路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

三月ややがて気になる硬きもの

2012年03月31日 | Weblog

 花粉症がひどいことになって、夜もよく眠れない。(それほどでもないが)ほんとに花粉症だろな。毎年そう思うけれど、なんともうっとうしい限りである。

                               

 呼ばれて税務署なんぞに出頭する。なんともうっとうしい限りである。
 しかし税務署、行く度に取られる金額高くなるなあ。

 その専門のことなどサッパリわからないが、なんだか気になる、という人物がいて、例えばこの人なんかそういう人のひとりなのだけれど。
 今西進化論の御大にしてサル学や自然学の創始者、というかそれ以前に日本を代表する登山家、探検家。しかしてその実態は、というかその膝下に信じられないくらいの秀才俊才があまた集って、知の一大山脈を作り上げた人物、というわけで、本田靖春『評伝 今西錦司』(2012 岩波現代文庫)

                                

 しかしてその実態は、ということになると、これが要するに「リーダー」であるということらしい。本人曰く、「ワシはリーダーにしかなれまへんのや」というわけだ。
 西陣有数の織元の総領に生まれ、ありあまる金をジャブジャブ使い、山に登り、探検に出かけ、加茂川の石ころを裏返し続け、野生の猿の社会を探り、ともかく、教授になったのは58歳の定年まじかで、国家の権威にはいっさい擦り寄らずに国家の金を引き出すのがやたらうまくて、生まれてから死ぬまで結局「リーダー」以外であったことはない人。
 なんか羨ましいような、そうでもないような。近くにいると恐ろしいような。でも怒鳴りつけられようが捨てられようが、(それも将棋の駒のように易々と、あるいは谷底に落とされる獅子の子のように容赦なく)それでも皆から慕われる、そういう人物が実際に存在するらしい。

 解説が河合雅雄。豊かな財力に恵まれた家からは、悠揚迫らぬリーダーが出るのに対し、ハングリーであることが生むリーダーはしばしば独裁者となりやすい、と。
 うむ、そうかもしれん。




春の雷駅舎見下ろす細い窓

2012年03月27日 | Weblog

 北陸の高岡という街へ行ってきた。三月も終わりだというのに雪が降った。ザッと駈足であったが古寂びた市街と大きな工場のある郊外をまわって、いい街だと思った。今度来るときは晴天の日にしよう。

                              

 金沢に来たアメリカ人牧師の妻が、1年の間に20日しか晴天の日がない、そのために精神に異常をきたす、そういう挿話があったのは、堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』で、作者は高岡の出身である。高岡の豪壮な廻船問屋の末裔で、自宅の庭の池には番の鶴が飼われていたくらいな大金持ちだったらしい。(ま、ほかにも金持ち挿話がいくつかありますけど、鶴飼っちゃうってのがやたら印象的なので)
 というわけで、久しぶりに取り出してきて読んでみた。昭和52年の集英社文庫である。

                               

 高岡大仏の脇に堀田の、大仏頌、みたいな自筆の詩らしきものが掲げられてたけど、字も詩もヘタクソな感じだったな。
 と、そんなことはどうでもいいけど、この作品には高岡のことは殆ど出てこない。昭和11年から19年までの作者の学生時代を中心にした青春小説である。
 驚いたことに上下巻の長編小説なのにスラスラとあっというまに読めてしまった。それと35年ぶりの再読なのに、中身はほぼカンペキに記憶していた。こんなことは珍しい。35年の間に登場人物に関する知識が増えたからか、こんなに面白かったっけ、という感じでありました。(例えば、思想犯として拷問を受ける「従兄」のその後は、佐野眞一『巨怪伝』でわかる、とか)
 暗く沈鬱なファシズム下の青春、初読のときはもっぱらそんな印象だったけど、そしてそれはその通りなのだけれど、今回読み直して意外と向日的というか伸びやかな青春群像劇でもあるな、と思った。作者の資質と語り口の旨さゆえであるのだろう。


とりいそぎクロッカスなり黄で候

2012年03月22日 | Weblog

 いつまで寒いんだか。
 もう彼岸も過ぎるというのにハナシが違うっちゅうねん。
 彼岸だから墓参りに行ったりした。みんな墓参りに行くからタイシタもんだ。線香だけはたくさんあるからな。それにつけてもカネの欲しさよ、というわけだ。よくわからんが。
 それにつけても風ばかりピューピュー吹き付けやがるぜ。

                          

 ということでファシズム前夜が面白い、というわけだけれど、国際連盟から脱退して世界の孤児になった日本が夜郎自大に、まあ今の北○○みたいに傲岸になってやがて暴発していくわけだけれど、と思っていたわけだけれども、どうも違うらしいということになっていくわけだ。
 井上寿一『戦前日本の「グローバリズム」 一九三〇年代の教訓』(2011 新潮選書)

                           

 この本によれば、1930年代というのは日本がもっとも世界に視点を拡げた時代で、国際連盟脱退もそもそもが国際協調のための苦肉の策であり、ただのオッチョコチョイなオヤジだと思っていた松岡洋右だって、無思慮な国家当局に苛立つ先の読める国際人だった、ということになるらしい。王道楽土満州は実際は自給自足などできない対外依存国家で、その経済的依存の多くがアメリカ頼みだったとか、国際連盟脱退によって(協調のための脱退)日本の対外危機は沈静化し、殊にヨーロッパ各国との相互理解が飛躍的に進んだとか、もともと日本は独伊とは仲が悪く英米と協調してたのが「デモクラシー」意識の発展が逆に「ファシズム」受容をゆるすことになったとか、1930年代の日本経済はブロック経済どころか積極的な自由貿易による経済外交であったとか、ともかく眼からウロコが何枚も落ちるわけであります。面白くて続けて二回読んでしまった。
 
 いずれにしても当時の状況が今と近似しているのは間違いなくて、今こそ歴史から学ばねばならないわけだけれども、ではいったいどう学んで、どうすればいいのか、ソコントコロガよくわからん、というのはやっぱり読み手の能力不足ということだろうね。やっぱり。


世間話の継ぎ穂なくして春の床屋

2012年03月17日 | Weblog

 穏やかな春の日でありそうなのが、午後からはやっぱりウソ寒くなったりする。
 その翌日は雨音で目覚めたりする。
 ともかく寒い春である。街も寒い。銀行行ったら銀行も寒かった。

                         

 吉本リューメーが死んだなあ。昔は一応読んだけどね。やっぱり殆ど覚えてない。ていうか、『言語にとって美とはなにか』とか『マチウ書試論』とかナンノことやらさっぱりわからんかったね。
 ファッションなんか全く興味ない人間にとって、コムデギャルソンなんて言葉だけ知ってるのは、この人のオカゲかも。

                          

 一応持ってる『共同幻想論』(河出書房新社)取り出して眺めてみた。昭和四十三年十二月五日初版で、持ってるのは昭和五十四年四月二十五日三十七版。やっぱり売れたんですね。
 再読しようかとも思ったけれども、今の気分ではちょっと重い。
 定価は1200円。当時としては高かった感じか。函の帯にラベルが貼ってあって、360、と打ってある。古書店で360円で買った、というのはウソで、パチンコ屋の景品で取ったのでありました。今のパチンコ屋にも景品で本なんかあるのだろうか。あったとしても吉本リューメーなんか無いだろうな。
 一応、神保町にあったパチンコ屋でしたが。

 というわけで、これからいろんな人が回想書くんだろうけど、吉本リューメーでパチンコ屋思い出せるのはワシくらいのモンだろう。

 ナンのことやら。


春月の重力枯れて灰の月

2012年03月14日 | Weblog

 まあ彼岸まで寒いのは毎年であるが今年はすっきりとはしないなあ。雨かと思えば突然吹雪になったり、温かくなりかけて急激に寒くなったりする。要するに寒々しい日々である。
 ともかく、なかなか春の実感が無い。でも先日鶯餅は食ったし。
  街の雨鶯餅がもう出たか  富安風生
 である。もっとも昨日はマンジュウも食ったし、期限切れの月餅3個も食ったし。特に季節感とは関係ない、ということである。
 なんの話だ、という話だ。

                          

 紅野謙介『検閲と文学 1920年代の攻防』(2009 河出ブックス)
 「文学が自由だったことは一度もない。検閲が過酷さを増してゆくファシズム前夜、文学者・編集者は見えない権力といかに闘ったか。」
 ということでありますが、こういうのは面白い。伏字やら発禁やら内閲やら、出来上がった雑誌のうちの数ページを切り取って店頭に並べる、なんてこともあったらしいからな。(そうするとその記事の前後で関係ない記事も1ページ切り取られてしまう。)
 まあ検閲に引っかかる理由はいろいろだけど、そのたびに作家や編集者は右往左往して、なかにはそんなにいきり立つほどの作品でもないぜ、みたいなことも出てきたりして、いろいろである。
 ともかく、ファシズム前夜というのは面白いのである。無責任な言い方だけど。
 たぶん、今と似てる、ということでもあるのだろうね。


新しき街に橋ある出会いかな

2012年03月11日 | Weblog

                       

 加藤周一のいい読者ではない。殆ど読んでない、ということ。はるか昔、『雑種文化』を読んだくらいか。ただ、高校時代に『羊の歌』正・続 は読んだ。読んで、世の中には優秀な人がいるものだ、と思った。
 で、書店で面陳してあったのを見て思わず買ってしまった。
 加藤周一『『羊の歌』余聞』(2011 ちくま文庫)
 『羊の歌』余聞、だけど自伝的要素はそれほどない。朝日の夕陽妄語とかその他の文章を集めたもの。なんだろう、やっぱりあの容姿からの印象からか、やっぱり頭のいい人はいるもんだな、という感想で終わってしまいそうになる。
 で、よく考えると、高校の頃もそうだったのだろうけれど、結局、サライェヴォ、とかヴィエトナム、とかマックス・ヴェーバーとか書かれちゃうからそう思ってしまうのではないか、というような気もしてきた。
 典型的な田舎者的感想である。
 こんな感想で終わらせてしまうと、たぶんマズイんだろうね。

                         

 日曜日は大学のある街の美術館で、シャガール展を見てきた。
 けっこう充実した作品数で驚いた。
 シャガールは嫌いではない。むしろ好きだな。なぜなんだろう。たぶん昔読んだ、『シャガール 我が回想』(題名違うかも)の影響が大きい。ヴィテブスクという彼の故郷の名前にも懐旧と憧憬を感じる。
 ずうっと見て、恋人たちの背景にほぼ必ず故郷の情景を描きこんでしまう画家に、清岡卓行「アカシアの大連」を想起した。
 それほどトンチンカンな連想でもないのではないか、と思った。


くりかえす耳鳴り春が蠕動す

2012年03月09日 | Weblog

 きつい花粉の時期がやってきた。またもや眼がどうにかなるくらいに痛い。いつものことだ。と思っていたら、急に寒くなってまたもや雪になったりする。
 なんともかともである。

 というようなことでグラグラしてたら、確定申告をすっかり忘れていた、ということに気付く。今年はなんやかやで、いつもよりなんやかやな申告をしなければならないので、しぶしぶ始めることにするが、なんやかやでスゴクめんどくさい。アッチやりコッチやり、消したり書いたりしているうちに申告用紙が訂正やら抹消やらで、消しゴム忘れた受験生の答案用紙みたいになって、必死なのはわかるけどコレではナニ書いてるのかゼンゼンわからんぜ、みたいになって仕方なく役所まで新しい申告用紙もらいに行ったりする。
 なんやかやである。

                       

 阿部勇・井川克彦・西川武臣編『蚕都信州上田の近代』(2011 岩田書院)
 ちゃんとした論文集であります。だからチャンと読まないとサッパリわからないわけで、論文読む気力などゼンゼンないから、結局サッパリわからない、というかうまく頭に入ってこないわけであります。
 生糸を売って軍艦作った近代日本のなかで、信州上田あたりの小県郡はまさにその中心であったわけで、その濫觴の仕組みがおおむねわかるわけであります。(たぶんね。ちゃんと読めばね。)
 どうやら上田は幕末あたりからずいぶんと開明的で、お殿様なんかも積極的に海外への販路をつける努力をし、藩内豪商(滝沢家など)や外部の商人を使ってはせっせと商売したらしい。その過程で、あの中居屋重兵衛なんかも出てきちゃう。
 それが明治期から以降、生糸というよりもその前段階の蚕種(蚕の卵)の生産販売なんかの比率が大きくなってきて、大正期にはまさに「蚕都」という様相を呈するに至るわけだ。同じ長野県でも諏訪郡なんかは生糸生産に行くわけだけど、そこを分けたのは器械製糸の導入。積極的に器械製糸に金かけた諏訪に対し、なんで上田がそうならなかったか、というところが重要ですが、スンマセン、その一番大事なところが眠くてよくわかりませんでした。
 ともかく、蚕種ー生糸ー輸出、つまり上田ー諏訪ー横浜、という日本のシルクロードは確実にかつて存在したわけで、ちょっと温かくなったら上田へ行ってみようかしらん、と思ったことでありました。


てのひらにいのちの線や鳥帰る

2012年03月04日 | Weblog

 三月になった。
 まあ、ほっといても三月にはなる。
 三月の甘納豆のうふふふふ、ということである。
 もちろん、よくわからんが。
 というわけで、坪内稔典『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』(2009 岩波書店)というわけで。

                       

 そもそもネンテン俳句というのがよくわからんのだが、それはつまり俳句というものがわかってない、ということになるのだろう。だけど、たんぽぽのぽぽのあたりが火事、だといわれてもなあ。
 で、内容的にはけっこうマジメ。あたりまえか。ちゃんと読めば俳句史がきちんとわかる、のだろう。でもマジメになればなるほど、よくわかんなくなるのだよね。
 筆者によれば、俳句というのは老年向きであるらしい。モーロクするにつれて俳句がよくなるということらしいが、なんかとりたてて言うほどのことでもない気がする。
 中で著者が上野千鶴子と長い対談をしている。もうだいぶ昔、神保町で彼女の句集を見つけて、買うかどうしようかさんざん迷ったすえに買わずに帰ったことを思い出した。あのとき買っときゃよかったなあ。
 というようなこと以外、さしたる感想もない、ということであります。