路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

裸木と遠くの山の記憶のみ

2011年12月30日 | Weblog

 日中小春日で過ごしやすかったものが、日の暮れるころより急激に寒くなり、雪舞い出しうっすらと積もる。
 今年の年末年始はどこへも行かず、バカなテレビ見てアハアハ過ごそうと思っていたが、やはり年詰まってくると何かと雑用多し。

                      

 保阪正康『農村青年社事件 昭和アナキストの見た幻』(2011 筑摩書房)
 もともとアナキズムというものには理解が届かないところがある。結局どうなるということなのか、最後にはよくワカランといったカンジになる。もっとも気がつけばすっかりアナーキーでしかない昨今ではあるが。

                       

 昭和7年、アナキズム革命をめざす青年たちによって、農村青年社なる組織が結成され、地方活動の資金調達のため窃盗を繰り返し、それによって逮捕され窃盗罪で服役し、刑期を終えて社会に戻った彼らは殆どが運動からは離れて、それぞれ市井の生活人となっていく。
 コトはそれでオシマイになるはずであった。
 ところが昭和12年に至り、突然一大思想事件、テロ事件として蒸し返され、当初秘密裏に行われていた捜査が、やがてマスコミに流されることによって黒色テロの大陰謀として号外まで出されるほどの大事件へと発展していく。
 事件の背景には、何よりも功名心にはやる一人の検事の存在があったわけだけれど、裁判の過程においてドンドンとフレームアップされて、いつのまにか幸徳秋水以来の大逆事件へと造られていくのである。
 裁判の過程を辿るあたりがクライマックスだな。そもそも判事も検事もマスコミもアナキズムというものをよく理解できず、それに応える形での被告の一人の青年による理論的開陳が、やがて結果的に彼らが罠に嵌められる端緒となっていってしまう。
 まあ、そんなわけだけれど、どうやらこのような本来は瑣末な事件に対しても当然ながらさまざまな人生が絡んで、それをまたコツコツと発掘し続ける人たちがたくさん市井の無名人として存在する、そのことに改めて感心した次第。

 少しは掃除くらいしないとな。


三日月や夜の挨拶眼を伏せて

2011年12月28日 | Weblog

 しんしんと更けて年逝く気配。
 人が来て街を歩いてせわしないようなそうでもないような。銀行に珍しく人の波。街中はそれなりに人が出ていても、なんだか賑わいというのとは違うような。不景気風ばかり。
 将軍様が死んで何百万という人間が寒空に佇立している国も大変なからん。ま、どうでもいいけど。
 ともかく、今年も昏れていく。

                    


  何ごとも意にまかせず空しく六十になる父のかなしみが
  髭なぞは白くなって鼾をかいて眠っている
  大きな不幸でも来るようでしょっちゅう心配でならぬ母のかなしみが
  晩にはいった風呂のせいで頬のとがりにあわれな赤みをさして
  口をあいて眠っている
  その母に抱かれるようにして
  その母とさっき泣き泣きいさかいをした
  すこし正直すぎる出もどりの姉むすめのかなしみが眠っている
  みんな炬燵にはいって眠っている
  むこうではまだ稚ないかなしみが二つ
  一つは物ごころがつきそめて
  一つは何やら何もわからず
  同じ夜着のなかでもう寝入ってしまった
  そしてこのうからやからを担いで行かねばならぬ息子のかなしみが
  どうやら火鉢を撫でながらまだ眼をあいている
  息子のかなしみはさっき昆布茶を飲んだ
  ことこというのは汽車にひかれた隣りのびっこ猫だ
  庭さきを通るのはあれは風だ
  もう二日もすればまた正月である
  息子よ
  今夜あたしは
  そのおろかな記憶をすこし甘やかしてやれ

                        中野重治「夜が静かなので」


震撼や凍える鼻先土に置く

2011年12月27日 | Weblog

 このところ寒い。キリキリするくらい寒い。なんだか気持ばかりが右往左往して、やっぱり歳晩だな。

                      

 ワシは近年トミに読書傾向が偏頗してきて、例えば小説なんかは殆ど読まない。殊にここ三十年くらいに出た小説は全く読まないから、現在二十代、三十代、四十代などの作家は名前しか知らない。最近はその名前も知らない。今の若い人がどんな文章を書くのかサッパリわからない。少なくともそういったことに殆ど興味がない。小説とかまだ書いてる人がいるのか、という気分である。若い人に文章に興味がある人なんているとは思えない、そんな気分でもある。

 なにが言いたいのか、ということであるけれど、又吉直樹『第2図書係補佐』(幻冬社よしもと文庫)を読んだのである。
 ツバメが買ってきたのを何気なく読んだのである。
 書評集、というか著者がその時々に読んだ本に仮託して自己を語る、といったテイの、まあよくあるタイプの本である。大半を劇場で出しているフリーペーパーに寄稿した短文が占め、少しの書下ろしを加えてある。
 作者は1980年生まれ、とあるから32歳になるところか。
 最初からそのラインナップを書き出せば、『尾崎放哉全句集』に始まり、『昔日の客』『夫婦善哉』『杳子』『炎上する君』『万延元年のフットボール』と続いていく。瞠目すべき選書である。言うまでもなく、選書はそれだけで才能である。『昔日の客』なんて三十そこそこの青年が手を伸ばすというだけで、オヌシ、只者ではあるまい、ということである。

                      

 文章が、いい。おそらく原稿2,3枚の短文を、これまた三十そこそこの人間が過不足なく、かつ素直に書き上げられる、というのは才能だな、やっぱり。
 どこでもいいけれど、どれもが引用したくなる。実際に引用しようとするとどこか一箇所だけ取り出すのが難しい。一見ユルイ文章が実はとっても目配りが利いているからである。
 どの章でもいいけど、例えば『杳子』の章。
 二十代前半のころ、「絶えず自分が空中に浮かんでいるような感覚で何に対しても実感が無かった」日々を送っていた作者は、八月のある日、神社の前の木からまだ青い実が落ちたのに驚く。自身が些細なことに驚けたことが嬉しくて、しばらく落ちた実を眺めていると、同じように実を見ている若い女性に気付く。彼はその女性を追いかけて、(当然女性は逃げる訳だけど)言うのである。「明日遊べる?」


 「女性は恐怖で顔を歪め『どなたですか?』と言った。可哀想だと思った。『明日遊べる?』また変なことをことを言ってしまった。女性は怪訝そうな表情を浮かべ『どなたですか?何故明日なんですか?』と言った。『今日は暑いので明朝涼しいうちに遊べたらと思いまして』また変なことを言ってしまった。『怖いです。それに知らない人とは遊べません。』と言われた。その後、僕は立て続けに変なことを言った。『暑いので・・・申し訳ないので・・・冷たい飲み物を奢らせてください・・・でも先程古着を買ったので・・・お金が無いので・・・奢れないので・・・諦めます・・・すみませんでした・・・』と言って帰ろうとしたら、女性は少し笑い『何言ってるんですか?大丈夫ですか?喉が渇いてるんですか?お金を貸して欲しいという話ですか?』と言った。解らなかったので『解らないです』と言ったらアイスコーヒーを奢ってもらえることになった。女性は『最初、殺されると思って凄く怖かった』と言った。」


 結局ずうっと引用してしまった。
 ね、すごいでしょ。
 解らなかったので「解らないです」と言ったらアイスコーヒーを奢ってもらえることになった。
 ですよ、すごいよなあ。
 このあともすごくいいんだけれどワシのキイボードスピードでは引用し続ければ凄い時間がかかってしまうのでやめておく。ともかく、作者はその女性と数年付き合って別れてしまうわけだけど(又吉君、こんなに素敵な彼女と別れちゃダメだよ。)短い文章の中に青春の屈託が揺曳し、やがてそれが清澄な孤独として上質なユーモアをたたえながら見事に定着されることになる。
 これは、才能だろうなあ、やっぱり。
 文章を少し変えれば、(つまりちょっとだけ気取って書けば)美しい青春小説になるだろう。まだ三十そこそこでこれほど客観視できるのは驚くべきことだと思う。そして、言うまでもないことながら、これだけの中に、『杳子』の世界が見事に変奏されている。ワシもちょうど三十代前半のころに『杳子』は読んだけど、そしてすごく感動したけど、とてもこの人のように客観的に自己に引き付けて文章化するなんてできなかった。

 思いがけずにいい本を読んだ。

 最近の若い奴は、なんてことは絶対に言ってはいけない、と思った。


 

眠られず聖夜寒波の日となりぬ

2011年12月25日 | Weblog

 24日夜半より雪舞い始め、25日早朝にはホントにホワイトクリスマスになった。
 サンタさんも寒かろう。

                        


 特に何があったわけでもないけれど、ブログさぼって歳暮れゆく。
 えーと、何してたんだっけなあ。特にナンモしてへんなあ。

 城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 「東声会」町井久之の戦後史』(2011 新潮文庫)
 戦後暴力団「東声会」を率いた町井久之(鄭建永)の評伝。最後まで読んだけど、ナンデこの新刊文庫買って読む気になったのか、ワレながらよくワカラン。
 ま、戦後ヤクザ史についてどっかでウンチク使えるかもナ。

 ザ・マンザイ、やっぱり見たけど、パンクブーブーに異論は無いけど、ワシ的には、スリムクラブ、テンダラー、博多華丸大吉、この3組が出色だった気がするぞ。

 忘年会行って、数え日になっていくなあ。本当に来年はいい年であれば、と何年も思うばかり。

 イブは録っておいてくれてあった「しゃべれどもしゃべれども」を深夜に見る。もう何度目だろう。なんか編集してあってシーンがいくつかカットされてあったのが残念。
 この映画を見ると、必ず泣きそうになる。われながらイミがわからん。この次見ると本当に泣いてしまいそうな気がする。なんでだろう。そのうちにテーマ曲聞いただけで泣き出しそうになる気がする。

 というわけで、クリスマスということで賛美歌ですけど、これは本当は葬式のときに歌うものらしい。ワシもクリスチャンの親戚の葬式で何度か歌った。賛美歌としては最もポピュラーなものだろう。
 三番「世の友我らを捨て去るときも 祈りに応えて労り給わん」あたりまでくると泣きそうになる。本当にそうなら改宗しちまうかと思わないでもないナ。

いつくしみ深き(What a friend we have in Jesus)



古屋根を烏踏みゆく師走かな

2011年12月17日 | Weblog

 ウー、寒い。コタツから手だしてキーボード打ってると指先ちぎれそうになる。打つの遅いからね。

 図書館へ本返せなくて、加藤陽子『戦争の日本近現代史』ボソボソ読んでたらさすがに面白いな。
 山県有朋は日露戦争に勝ったのは「国家の元気」と表現して、その「国家の元気」が戦後衰えるのを憂いていたらしい。一方勝ったことで「国民の元気」は沸騰し、やがてそれが憤激となる。確かに日露戦争は「元気」の分水嶺だ。
 って、やっぱ返さないとナ、本。

               

 三谷幸喜が新聞でのエッセイで市川森一を偲んでいて、なかに「新・坊ちゃん」が出てくる。で、ワシも思い出したけどあれも市川脚本だったんだ。ホント面白かったな。
 西田敏行が山嵐で、西田はあれ以来名を上げたんではなかったか。漱石の坊ちゃんをベースに連続ドラマにしたから殆どオリジナルで、その物語がみんな面白かった。単なる勧善懲悪ではなくて、登場人物みんな赤シャツにも野太鼓にもみんな物語があったわけだ。坊ちゃん(柴俊夫)が生徒のストにあって試験の日にだれも来ない。黒板に試験問題(数学)を書いて誰もいない教室で憤然としている。昔は試験問題は先生が黒板に書いて解答を生徒が答案用紙に書いていたんだ、と妙に感心した記憶がある。その回に関連していたのか、試験廃止論、ってのがとても印象に残っている。山嵐の西田敏行が試験廃止論を大声で述べる最終シーン、その映像にかぶって実際に当時書かれた誰だかの試験廃止論文が写されていく。後年その試験廃止論の著者を見つけて、おおこれだったのか、と思った記憶があるが、今はすっかり忘れてウンチクが言えないのがまことに残念。

                

 「新・坊ちゃん」の最終回の最後は登場人物のその後が映し出されて、坊ちゃんは東京の省電の運転手、山嵐は田舎で小学校の先生・・・・、で、彼らの教え子たちは殆どが日露戦争で戦死、というようなことだった気がする。確かに時代的にはその通りですね。

 乃木さんがひたすら突撃させたからだろうね。


雪迅し光を弾く老樹影

2011年12月16日 | Weblog

 急に寒くなって、時に雪舞う。
 冬だ、ろうか。

 辻井喬『詩が生れるとき』今谷明『信長と天皇』加藤陽子『戦争の日本近代史』この三冊をずいぶん前に図書館から借りてきて、それぞれ少しずつ読みさしてはホッタラカシ、というのをやっていたら結局何が何だかわからないままに返却期間もずいぶん過ぎてしまった。イカンナア。もう返さないと。
 というわけで、返します。スンマセン。

                

 夜、BSでクィーンをやってたので、なんとなく一時間見てしまう。
 TEO TORRIATTEが今年被災地に向けての希望の歌としてリヴァイバルしたなんて全く知らなかった。
 この歌をラジオで初めて聞いたときはナンデ日本語、と驚いたものだけれど。もう三十数年前の記憶だものなあ。

Queen 【TEO TORRIATTE (Let Us Cling Together)】High Definition Mix 2005


 というわけで、がんばれチャパティ、というわけであります。


吹溜る枯葉押さえて手で掬う

2011年12月15日 | Weblog

 午後1時1分に地震。揺れた、というか押し上げるカンジでコワかった。すぐにテレビをつけたが、NHKがちょっと触れただけであとはこともなげに通常番組だった。久しぶりにコワかったけどなあ。

               

 柏倉康夫『ノーベル文学賞 作家とその時代』(平成4年 丸善ライブラリー)
 「ダイナマイトを発明したのはまだ許せるとしても、ノーベル文学賞を考えだすなんて言語道断だ。」とバーナード・ショウが言った由。確かにそうだけれど、ノーベル自身がけっこうな文学好きだったらしい。ということからノーベル文学賞をめぐるジャーナリスティックな論考かと思ったら、確かにそれも書いてあるけれど、おもに歴代受賞者のプロフィールと作品解説だった。結果現代文学の簡単な見取り図になっている。(20年前までのだけど。)

                

 著者はちょっと前まで放送大学教授。その前は京大教授でその前がNHK記者。この本を書いたときはNHK解説主幹、となっている。ヨーロッパ特派員としてよくニュースに出てきたおじさんだから覚えている。放送大学でもメディア論かなにか(画面越しに)受講したし、ガイダンスのときに直接見たこともある。それがどうしたといえば、どうもしないのだけれど、最近何冊か著書を出していて、堀口九萬一とか梶井基次郎とか、それからマラルメでは博士号をとってる専門家らしい。ずうっとテレビの世界にいても勉強してる人は勉強してるんだなあ、という感想、というか感心、ということでありました。

 夕方すぐ暗くなるから、眠くてイカン。なぜだかよくワカランが。


夕映えて東嶽動き出だすごと

2011年12月14日 | Weblog

 朝晩はすごく寒いけど、日中は小春日。12月というのにまだ草生えて、しかも瑞々しい早緑。まだ草取りかよ。

              

 玉岡かおる『負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々 上、下』(2011 新潮社)
 訪問先が不在で時間つぶしに図書館入ったら新刊棚にあったので借りてきた。出たばっかりである。
 上下巻で表紙は関西学院と神戸女学院のヴォーリズの校舎。ヴォーリズへの興味からだけで借りてきたけど、彼の奥さんが大名家の姫君だったとは知らなかった。

              

 ウイリアム・メレル・ヴォーリズは、建築家で宣教師でメンソレータムの社長で教育者で、という程度の知識しかなかったから実像を知りたくて読み始めたけれど、上巻過ぎて下巻入ってからやっと登場してくる。で、ワシの興味の対象であるヴォーリズの晩年は最後にホントくしゃくしゃと収められてるみたいになってる。まあ主人公が奥さんのほうだから仕方がないが。どうも小説を脇役への興味だけから読むというのが間違ってるな。で、ついでにミもフタもないこと言ってしまえば、やっぱり評伝として読みたかったな。そうすれば長さもこの半分で済んだだろうし。参考文献はこの程度では済まなかっただろうけど。
 小説として書かれてしまうと虚実がわからんし、実在非在の区別がつかん。本書に登場する人物は殆ど実在した人物らしいが。中で主人公の初恋の相手として佑之進という人物が重要な役どころで出てくるが、このひとの実非がよくわからん。建築専攻の学生という設定だったから後々ヴォーリズと絡ませるつもりか、と読んでいったら、途中から缶詰工場や菓子製造で成功する実業家になっていって、この人だけが物語めく。その父親は実在らしいけど。
 と、すっかり邪道読みしかできなくなっているワタクシなのでした。

 でも、近江八幡というところは行って見たい気がする。


凛冽や帰路昏ければ月欠けゆく

2011年12月12日 | Weblog

 「素敵な金縛り」見たぞ。ワシは映画(演劇でも講演会でも)は一番後ろで見たい派である。三谷作品の映画としては良かったかも。というか今までの三谷映画がタイシタコトなさ過ぎるカンジか。

               

 鹿島茂『蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝』(2011 新潮選書)
 ハハ、新刊でやっぱりこれだけ買ってしまった。でも図書券があったからだけどね。
 340ページくらいのけっこうな長編。でもすぐに読めてしまった。文体があうのかね。
 現在の価値で800億ともいわれる親の資産をただひたすら散財するために生きた薩摩治郎八については、まあみなさんよくご存知、ということだろうけど、その詳細な生涯についてはよく知らなかった。だから面白かった。
 大正後期に18歳でロンドンに渡った治郎八は、金刺繍の家紋入り制帽を被らせた運転手つきのダイムラー・リムジンを乗り回し、イザドラ・ダンカンやアラビアのロレンスと交遊し、というとなんか白洲次郎っぽくなるけどそうはならない。やがてフランスにわたりフランス外人部隊に入隊、となるとなんかマスターキートンっぽくなるけど、もちろんそうもならない。どうなったかといえば、パリ社交界にさっそうとデビューし、何人かのパリジャンと浮名を流し、数多の芸術家たちのパトロンとなり、パリ日本館(薩摩館)をポンと寄付し、日本から連れてきた華族の娘である夫人を社交界の花形とするべく莫大な金をかけて磨き上げる。もともとさして美しくもなかった18歳の少女が次郎八の徹底的なエレガンス教育によってマダムチヨコとしてパリのファッション紙の一面を飾るまでになり、彼女のために夫が誂えた車(純銀の車体のクライスラー)はカンヌのエレガンス自動車コンクールでグランプリをとる、とかまあともかくひたすら金を使いに使いまくる。

                

 というようなことは大体は知ってたけど、今回読んで知らなかったこともいくつかあった。
 梶井基次郎が六回すべてに通って「器楽的幻覚」を書いたジル・マルッシェックスの演奏会は実は薩摩がプロデュースしたもので(もちろん金も)、なによりマルッシェックスの夫人が彼の愛人で、その愛人と日本で会いたいためだけにコンサートごとまるまる呼んだんだとか、夫人の千代子は昭和十年代にジュネーブの療養所に入り、やがて富士見高原のサナトリウムに転地し、最後はサナトリウムのそばに瀟洒な別荘を建ててそこで死んだとか。

 でも、なによりも今回初めて知ったのは、薩摩に金があったのはせいぜい30代までのこと、とか戦争が始まってフランスから邦人が引き上げだしたころにあえて再渡仏し戦中ずっとフランスにいた、とかいうこと。
 で、残念なのが彼の40代以降の後半生、浅草の踊り子である30歳下の夫人と再婚し徳島で死ぬまでのもっとも知りたいところが、殆ど最後の一章だけにクチャクチャとまとめられてしまっているところ。前半生を精査しすぎて、後半どうでもよくなっちゃったのかなあ。そちらのほうが面白そうなのになあ。


朝焼けの美しき日や霜の道

2011年12月07日 | Weblog

 このところチョッコシ忙しい。そのせいでもないが本も読まない。
 いつも眠くて、11時頃には眠るのだけれど、1時か2時には目覚めてしまい、そのあと朝まで眠れない。それでまた終日眠い。そんな日がずっと続く。

                

 相変わらず花粉症がひどい。12月だというのに。眼が痛いし、鼻はグズグズだし。

 新刊本屋にはめっきり行かなくなった。新刊が出ても読みたい本が殆どない。新聞の広告見ても立ち読みしたくなるような本もない。なんだかなあ。

                

 そんなわけで、先日日曜日の新聞の読書欄下の広告見てたら、森内俊雄の新刊が出るらしい。ずいぶんと久しぶり。何年ぶりだろう。
 で、同じ新潮社の新刊案内で、五味文彦の西行と清盛、というのも出るらしいのを知る。で、同じ新潮選書で鹿島茂の薩摩治郎八の評伝も出るらしい。ヴォーリズの奥さんの評伝小説も出るみたいだし、井上章一の京都洋館案内の本も出るらしい。久方ぶりに新潮社大当たり、というカンジだな。それだけでなく筑摩からは保坂正康の農村青年社事件とか坪内祐三の松崎天民とか「ちくま」連載が単行本化されるらしい。どれもこれも読んでみたい気がする。もう本は買わないことにしてあるから買わないけど。
 でも、このうちのどれかは買っちまう気もするが。年末年始に読む本を、とか勝手に言い訳しだしている自分が見えるぜ。

                 

 それにしても、ボクの好きな森内俊雄、どうしてもっと評価されないのだろう。不当に低評価すぎる気がする。