路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

裸婦像のある吹き抜けや二月尽

2012年02月29日 | Weblog

 うるう年だとは気付かなかったぜ。4年に一度だからオリンピックは必ずうるう年なのか。初めて知ったカンジである。
 どうでもいいか。

 というわけで、2月も終わろうというのに冴え返ってばかりである。いつまでも寒いなあ。もうそろそろ明るくなってくれないと、ということである。
 もろもろナンヤカヤで気が重くなることばかりである。

  さびしさと春の寒さとあるばかり  上村占魚

 ということであるのである。

                   

 たまにはチャンとしたものでも読まないとナ、ということで図書館で借りてきたのであるが。
 山崎正和『鴎外 闘う家長』(昭和55年 新潮文庫)
 寝床で1ページ読んでは眠くなり、読み出そうとしてどこまで読んだのかわからなくなり、結局なんだかわからないまま、であるのであります。
 たしかに近代は家長の時代であるけれど、鴎外が相当に家族に甘い家長だったのが栄光の人生ゆえの屈折の結果というのは。まあ、すごい屈折の仕方であるな。挫折しない人生への不安、っていわれてもなあ。結局最後は、殆ど親近感など持たない故郷をわざわざ持ち出して、一切の社会的命名を拒否するポーズをとらざるを得なかったということか。
 ま、エライひとのことはよくわからん、という結論になってしまった。
 
 鴎外の最晩年、最後まで医師の診察を拒み続け、立てなくなるまで職場(帝室博物館)に通い続け、もはや死が確実となった頃ようやく夫人の哀訴をいれて検尿にだけは応じる。ただし、その容器にそえて、「これは小生の小水にはこれなく、妻の涙に御座候」という紙を添付した、という。
 なんか、みんな屈折してエラクなった、そんな最終的感想だけど、そういう結論ではいけないんだろうね、たぶん。



 

帰路までのさびしい夜だ猫の恋

2012年02月22日 | Weblog

 昨日今日と春めいてきた。
 春が来るのはいいけれど、またすぐに冴え返って寒くなったり、一進一退ということになるのだろう。
 気分も動きやすくて、はしゃいだ分だけ落ち込みも激しくなる。妙に淋しくなったりするからなあ。

 というわけで、旧制松本高校(現信大)寮歌「春寂寥」を聞きましょう。
 本来は惜春歌だけどね。

                    春寂寥 旧制松本高等学校寮歌 (Haru-Sekiryoh, Old dormitory song)


 この歌の作曲者、濱徳太郎は『どくとるマンボウ青春期』にも出てくるけど、学年ごとに落第して高校3年を六年かけて卒業したという人物。東大美学を出て日大教授とか勤めたけれど、生涯なかなかのディレッタントとして終始した人物らしい。
 ちなみに、濱は信州湊村出身。同郷の先輩に「琵琶湖就航の歌」の小口太郎がいて、小口は27歳で死ぬ前、濱の妹と許婚の関係にあったらしい。詳しい真偽は不明だから、今度じっくり調べてみよう。(ウソです。特に調べる気もありません。)



無能なれども春が来るとうれしい

2012年02月21日 | Weblog

 毎朝トイレでストーブつけることから始める日々。陽射しはだいぶ出てきたけれど、まだまだ寒い。

 保阪正康『数学に魅せられた明治人の生涯』(2012 ちくま文庫)
 先日、大学のある街へ行って、その駅前にできた大型書店に行ってきた。すごいよなあ。文庫だけで広いスペースいっぱいにあって、そこだけめぐるのに時間を費やす。全部見て回ろうと思ったら確実に一日かかる。ふだんはお目にかかれない出版社の文庫もそろっていて眼福のかぎりである。
 でも、もともとの老舗書店はだいぶ厳しくなるだろう。古い街の小さな書店、というのはイメージとしては美しいけど、だんだんとなあ・・・。

               

 そこで買った新刊文庫の一冊。
 明治六年に生まれた少年が(旧制)中学に進み数学の魅力に取り付かれ、卒業後軍隊に行き、日清・日露に従軍し、検定試験で数学教師となり、やがて帰郷して肥料商を始め、推されて村長になって、六十少し前で一線を退く。
 で、そこから102歳で死ぬまでの長い余生をこの人はどう過ごしたか。なんと40数年をひたすら「フェルマーの定理」の証明に掛けた、というお話。
 実話らしいが、主人公の名前も仮名だし、全体に小説的しつらいになっているから読みやすいけれどいまひとつカッカソーヨー感が。
 まあ題材が数学だからなあ。そのへんサッパリわからんし。
 ともかく、数学的魔性というか、やすやすと人生を擲ちたくなる魅力が数学にはあるらしい。

 ワシにはようワカランけどね。


浅春のいやだいやだを聞き咎め

2012年02月13日 | Weblog

 ちょっと春っぽい日曜日。
 図書館へ出かける。

 中野重治『本とつきあう法』(1987 ちくま文庫)
 図書館で文庫棚を眺めていたらあったので借りてきた。再読か三読めくらいか。以前は単行本で読んだ。御他聞に洩れず読んだ記憶だけで、内容は皆初読に同じ。
 中野重治の書評集、ということか、最初から面白く読んで名著だと思った。

                      

 なんで中野重治が好きなんだろうと考えて、やっぱりその文章が好きなんだと認識した。どの文章も書き出しから魅入られる。どれも引用したくなって、たぶん引用しだすとキリなく全部写したくなってしまうだろうな。


  このへんのところが私は好きだ。といって、何かがわかっていて好きというのではない。ほかと比べて、これこれの理由で好きだというのではないのだから、わけを問いつめられては困ってしまう。
  ただ、こういうことはあった。いまでもある。


 「『万葉集』のこのへんのところ」と言う文章の書き出し。こんなふうに書き出されても困っちゃうなあ中野さん、と笑顔で言いたくなる。たぶん苦虫何百匹も噛み潰してるような苦い顔で推敲してるだろう詩人が彷彿される。というか、これ、ワシが中野重治好きな理由として、そっくりそのままお返ししたくなる文章である。
 「ただ、こういうことはあった。いまでもある。」
 この一行、そのうちどっかで必ず使いそうな気がする。

 というわけで、そうなると『中野重治詩集』がまた読みたくなって、読めばどれかを引用したくなって、どれもみな美しいけれど、ちょっと変化球、竜北中学校校歌、というのをちょっと写す。


  一 ふるき ふるき国 越の高向
    そこに生まれし
    あたらしき人 あたらしき人 われら
    われらつよし われらわかし
    ここに学び ここに育つ
    竜北 われらが母校
  二 東にやまなみ 西にうなばら
    あいによこたう 
    ゆたかなる野の子 ゆたかなる野の子 われら
    われらつよし われらわかし
    ここに学び ここに育つ
    竜北 われらが母校
  三 見よや 土と草 稲穂と麦穂
    耳はかたぶけよ
    鳴鹿の川の たぎつ瀬の 瀬の音のひびき
    冬のはやし ふきてとおる 吹雪の声に
    ああ
    生むもの
    つくるもの
    すすむもの われら
    われらつよし われらわかし
    ここに学び ここに育つ
    竜北
    われらが われらが われらが母校


 今でも、(たぶん福井県のどこか)この歌を歌っている中学生がいるとしたらほんとに羨ましい。

  生むもの つくるもの すすむもの われら

 イイナア。


いつまでも置かれる蜜柑減る珈琲

2012年02月12日 | Weblog

 こんなに寒い年はなかった、という人が多いがそれほどとも思わない。子供の頃の方がもっと寒かったような記憶が。
 首都圏からの人がやってきて、残る雪に驚く、というか冬は雪の中で暮らしているようなイメージの会話を繰りかえす。それほどでもない。しかし雪国の人は大変だろうなあ。
 ずいぶんと明け易くなってきた。日脚が伸びると、やっぱり嬉しい。冬が好き、とか言いながら、我ながらイイカゲンナものである。

                     

 安部ねり『安部公房伝』(2011 新潮社)
 安部公房って最近どうなんだろう?かつては本屋の棚でも新潮文庫にだいぶ並んでいたけど、今はほぼ見ないよな。昔はクラスに必ず一人くらい熱狂的なファンがいて、SFファンとも違うし、文学好きとも違う、たいがい理系で「大学への数学」と『第四間氷期』が並んで鞄に入ってる、みたいなイメージだったけど。

                      

 著者は公房の娘でお医者さんであるらしい。そのせいか全体が理系の文章っぽくってそれが好ましい。三分の一は著者が公房ゆかりの人にインタビューした記事。コラージュ風な写真がたくさん入っている。
 安部公房が大江健三郎なんかと並んで安岡章太郎を評価してたというのが意外だった。かつてのワープロ「文豪」が安部にちなんだ名前だったとは知らなかった。安部が東大医学部の卒業試問で、母体内の胎児の期間をほぼ2年間と答え、医者にならないことを条件に卒業だけは許された、という有名な伝説がこの本にも書かれているけれど、ホントの話かね?

 造本が堅牢、というかどうもいい紙使ってるらしく、ページが硬くて重いし読みづらい。寝ながらなんか読ませないぞ、というような本。でも、寝ながら読んだけどね。

 

粉雪の陽射しに消えてゆくあした

2012年02月11日 | Weblog

 水道が凍りついたまま熱湯かけてもウンともスンともならない。破裂しないだろうな。
 数日前仏壇でピキピキずっと音しているから気になりつつもほっといたら、供花の花瓶がふたつ同時に割れてしまった。中の水が氷って花瓶までも割るにいたった。
 
                  

 図書館に入ったら、西舘好子『表裏井上ひさし協奏曲』(牧野出版)があったので借りてきた。昨年本屋の新刊コーナーに平積みしてあったからちょっと立ち読みしたけど、買うまでにはいたらなかった。
 元家族がみた作家の家庭生活、ということで正直ゴシップ的興味だけで借りてきましたが(スンマセン)意外に(さらにスンマセン)文章がよくて素直に読めた。
 昔の細かな記憶まで鮮明で、(このへんは女性ならでは、というか女房ならではか)そのあたり真偽をめぐって旦那側には異論ありというところか。

                 

 数日前、井上の三女がテレビでボローニャかなんか旅してるのを見たけど、長女次女は義絶して、その死にも葬儀にも立ち合わせてもらえなかったという事実が冒頭から語られる。へー、そうだったの、ということになるわけですが。
 まあ、ひょうたん島世代としてはその作者の素顔が気にならないこともないが、井上にはそれなりに自身を題材にした小説やエッセイが多いから、一般的なイメージはあって、それが本書を読むと悉く覆る、という仕組みになっているわけで、ユーモアを忘れない進歩的文化人が家庭では古臭い家父長そのままの暴君であったということになるわけであります。ただし、この辺もすんなり嫌味なく読めるのは著者の筆か、やっぱり時間のなせるところか。その流れで井上の故郷や実家との関わり、どうみてもヘンテコな実母や、「憎」のみであった故郷に対して社会的地位が上がるにつれての「愛」への移行なんかが上手に記述されていて文学史的価値もあると思いました。
 あと、今やよく知られる井上の暴力についても、(遅筆堂が煮詰まると編集者が、奥さんすみませんがあと少し殴られてください、と言ったとか。)冷静に書かれてあっていいと思いましたデス。

 これ読んで後世誰かが「ナントカカントカ井上ひさし」なんてのを書くんじゃないか。
 世間的な井上のイメージがすっかり引っくり返るけど、読み終わったあと彼の小説や戯曲をとっても読みたくなってしまった、という不思議な読後感でありました。




立春の雨に雪間の落花生

2012年02月06日 | Weblog

 すごく寒かったと思ったら雨になったり。
 結氷した湖が雨雲のしたで黒ゝと煙っている。氷は解けたのかどうなのか。春になったというけれど・・・。

                  

 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中公文庫)
 架蔵の中公文庫は、昭和四十八年六月十日初版 昭和五十年五月十五日十三版。
 「ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある。」
 この書き出しが初出時にけっこう評判になったらしいことは今ではちょっと想像しがたい。本書の解説の佐伯彰一もこの冒頭を取り上げて、「電話という現代日本の風俗現象の巧みな利用」と言っている。まさか数十年後に電話は一家の主婦の膝の上どころか、一人に一台携帯されるとは思いもよらなかっただろうなあ。あのころ、履歴書なんかの電話欄には必ず(呼)というマル付け事項があったし、多くは近所で貸し借りして、めったに使えるものではなかった。
 というようなことはさておいて、今回久しぶりに読み返して、もう40年前、薫君シリーズのページを開くたびになんだか新鮮な興奮を覚えた、ということを思い出した。もう二度と思い返すことのない感覚。
 それにしても、作者は薫君四部作を書き上げて、まさにハナヤカに封印したまま沈黙し、にもかかわらず作品は数十年を生き続けている。凄いなあ。薫クンだってとうに還暦を過ぎているはずだし、作者も70代半ばのはず。

                   

 今回久しぶりに再読しようと思ったのは、この作品が昭和四十四年の2月9日の一日を描いている、という季節的な思い付きではない。
 実は何気なく新潮文庫の近刊情報をみていたら、3月のラインナップにこの作品があがっていて、それでびっくりしてしまったのであります。どういうことなのだろう。同時に中村紘子の作品も並んでいることと何か関係があるのかなあ。
 
 庄司薫といえば、福田章二の中央公論新人賞以来中央公論社であるはず。(『獏の飼い主・・・』は講談社か。)それがなんで今頃新潮文庫に?
 あのころの中公文庫は宝の山で、ノンフィクションの見事さはもちろん、北杜夫の「どくとるマンボウ」ものも中公独占だったはず。(他社では、どくとる、はつかなかった。)
 ともかく、ワシの高校時代は薫クンの絶頂期(?)で、ちょうど中公本誌に2年間『ぼくの大好きな青髭』が連載されていて、日曜日には、お寺の横にあった市立図書館へ受験勉強と称して出かけて行き、中央公論の新刊を借り出しては中村紘子の挿絵のついた「青髭」を繰り返し読んだものだ。それだっていつも早い者勝ちの人気だった。
 連載が終わったあとも、たぶん10年近く、毎月十日には本屋へ行って、『中央公論』に庄司薫の新連載が始まっているのではないか、書き下ろしの新刊広告が出ているのではないか、ひたすらチェックし続けたよなあ。結局新連載も新刊も出ずに、いつのまにか中公とも疎遠になってしまいましたが。

 さて、庄司薫。なんか噂みたいなのはネットで時々みるけれど、実は大長編を執筆していて、死後衝撃的に発表の予定、ってのはワシのかってな妄想ですが、案外少なからざる人たちが同じ妄想を抱いている気もする。


葬場に導師饒舌春隣

2012年02月03日 | Weblog

 寒い、凄く寒い。トイレも水道も氷る。もうすぐ体全体氷るな。
 
 そんななか葬式で半日。寒くて震えながら。
 葬式は出席者が故人との距離それぞれだから、どうしたってソレゾレである。遺族があんまり感情移入激しいと、同調できる人とひたすら鼻白む人と。
 マ、今回どっちだったかはあえていいませんがね。

                  

 「アメトーク読書芸人」
 もうカンゼンに又吉君が他の追随を許さずに圧倒的カンロク。
 持参したのが太宰の『桜桃』初版本。古井由吉が憧れの作家だと言い、実際の本屋巡りの映像では、神保町小宮山書店で上林暁の句集『木の葉髪』5000円を買い、店員がいつもお世話になっているからと値引きしてくれる。
 スゲー。
 これからは憧れの方と呼ばせていただこう。