路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

闊達な夕暮れ窓外に緑さす

2012年05月30日 | Weblog

 なんだか気持悪い天候続く。さわやかな日になかなかめぐり合えない。

                      

 辻井喬『叙情と闘争 辻井喬※堤清二回顧録』(2012 中公文庫)
 文庫になったってんでさっそく買ってきたが、うーむ、なんと論評してよいか。面白かったんだけどね、とっても。
 やっぱ全然棲む世界が違うってことはあるよなあ。回想されるのがハジから有名人ばっかだからなあ。面白かったんだけどね。
 経済人と文士は両立しない、みたいなことが書かれたところがあって、まあ良くも悪くもこの人しか言えないことだろうね。あとなんだったけなあ、全体的に面白かったんだけど、うまく論評できない。

 あと、北杜夫が死んだとき朝日にこの人の追悼談が載ってたけど、堤精二の方と間違えたんじゃないか?まさかとは思ったけど、ありえなくもないと思えてきたぞ。どうみても関係なさそうだからな。

                       

 気付けば五月も終わろうとしている。

 また梅雨か。
 メンドクサイぜ。



みどり闇溢れ未明の雷激し

2012年05月18日 | Weblog

 いつまでも寒いような五月だと思っていたらようやく初夏らしい日になった、と思っていたら夜更け突然の風雨。数時間にわたってカミナリ激しく、まさに空襲のごとし。ホント空襲警報出るくらいのドガドガビッシャンで、こんな激しい雷は生まれて始めてである。室内で寝ていても耳元でバクダン破裂したような音がする。カーテン越しに瞬時闇夜が白くなるのがわかる。怖いなあ。
 どうも最近おかしな気象だ、と思い続けてもはや久しい。

                            

 『岩波雄一郎の思ひ出』(私家版 昭和二十六年)
 図書館へ行ったらあったので借りてきた。私家版非売品の本がなんで公立図書館の開架にあるんだと思ったが、個人による寄贈本であるが故らしい。

                            

 岩波茂雄の長男雄一郎については、小林勇「終焉の記」(本書にも収録)で名前だけは知っていたけれど、早世した彼を偲んで知己が寄せた文集である。
 でもサスガというか、函入りでチャンとした造本であります。
 できれば年譜を付けてもらいたかったけれど、一応収載のいくつかの中からザッと略年譜を書き出してみる。
 大正5年10月4日 東京麹町に出生。女子4人男子2人の第4子、長男。
 大正12年 鎌倉師範付属小学校入学
 昭和4年 同校卒業し、(旧制)武蔵高校尋常科入学。
 昭和11年 武蔵高校高等科卒業して、東京帝国大学理学部物理学科入学。
 昭和14年 同卒業。東京芝浦電気研究所入所。テレヴィジョン研究に従事。
 昭和19年6月 急性肋膜炎に倒れ、翌20年9月3日死去。享年30。
というところか。
 ちなみに彼の死の翌年に父茂雄も死んでいる。

 寄稿しているのは友人知人さらに家族など。編集しているのは弟雄二郎で、彼が後年岩波書店の社長となる。
 野上弥生子や安部能成など知名な人物たちも寄稿しているが、性温和、まじめな学究であったらしい。口絵写真でみるかぎりスッとしたイケメンで、身長も180以上あって当時としてはノッポである。
 趣味も写真やスキーや、と戦前ハイソなイメージそのまま。麹町と鎌倉の家を行き来し、夏は軽井沢冬は熱海の別荘で、登山や昆虫採集に興じる。戦争末期でも若い男女が集ってドイツ語のゼミナールを続けるような階級が確実に存在していたわけだ。
 
 というわけで、特に知ってどうなるわけでもないが、どうなるわけでもない人生にやたら興味がある、という生来の嗜好を満足させる一冊、ということであります。


名望を担って隆盛牡丹族

2012年05月12日 | Weblog

 日中五月晴れにはなるものの、朝晩が寒い。異様に寒い。霜注意報が出たりする。どうなっているのか。
 これでは蒔きものもできない。草だけはよく繁茂する。

                            

 関川夏央『白樺たちの大正』(文芸春秋 2003)
 用あって本棚から出してきた。ついでにちょっと読み出したら面白くてまた読了してしまった。
 白樺派というのは面白い。作品はクダラネーけれど、なんというか、彼らの存在というか、その存在を許した時代というか、許されていると信じ込んで、いい気になっていられた人たちというか、そのイイ気さが周囲に及ぼした遠慮ない影響というか、そんなことどもが。

                             

 もっとも本書に描かれているのは、白樺派そのものというよりは、「新しき村」であって、より多くは白樺よりも、大正そのものである。大正好きには何度読んでも面白い。
 ナンといっても登場人物が白樺連中はもとより、石光真清やら周恩来やら河上肇やら、もうなんでもありでウンチクひっくり返しである。20年に満たない大正期が、これほど賑やかに多士済々であるのに改めて驚くと同時に、その面白さはやっぱり「跡継ぎ」の時代の面白さだと思った。親たちの世代との思想的確執を前提にした青年たちの物語の時代というか、離反と和解のモノガタリである。その意味では、都市の時代だな、やっぱり。見せかけだけの地方というのを誰もが見て見ぬふりをする。

 なんだかよくわかんなくなってきたが、ともかく、大正という時代があって、それを知る為には好適な一書ということであります。

 そのうちにまた読む気がする。


鳥交る家並みに円盤括り付け

2012年05月11日 | Weblog

 なかなか五月らしい日にならなくて、晴れていたかと思うと突然豪雨だったりする。
 それを理由に草取りサボる。
 夜は寒くなって霜予報が出たりする。
 なんともはや、な天候。

                       

 岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店 2009)
 戦前期、佐野、といえばそれだけで左翼の名流、みたいなことになるな。そんななかの一人、後藤新平の孫だから世俗的にも良家の子弟ということだけど、伝説の名前でありますなあ。

                       

 まさに自由人、ということだろうか。新人会、マル芸、ナップ、戦旗、とまあナツカシの名前いっぱいの青春を経て海外逃亡、アメリカを経てフランス、ドイツ、ソ連ときてスターリン粛清をかいくぐってアメリカ経由メキシコ亡命、最終的にメキシコ演劇の父となって彼の地に61歳で死ぬ。
 作者は途中大病を患いながらこの本を上梓したらしいが、よく調べてあるなあ。非合法時代の史料の発掘なんか大変だったろう。執念の一書である。

 それにしても、この佐野碩という人物は面白い。国際的な官権、特高をかいくぐって大陸を渡り歩き二十代で後にした日本には結局一度も帰ることはない。それを可能にしたのは、この人物の「自由人」さ(結婚した妻も平気で捨てて一切省みない、みたいな)と、語学の天才であったこと、だろうか。語学については数ヶ国語を瞬く間に修得する才能に恵まれていたらしい。
 しかし、メキシコ行って20年くらいでスペイン語ペラペラはいいとして、日本語すっかり忘れてしまう、というのはどういうことか。それも天才のゆえということか。晩年は望郷の念もつよく、そのために日本語を学習し始めていたらしいけれど、母国語をすっかり拭い去ってしまうというのはタダゴトではない気がする。ものを考えるときには何語で考えていたのか、ということだけれど、そのときどきに口語として使っている言語ですぐに思考できる脳内体制になっていたのか。それもまた天才のユエンだろうか。


風雨避け黄金週間たちどころ

2012年05月07日 | Weblog

 ゴールデンウイークも過ぎたが今年の連休は奇妙な天候であった。初夏の晴天から一転いきなり激しい雨や風や。
 日本で竜巻なんぞ聞いたこともなかったが。
 なんだか気持悪いことになってきたなあ。

 というわけで、ついでのついでに「文学界」であります。
 「文学界 創刊50周年記念特大号」(文芸春秋 昭和58年)
 特別定価は880円だな。

                          

 巻頭が、中村光夫、巌谷大四、佐伯彰一の鼎談「「文学界」五十年のあゆみ」
 そのあとに「評論特集」として中村光夫、山本健吉、以下12人の書き下ろし評論。
 後半が「「文学界」五十年短篇傑作選」で宇野浩二から野口富士男まで24人の短篇。
 さすが老舗雑誌ということか、太宰治「猿ヶ島」(昭和十年九月号)石川淳「マルスの歌」(昭和十三年一月号)井伏鱒二「多甚古村の人々」(昭和十四年四月号)中島敦「山月記」(昭和十七年二月号)と、文学史の参考書に載ってたな的な名前が続く。

 吉行淳之介「寝台の舟」とか倉橋由美子「パルタイ」とか開高健「ロマネ・コンティ・一九三五年」とか、読んだよなあ的な作品も。「パルタイ」なんかは久しぶりに読み返して改めて衝撃新たにしたというところ。これ、初出は大学新聞だからなあ。昔の学生さんはやっぱり今よりも・・・、ということですかね。
 で、大学新聞出身ということになると、やはり大江健三郎ということですが、「死者の奢り」(昭和三十二年八月号)、久しぶりに読んでやっぱり圧倒されてしまった。
 ハタチそこそこでこんなの書かれたんでは、当時すっかりヤンなっちゃった作家志望の文学青年山ほどいたに違いない。なんのかんの云っても、大江の才能やっぱり屹立しているということではあるまいか。今までの雑誌でのアンケートで、私のこの一篇、みたいなのに大江の作品が出てこないのは、作家たちみんな彼に嫉妬してのことではないか、とも思えてくる。

 というようなことで、今年の大型連休、思いがけず小説読んで過ぎてしまった。

 ブンガクは疲れる。



 

擲ちし蒲公英立ちて開きおり

2012年05月06日 | Weblog

 昨日の「小説新潮」のナガレで「新潮」もいっとくか、ということで、「新潮 創刊1000号記念号」(新潮社 昭和63年)
 なんか周年記念みたいなのは五月号が多いな。気のせいだろうな。

                             

 516頁特別定価850円。グラビアページがそれなりにある。
 載ってる作品は、過去の名作というのではなくて、大家の新作書き下ろし23篇。井伏鱒二、佐多稲子、大岡昇平あたりから宮本輝、津島佑子、島田雅彦まで。全部は読めないので短めなのをいくつか読んでみた。なかでは三浦哲郎「居酒屋にて」がいつもながらのクリーン・ヒット。快音のこして鮮やかな、という作品で、キロクよりキオクに残ることになるでしょうねえ的に記憶にのこることでありましょう。

 特別座談会が二本。そのうち「文学の不易流行」というのが、大江健三郎、江藤淳、開高健、石原慎太郎、というスター揃い踏みで、写真の皆様とってもお若い。
 四半世紀前に読んだときは、大江VS他の3人みたいな印象であったけれど、今回再読したらだいぶ印象が変わっていた。どう変わっていたかというと、4人の中でハグレテいるのは大江ではなくて開高で、他の三人が、才能において一段下がる開高に対し憐れんで、というか気を使ってイタワリながら進行しました、みたいなカンジがしたけど。
 怒られるな、たぶん。
 開高健は、たしかこの翌年に死んだんだよな。


階段を陽光おりて立夏なり

2012年05月05日 | Weblog

 5月らしい日、光がまぶしい。そんな朝であったが途中突然の雷雨だったりする。雷が家を揺らすと、地震かと思い身が震える。

                         

 ともかく、初夏である。
 はつなつのかぜとなりたや、である。
 雀らも海かけて飛べ吹流し 波郷  である。雀、なのがいいな。

                         

 昨日の「群像」に続いて「新潮」である。小説新潮、であるが。
 「文庫で読めない昭和名作短篇小説 1946~1980」(新潮社 昭和63年)
 小説新潮五月臨時増刊、編集協力荒川洋治
 「文庫で読めない」戦後短篇の名作が30篇、他に「大アンケート 78人が選んだ短篇小説ベスト3」巻末で荒川が解説を書いてる。

 小山清「落穂拾い」井伏鱒二「晩春の旅」このへんは今なら文庫で読めるのではないか。源氏鶏太、吉屋信子、円地文子、中山義秀、このへんは今後も文庫では読めないかもナ。

 中では、阿部昭「明治四十二年夏」がやはり良かった。
 森茉莉「贅沢貧乏」はやはり好き嫌い分かれるだろうな。ワシはちょっと遠慮申し上げるというところ。
 吉行淳之介「葛飾」は何度目かの再読だけれど、記憶と違って意外とちゃんと小説していた。もっと融通無碍な印象だったが。
 昔あんなに好きだった吉行も、最近はトンと読まない。


くれないは石楠花ひらき初めし朝

2012年05月04日 | Weblog

 憲法記念日は前日来の雨があがって青空となり、日中汗ばむくらいとなったが夕刻よりまた雨が音たてる。
 なんだかグラつく一日なり。

                                   

 前日の佐多稲子から、久しぶりに「水」が読みたくなって、引っ張り出してきたのが、「群像 創刊500号記念特別号」(講談社 1988)
 550ページ近い厚さだけれど、特別定価850円となっている。

                                    

 中心は、群像短編名作選、として太宰治から津島佑子まで(つまり親子で最初と最後ですな)31篇。他に、私の好きな短篇、として70人くらいの作家、批評家が寄稿。
 巻頭に、群像の短篇名作を読む、として大岡昇平、吉行淳之介、大江健三郎、大庭みな子の4人が座談会型式で掲載作の紹介というか感想を喋っている。ただしこの4人の作は載ってなくて、編集委員的人物として載っけてないのかと思ったら、大岡のだけ「母六夜」ってのが載ってた。

 久しぶりに太宰の「トカトントン」を読んでやっぱりうまいもんだなあ、と思ってたら、最後に聖書のナンたらみたいなのがオマケみたいについていて、なんかわかんなくなった。
 安岡章太郎の「悪い仲間」は浪人時代のことだと記憶していたら、主人公は大学予科一年という設定だった。
 なかの・しげはる「萩のもんかきや」は今回で読んだの何度目だろう。正宗白鳥「リー兄さん」の手練の手業や、小島信夫「階段のあがりはな」の強引なというか力業というか働き盛り的な美しさ(ナンのコッチャ)等々、久しぶりに読んでそれぞれ面白かった。

 んでもって、佐多稲子「水」でありますが、これはもう絶品というか神品というか、これを名作といわずしてナニを、というべきモノですなあ。15枚でこれほど切なく美しく、なにより読後の余情深い小説は他にないのではないか。(小説殆ど読まないので知りませんが)
 やっぱり読者がどう感応するか、ということにつきるな。油が乗った小説家の見事さというのを感じたちょっとの時間でありました。


オオイヌフグリ群生して花びらこぼさずに

2012年05月03日 | Weblog

 黄金週間とて何ほどの事もない。
 とりあえず急に暑いくらいになったと思ったら、盛大に雨降ったりする。美しい五月に最近はあまりめぐり合えない。

 それはそうと髭剃り動かなくなって、無精髭を決め込むことに。手動でガリガリやるのはメンドくさいし、あとヒリヒリするんだよね。必ずどっか切って血流すし。

                            

 連休だから図書館でも行って本借りようかと思ったけれど、ヒゲもじゃだし、メンドくさいんでアリものですませようと本棚見渡して、佐多稲子『夏の栞 ―中野重治をおくる―』(新潮社 1983)出してきた。
 これ、いい造本だな。なんというか、ひそやかだけど心がこもったカンジで。

                            

 再読だけど30年前の記憶でしかないから、今回読んで感銘した。佐多稲子ってのはホントにうまいよな。
 佐多と中野の関係ってのはどうなんだ、って盟友ってことなんだろうけど、それにしてもこのシミジミ仕方が、というかどうも下賎な興味に落ちていくなあ。
 中野の死の間際、病室で、ベッドの上に張られたタオル掛けの紐の端が解けて中野の顔の上に垂れ下がる。中野の顔に当たったわけではないけれど、佐多が手を伸ばしてどけてやると、


   「稲子さんかァ」
   と、弱く、ゆっくりと中野は声を発した。私の返事する間もなく、原さんがそれをとらえ、ぴしりと聞える調子で云った。
   「あら、稲子さんてことどうしてわかるんだろう」
         (中略)
   ・・・中野は原さんのそう云ったのを聞き取った。原さんの言葉に対して中野が答えたのである。
   「ああいうひとは、ほかに、いないもの」
   そう聞いた一瞬、私は竦んだ。


 原さんてのは中野重治夫人の原泉。テレビのホームドラマなんかで怖いオバアサン役でよく見かけたあの人だけど。それはともかく、こういう文章が書けちゃうのがプロの小説家の凄いところだな。というか佐多稲子以外に書けるやついるのだろうか。(小説殆ど読んだことないけど。)
 それと、やはり「驢馬」やプロ芸なんかををめぐる青春小説でもあるわけで、「むらぎも」とかまた読みたくなって、やっぱ図書館行こうか、と思ったことでした。