うるう年だとは気付かなかったぜ。4年に一度だからオリンピックは必ずうるう年なのか。初めて知ったカンジである。
どうでもいいか。
というわけで、2月も終わろうというのに冴え返ってばかりである。いつまでも寒いなあ。もうそろそろ明るくなってくれないと、ということである。
もろもろナンヤカヤで気が重くなることばかりである。
さびしさと春の寒さとあるばかり 上村占魚
ということであるのである。
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たまにはチャンとしたものでも読まないとナ、ということで図書館で借りてきたのであるが。
山崎正和『鴎外 闘う家長』(昭和55年 新潮文庫)
寝床で1ページ読んでは眠くなり、読み出そうとしてどこまで読んだのかわからなくなり、結局なんだかわからないまま、であるのであります。
たしかに近代は家長の時代であるけれど、鴎外が相当に家族に甘い家長だったのが栄光の人生ゆえの屈折の結果というのは。まあ、すごい屈折の仕方であるな。挫折しない人生への不安、っていわれてもなあ。結局最後は、殆ど親近感など持たない故郷をわざわざ持ち出して、一切の社会的命名を拒否するポーズをとらざるを得なかったということか。
ま、エライひとのことはよくわからん、という結論になってしまった。
鴎外の最晩年、最後まで医師の診察を拒み続け、立てなくなるまで職場(帝室博物館)に通い続け、もはや死が確実となった頃ようやく夫人の哀訴をいれて検尿にだけは応じる。ただし、その容器にそえて、「これは小生の小水にはこれなく、妻の涙に御座候」という紙を添付した、という。
なんか、みんな屈折してエラクなった、そんな最終的感想だけど、そういう結論ではいけないんだろうね、たぶん。