日中ますます暑い。
そのうえ例年になく蚊の多いことに閉口する。外を少し歩くだけで、すぐ刺される。夜は蚊取り線香大量にモクモクさせないと眠れない。
昭和22年10月3日の新聞。まだまだ。
二面に行こうと思ったけれど、一面少し。
広告欄に「指定休電日のお知らせ」が。
「冬季湯水期の電力最大危機を迎えて・・・・・・取敢ず現在の商工省告示第三段制限下に於て皆様の御協力により更に之を改善するため左記の通り指定休電日の地域割を以て来る十月一日より実施いたしますから御諒承願います。」
10月3日の新聞に10月1日実施の公告載せられてもナア。ともかく、なんか今と似てるけれど、この頃は、節電ではなくて、休電、だったことと、電力の最大危機時期が夏季ではなくて冬季だったらしいことがわかる。
というわけで、二面(裏面)へ。
社会面、でいいのか。少し文化面。
トップは殺人事件。見出しが「二人で死の逃避行か 情婦と風を喰って失踪」 なにもわざわざ風を喰らわなくても、失踪だけでもいいと思うが。
その下。「天ジクなど 配給物資横領」 地方事務所の林務課長が配給物資を横領した記事。その横領品。「天ジク紺織七二反作業シャツ百四十二枚ゲートル十九足作業ズボン二十三着作業衣七枚地下足袋六十二足防寒靴下三十八足」 けっこうパクッたなあ。でも、天ジク、というのがわからない。
さらに左端。顔写真入り記事。「ニューギニヤ山中に丸四年 土人と一緒に聖書の勉強 生きていた戦死者」
28歳の復員者の話。昭和18年2月ニューギニヤサラモアに上陸した部隊がそこに孤立。翌19年海抜四千八百米のサラケット山脈踏破を決行。このとき陸軍1万7千海軍7千だったのが38日の踏破後には陸軍8千海軍4百になる。さらに部隊は病人400人を残したまま移動。この青年もこの400人のなかに。病人部隊は5人一組となり散開を命じられ、彼らはボブという現地部族に救われて、山岳地帯の崖の蔭に小屋を作って住み着く。彼ら5人はそこで「宣撫に務めようと土語を習い学校をひらきアルハベットで綴った聖書等を教えた。土人たちの宗教心はこの頃から強くなり悪習もなくなって我々に絶対の信用をよせてきたーたまたま本年八月隣に来た一ドイツ人宣教師をたづねてはじめて日本の敗戦をしり驚ガク土人の止めるのをふりきってマダンえ出た。土人は泣いて別れを惜しみ海岸迄送って来てくれたこの間約三年常食はいもを主食としてネズミ、蛙を捕えて食べ米食は三度だけであった。」
下段は思い切りつめきっていろんな記事が。
たとえば、「地方事務所では従来の町村父兄会が形式的なものであり年に一回の会合も行っていないし連合軍からの指示もあるため、児童を教育するのは学校ばかりではない父兄も一半の責任を受け持って行くべきだとしてこれを強調、父母と先生の会(P・T・A)の結成をすすめている。」
ま、「連合軍からの指示」だからね。
その他
「嫌ならやめてくれ 小工場に争議頻発」
「映画料金値上反対運動」
「遅配なお十八日」等。
内容書きたいけど、この辺で。
まだまだ続くぜ。