日中晴れ間を見せる中に雪時々舞う。木枯らしが音立てて、シンから寒い。
なんだか慌てただけの一月が終わる。今年もあと11か月しかない。
午後病院。
付き添いの間雑誌でもと思い売店へ行くが、今日も週刊誌はなし。女性誌ばかりだし、文庫もさしたるものなしで新聞一紙買って病室で読む。日曜日の新聞もだんだん薄っぺらくなってきたなあ。
サッカーアジアカップの余韻冷めやらぬ中、そのまま炬燵で朝まで寝てしまう。
深夜より雪また舞いだすが、朝になるとほぼ消えている。このところその繰り返し。
日中晴れ間を見せる中に雪時々舞う。木枯らしが音立てて、シンから寒い。
なんだか慌てただけの一月が終わる。今年もあと11か月しかない。
午後病院。
付き添いの間雑誌でもと思い売店へ行くが、今日も週刊誌はなし。女性誌ばかりだし、文庫もさしたるものなしで新聞一紙買って病室で読む。日曜日の新聞もだんだん薄っぺらくなってきたなあ。
サッカーアジアカップの余韻冷めやらぬ中、そのまま炬燵で朝まで寝てしまう。
深夜より雪また舞いだすが、朝になるとほぼ消えている。このところその繰り返し。
大雪のニュースを見ながら晴れ渡る空を眺める。
病院の帰りに葬式一件。
時間が10分くらい早めだったので、葬祭場のそばの湖畔に車を停めて時間調整。目の前にカルガモ(?)の集団がワサワサ歩いていて、その向こうに結氷した湖面が続く。何人かが赤旗を無視して氷の上に出ていて、中に若い家族が一組。両親と幼児二人で写真撮ったりして騒いでいる。その母親がそこそこ長身で黄色い髪でデカいサングラスをしていて外人のように見える。
何台かの車が出入りして、若いのや年寄りやが降りてきては、ちょっとずつ氷の上に乗っていく。
深夜まで起きていて、もちろんアジア杯決勝。
寝ながら見ていて時々ウツラウツラしながらなんとか最後まで見通す。なんか準決勝に続いて久しぶりに興奮する試合見たなあ。MVPはワシ的には本田ではなくてGK川島のような気がするけど。あの獅子吼がいいね。
陽の光が時々まぶしい冬らしい冬。
ほんとに申し訳ないような晴天が続く。
日脚が少しづつ伸びて朝も7時前には明るくなる。今年は今のところ雪かきもないのだからもっとコック精励せねばならぬと思うばかりで、どうも体が動かない。
いくつか積ん読になっているのでどれか読もうかと思って司馬遼太郎のベトナム紀行(題名失念)少し読みだす。図書館の廃棄本らしいけれど、拾ってきた記憶がない。読みだしてすぐ眠くなるから、けっきょく読み通せずに、また積みあがるばかり。
なんだか差し入れやらなにやらで、マンジュウ系がたくさんあって、だからたくさん食べてしまう。
またまた太るな。
マンジュウこわい。
晴天は続く。
旦那寺の坊さんが死んだので一応香奠だけ持って葬式に行く。檀家にハガキが来て、一応連絡するから心せよ、みたいな文面であったけれど、要するに金もってこい、ということなのであるな。
というわけでノコノコ出かけて行ったらすごい人である。町中の人間がやってきたかと思うほどの人の数である。おそらくはこのうちの90パーセント以上の人が死んだ坊さんもその息子の住職も知らんだろう。ワシも全く知らない。要するに、坊主丸儲け、である。
受験生がなにか参考書をアマゾンで買うとかで、送料のカンケイから何か買うものがないかというから、川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(2009 講談社選書メチエ)を買ってしまう。前から欲しかったけど、買ってしまって手元に届いたらなんだか読まないような気がしてきた。オンライン書店だとしばしばこういうことが起きる。やっぱり本は店頭でパラパラ読んでからしばし熟考の末にレジへ、というのが正しい買い方のような気がするな。
洗いかけのポリたるを庭に出しておいたら、知らないうちに中の水がガチガチに氷っていたので春までそのままにすることにする。
寒くなったけど少々騒ぎすぎ、のような。ワシは寒い分にはおおむね平気。でも、雪国は大変だなあ。これはもっと騒ぐべき。
午後ちょっとだけ病院で付き添い。
売店で週刊誌買って読んでようと思ったけれど週刊誌がない。あるのは女性雑誌とか健康雑誌みたいなやつばかり。仕方がないのでちょっとだけある文庫の中から、丸谷才一『双六で東海道』を買って病室で読む。
まあ例のごとくウンチク満載を衒学的に。コイツ嫌いなんだよなあ昔から。知識も文章も大学受験的にいえば満点なんだろうが、面白くないというか鼻白むエリート意識がどうにもムカムカする。
病院にいたのは2時間弱だったけれど、今日の看護婦さんも気持ちのいい人だった。若くて華奢なかわいらしい女の子だけれど、大変な重労働を笑顔でこなしていく。頭が下がるなあ。予定では1時間半ほどで帰るつもりだったけど、ちょうどそのころに処置してくれて、またすぐに来ますね、と戻られたので予定を伸ばして次にやってくるのを待ってしまった。明るくさわやかであることが知らずに世間を幸せにする。
ずうっと晴天だったのに、午後4時すぎたら突然暗くなって雪舞いだした。
寒いせいでもないけれど、体がぜんぜん動かない。
怠け者のせいだな。
検診(?)の予約があったので歯医者へ出かける。先日とれた銀歯を持参。衛生士のオネエサンが、それではドクターに診てもらいます、と言う。歯医者さんもドクターなんだ。
で、案の定というか、銀歯が取れた後が虫歯になっていますので治療してから、ということになる。ぜったいに時限性虫歯菌埋め込まれてあったな。たぶん今日も埋め込まれたにチガイナイ。
夜サッカーアジアカップ準決勝。
なんかこのところいい試合するなあ。準々決勝に続きいい興奮させてもらいました。
ずっと寒い。
そんなわけで受験料払い込みに銀行へ行くと、隣の窓口でも知らないオバサンが大学専用の封筒持ち込んで納入していた。どこの大学かはわからないけど。
終日曇り日で寒々しい。気分まで落ち込むような日。
病院の駐車場は満杯で、はるか離れた仮設駐車場からトボトボ往復する。風がピューピュー寒い。
結局何もできずに一月は終わる気配。
もろもろ考えて眠れなくなるか、と蒲団に入ったら、案に相違してたちまち熟睡。
人間、ナントカなるものである。と思って生きていくしかない。たぶん。
見舞いに来てくれる人があって、一緒に日曜日の病院へ行く。当然のことながら病棟は休日だからとて関係なく動いている。
昼に久しぶりにソバを食べる。
夜に受験生の願書書きに付き合う。昔の願書とはぜんぜん違うけれど、思えばヤマほど書いたよなあ。受験料も文部省に対するダテナオトみたいに払い込んで、ホント見返りのない寄付だったぜ。今頃はモロモロ思い出すこと多し。
病院の主治医の先生はどうやら巡り巡って全く知らない人でもないらしい。聞けば最初は農学部に入って、その後学内で転部してお医者さんになった人らしい。
そういうような例は、この年になるとしばしば出会う。あいつ理学部だったよなあ、いつ医学部になったんだ、とか、卒業医学部のハズが知らんまに官僚になってるぞ、とか。A大入学したはずだけど経歴にはB大卒業になってるぞ、とか、工学部入って卒業する時は役者になってたとか。その後社会人になってからの転変では変化のない人生の方が異常だろう。ともかくそんな類のハナシはごくありふれて珍しくもなんでもない。当たり前である。人生は単線ではありえないからね。
というわけで、このところちょっと寒い。陽が射さないと少しだけ凍えそうになる。
勝田龍夫『「昭和」の履歴書』は新聞連載時に読んでいて、いくつかの挿話は記憶していた。(里見トンの東條暗殺計画とか)
一月もあと一週間くらいだからそろそろあれもこれもやりださなければならないのだけれど、ぜんぜん動かねえな、オレ。つい先日はミルキー齧っていて銀歯取れるし。相変わらずダメダメである。
とそんなこんなで一日終わるのでありました。
毎日申し訳ないような晴天。
なんだかんだワケわからないままに一週間過ぎてしまった。
鍵のかけ方が時々わからなくなる、というような日々、というか実際わからなくなる。大丈夫か。
病院に行きがてらツバメを学校へ送り、ついでに図書館へ。以下3冊借りる。
ドナルド・キーン『声の残り ・私の文壇交遊録・』(1992 朝日新聞社)
川本三郎『いまも、君を想う』(2010 新潮社)
勝田龍夫『「昭和」の履歴書』(1991 文芸春秋)
図書館で本を探すPCにタッチしたら、画面が突然青一色になってそのまま起動しなくなった。そのまま何度触ったりたたいたり(ソッとですけど)してもウンともスンいわないので、こわくなってそのまま逃げだす。
どうもキカイものは苦手、というか鍵かかんなくなったり取っ手の回し方わかんなくなったり、ワシの指先なにか問題でも?
夜、川本本だけ読む。
そのあと寝ながらサッカー・アジアカップ見て、知らないうちに寝てしまって、気が付いたら朝の5時近くだった。