【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業7章 誘惑と模索 6 ヘッドハンティング
その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
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1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
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◆7章 誘惑と模索
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◆7-6 ヘッドハンティング
言葉は丁寧だが、端々にコンサルタントらしい、教えてやる的な表現が入るのが気になる。
一方で、熱心な語り口には、引き込まれてゆく自分があるのを竹根は感じながら、耳を傾けた。
――さすが経営コンサルタントだな――
経営コンサルタントとは中堅・中小企業だけではできない経営の側面を指導することにより、大企業にも負けない企業作りをするやりがいのある仕事である。経営コンサルタント業について、いろいろな側面を話してくれた。
竹根の活躍は、北野原だけではなく、何社かの経営者からも直接・間接に聞いたとも話した。その話は具体的であり、竹根にも思い当たることであったので、作り話ではなさそうである。
二時間近くにわたり、話をしてくれたが、竹根には、経営コンサルタントという仕事が実感として湧かないし、福田商事のやりかたには不満はあるが、仕事や同僚仲間は好きである。自分の気持ちをはっきりと伝えると、「今すぐでなくても結構です。今後、『経営コンサルタント』という言葉を聞くことがあれば、私のことを思い出してください」と丁寧に締めくくってから別れた。
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竹根には、経営コンサルタントという世界が日本にもあるのかという漠然とした思いで帰路についた。ただ、小田川の「経営コンサルタントというのは、クライアントに『ありがとう』と言われることを楽しみにできる仕事です」という言葉は、このときに竹根のどこかに住み着いたことを、そのときはわからなかった。
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数日後、小田川からの丁寧な礼状と、坂之下社長の講演会の案内状が送られて来た。幸い、その日はスケジュール的に何とかなることもあり、小田川に対する儀礼からも行ってみることにした。
さすが坂之下経営らしく、大手町にある日経ホールは満杯で、熱気がムンムンしていた。受付に行くと、いつの間にか小田川が竹根の右斜め後ろにいて、「竹根さん、先日はありがとうございました」と声をかけてきた。自分の方が恐縮してしまうほど丁寧であった。
さすが時代の寵児の一人と言われる坂之下先生の話は、聴衆を引きつけるものがあった――企業には、光と影の部分があり、光が当たっているところだけに目がいきがちであるが、陰の部分にも目を配る必要がある――という下りは、さかんな拍手が出るほどであった。
竹根には、「先行管理経営」という言葉が、言っていることは当たり前のことなのに、何か惹かれるものがあると思った。それが経営コンサルタントの魅力なのかとまた考えた。
帰り道、小田川の「ありがとう」、坂之下の「先行管理」という言葉が、頭の中をグルグルとエンドレスに回っている状態が続いた。いつの間にか自宅に着くと、かほりが由紗里を連れてにこやかに迎えてくれた。一日が終わり、もっともホッとする瞬間である。「家庭があることはすばらしいことだ。かほり、由紗里、ありがとう」と心の中でつぶやくのであった。
<続く>
