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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 6 ヘッドハンティング

2025-02-21 12:03:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

  【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 6 ヘッドハンティング 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。

◆7章 誘惑と模索
 1ドル360円時代の商社マンは、「企業戦士」と言われるほど海外赴任活動は、心身共に厳しいです。たった一人でニューヨークに乗り込んだ竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆7-6 ヘッドハンティング
 言葉は丁寧だが、端々にコンサルタントらしい、教えてやる的な表現が入るのが気になる。
 一方で、熱心な語り口には、引き込まれてゆく自分があるのを竹根は感じながら、耳を傾けた。
――さすが経営コンサルタントだな――
 経営コンサルタントとは中堅・中小企業だけではできない経営の側面を指導することにより、大企業にも負けない企業作りをするやりがいのある仕事である。経営コンサルタント業について、いろいろな側面を話してくれた。
 竹根の活躍は、北野原だけではなく、何社かの経営者からも直接・間接に聞いたとも話した。その話は具体的であり、竹根にも思い当たることであったので、作り話ではなさそうである。
 二時間近くにわたり、話をしてくれたが、竹根には、経営コンサルタントという仕事が実感として湧かないし、福田商事のやりかたには不満はあるが、仕事や同僚仲間は好きである。自分の気持ちをはっきりと伝えると、「今すぐでなくても結構です。今後、『経営コンサルタント』という言葉を聞くことがあれば、私のことを思い出してください」と丁寧に締めくくってから別れた。

 竹根には、経営コンサルタントという世界が日本にもあるのかという漠然とした思いで帰路についた。ただ、小田川の「経営コンサルタントというのは、クライアントに『ありがとう』と言われることを楽しみにできる仕事です」という言葉は、このときに竹根のどこかに住み着いたことを、そのときはわからなかった。

 数日後、小田川からの丁寧な礼状と、坂之下社長の講演会の案内状が送られて来た。幸い、その日はスケジュール的に何とかなることもあり、小田川に対する儀礼からも行ってみることにした。
 さすが坂之下経営らしく、大手町にある日経ホールは満杯で、熱気がムンムンしていた。受付に行くと、いつの間にか小田川が竹根の右斜め後ろにいて、「竹根さん、先日はありがとうございました」と声をかけてきた。自分の方が恐縮してしまうほど丁寧であった。
 さすが時代の寵児の一人と言われる坂之下先生の話は、聴衆を引きつけるものがあった――企業には、光と影の部分があり、光が当たっているところだけに目がいきがちであるが、陰の部分にも目を配る必要がある――という下りは、さかんな拍手が出るほどであった。
 竹根には、「先行管理経営」という言葉が、言っていることは当たり前のことなのに、何か惹かれるものがあると思った。それが経営コンサルタントの魅力なのかとまた考えた。
 帰り道、小田川の「ありがとう」、坂之下の「先行管理」という言葉が、頭の中をグルグルとエンドレスに回っている状態が続いた。いつの間にか自宅に着くと、かほりが由紗里を連れてにこやかに迎えてくれた。一日が終わり、もっともホッとする瞬間である。「家庭があることはすばらしいことだ。かほり、由紗里、ありがとう」と心の中でつぶやくのであった。
  <続く>

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■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月20日 ◇「テキサス」フライドチキン ◇春・花粉症 ◇岩手県遠野市 民話の里を映像で視る

2025-02-21 08:03:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月20日 ◇「テキサス」フライドチキン ◇春・花粉症 ◇岩手県遠野市 民話の里を映像で視る 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

2月20日 テキサスフライドチキン

 1930年にカーネル・サンダース氏がケンタッキー州で開業したケンタッキーフライドチキンが本社を、税負担が少ないテキサス州に移転するそうです。
 イーロン・マスクの「テスラ」をはじめ、大企業だけではなく多くの企業が本社をテキサス州に移転する動きが広がっています。
 今後は、「テキサスフライドチキン」となるのでしょうね。<笑い>

 【カシャリ!ひとり旅】で旅をしてきていますが、写真の整理はなかなか追いつきません。一方で、時間がある時に、一息入れるために、かつてアップロードした写真を見直すこともあります。

 バタバタした一日の終わりに、ゆったりとした時間を持てたことは何よりです。

 

 

 


岩手県遠野市 民話の里  

 

■■ 岩手県遠野市 民話の里「遠野」1 

 遠野市は、岩手県内陸部南寄りにある都市です。柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町で、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わる里です。

 東京からは、4時間ほどでたどり着ける、おもっていた以上に近いところにあります。

■ アクセス

 東京からは、新幹線で、盛岡経由でゆくか、花巻空港からバスでゆくのが時間的には早いです。

 

 

カッパの飲み会

JR遠野駅前広場

 

遠野市観光協会

 

柳田国男は遠野とは切っても切れない縁

遠野物語は、観光客必携のバイブル

 

民話の里 遠野 1 カッパや座敷童が
 古民家に出没


 遠野市は、岩手県内陸部南寄りにある都市です。
 柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町で、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わる里です。
 遠野の概要を映像でご確認の上、これからの「遠野映像シリーズ」をお楽しみ下さい。

 

遠野を映像で体感


    【 注 】 まだ準備中の映像もあり、順次公開します。

遠野市観光協会遠野市観光協会のホームページ。遠野市の観光情報、イベント情報、遠野市内宿泊ガイドなどをご紹介。tonojikan.jp

遠野写真集

■【今日のおすすめ】

 ■【あたりまえ経営のすすめ】経営戦略編 経営理念の構築・再構築 38 経営理念の構築・再構築の実作業 マッキンゼー7S利用

 「あたりまえ経営」とは「あたり前」を成長させる経営のことです。

 「あたり前」は、企業によって異なるのです。

 ひとつの「あたり前」ができるようになったら、つぎの「あたり前」を作ります。 これが、「企業の

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 

  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

 

■【知り得情報】
 政府や自治体も、経営環境に応じて中小企業対策をしています。その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去に、重複することもありますが、お届けしています。

◇《セミナー》外国人材の定着に向けた採用の考え方・進め方
  ~企業での人づくりと組織づくりのポイントを学ぶ~
 中小企業大学校web校では、外国人材側から見える視点と企業側が抱える外国人材の採用や定着に関する問題を対照させ、課題を見える化し、取り組むべき方策を明確にしていく研修を開催します。
[日 時] 前半:3/ 5(水)9:15~12:30
      後半:3/12(水)9:20~12:30
[場 所] オンライン(Deliveru)
[参加費] 16,000円(税込)
 詳しくは以下のサイトをご覧下さい
 https://www.smrj.go.jp/institute/manabeecampus/sme/rvuad10000023ao7.html
   出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

  春になると、すがこが溶けて、嬉しい人、困る人  220
 春になると、すがこが溶けて、川となって、山を降り・・・
 2月20日は「花粉症とアレルギーの日」でした。
 花粉症というのは、日本の免疫学者が、ブタクサによるアレルギー症を発見してから知られるようになりました。
 昨今では、スギ花粉に悩まされる人が多くなっています。
 かくいう私も30代から花粉症に悩まされていました。
 ここ十年以上喘息にも悩まされています。
 ところが、皮肉なことに喘息の薬が花粉症にも効くのでしょうか。
 花粉症の症状は大変軽減され、ほとんど出ないで済んでいます。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 

 本日は、明細リストからではなく、下記の総合URLよりご覧下さるようお願いします。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

 

  >> もっと見る


■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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■【きょうの人】 0221 ■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師

2025-02-21 06:33:00 | 【話材】 きょうの人02月

 

  【きょうの人】 0221 ■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師

 あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら
 延喜21年1月11日〈921年2月21日〉- 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉

 平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖です。官位は、従四位下・播磨守です。
 幼少の頃については確かな記録はありませんが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に、陰陽道を学び、天文道を伝授されたといわれています。
 960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)でありました晴明は、村上天皇に占いを命ぜられていて、出世は遅れていましたが、占いの才能は既に貴族社会で認められていました。
 979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で、那智山の天狗を封ずる儀式を行っています。
 このころから花山天皇の信頼を受けるようになったようで、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになりました。
  花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めたようです。

【閑話休題】

 余談になりますが、「陰陽師」は、どの様に発音するのでしょうか。

 ふりがなは、大半の方が「おんみょうじ」とふることができるでしょう。

 ところが、言葉にしたときに、多くの方が「おん」にアクセントを置いて話すようです。

 しかし、伝統的には「みょう」にアクセントを置いて発音するのですね。

 

 近年、アクセントが乱れ、標準語を話せる人が激減しているように思えます。

 NHKのアナウンサーですら大半の人のアクセントが乱れています。

 標準語は、どこへ行ってしまうのでしょうか。

(ドアノブ)

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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■【今日は何の日】 2月21日 ■切手が音楽を届け始めた日 ■日刊新聞創刊の日 ■手塚治虫「火の鳥」

2025-02-21 00:03:00 | 【今日は何の日02月】

 

  【今日は何の日】 2月21日 ■切手が音楽を届け始めた日 ■ 日刊新聞創刊の日 手塚治虫「火の鳥」

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 切手が音楽を届け始めた日

 令和5(2023)年2月21日は、日本で初めて、音楽にリンクする切手が発売された日です。

 切手の一部を切手の一部をめくるとQRコードが現れ、スマホで読み込むと「ありがとう」をテーマにした曲が流れる仕組みです。音楽配信サービス会社を通じて、日本郵便が独自に選んだ、1960年代以降のヒット曲を幅広く、国内外から選曲した39曲を聴くことができるようになったのです。

 この切手には「感謝」の花言葉を持つピンクガーベラも描かれていて、卒業や入学シーズンを控え、様々な感謝の思いを手紙で伝える場面で、需要の掘り起こしを狙うという魂胆のようです。

 84円切手を3枚セットにしたシート型で、価格は税込み500円で売り出されました。

 

■ 手塚治虫「火の鳥」
 

 私が経営士・コンサルタントとして独立して1年半頃が経過した1979年の2月21日に、 東大宇宙航空研が内之浦からX線観測衛星「ひのとり」を打上げました。手塚治虫ファンならすぐに、華麗な色使いの『火の鳥』をすぐに連想できるでしょう。その連想通り、これにちなんで命名されたのですが、お堅い方々も粋なことをやるものですね。

 太陽活動、とくに太陽フレアを高精度で観測する目的で打ち上げられ、十余年のミッションの後に、記憶に真新しい「はやぶさ」と同様に、大気圏に突入して燃え尽きたそうです。ちなみに同じ目的で1981年にも「はくちょう」が打ち上げられました。


■ 日刊新聞創刊の日

 1872(明治5)年に、東京で初めての日刊新聞が発行され、それを記念して、旧暦のこの日が記念日として制定されました。

 ただし、日本初の日刊新聞は、1870(明治3)年に遡ります。「横浜毎日新聞」が最初なのですが、他者に吸収され現存していません。

 すなわち「東京日日新聞」は、「現存する新聞社で初」ということになります。

 現在の毎日新聞の旧称である「東京日日新聞」が浅草で創刊されたのが旧暦のこの日です。

 東京日日新聞は、世界で初めて新聞を戸別配達したことでも知られています。

(ドアノブ)

【経営者・管理職の皆様へお勧めブログ】 

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 ◇ 経営マガジン 

 ◇ 経営コンサルタントの独り言

 ◇ 経営四字熟語

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