路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

残花ありて夕映へといふ帰心かな

2022年04月16日 | Weblog
 また新しい春ではあるが。

 崩れ去るものの音が確実に聞こえる。

  はるかなるものの悲しさかがよひて辛夷の花の一木が見ゆる
                              佐藤佐太郎

 辛夷も白木蓮も散ってしまった。

                     

 研究会もすっかりリモート慣れである。

 常ならぬ日常が、すでに日常であって、どうやらそれはまだ明けない。

                    

 「目を醒ますと、列車は降りしきる雪の中を、漣ひとつ立たない入り江に辷り込む孤帆のように、北に向かって静かに流れていた。夜明けが近いのか、暗色に閉ざされていた空は仄かに白み始め、吹雪に包まれた雪景色の単調な描線が闇から浮かび上がってきた。」
                                                 外岡秀俊『北帰行』冒頭

                   

 年明け、外岡秀俊の訃を聞く。

 ネット情報では、スキー場のゴンドラ内での突然の死であったとも。

                   

 田舎の小さな本屋の平台の上に一冊だけあった『北帰行』を手に取った、その自身の指先を今でも覚えている気がする。
 もう40数年前のことだ。

 そのころ大学生であった白皙の青年は、やがては日本文学を牽引する存在となるはずであり、私もそれを熱く想った。

 彼が朝日新聞へ入ったと聞いたときは、意外のような当然のような、ともかく、その署名記事はやはり我が半生の傍らにあり続けた

 この国のジャーナリズムにとって、そのひとの喪失は大きい、そのような人物になった人のデビュー作を、かつて貪るように読んだ遥かな記憶。

                   

 デビュー直後の外岡を、清水哲男がインタビューしている。  
                        『球には海を』所収

 外岡が、好きな作家としてサン・テグジュペリと五木寛之をあげているのはやや意外だが。
 それをうけて清水が「この作家の今後には、大きい意味でのエンターティナーとしての方向を期待」しているのは、炯眼と言っていいのか。
 卒業したら新聞記者になって様々な体験をしてみたいが、それも若い時だけ、将来は札幌に帰って暮らす、という外岡の言は、まさに自身の未来を言い当てたということか。
 西部劇を見ることと、毎日数キロのマラソンが趣味だと答える若き日の外岡秀俊を羨望し、今も憧れ続ける自身を見出す。

                   

 そして、清水哲男も死んでしまった。

 春が来る頃。

                   

 一編の詩によって、人生が強く規定される。
 そんなことがあるかといえば、それは確実にあるのだけれど。

 少なくとも、人生に対する態度が、一片の詩によって定められ、それが半世紀たっても変わることはない、そういうことは間違いなくある。

                  

  だが
  あなたの思い出はない
  私のなかには
  花もない
  学校もない
  あなたの網膜のあわいには
  吐息につつまれた町と
  敵の後姿が
  やさしく光っている
  未来に関する
  希望に関する
  残酷な哲学のなかで
  あなたは眠ることさえできるのだ
  けだものの目蓋を透かして
  私が所有する
  あなた
  その肺胞
  その涙
  空の思想
  はりつめているだけの痛み
  むしろ私は
  しんみりと眠ってみたい
  あなたの髪につつまれた
  暗闇の片隅に
  皿のような光る鏡をおいて

  そんなことができるもんか
  あなたは
  コオヒィの湯気のむこうがわにいて
  胸のかたちを整え
  少し血のにじんだ頬を
  朝の光にたたかせて
  ああ
  じっと喝采に聞きいっている
                    清水哲男「喝采」

                           

 かつて、窓のあかない傾いたアパートの四畳半で、清水哲男詩集を抱えてひたすら眠ろうとしていた日々にも、胸を張って背走し続けていた人よ。

  男は歯をむきだして笑い
  今度こそは
  故意に落球してやろうと思い
  そして背走をつづけながら
  やはりしっかりと
  掴んでしまうのであった
                  「笑う外野手」

                          

 あなたが、

  すねている俺は嫌いだが
  すねていないきみたちはもっと嫌いだ
                  「きみたちこそが与太者である」

 と言うから。

                         

 あなたが、

  人間は生きぬいていくのではなくて
  生きてしまう
                    「PRINT d」

 と言うから。

                       

 だから

  しかし 暗い心は手くらがりから手くらがりへと
  灯芯のような闘志を執拗に育てつづけていて
  「クラくなければオトコじゃないぜ」と
  灯火親しむの候には 誰かが必ず書いたものだったよ
                      「灯火親しむの候」

 本当に昔はよかったよ。

                        

  では聞くが
  両のてのひらで
  こわれないようにそおっと
  何かにつつみこまれたことはあるかい
                       「てのひらほどのうた」

                         

 もういい加減にしなくてはならない。
 子供ではないのだから。

  少年は生きるしかなし花の冷え    清水哲男

                        

 こうしているうちにも、春だって逝くのだから。

  真昼の日そらに白みぬ春暮れて夏たちそむる嵐のなかに     若山牧水

                          

 崩れ去って行くものの音だけが聞こえる。

  舟を押す(口笛もなく・・・・)
  故郷はいつだって水を割って帰るところだ
                          「舟に託して」


                         

 「「どこへ行くんだい、おおどこへ・・・・」
  年老いた母の皺だらけの手が暗闇に揺れるのを、私の眼は今でもはっきりと捉えている。」
                                  外岡秀俊『北帰行』最終行

                          

 そしてまた、五月は来るか。
 
 どのような・・・。

                           

  唄が火に包まれる
  楽器の浅い水が揺れる
  頬と帽子をかすめて飛ぶ
  ナイフのような希望を捨てて
  私は何処へ歩こうか
  記憶の石英を剥すために
  握った果実は投げなければ
  たった一人を呼び返すために
  声の刺青は消さなければ
  私はあきらめる
  光の中の出合いを
  私はあきらめる
  かがみこむほどの愛を
  私はあきらめる
  そして五月を。
              清水哲男「美しい五月」

                            

 次の春、私は何を書けばいいのか。