■【お節介焼きおすすめ情報】 経営コンサルタントへの道 コンサルタントとしての成功のポイント

平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。
この度、下記のように新カテゴリー「■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】」を連載しています。
日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。
紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。
【 注 】
日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。
私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。
2月12日
早朝ウォーキングコースの途中に、プチ高級住宅街があります。
その辺りには交番がなく、安全確保のためか1畳にも満たない、小さなポリースボックスがあります。
その前を通る時は、まだ薄暗く、電気ストーブの赤外線から漏れる光に映し出された黒い影しか見えません。
「おはようございます」とその前を通る時には、挨拶を投げます。
はじめのうちは、返事を返してくれる警官はほとんどありませんでした。
ほぼ毎日その前を通りますので、毎朝のように挨拶を投げかけ続けてきましたら、最近は、ほぼ挨拶が返ってくるようになりました。
彼等仲間同士で、挨拶の話が話題になったのでしょうか、彼等に変化が起こったようです。
「継続は力なり」といいますが、それが実証されたように思え、何か嬉しくなりました。
*
ビジネスモデルは、時代とともに変化をしています。
一方で、ビジネスパーソンのあり方の多くは、基本があまり変化をしていません。
若手ビジネスパーソンの中には、基本を大事にする人がいて、仲間とともに、ビジネスパーソンとしての基本を身につけようとしています。
その様な場に招かれ、定期的に講話をしてほしい旨を頼まれました。
■ 04 社会人としての原点を無視して【心 で 経営】はできない
経営者・管理職のように、「人の上に立つ人」、また、経営士・コンサルタントや士業の先生方のように「人にアドバイスをする立場の人」が、社会人としての基本ができていないようでは、自分の仕事を全うすることは難しいでしょう。
自分では、社会人として一人前であっても、自分自身を鏡に映してみますと、人にはうるさく言っていることが、自分自身で実行していないことに気がつくことがあります。
新入社員研修のときに、最初に学ぶことのひとつが「あいさつ・挨拶」です。挨拶は、人と顔を合わせたときに軽く会釈をすることから、謝罪をするときに90度頭を下げるまでのいろいろな段階があることを、復習させられます。
「社会人なのに、挨拶をすることから学ぶのか?」と憤慨する人も多いでしょう。
その様な気持ちで、たとえ、「頭を下げる」という、形だけを作っても、心がこもっていなければ、相手にこちらの気持ちは通じません。それどころか、心がこもっていなければ、「頭を下げているだけ」ということを相手に気取られてしまい、逆効果に繋がってしまう可能性もあります。
話は変わりますが、「挨拶」という漢字を手書きすることができますか?
私は、こじつけをすることで、思い出すことができます。
「挨拶」という漢字を、「偏」と「つくり」に分解し、さらに作りを上下に分解します
「挨」は音読みで「あい」ですが、訓読みはありません。そのつくりの上半分の「ム」と、下半分の「矢(ヤ)」とから「ムりやり」、すなわち上が「ム」で、下が「矢」と、無理矢理にこじつけます。
「拶」も訓読みはなく、音読みで「さつ」です。つくりの「くくく」をらりがなの「く」が3つ「くみ」とみなし、「夕」を「た」と読みます。
ふたつの漢字の偏の「てへん」を「て」と読み、「手(てへん)と手(てへん)を取る」とみなします。
これを併せて「無理矢理組み体操で手と手を取る」と覚え、字を書くときにそれを思い出すと漢字が書けるようになります。
私は、30歳代前半で、経営コンサルタントとして独立起業しました。東京の西部に住んでいましたが、クライアントは、都内が中心でしたので、毎日多くの時間をかけて通うための時間がもったいなく、都内に引っ越しました。
引っ越した先は、知らない人ばかりですが、近所の人に会いますと、挨拶をするようにしました。ところが、挨拶を返してくれる人はほとんどいませんでした。関西の人が「東京の人は冷たい」という気持ちがよく解りました。
そこで、私は、やや大きめの声で挨拶を続けて来ました。また、「最近引っ越してきました。よろしくお願いします。」という気持ちを込めて挨拶をするようにしました。
その効果があったのかどうかは解りませんが、昨今では、近隣同士の場合でも、ほとんどの人が挨拶を交わすようになりました。
「挨拶は心を込めて」という祖母の言葉を胸に秘め、社会人になったときにも、それを励行するようにしてきました。
たとえば上司に対して挨拶をするときに、心の中で「いつもご指導してくださりありがとうございます」と心の中で唱えるようにしました。おそらく自ずと顔が穏やかになっているのだろうと思います。
もし反対に「いつも人のあらばかりを探す上司め」という気持ちで、笑顔を作って、形だけ丁寧に挨拶をしても、相手には真心が通じず、「あいつは腹の中を読めない男」と上司に見られたかもしれません。
挨拶というのは、社会人としての基本です。形だけではなく、心を込めて挨拶をすることにより、人生を豊かにしたいと考えています。
■【今日のおすすめ】
■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 昭和記念公園1 池とお花畑と広場 2 ロックガーデンと日本庭園
【カシャリ!ひとり旅】で撮影した写真は、撮影した本人は満足していていも、他人が撮影した写真は、感動する場合もありますが、退屈だと思う人が多いのではないでしょうか。
それを考えますと、多少でも時間つぶしになるようにと映像化を数年前から始めています。ナレーションを入れることで、少しでも参考になったり、話材として利用できたりするように努力をしています。
素人映像ですが、よろしければご覧下さい。私としては大変に嬉しいです。
■【今日は何の日】
当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930
■【知り得情報】
「経営とは、環境対応業である」という名言は、私の先輩コンサルタントが残してくれた言葉です。
その経営環境は、めまぐるしく変化します。政府や自治体も、その変化に対応できるように中小企業向けの各種施策を提供しています。ところが、その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去には焼け石に水かも知れませんが、仕入れた情報をときどきご紹介します。
重複してお届けすることもありますが、ご容赦くださいますようお願いいたします。
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◇《公募》事業再構築補助金公募
事業再構築補助金の第13回公募が開始されます。
https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sapoin/2025/250110kobo.html
出典:e-中小企業庁ネットマガジン
■【経営コンサルタントの独り言】
その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。
◆ リンカーン誕生日と故安倍元首相 212
リンカーンと故安倍元首相とは全然関係ないように見えます。
アメリカ訪問で、トランプ元大統領との蜜月会談を終え、得意になって凱旋しました。
その安倍さんですが、ローマ字で書きますと「Abe」となります。
一方、リンカーンのファーストネームをご存知ですか。
Abraham Lincoln すなわち「Abraham」を日本語表記しますと「アブラハム」です。
ファーストネームから、彼の愛称は「エイブ」でした。
エイブは「Abe」とスペリングされます。
安倍さんも「 Prime Minister Abe」となりますので、リンカーンの愛称と同じスペリングになり、得意満面でしたね。
http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/5aebcfd90e8d22c502e5f016ea499757
戦後最長政権でしたが、非業の最期を遂げられました。
【経営コンサルタントの独り言】
もう、十数年前になります。
渋沢論語のCDを毎日かけて、車通勤していた女性社長がいます。
40年近くも会社経営を続けていましたが、渋沢栄一から得たものがあったのでしょうね。
いまは、ご高齢で禅譲し、悠々自適の生活を送られているようです。
■【老いぼれコンサルタントのブログ】
ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。
明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17
■バックナンバー
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 植村直巳氏の冒険
冒険家として知られている植村直巳氏は、1984年2月12日に43歳の誕生日を迎えました。この日にマッキンリーにおける厳冬期単独登頂に世界ではじめ成功しました。ご存知のように下山途中で消息不明となってしまいました。世界に誇る日本の冒険家をこのように亡くしてしまったことは残念ですね。
登山家、冒険家としてして知られ、国民栄誉賞を受賞している植村直巳氏ですが、Wikipediaでは「直己」と表記されていることもあり、「なおき」と読む人が多いようです。生誕の届出を受け付けた役所員の誤記で「直己」と記され、本人も「直己」と記していたそうです。
植村氏が、なぜ冒険家を目指したのかは、いろいろ言われています。冒険という、リスクへの挑戦は、われわれ凡人には計り知れない面もあります。
バブルがはじけて以来、日本の経営者は、とりわけ大企業を中心に「株主重視」の短期視点での経営になってしまいました。そのために先行投資をする経営者が少なくなり、冒険を冒すようなリスクをできるだけ追わない方向に向いてきて、先行投資もかつてほどしなくなってしまいました。
日本的経営というと年功序列などの弊害面ばかりが強調され、社員を大切にするなど、その良さが失われて来ています。われわれ経営コンサルタントは、時には経営者に冒険をおかすように背中を押すことをしなければ日本の産業は萎縮の方向に向かうばかりでしょう。
何ごとをするにもリスクが高い今日であることは否定できませんので、むやみやたらと先行投資をすることは好ましくはありません。一方で、その必要性があるときには果敢に挑戦していくことも必要です。経営者がそれだけのリスクを負うかどうかの前に、経営コンサルタントが、自分の提案にどれだけ自信を持ち、成功させるだけの力を持っているかが問題です。
■ 鉄眼道光 宇治宝蔵院を建立
正字: 鐵眼道光(てつげん どうこう)
寛永7年1月1日(1630年2月12日) - 天和2年3月22日(20日説あり)(1682年4月27日)
江戸時代前期の黄檗宗の禅僧、諡号は宝蔵国師。
肥後国益城郡守山村(現・熊本県宇城市)に生まれ、13歳で出家しました。明暦元年、隠元や木菴に学びました。
大蔵経の観光のために全国行脚を行い、1678年(延宝6年)に完成しました。宇治黄檗山に宝蔵院を建てて、その木版を貯蔵しました。
その後、金禅寺(大阪府)、海蔵寺(東京都)など7か寺を開くなどの功績もあります。
◆ バックナンバー
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f
【今日は何の日】 2月12日 ダーウィンの日 リンカーン誕生日
一年365日、毎日が何かの日です。
季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。
これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。
独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。
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【今日は何の日インデックス】 日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます
■ リンカーン誕生日
アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントン(1732~1799)の誕生日は2月22日です。今日では、2月第3月曜日が「ワシントン誕生日(Washington’s Birthday)」となっています。第3月曜日は、2月15日から21日までの間ですから、実際の誕生日と重なることはないのです。
2月12日生まれのリンカーンを共に記念して、公式的にではありませんが、2月の第3月曜日は「大統領の誕生日 (Presidents’ Day)」とも呼ばれます。
州によっては、ワシントン誕生日とは別に2月12日をリンカーン誕生日 (Lincoln's Birthday) としています。
州によって祝日が異なるのが“合衆国”たるゆえんです。日本でも、例えば10月1日は「都民の日」で、公立の小中学校や都立高校はお休みですが、他の道府県ではいつもと同じに職場や学校が開かれています。
■ ダーウィンの日
チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin - 1809年2月12日 - 1882年4月19日)は、イギリスの生物学者で、種の形成理論を構築した人です。生物学者としてだけではな地質学など、広く自然科学に通じていました。
全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて分化し、生きていくために環境に対応するために進化をしてきたという考えに基づきます。これを「自然選択の理論」といいますが、彼の存命中はあまり評価をいえられなかったようです。
【Wikipedia】の要約
エディンバラ大学で医学、ケンブリッジ大学でキリスト教神学を学んでいるときに自然史への興味を育んだ。5年にわたるビーグル号での航海によって、チャールズ・ライエルの斉一説を理論と観察によって支持し、著名な地理学者となった。ビーグル号航海で集めた野生動物と化石の地理的分布は彼を悩ませ、種の変化の調査へと導いた。そのアイディアは親しい数人の博物学者と議論されたが、より広範な研究に時間をかける必要があると考えた。
1859年の著書『種の起源』は自然の多様性のもっとも有力な科学的説明として進化の理論を確立した。『人間の由来と性に関連した選択』、続く『人及び動物の表情について(英語版)』では人類の進化と性選択について論じた。
1809年2月12日にイングランドのシュロップシャー州シュルーズベリーにて、裕福な医師で投資家だった父ロバート・ダーウィンと母スザンナ・ダーウィン(英語版)の間に、6人兄弟の5番目の子供(次男)として生まれた。父方の祖父は高名な医師・博物学者であるエラズマス・ダーウィンであり、母方の祖父は陶芸家・企業家であるジョサイア・ウェッジウッドである。
祖父同士は博物学者として、父ロバートと叔父ジョサイア2世(母スザンナの弟)は実業家としてダーウィン家とウェッジウッド家は親密であり、両親など数組の婚姻が結ばれ、近しい姻戚関係にあった。
2学年目にはプリニー協会(急進的な唯物論に魅せられた博物学の学生たちのクラブ。古代ローマの博物学者大プリニウスにちなむ)に所属し、海生生物の観察などに従事した。
フォックスの紹介で聖職者・博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズローと出会い親しい友人、弟子となった。同時に当時のダーウィンは神学の権威ウィリアム・ペイリーの『自然神学(英語版)』を読み、デザイン論(英語版)(全ての生物は神が天地創造の時点で完璧な形でデザインしたとする説)に納得し信じた。自然哲学の目的は観察を基盤とした帰納的推論によって法則を理解することだと記述したジョン・ハーシェルの新しい本や、アレキサンダー・フンボルトの科学的探検旅行の本を読んだ。
ダーウィンは諸島が地質学的にそう古いものとは思えなかったため(現在ではおよそ500万年と考えられている)、最初ゾウガメは海賊たちが食料代わりに連れてきたものだと考えていたが、ガラパゴス総督からゾウガメは諸島のあちこちに様々な変種がおり、詳しい者なら違いがすぐに分かるほどだと教えられ、初めてガラパゴス諸島の変種の分布に気づいた。
一般にはガラパゴス諸島でダーウィンフィンチの多様性から進化論のヒントを得たと言われているが、ダーウィンの足跡を研究したフランク・サロウェイによれば、ダーウィンはガラパゴス諸島滞在時にはゾウガメやイグアナ(ガラパゴスリクイグアナおよびウミイグアナ)、マネシツグミにより強い興味を示した。また標本中のフィンチ類やマネシツグミ類がそれぞれ近縁な種であると初めて発見したのは、帰国後に標本の整理を請け負った鳥類学者のジョン・グールドだった。
またダーウィンは、航海中にライエルの『地質学原理』を読み、地層がわずかな作用を長い時間累積させて変化するように、動植物にもわずかな変化があり、長い時間によって蓄積されうるのではないか、また大陸の変化によって、新しい生息地ができて、生物がその変化に適応しうるのではないかという思想を抱くに至った。
ライエルは会長演説でダーウィンの化石に関するリチャード・オーウェンの発見を発表し、斉一説を支持する種の地理的連続性を強調した。
「永遠の伴侶、年をとってからの友人……いずれにせよ犬よりまし」。
当時は遺伝物質の融合説(遺伝を伝える物質があったとしても、それは子ができる過程で完全に融合する)が広く知られていたが、ダーウィンはメンデルが行った実験と同じように、スイートピーの交雑実験で形質が必ずしも融合するわけではないとつき止めていた。
特に性比に関しては生物進化の視点から説明できると考え、後に頻度依存選択(頻度依存淘汰、生存と繁殖可能性が自然環境に左右されるのではなく、グループ中のその性質の多寡に依存する、つまりある性質が「少数派である」ことだけで生存と繁殖に有利に働くこと)と呼ばれることになる概念を先取りしていた。
その中でベーデン・パウエルは奇跡が神の法則を破り、彼らの信念は無神論的だと主張し、同時に「ダーウィン氏のすばらしい著作は自然の自己進化の力の壮大な原理[を支持する]」と称賛した。
1860年にはオックスフォード大学で、ハクスリー、フッカーら支持者とウィルバーフォース大司教ら反対者による討論会が行われた。
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