路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

たそがれて人古びゆく古書の路

2012年10月29日 | Weblog


 神田古本祭りに参戦してきてしまった。
 昼頃からの参戦であったが人波で肩も入れられないくらいであった。
 田舎者はそれだけで降参寸前になるのであります。

 
                    


 とても半日では無理だなあ。
 それから週末は混みすぎ。
 今度は平日をねらって行こう。

 けっこう散財してしまったけどね。



さくさくとたかをくくれば散り初めぬ

2012年10月26日 | Weblog


 雨の後寒い。
 ちょっと部屋の片付け。
 秋深まる。


                     


 「かぴぱら堂」の続き、ちょっと。
 棚前を行きつ戻りつしていて、小倉武一『ある農政の遍歴』(昭和42年 新葉書房)をみつける。
 小倉は戦後農政の大物。農林省入省が昭和9年だから農村更正運動の只中。ちらっと立ち読みすると、そのあたりのことに言及もあるみたいだから、500円だし買うことにする。
 買うことにしていたら、ツバメがどこからか、横尾惣三郎『農民読本』(昭和8年 農村研究会)というのを拾ってくる。(なかなかいい目をしてるなあ。)


                     


 横尾惣三郎という名前は、えーと誰だっけなあ、なんか喉元まで出てるんだけどなあ、ほら、あれだよ、あれ、というカンジがする。今までよくすれ違いましたよネエ、という名前の気がする。気がするけど、思い出せない。
 ともかく、これも農村更正真っ最中だから拾っておいて損はなかろう。
 どうやら官製ブックレットのようであるが、農村研究会というのが、あまりにもアリソウな名前でよくわからない。
 いずれにしても、昭和八年一月二十三日発行で、同二月十一日でもう四十版である。更正運動のテキストのようなものであったか。


 晴天続くが、日曜日は雨らしい。





          
 


                        

歯をあてて林檎あてどもなく崩れ

2012年10月25日 | Weblog


 お宮の境内で店を出していた、かぴぱら堂というのを覗く。
 (小布施の一箱古本市の続きですけどね。)
 かんじのいい若夫婦(?)が快活に応対していて気持が良かったが、古書だけでなく絵本や鉄道のプレートみたいなものも並んでいた。雑誌も置かれていて、週刊アンポとか気になるものもあったけど、ちょっと高かったのでスルー。
 文庫が何箱か。ハードカバーの単行本が数列。ざっとみるとどれも総じて安い。さらにちょっと不思議な配列で、あれっと思うような本が並んでいる。幾つか手にとって、幾つかを諦める。

 前川恒雄『われらの図書館』(昭和62年 筑摩書房)をみつける。
 著者は、図書館関係者にとっては知らぬものはいない人物、らしい。
 ワシは図書館関係者ではないから詳しくは知らないが、戦後図書館の無い町(日野)の図書館長になり、一台の移動図書館から始めてわが国の公共図書館を劇的に変えた人物、であるらしい。
 本書はその人が書いた図書館学原論みたいな本らしいが、(違うかも) 状況が今とはだいぶ違うだろうが一応ツバメへの贈呈用に買う。(200円だったからね。)
 ちなみに、前川本としては『移動図書館ひまわり号』というのが感動的だ、というのを以前聞いた気がするので、いつか読んでみようと思って帰宅後検索してみたが、わが住む地域に7館ある公共図書館のうち、所蔵しているのは1館だけであった。
 ガンバレ公共図書館。


                        


 で、さらに渉猟しているとハードカバーの谷間に、尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』(世界評論社 昭和21年)をみつけてしまう。
 云わずとしれた戦後のベストセラーである。
 井上ひさし『ベストセラーの戦後史』によれば、昭和21、22年がベストセラー第2位、昭和23年1位というのは空前の記録、であるらしい。戦後最初のベストセラーにしてロングセラー。版元も、最初の世界評論社のほかにも青木書店その他あるらしい。ともかく、世の中にたくさんあるわけだ。(そのわりにはトンと見ないが。)
 されど、これ、最初の世界評論社の、しかも初版、である。けっこう美本だし。
 帰宅後検索してみると世界評論社版で最低でも1,000円はつけている。それが500円で買えたんだからラッキーである。


                        

                        

 ちなみに奥付をみると当時の定価で二十円。
 著者名だけにルビがふってあって、「をざきしうじつ」となっている。(表紙は「秀実」で奥付は「秀實」)
 これはどういうことなのか?
 出版社が作者名を知らなかったのか読めなかったのか。女じゃないよ男だよ、ってんでわざわざ振り仮名振ったら間違えた、ってわけじゃないだろう、まさか。
 たしかに「秀実」を「ほつみ」とはなかなか読めんが、版元でわざわざ間違えて印刷するなんてのはちょっと考えられんよなあ。



鉛直に秋の秒針とどまりぬ

2012年10月24日 | Weblog


 深夜から降りだした雨が朝になってもやまずに、終日緩急つけながら降り続く。
 寒い。


                         


 「わめぞ」の蔵から出たところでテントを張っていた店に立ち止まる。シロートさんかと思ったが展げられた本の並びが明らかにプロで、数は少ないもののすっかり見入ってしまった。
 目を這わせていけばどれも手に取りたくなるものばかり。
 陽射しに背をやかれながらしばし堪能する。


                         


 牧野武夫『雲か山か 雑誌出版うらばなし』(昭和31年 学風書院)は、なんか以前どっかでこの書名と筆者にひっかかった記憶があって買ってみた。ちゃんとパラフィンがかけてあって、当時の定価で290円。
 筆者は中央公論で出版部を立ち上げた人物。戦前の中公の編集というより営業面のうらばなしが語られている。その意味では出版史的に貴重な一冊かもしれない。

 大倉雄二『逆光家族 父・大倉喜八郎と私』(1985 文芸春秋)は大倉喜八郎への興味から買ってみたが、内容は「私」のほうに重点がある。飛ばし読みして本棚へ。またいつか読むかもしれない。
 ちなみに著者は喜八郎82歳の時の子。(母は27歳)このあとまだ弟が生まれているから(その時喜八郎87歳)一代で財閥を築くひとはタイシタもんである。


小野菊は蕾擡げて雨となり

2012年10月23日 | Weblog


 朝晩は炬燵ほしいなあ。
 雨になって、ケッコウ寒い。
 急に寒い。


                       


小布施の、まちとしょテラソー一箱古本市は量的にはさほどではなかったけれど、質的に、というか好み的には収穫大であった。
 何の気なしに立っていたら足元にドンピシャのパスがきて、あとはそれをゴールに蹴り込むだけでした、みたいなカンジを其処彼処で味わった。

 「わめぞ」の蔵では、入り口のリンゴ箱から、朝永振一郎『わが師わが友』(昭和51年) 亀井俊介『ナショナリズムの文学 明治精神の探求』(昭和63年)どちらも講談社学術文庫、を拾った。
 亀井本はいつか読むかもしれないけれど、とりあえずツン読。朝永本は薄いので帰りの電車のなかで読んだけど、どうも以前読んだ記憶が、というわけで我が家のどっかに二冊くらいあるかもしれない。


                       


 あと、小谷野敦『現代文学論争』(2010)と中野晴行『謎の漫画家・酒井七馬 「新宝島」伝説の光と影』(2007) どちらも筑摩書房
 中野本は前から読みたかったから真っ先に抜いてきた。
 手塚治の「新宝島」今では伝説の一書の原作者、というか時に手塚の師匠とも呼ばれることのあった漫画家で、コーラで飢えを凌ぎ、電球で寒さを凌ぎながら餓死したと伝えられる人物の評伝。アニメ草創期に関わり、赤本で名をあげ、紙芝居に転じたりしながら、最後は緩慢な自殺といってよい終焉をむかえる。ただし餓死したわけではない。
 漫画家というのはケッコウ若くて脚光浴びたりするから、そのあとが大変だよなあ。

 ほんと、急に寒い。


 

人みなに目的ありて秋暑し

2012年10月22日 | Weblog

 
 秋晴れの日曜日に小布施の、まちとしょテラソー一箱古本市へ行ってきた。(まちとしょテラソー、って何?)
 しかし意外と小布施は遠いなあ。
 高速降りて、道路看板頼りに(ナビなど我が車についてないので)走っていたら、小布施につながるはずのメイン道路が封鎖されていてマラソン大会になっていた。余所者としては裏道なんか知らないから、勘をたよりにアッチコッチしてたら果樹園の中に迷いこんだり、山道入りそうになったりでだいぶ時間ロスしてしまった。

 そのあとはなんとか臨時駐車場(小学校の校庭)に紛れ込ませられて、そこからたくさん歩いたゼ。
 小学校の横の図書館をついでに覗いたけどシャレた建物で、さすがライブラリーオブザイヤーであると思いました。

 最初に入ったのが「わめぞ」の蔵。小さな蔵で案外少ない数だったけど、結構好みの配列で驚いた。
 ひとつの壁で何冊か拾う。

 そのあと通りへ出て、最初のテントで数箱の中からも何冊か。このあたりはどうやら素人ではないようで、やっぱりプロは並びが違うと思ったことでした。

 古本市の幟が立つのは数的にはそんなになくて、道路の両端に離れて置かれてるからだいぶ歩くことになる。
 快晴の秋日だけど、暑いなあ。帽子かぶってくればよかった。

 美術館前のテントを覗いてると、70過ぎくらいの都会モンの夫婦がダンボール3箱くらいワンボックスカーに積み込んでいった。何者だろう。セドリ者にも見えなかったが。

 いったん車に帰って荷物を置き、ちょっと休憩してまたエッチラオッチラ参戦。
 お宮の境内に並べていた若夫婦らしき店で何冊か買う。ハードカバーが200円くらいの値段で並んでいたり、雑誌類もなかなかの品揃えだった。


                          


 4時間くらいの滞在だったか。
 それにしても小布施に溢れる人の数には驚いた。当日なにかのお祭りだったらしいが、お祭りめあての観光客とも思えない。栗買いにコレだけの人がやってきたとも思えんし、ナニしにみんなやってきたんだろう。
 ともかく、人なんか見かけることも無い地方の町には、なんとも羨ましいかぎりの盛況ぶりでありました。



栗貪る長持唄は路地に消え

2012年10月14日 | Weblog


 ようやく秋日になったと思ったら、もうずいぶんと寒い。
 陽のさすところを求めて縁先をにじる。


                     


 このところ複数の読書。きれぎれでサッパリ頭に入らぬ。
 丸山健二『三角の山』(2006 求龍堂)
 話題になった再生復活版。丸山健二はどうも類型的な印象があって手が出ないが、なぜか数冊手元に転がってたのでちょっと読んでみた。読み進んで終わりのほうになったら、なんか1972年の初出版を読んだ記憶が蘇ってきた。ほかに長編も転がってたけど、ちょっと胃に重いか。

 佐藤卓巳『「キング」の時代 国民大衆雑誌の公共性』(2002 岩波書店)
 前から読みたかったけど、460ページもあって4,000円だから買うわけない。めったに行かないちょっと離れた図書館にあったので借り出し。
 読んでから岩波だったと知る。講談社文化を岩波で詳述。

 思想の科学研究会編『共同研究 転向 1.2』(2012 東洋文庫)
 その図書館は田舎の図書館なのに東洋文庫を揃えているナカナカな図書館。もっとも借り出されている形跡はないが。
 というわけでさっそく借りてきたが、やっぱり面白いな。もっとも当方の頭がこのところボケボケだから、読み出すとすぐ眠くなるが。



                   


 これは「秋」ということでいいんだろうな。

コバルトの季節の中で


 

越前の水辺の町の赤とんぼ

2012年10月06日 | Weblog

 山間の小さな城下町へ行って来た。
 大型スーパーもコンビニも無い町で、町のどこからも山城が見えた。
 ビジネスホテルのようなものも無いらしく、泊まった宿屋は隣の部屋から寅さんが出てきてもおかしくないカンジだった。
 昭和な地方都市で、商店街には昔ながらの小さな店が並んでいた。大型スーパー一個できればたちどころに壊滅するであろう町並みが、グローバリズムに取り残されたおかげでかろうじて佇まいを保っている印象であった。


                    


 滞在した二日両日とも幼稚園や小学生の遠足に出会した。
 行きかう子供たちが、そのたびに元気に挨拶してくれる町であった。
 故郷にするには最適であると思わせる町でありました。


                    


 やや暑かったけれど、広い空が深く、筋雲が奔放な秋日でありました。



あざやかな場面 岩崎宏美



 曲調と伸びやかな歌声からずっと秋の歌だとばかり思っておりましたが、いきなり「あのときは春のおわりの・・・」って。(笑)
 詞なんて聞いちゃいネエからな。