路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

春の夜の地上の底に唄流る

2013年03月01日 | Weblog


 温かくなったと思ったら半日雨降り続く。
 どうやらまた寒くなるらしい。

 少しづつ片付けというか整理に手をつけようかと思い、ほんのちょっと右から左へ動かしてみたりする。
 春が来たからな。


                    


 片付けしだすとけっこう面白そうなものがみつかって手が止まる。
 芳野啓次郎『新しい語のポケット辞典』(成象堂 大正八年)
 表紙に「POCKET DICTIONARY OF CURRENNT WORDS」とある。


                     


 ポケットサイズの新語辞典といえばそのとおりだろうが、その大正版というところか。巻頭に、「序文に代えて 著者と出版者との対話」というのがあるから、長いけどそれを写しておく。(原文はすべて旧字。)


 それは今年の桜が、夕べの鐘のひびきに散りゆく春の一日。この書の著者と出版者とが或る所で会合した。
 出版者 ヴェルサイユで有史以来の大会議が開かれてゐます。いづれ世界の地図の色分に変化が起こるでせうね。
 著者  ソリヤ言ふまでもないこと、国際連盟といひ、民族自決といひ、つまりは世界改造の第一歩ですよ。
 出版者 サア、その国際連盟、民族自決で思ひだしたのですが、此間中から私が考へてゐるのは、この四五年来、非常に新しい言葉が続々と生れて来て、殆んど応接に遑がなく、ちよつと新聞を見ても、普通選挙と書かずに普選とかいてゐるようなもので、時代の風潮に触れてゐぬ人は、一枚の新聞を見ても、何が何やら会得のいかぬ、文字には随分多く出遭ふやうです、それで、現代人の使用してゐる現代語の註解辞典といふやうな書籍が、さし当って必要であらうと思ふのです。
 著者  同感ですね、ひとつ出版してみますかね、紙も高い、組賃も高い、印刷も高い、製本も高い、何一つ安いものはない今日だが、社会的教育に貢献するといふ目的で、やってみてはドウです、さうとなりや、僕は一の力を貸しますよ。
 出版者 出版といふ事業は、利益ばかりを目的にしてはイケナイものです、貴方が奮発してやつて下さるなら、出版しませう。
 著者  君が真剣に出版するといはるゝなら、やって見ませう、いつものやうにグズグズせずにね・・・・・、イヤ、自分も、やつて見てはドウかと、此のあいだから考へて見たんだから、腹案はあります。Pocket Dictionary of Current Words といふやうな、ハイカラな表題にして、英語の辞書のやうに、横に組んではドウです。無論いろは順ではなく、五十音順に配列するんですね。
 出版者 それは宜しいが、同じコーと発音しても、正確に仮名で書くと、カウと書くのもあり、カフと書くのもあり、コウと書くのもあり、コフと書くのもあり、クワウと書くのもあるやうですが、こんなのはドウしますか。
 著者  この忙しい今日に、カウか、カフか、コウか、コフか、但しはクワウかと、ソンナ詮議に時間を取られるのは愚の骨頂です、それはカウでも、カフでも、コウでも、コフでも、クワウでも、みんなコーの部に統一して集めて置くのが現代的でせう。ソリヤ同じくキョーと発音するにしても、ケウ、ケフ、キヤウ、キヨウなどの区別があっても、やはり凡て統一してキョーの部に入れるのですね。
 出版者 さうなると、ショーと発音する、シヤウ、シヨウ、セウ、セフも凡てショーの部に統一されるのですか。
 著者  さうです、つまり、むづかしい正式の仮名づかひによらず、何事も通俗的に、クラシカルの臭いから脱して、現代人に手つ取り早く、役に立つといふ方針で編集するんですね、それで異存はありませんね。
 出版者 よろしい。それでは御頼み申します。成るッたけ、時機を失しないやうに・・・・。では、今日はこれでお別れとします。


                    


 というわけで出来上がった現代新語辞典でありますが、けっこう面白い。
 適当にページを開いて、語句を拾い出してみる。


 ウミセン・カハセン  海千川千。世の中の酸いも甘いもかみわけた上に頗る老獪な手腕を持ってゐる人。海に千年川に千年といふのを略したる語。

 オツシユコーギョー  乙種興行。警視庁の令により十五歳以下の子供に観覧させても差支へない活動写真。

 シヤカイモンダイ  社会問題。社会に於ける富豪と貧民及び資本家と労働者との利害関係を融和し弱者を如何に保護救済すべきかなどに関する種々なる問題。

 ジンコーヒニンホー  人工避妊法。国家からいへば一種の政策であって所謂産児制限論と同じ結論に帰着するが個人としては容色を保つ上に有効であらう。

 ゼゼヒヒシュギ  是々非々主義。是を是とし非を非とするといふ頗る公平無私のやうで其所に無量の意味が籠ってゐるかの如く見えるのは此六字が政友会総裁として原敬氏の常に口にする所で氏の行動と性格とより見て一種の興味を世人に与へる事となった。

 セツプン  接吻。英語のキッス(Kiss)を訳したるもの。自己の愛情を表するために他人の唇、手などに自己の唇を当てて吸ふこと。

 ソーハナシュギ  總花主義。總花とは遊郭などにて一同のものに金品を与へることをいふ。従って官庁にても会社又は団体にても一同のものを地位を上せたり俸給を増すことをいふ。

 チューイジンブツ  注意人物。警察に備へつけられある帳簿に其の姓名を記入されて特別の注意を払われつつある人物。多くは社会主義者とか常習犯人の類。

 ノギケ・ヨーシモンダイ  乃木家養子問題。乃木希典大将は其の死に臨み遺書して乃木家の断絶を望むよしを記して置かれた。所が大将の死後毛利公爵家の分家毛利元智氏が乃木家を相続することになった。それには込入った事情があったらしいが此の問題は世人の注目を惹き議会の問題ともなった。

 フツト・ボール  (英)戸外遊戯の一。両人又は二組にて互ひに一個のボールを蹴合ひ規定の線の内に早く蹴り入れたものを勝ちとする。

 フリヨー・シヨージヨ  不良少女。時代が旧道徳に深き信仰を持たぬ結果は一種の旧道徳反抗の気炎を生じせしめた。その影響を受けて現代世相の一片を実現したものが不良少女であり不良少年である。

 マンビキ  万引。買ふ振りをして商品を盗むこと。虚栄心の盛んなる女は自己の身分を忘れて罪を犯し法廷に引かるるもの少なからぬは新聞紙に常に報道せられてゐる。華美の風を増しつつある今の世の産物の一つである。

 

 なんかまだまだ引用したいもの満載であるが、とりあえずこの辺で。





 

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1 コメント

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こんにちは (カマタジン)
2018-05-14 07:16:42
たまたま検索したら辿り着きました。この本は曾祖父が書いたと思います。
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