路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

つくしんぼ系図持たざる農の裔

2020年04月09日 | Weblog
 思いがけない春は、それでもやはり清らかに思える。
 誰がこんな春を予想しただろうか。

               

 ウイルス禍のおかげで研究会総会も流れてしまった。
 五味先生にもお会いしたかったのだけれど。

               

 皆様お元気だろうか。
 知の営みは続いているが。

               

 それにしても先生の知的力業には脱帽である。
 『文学で読む日本の歴史』近世編まで読んで、何ともかんともよくこんなに書けるものだと驚嘆していたら、『伝統文化』が出て、『鎌倉時代論』と続けざまに、これはもう事件であろう。
 仰ぎ見るにしても途方もない。

                

 ワシもこうしてはいられない、とちょっとだけ踏ん張ってみようと思ったけれど・・・。
 やっぱなぁ、地金が違いすぎる。

                

 冬の鍛錬が違うのだろうか。

                 

 それにしても、春。
 ウイルス禍はいつかは終息するのだろうが。

                  

 この国は、もうダメだろう。

                   

  その下からやがて春の立ちあがれと雪が降りつむ
  無限のふかい空からしずかにしずかに
  非情のやさしさをもって雪が降りつむ
  かなしみの国に雪が降りつむ
                     永瀬清子「降りつむ」抄

                    

 非情のやさしさ、って何だろう。
 誰か教えてくれないか。

                     

  非望のきはみ
  非望のいのち
  はげしく一つのものに向って
  誰がこの階段をおりていったか
  時空をこえて屹立する地平をのぞんで
  そこに立てば
  かきむしるやうに悲風はつんざき
  季節はすでに終りであった
                     森川義信「勾配」抄

                      

 一体どういうことだろう。
 非情も非望も、それだけが美しいのは。

                       

 季節も、終わるのか。



 





 

 

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