路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

短日や海岸までの稲田道

2010年10月08日 | Weblog
 北陸の某市に連れてこられた。
 朝から車で5時間ほど走って、高速を降りるとナニやら随分と山の中だなあ。セイタカアワダチソウなのか、ワシらのあたりではあまり見かけぬ長尺の草が民家(どれも黒瓦のどっしりとした普請である。)の周囲にやたら繁茂しているように見かけて、草、刈れよ、と思いつつ、それにしても山の迫っている間道だなあとフト反対側をみれば眼前、海、であった。

 山と海の狭間の道をクネクネと行って、昔は団体旅行で賑わったものです、みたいなホテルに入る。
 ここで午後から会議があるのである。

                          

 会議といえば、どこぞの国の、将軍様を前にして満場盛大な拍手、みたいなのが思い浮かぶけれど、ま、そんなもんです。
 なんやかんや、司会者の報告に合わせて一同拍手を繰り返し、一時間もかからぬまに終わってしまった。

 会の始めにその地の市長という人が挨拶して、挨拶というかその町の紹介、宣伝であるが、町の出身者に有名な漫画家がいて、そのキャラクターを並べた〇〇ロードを建設中で、ゲゲゲに負けない、とか、ミウラトモカズ主演のナンとかという映画がその地方を舞台に近日公開であるとか、海越しに3000m級の山並みを望めるのは世界でもその辺含めて二箇所しかない、(どこだよあと一箇所)とかいう話を聞いている最中に、隣に座ったオッサンの携帯がピピピと鳴る。
 隣で鳴るとナニやら気になって我が携帯を開くと、圏外の文字が。で、休憩時間にメールしてみるも接続できない。わざわざホテルから外に出て、携帯振ったり擦ったりしてみると時に圏外が消えて針3本立つから、今だとメール送信、さらには電話するも全く接続できない。
 なんということか、ココへきて我が携帯またも機嫌が悪いらしい。

                        

 休憩の後、町の博物館の人の講演会。
 考古学が専門のその人のはなしを要約すれば、この町にも縄文時代がありました、ということでしょうか。

 ああそういえば、休憩の時の話で、同行の金持ちオバサンは、先週までずっとモルジブと言う所へ行っていたということ。来月は香港で、毎年、年に3回は海外旅行へ行くらしい。モチロンこの町にも以前に来たことはあって、その時の思い出は、駅前にムクドリがたくさんいた、ということでありました。

                    

 夕方からは懇親会。
 丸テーブルがいくつか並べられたひとつに、ワシはステージを背にした位置に座らせられる。(指定席だからね。)
 隣に座ったのは、隣県のS市の職員らしきお嬢さん。おそらくは就職してほんの数年、鄙においておきたき純朴を絵に描いたような美人(?)このまま都会の汚辱に染まらないで欲しいなとオジサン思いますですみたいな方で、この方なにやかやギコチナクこちらに気を使ってくださる。
 ワシはS市を全く知らず、聞けば人口3万弱の町らしい。名産はなんですか、と聞くと、お嬢さんしばし考え、桐タンス、とか、とお答えになる。そうするとその横にいたやはりS市のあきらかに70歳は越えてるらしきオジイサンが、ああ、でもそれは戦前までで今は殆どない、と口を出す。では現在の主産業は、と聞くと、お二人でウーンなんだろう、と考えこまれる。
 オジイサンのほうはワシの町のことを少しは知っているらしく、製糸で有名ですよね、とお尋ね。ええ、でもそれは戦前まで、今は殆どありません。では今の主産業は?ウーンなんだろう、という仕儀となる。

 そのうちにステージ上でその町の伝統芸能ナンとか太鼓の演奏が始まる。
 ステージの方に向き直ったとたんイテテテと突然背中がツル。その結果皆がステージを見る中ワシだけはそれに背を向け、つまり皆様の視線に対峙する形で宴席を続ける。苦笑い、もしくは薄ら笑いである。
 それにしても、太鼓と鰻はどこへ行っても名産である。

 と、そんなこんなで8時半ころ宴はて、バスで宿泊するホテルへ向かう。向かう途中で、突然我が携帯へメールと着信が一斉にはいる。機嫌が突然直るからなあ。

 そういうわけでホテルへ入り、5階ツインに一人。立派なテレビがあるのでアメトークでも見ようと思いましたら、テレ朝は映らないのでありました。