

 神聖ローマ帝国のローマ皇帝カール6世の娘として生まれました。

 ハプスブルク=ロートリンゲン朝の皇帝フランツ1世シュテファンの皇后になりましたが、共同統治者として君臨しました。オーストリア大公、ハンガリー女王や他国女王にも在位し、ハプスブルク帝国の領袖、「女帝・天帝」として知られています。

 彼女は、好んでだ称号(サイン)である「Königin(女王)」と「Kaiserin(皇后)」の頭文字を取り、「K.K」を好んで用い、以後のハプスブルク家では、これを慣例的に用いました。

神聖ローマ皇帝カール6世は男子に恵まれず、長年後継者に悩んだ末娘のマリア・テレジアにハプスブルク家領(オーストリア)を継がせました。当時、女性の相続は認められていませんでしたが、国事詔書を発布して強行しました。

 これが火種となり、オーストリア継承戦争(1740年-1748年)に発展し、ヨーロッパの主要国を巻き込んだ戦争となりました。

 夫フランツが崩御しますと、マリアは以後、喪服だけをまとって暮らし、夫の墓所で祈りを捧げることが多くなったと言われています。彼女の肖像画に喪服姿が多いのはこのためです。

 七年戦争でさらに力を付け、マリアによる改革は進められ、啓蒙主義的な官僚の勢いが強くなり、保守化の傾向を強めました。

 息子ヨーゼフ2世が帝位に就くと崩御するまで共同統治を始めましたが、ヨーゼフと次第に対立、マリアへの不満も高まりました。しかし、さすがの女帝も病には勝てず、63才の生涯を閉じることになりました。

 今日でも、マリア・テレジアに対するオーストリアの敬意は続いているようです。私が、オーストリアの会社を訪れたときに、お土産として、マリア・テレジアのコインをいただきました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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