路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

爽やかな句を探しいて決められず

2010年09月30日 | Weblog
 気持ちのいい秋晴れ。思わず深呼吸してみたくなる。

 ではあるけれど、さして何もなし。困惑も感銘もなく終わる一日。ま、フツーの日だな。

                         

 世間はなにやらかまびすしい。どうも我が国の外交も今後エライコッチャであるが、ワシがどうするわけにもイカンしなあ。

 いよいよ10月だけれど、10月といえばなんだろう。
 爽やかな月になればいいけど。




朝露やときどき開く古家の背戸

2010年09月29日 | Weblog
 夜半から続く雨。明け方には小止みになって、午前中には上がったかと思って手をかざすと細かな霧のような水滴が少しの風に斜めの点線になっている。昼には陽が出て、晴れたかと思うとまた音立てて降ったりする。

                             

 『安曇野』昭和に入ってだんだん面白くなってきた。飛ばし読みのうえに、寝がけにほんの数分づつの読書だからときどき前後のつながりがわからなくなるが、もともとが小説の構造自体がそんなもんだからそれでよかろう。

 やらねばならぬことは山積しているのに、何もできないまま時が過ぎる。
 秋めくと毎年そう思うことを、また今年も思って日が過ぎていく。

 九月も終わるな。




                             

垂直に夫婦の会話秋の空

2010年09月28日 | Weblog
 朝から屋根屋さんが来てくれる。
 ボロ屋の雨漏りに看過せざるものあり、専門家にお願いする。
 近所の屋根屋さんは夫婦で営まれるオシドリ職人。おそらくは六〇代かと思われるが、ご主人は細君を「・・・さん」と呼び、仲良し感充満である。
 屋根の上ゆえ詳しい作業は観覧できねども、地上と屋上とでかわされる会話を側聞するも、まさに秋晴れである。

                         

 夜寝ながら本読んでるとすぐに眠くなる。

 夢に雨音聞きながら就寝。
 
 明日はまた秋の雨になるらしい。



雨粒と朝日と捕え蜘蛛の網

2010年09月27日 | Weblog
 草取ろうとすると雨が降ってくるという、怠け者の為みたいな日曜日だったな。
 一応焚火だけでもしようかと火を放っても、濡れてると燃えない、当たり前である。

                              

 臼井吉見「安曇野」読んでるとけっこう勉強になる。近代史の教科書としてはいいかもしれない。今は大正時代だけど、まだまだ先が長い。全部で五千数百枚というのはたいしたものだ。というか、これで谷崎賞だけれど、みんな全部読んで評価したのかしらん。

 月曜日は朝雨が上がって少し薄日がさす。
 これからまた雨の予報。
 一週間いいことがありますように。




秋朝の微光斜めに入る棲家

2010年09月26日 | Weblog
 なんだか突然秋の真ん中に落とされた気がする。なんだかやらねばならぬことばかり思いつく。

 って実はまだ日曜の朝だから、これから動き出す予定。
 やっぱりブログは朝の更新にしよう。

                     

 寝ていたら、不意に見知らぬ奴らが我が家に入ってきて、家を壊していく。あわてて起き上がろうとしたら、体が身動きならない。誰だ、と叫んだところで、起こされて夢から覚めた、のが昨日の夜。
 ほんとはもっと怖かったけど、詳しく書くとホントに怖くなるのでやめときます。

 今日はいまのところとってもいい天気。
 晴天がうれしいのは久しぶり。

 さて・・・。



すこやかに夕暮るる日を抱きしめよ

2010年09月25日 | Weblog
 きのう壊れた携帯が今日はフツーにつながる。なんでだろう。
 でも、不携帯だとイミないけど。あたりまえ。

                           

 なんだかようやくさわやかないい日になってきた。
 にもかかわらず我が怠惰には我ながらあきれる。

 そういうわけで、明日の日曜日こそちゃんと草取りしようと思うのであります。



いきなりの寂しさゆえに途切れしか

2010年09月24日 | Weblog
 このところブログをサボっていたのはクソ暑さのせいだけれど、本日は突然秋が来てしまった。
 フンイキ晩秋だな。初冬かもしれん。
 こんなに急に寒くならんでもよかろうものを。

                      

 で、今日は不意に携帯が壊れてしまった。
 某所へ何度電話してもゼンゼンつながらず、ナンだよドーなってるんだよと固定電話から電話するとアッサリつながったので、もしやと思い、携帯と固定とで電波飛ばしてみたら、我が携帯、もはや電話機能を放棄していることがわかった。
 でも、買ってまだ二年半だぜ、そんなものなのか。よく知らんがワシは10年くらいは使うつもりではいたのに。
 まあ、そんな時に限って、何度か電話したのに、というようなことになる。

 そんなわけで、もう秋でいいのか。

 秋でいいなら、ハッキリしてもらわんと。

 この秋は、さて、どうするか。



人も家も若かりしころ秋彼岸

2010年09月20日 | Weblog
 朝畑へ行こうと思っていたら雨降り出す。
 雨降り出したから残念ながら畑は諦めよう、と思い、思ってしばらくしたら雨なんかゼンゼン降ってない。雨は降ってないけど、畑は諦めようと思ったココロはそのまま生きて、結局晴れた休日なのに畑へも行かずに一日過ごす。

 彼岸の入り、というか敬老の日、らしい。
 昨今「敬老」といのは難しい。と、まあそんな一日。
 自身が確実に老に近づいてるからなあ。

                            

 古い書架から臼井吉見『安曇野』取り出して少し読む。
 そんな休日。
 どうやら日本近代史をザッと理解するのにこの本はイイかもしれない。明治末期あたりを読んでも、石川三四郎、木下尚江、井口喜源治、とかちょっとわかりにくい人物がだいたいわかる。
 でも、次に読む頃には忘れてるだろうケド。

 気が付くと、静かな夜になりつつある。

 知らぬまに秋は進んでいるか。




子規の忌のかつて糸瓜のありし垣

2010年09月19日 | Weblog
 まあ涼しくはなったんだけどね、動くと暑いし。

                           

 そういうわけで日曜日だし秋になったし、というわけで一日草取りしたらモー汗ダラダラであります。
 サンダルの鼻緒(って言うのか?)が切れてしまって、まあ全部切れたわけではないから履いて履けないことはないのだけれど、そのままではやっぱりちょっとみっともないので、ガムテープで貼り付けたらちゃんとはりついて、我ながらナカナカたいした工夫であるとニンマリして、でもそのままだとなんか言われそうだったので、もう片っ方の方にもガムテープ貼って、これでカンゼン両足こういうデザインであるのだよ、と世間様に履いてでてもモンダイあるまいと、実際履いて出て歩いたりしていたのだけれど、ナゼか見つかってしまった。
 切れた状態で履き続けなかったことだけでもワシとしては画期的で、それをガムテープで補強したなんざ、(しかも両方) これすごい英断だと思ったのだけれどナア。

 だいたいサンダルじゃなくても、首の皮一枚、でもつながっていたら古来我が国ではまだ死んでない、ということになっているのだけれど。

 でも、首の皮一枚、だったらサスガに生きちゃいないだろうけど、フツウ。

 って、なんだかなあ、こんなブログでいいのか。

 まあ、そこんところヨロシク、ひとつ。




命あれば目覚まし闇に鳴り続く

2010年09月17日 | Weblog
 昨日からパソコンと格闘。いつからかPCが生活必需品となって、機械オンチとしては厭な世の中になったものである。
 なにせコチトラ「半角英数で入力」なんて出ただけで全くお手上げになるテイドなのですから。

 というわけで、昨日は涼しくてよかったのに、今日は日中夏日でまた暑い。

 そんな日中、葬式一件。ワシと同い年の人の葬式はいささかコタエル。死んだ人も残された人もみなかわいそうである。

                          

 パソコンとの格闘に敗れて隣町までお伺いをたてに行く。そのついでに久しぶりに図書館へ寄る。

 30分ほど在館して帰ろうとしたら同業の知人に逢う。その町の老舗のご主人で町の古地図を借りに来たというその人と少しだけ話す。少しだけの話でも普段会話したことないのでギコチナク、そそくさと出てくる。

 で、借りたのは以下3冊。
 小谷野敦『天皇制批判の常識』(洋泉社新書 2010)
 内田樹 石川康宏『若者よマルクスを読もう』(かもがわ出版 2010)
 荻原魚雷『活字と自活』(本の雑誌社 2010)

 3冊とも一般開架棚で拾ったのに、気が付けばすべて今年の新刊でしたね。