路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

片隅の「日々好日」や春惜しむ

2006年04月30日 | Weblog

 すっきりしない日が続く春。
 
 市内にあるかつての豪商の家(市の管理になっている)が無料開放だというので、家族で見学。
 そのかみの栄耀ほしいままにした名残を堪能してくる。太い柱や一枚板の板戸や屋久杉の天井など。
 庭をぐるりと囲んで座敷と内蔵、贅を尽くした二階を見て、床の間に「日々好日」の掛け軸のある小座敷で茶の接待をいただいて帰ってくる。

 黄金週間が始まったけれど、いつもより薄ら寒い毎日。
 夜は餃子パーティー。相変わらずバクバク食って、胃が重い。


チューリップ空めざすとき身をかたく

2006年04月29日 | Weblog

 青空くっきりとしていい天気。ようやく風薫るといったところか。

 天気はいいけれど、小生はまたふさぎの虫。心愉しまず、またウツウツと。

 こんなときは、辻征夫かなあ。
 そういえば彼の詩には、五月のイメージがあるなあ。
 萌えいづる五月の抒情。(なんか最近は、萌え、ってゼンゼン違うイメージになってしまったけれど)
 読み出して、引用したくなる。でも、著作権とかあるんだろうなあ。全文引けばまずいだろうなあ。


  すぐにしなければいけなかったのに
  あそびほうけてときだけがこんなにたってしまった
  いまならたやすくできてあしたのあさには
  はいできましたとさしだすことができるのに
  せんせいはせんねんとしおいてなくなってしまわれて 
  もうわたくしのしゅくだいをみてはくださらない
  わかきひに ただいちど
  あそんでいるわたくしのあたまにてをおいて
  げんきがいいなとほほえんでくださったばっかりに
  わたくしはいっしょうをゆめのようにすごしてしまった
                           辻征夫「宿題」


 あーあ、全文引用してしまった。
 まずいかなあ。
 小生の場合、この詩と違うのは、いまだに宿題はできていなくて、あしたのあさにも差し出すことができない、当分できそうにない、ということか。
 なんだか余計落ち込んでしまったぞ。


  腕をくみ あるいは
  頭をかしげ
  なにもみえない 外の
  くらやみをみつめたり
  眼を 閉じたりする これが
  生きる姿勢なのだろうか
            辻征夫「きみがむこうから・・・」抄


 ああ、また引用してしまった。
 今度は部分だけだからいいかなあ。


くっきりと春の輪郭つばくらめ

2006年04月28日 | Weblog

 朝起きてみたら雨。
 昼前にはあがるが、あいかわらず寒い。

 午前中、庭に鶯の鳴き声。
 活舌のいい鶯らしく、見事なホーホケキョが四囲にこだまする。
 どこにいるのだろうと探してみるが、実物が見えない。鳴き声からしてすぐ近くにいるはずなのだけれど、見つけられない。もっとも小生鶯なんて花札の絵でしか見たことないから、目の前にいてもわかんないけどね。
 それにしても見事な鳴き声。気のせいか他の鳥が囀りをやめて息をひそめて聴き入っていたような。
 午後にはどこかへ行ってしまった。

 このところ腰が痛い。すぐ疲れちまうし。
 夜は何も読まずに寝てしまう。


妻隠る春の枯葉の立てる音

2006年04月27日 | Weblog

 ずうっと曇天。日が差さない。
 寒いなあ。もう四月も終わりなのに。

 所要で城跡市に行ったついでに、城跡図書館へ。
 幹線は大渋滞、裏道を抜ける。なんでだろう、ゴールデンウイークにはまだ早いだろうに。

 山路愛山の『社会主義管見』が筑摩の明治文学全集に入っていて、それがこの辺では城跡図書館にしかないことをネット検索で確認したので、さっそく借り出し。(それにしても便利な世の中になったものである)
 どこにあるかわからないので、司書のオネエサンに聞いて、隅っこの棚の一番下に発見。あんまり借りる人もいないんだろうな。
 ついでに近くの棚に、五味文彦『藤原定家の時代ー中世文化の空間ー』(岩波新書1991)を見つけたので、それも借りる。(特に中世には興味ないけど、マ、いちおうな)

 そのあと二階のリサイクルコーナーへ。
 今日はいつにもましてリサイクル本が多く、棚に二列に入っているし、床に5,6個の大籠が置かれていてそのなかにも無造作に並べられている。
 頂いた本は以下のとおり。
 岡潔『春宵十話』(毎日新聞社1963)
 内田百『百鬼園先生言行録』(六興出版1980)
 堤重久『恋と革命 評伝太宰治』(講談社現代新書1973)
 大岡昇平『少年 ある自伝の試み』(筑摩書房1975)
 安部公房『燃えつきた地図』(新潮社1967)
 上田哲『歌ってよいか、友よ』(講談社1978)
 松本克平他『来し方の記4』(信毎選書1982)
 大内兵衛『高い山ー人物アルバム』(岩波書店1963)
 以上、10冊までいいというのを、8冊でやめておくのが我ながら奥床しい、というか、いいのかねえ、呉れるというから貰ってくるけど、これ結構な値段になると思うけど。
 マ、いいか、呉れるってんだからな。

 夜、山路の『社会主義管見』を少しだけ読み始める。
 これは岩波の日本史年表では発禁となっていたけれど、大久保利謙の解題では否定されている。結局どちらが正しいのかよくわからないけど、そんなことってあるのだろうか。
 筑摩の明治文学全集の第35巻。だれも読む奴はいないだろうと思っていたが、目次、本文ところどころに鉛筆で誰かがチェックをいれてある。誰かは知らねど、読んだ人がいることにちょっと感動。

 冬眠鼠さん暗くなるまで畑仕事。
 明日も寒いか。予報では雨。
 花見なんか当分無理だろうな。


花びらを薄く均して草若葉

2006年04月26日 | Weblog
 なんだか今日も晴れそうにないですねえ、と朝方出先で話す。
 それでも雨にはならず、日中晴れ間もでるが、寒い。ほんとうに寒くて夜には息が白い。ストーブつけて、当分コタツははずせないな。

 論文の題目届けを今週中に出さなければならなかったことを、夜中に不意に思い出す。慌てて書いて明日投函することにするが、危なかったぜ。
 これで、明日になったらそのまま出さずに忘れちまったりしてな。この頃物忘れひどく、充分ありえるから、笑えネエ。

 パソコンのメールによる無料講座というのを申し込んだら、何だかいっぱい来たので、そのうちからバックアップというのをやってみた。
 メール見ながらそのとおりにやっていったら、途中からバックアップじゃなくて、復元というような言葉になってきて、終わってみるとなんだかよくわからない。
 なんだかよくわからないけど、インターネットの過去の履歴がすべて消えていて、お気に入り、の順番がすっかり変わっている。
 何だったんだろう、結局。
 ホント、よくわからんぜ。

 大通りの八重桜はゼンゼン咲く気配がない。
 週末に花見なんかできるのかなあ、天気も悪そうだし。


花間より青空までを歩く人

2006年04月25日 | Weblog

 晴れた日だけど、あまり温かくはならない。
 今年は寒いなあ、芋の芽も未だ出ない。

 河上肇『自叙伝』を夜10時過ぎに読み出す。
 昭和24年の本だから、完全にヤケていて、全ページ紙魚だらけである。それがいいようなつもりで買ったけど、やはり実際に読むのは難渋する。で、途中(無我苑に入るあたり)から飛ばし読みになり、結局読みきらずにあきらめる。
 実は何かヤクにたつ記述でもあるのではないか、というさもしいココロずもりだったのだけれど、なかなかそうウマクはいかない。
 
 ついでに思い立って金井と同世代の人物をピックアップしてみる。
 同い年が石川啄木、藤村操、ひとつ上に大杉栄と田辺元、ひとつ下が折口信夫。河上肇は七つ上で、北一輝が二つ上である。
 このへん面白いので、日本史年表を仔細に眺めていると、河上が無我苑に入った翌々年に論文「無我の愛」が書かれていることがわかった。これってただ流行に乗っただけか?
 さらに「社会主義管見」の4年前に、全く同名の本が山路愛山によって書かれており、それがすぐに発禁になっていることも。
 ウム、これはどういうことか?
 とりあえず山路本を読んでみる必要がありそうだけれど、明治39年の発禁本、国会図書館にしか無いことがわかる。ウーム、どうしようか。この辺の図書館で取り寄せられるのかなあ。東京まで行かないとダメだろうか。
 やっぱり田舎モノは不利だということなのだろうか。

 昨日の閲覧数が突然450にもなっている。
 おいおい何があったんだ?

 

天上の闇を支えて夜桜は

2006年04月24日 | Weblog

 花曇り。

 ゼミに行ってきただけなのに、なんだかグッタリ。
 昨日のことがひどく昔の懐かしいような気がする、不思議な感覚。

 日曜日、久しぶりに読書の日。
 野々上慶一『文圃堂こぼれ話』と中野重治『わが生涯と読書』をうたた寝しながら読む。

 夜思いついて家族でY川堤まで花見に。
 堤上に枝を拡げる桜はまさに満開。橋から橋まで両岸を往復。
 昨年も同じ場所で夜桜見物したことを思い出す。ツバメの「夜桜や仏蘭西風の茶碗蒸」という名句がモノされたのもここで、このときでありました。
 もう一年か。
 花のトンネルを抜けながら、来し方と行方を思う。
 さまざまな事思い出す・・・である。
 身長もほぼ息子に抜かれたようだ。
 我らに安寧あらんことを。


碩学のまなざし優し若葉窓

2006年04月23日 | Weblog

 昼少し前家を出る。駅の窓口に列ができている。ナンデ?と思っていたら並んでいる人がみんな、五月〇日の・・・といって切符を買っている。
 黄金週間まじか、みなさんお出かけなのね。

 列車は空いている。車窓から満開の桃の花と大きな富士山が。所々に三脚を立てる写真家たちの姿も。
 いつも遅刻するから、今日は早めに、と思い車中で昼食。800円の駅弁を買う。駅弁なんて久しぶりだなあ。マアどうってことない幕の内弁当でしたけど。

 都内に入って時間的余裕があると思われたので、御茶ノ水の丸善へ。
 この丸善も久しぶり。
 岩波新書の新赤版で、坪内稔典『季語集』を。

 文京学習センターには予定の50分前には着いてしまった。
 時間つぶしに駅前の本屋に。ツグミに樋口一葉『たけくらべ』新潮文庫。
 教育の森公園をぶらぶら。一年ぶりだけれど、都心とは思えない緑の中の静かないいところだなあ。
 10分前にセンター内へ。トイレに入ったらKさんとばったり、二人で出てきたらS先生とばったり。
 教室に入って、G先生と対面。
 G先生は白髪であるが、学者というよりジャーナリストといった風情。(あくまでも見たカンジです。)快活に、やあ、どうも始めまして、と御挨拶されるとそれだけで辺りが華やぐよう。

 S先生の司会でさっそく開始。まずはKさんの報告から。
 報告のあと、G先生の講評。
 はっきりと明るい声で、いくつかの点を指摘。全体の構想から細部の疑問点まで。一度聞いただけの報告を的確に判断し、何が問題で、どうすればいいのかを簡潔かつ正確に指摘していく。
 それを聞いていて小生正直震えあがる。プロの学者の凄さをまさに垣間見る。
 中世史の先生だから、などと思っていたのが大間違いであったということが忽ち感得。化けの皮をはがされるどころのハナシではない。ヘタなことを云えばたちどころに恥をかくゾ、そう思ったら発表前から口の中がカラカラになってしまった。

 で、結局カラカラのまま、うわずったまま、緊張でなんだかわからないまま、発表を終える。
 春合宿のときとほぼ同じ内容なのに、途中で自分でもよくわかんなくなり、そのまま終わってしまった。
 G先生の講評はやはり的確だった。要は史料の厳密さ、何を根拠にどこからの引用で、それが信頼できるものであることの担保といったようなこと。それから目的を絞って方向を明確に深化させていくこと。なによりも、現場と原典に必ず当たること、といったこと。
 それから参考文献にあげた何人かの著者を、良く知っているから問い合わせしてみてもいい、ってそんな何気なく書いちまったものを、メッタなことを書くもんじゃないなあ。

 しかしG先生、細い目をより細くして笑いながら話される姿に小生すっかり好感触。お会いしてよかったなあ。東大教授の肩書きの名刺を渡されて、何かあったらいつでも自宅に電話を、と言われる。そうそう電話などできるもんじゃないけど、その気さくな姿勢に、かえってプロの凄さを感じる。
 終わって、Kさんとセンターを出る際、Kさん、そんなに何読め誰に会えって言われたって、とブツブツ。でもそりゃあアンタがおかしい、仮にも修士論文なんだから、と小生口にはださずに思ったことでありました。

 五時過ぎに終わり、その足で神保町へ。
 まずはコミガレ。あいかわらずのにぎわい。以下の三冊。
 河上肇『自叙傳』(世界評論社1949)
 中野重治『わが生涯と文学』(筑摩書房1979)
 中桐文子『美酒すこし』(筑摩書房1985)
 どうよコレ。これで全部で500円だからなあ。知的ソースの配給という点でも、あきらかに東京と地方では格差が存在するのであります。

 時間がないので、他はとばして、書肆アクセスへ。
 まいどPC上ではおなじみなれど、やっと来ましたというカンジ。
 狭いけれども、いい空間だなあ。メッタにお会いできないサレド懐かしい本たちが並んでいる。
 ぐるっと見回し、『後藤民俗思想史の継承と新たな展開』(常民大学紀要 岩田書院)を。1600円だけど、これは買わないといけないでしょう、やっぱり。
 レジでは優しそうな女性が『本の街』という情報誌もつけてくださった。
 小生の前に初老の男性、何冊か本を積み上げ、レジの女性が、先生いつもありがとうございます、それではいつものように御送りしておきますね、と。
 こういう本の買い方をしてみたいなあ。

 その後お土産にケーキとパンを買って、夜10時頃帰宅。
 疲れたけど、なかなかな一日でありました。


山茶花の花咲く家の陽だまりに

2006年04月22日 | Weblog
 朝起きたら雨。また雨か、なんだか寒い四月だなあ、と思っていたらやがて雪まじる。
 ほんとに寒いぞ。

 臨時ゼミのレジュメを印刷しなければならないので、紙を買いにホームセンターへ。というのは半分嘘で、主目的は近くの本屋の二階で開かれている「春の大古書展」
 地元で古書に触れられるのは季節ごとのこの古書展しかない。

 端からゆっくり見ていくと、結構欲しいものに出会える。でもやっぱりたかいんだよなあ。
 今回はいつもとほんの少し変わって、ホントに黒い本だけではなくて、やや明るめなものもまじっている印象。ちょっと差し出す手が変わったか、というところ。

 ぐるっとまわって、値の高さに殆ど諦めて帰ろうかと思っていたところに、最後に、高橋徹『古本屋月の輪書林』(晶文社1998)と野々上慶一『文圃堂こぼれ話 中原中也のことども』(小沢書店1998)が並んでいるのに遭遇。ともに1,050円。
 これは両方とも田舎ではあきらかに掘り出し物でありましょう。
 どちらも上京のたびに東京堂の店頭で悩んだ末にあきらめていたものだから文句無くゲット、であります。

 夜はムラの寄り合いがあったので、帰宅後『古本屋月の輪書林』を読み出し、半分ほど読み進む。
 例えば、青春の日々、といったようなアンソロジーがあったら、必ずスイセンせずにはおけない一編であります。
 読んでいて時々泣きそうになるのは、感動と、多くは嫉妬でありましょう。さらに著者のひたむきさに対する羨望と、自身の人生への悔恨と。
 いいものを読ましていただきました。
 たしか昨年出たはずの第二弾も、もし見つけたら間違いなく買ってしまいますね。この辺では見かけませんが、東京にでも行く機会があったら探すことになるでありましょう。

 あ、明日行くんだった。
 でも、時間ないかもなあ。






梅辛夷木蓮桜白い花

2006年04月21日 | Weblog

 午前中風雨吹き荒れる。結構な降り方、台風のようだ。
 それが午後になったら、アレ、止んでる、というカンジで晴れる。そこからは春の日。
 不思議な日。

 昨日床屋に言われた頬のイボが気になって、一日中いじっていたら血がでてきた。取れるかと思い引っ張ってみるが、取れはせずに、ただ痛い。
 痕になるかなあ。

 夜は市会議員の後援会。
 来年選挙で定数が削減されるから、と幹部からは檄が飛ぶ。マアどうでもいいぜ、と思いながら聞く。

 臨時ゼミが迫っているから、少しでもやるつもりだったけど、なあんにもやらずに一日が終わってしまう。
 このところ、なあんにもやる気が起こらない。
 生死のあわいにプカプカ浮いているだけのような毎日。