路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

中空を雲水平に海の果て

2010年10月09日 | Weblog
 目覚めて明け初める窓外を見ると、屋並みの向こう山並みとのあいだの田園から白い煙が垂直にのぼり、やがて山腹あたりで直角に折れてたなびく。そんな野焼がいくつか見える。

 本日も晴天。
 ホテル入り口でバスを待っていると、地元の関係者らしきおばさんが、こういう天気のことをこの辺では「もったいない日」というのだと教えてくれる。家にいてはもったいない、さあ外で働きなさい、という謂らしい。
 ほんとうだ。こんなことしていてはモッタイナイと心底思う。

                       

 バスにのってまず連れて行かれたのは、古い学校を使った公民館。公民館の看板と並んでナントカ文化館みたいな看板がかけられていて、そこで郷土芸能獅子舞のビデオを見る。

 そのあと郊外の山腹のその県最大という古墳を見に行く。
 晴れて暑いくらいである。
 前方後方墳のコブの上に立つと、ほんの数キロ先に海が広がる。10年ばかり前に発見されたばかりというこの古墳は、海岸線にほぼ並行、中心線をそのまま伸ばすとフタガミ山頂上を指呼するという。そんな説明を地元教育委員会のおそらくは20代半ばくらいのイケメンお兄さんが説明してくださる。この説明が明晰かつ滑舌さわやか、きれいな標準語である。ウム、野にもナカナカ逸材ありと睨んだ次第。

 トンボ舞う山稜をあとにし、シャッター閉まり誰もいない商店街を通って、海の幸のショッピングセンターへ。ここで買い物して業務終了だという。
 なるほど、要するにフツーの観光旅行であったのだな、とここへ来てようやく悟る。

 その後すぐに帰路であるはずではあるが、同行の金持ちオバサンが地元の米を買って帰りたいと仰るので、農協へ。(カーナビついてると便利ですね。)
 で、すぐにも用事が済むと思いきや、精米からするそうで30分以上することもなく待たされる。ま、家族で買い物、と同じ状況ですね。

                      

 帰途は車中みなさま話すことも殆どなく、ワシも寝たり起きたり。
 高速道路を走って、親不知のあたり、拡がった日本海にダンゴ状の雲がまっすぐに晴天のなかを異国のほうまで連なっておりました。

 「ああ 越後の国 親しらず市振の海岸」
  
 そんな詩句が浮かんでくるのでありますが。

 「ひるがえる白浪のひまに
 旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ」

 時は十月、同じ詩人の美しい日本語をまたも書き付けて、ささやかな旅の結句とする所存。

 空のすみゆき
 鳥のとび
 山の柿の実
 野の垂り穂

 それにもまして
 あさあさの
 つめたき霧に
 肌ふれよ
 ほほ むね せなか
 わきまでも
             (中野重治 十月)

 では。