もうブログなんか書くことない、つもりでいたんだけど。
パソコン新しいの買っちまって。
今までのは10年くらい使って、たえず危険にさらされてるみたいだし、ネットの途中で時々画面が黒くなって横文字一面出てきたり、なにより反応がすごく遅くて、というようなわけで遂に禁断の新しいのに、というわけ。
要するに、新しくなったらキーボード打ってみたい、みたいな的なハナシ。
ようやく秋めいて、どうにか息つける季節になったけれど。
この夏は本当に暑かったから、ほとんど読書らしいことしなかったが。
なに読んだかといえば、なぜか木山捷平。
木山捷平は、地元の図書館にも無いに等しく、読めるとしたらかつての旺文社文庫か、今なら講談社文芸文庫しかない、といっていいんだろうが文芸文庫なんかこのへんの本屋にはほぼ絶対売ってないし、というわけで架蔵のもの出してきて、それらを再読三読して酷暑を凌いだというわけ。
それにしても、文芸文庫、高いよなあ。
歳とるにつれ(なのだろうが)私小説ばかりに惹かれるのはなぜだろう。
もっとも木山捷平、ほんとに私小説か?そうみせかけて実は巧妙に虚構に人生をまぶしている感がないでもないが。
飄逸というのか、韜晦というのか、雑駁なようで巧緻、曖昧なようで適格、悲惨が滑稽だったり、安穏が晦渋だったりして、ほんとこの人は油断ならない。
その油断なさにすっかりマイってしまったわけだが。
そもそも昭和19年の12月、40歳を過ぎて家族と離れノコノコ満州に就職しに行くというのは、間抜けなんだかヤケクソなんだか。
翌年(昭和20年)の8月12日に召集されるというのは、神様におちょくられてるのか。
ともかく、そこで乳母車にボール投げつける訓練、(ソ連軍の戦車に爆弾投げつける擬似訓練)させられたりなんかして、そのまま敗戦後も内地に戻れなくなり一年以上満州に留まらざるを得なくなる。
その過酷な満州体験が『大陸の細道』や『長春五馬路』その他の作品となって結実するわけだが、読者からみればやっぱりそれがよかったよな。それがなければ唯の飄逸な私小説作家として本当に忘れ去られていただろう。
長春(かつての満州国の首都新京)には約10万人の日本人がいて、敗戦後避難してきたのが約15万人、計25万人の日本人のうち戦後一年で8万から10万人が死亡したらしい。
その中の一人として筆者も白酒の行商やボロ屋をしながら糊口をしのいでいたわけだけれど、日中軽々に出歩くこともできない。下手に外出してソ連兵にでもみつかれば日本人は誰彼かまわず拉致されてシベリヤへ送られる、という嘘のような史実があって、しかし外出せざるをえない場合も当然あって、そういう場合はどうするかというと同じ避難所にいる「半後家」の幼い娘を金を払って借りる。幼児を背負っていれば、ソ連兵も子供を引きはがしてまで拉致するのは面倒だから安全なのだ。
避難所には夫が拉致されたり殺されたりした女たちが、体を売ったり子供を貸したりしながらなんとか生きていたわけだ。
というのが短編「苦いお茶」の導入であるが。
この「苦いお茶」、とんでもない名作だな。なんとなく読んでしまうと名作であることなど簡単に見落としてしまうほどしたたかな名作だな。
で、それから十数年後、主人公(正介)は都内の図書館で、かつて賃借して長春を背負って歩いた娘(ナー公)に再会する。
彼女は二十歳の短大生になっていた。彼女の父親はシベリアから帰って来なかった。母親は復員後三年目に死んだ。その後伯父に引き取られ短大に入り来年からは幼稚園の先生になるという。
偶然の再会に喜んだふたりは久闊を叙して居酒屋で飲む。どちらもホロ酔いになって、顔をあかくしたナー公が不意に言う。
「ねえ、小父さん、十何年ぶりで逢えた記念に、あたしを負んぶしてくれない」
かくして主人公は、かつて満州でそうしたように、すっかり大人になったナー公を背負って狭い居酒屋のなかをよろよろと歩き回るのであったが。
すると、客の中から一人の学生が立ち上がって叫んだ。
「すけべえ爺、もういいかげんにしないか。ここの、この、大衆酒場を何だと心得ているのか」
正介がしまったと思った時、ナー公が正介の背中からとびおりて叫んだ。
「誰がすけべえ爺か。もっとはっきり言うてみ。人間にはそれぞれ個人の事情というものがあるんだ。人の事情も知らないくせに、勝手なことをほざくな」
数十人の飲み客が総立ちになった。
その中でナー公は、きりっとした顔を学生の方にむけて睨みつけ、微動もしなかった。
何度か読んで、ここに差し掛かるたびに泣きそうになる。
木山捷平、どれを読んでも、泣きそうになる。
なにがなんだかわからないままに、下世話で粗忽で、それで結局泣きたくなる。
タイシタ芸だぜ。
というわけで、やっぱり泣きそうになる短詩をひとつ。
濡縁におき忘れた下駄に雨がふってゐるやうな
どうせ濡れだしたものならもっと濡らしておいてやれと言ふやうな
そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた
木山捷平「五十年」