路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

賀状書くこうして暮れて行くばかり

2012年12月27日 | Weblog


 どうしようかなあと思いつつ過ぎて、年の瀬になり気が大きくなったのか、結局買ってしまった、『総特集 いしいひさいち 仁義なきお笑い』(KAWADE夢ムック)


                     


 ワシは、いしいひさいちに関して、そのごく初期に、評判や流行や誰かの紹介とかではなしに自分で出合って、自分で見つけて、その後ずっとファンであったという自負があるのである。

 もう四十年近く前、都内の某本屋で何気なく、『Oh!バイトくん』を手にとってやめられなくなり、買って帰って読みふけって腹がよじれるほど笑い、ついにここに天才を見つけたと快哉を叫んだ四畳半、なのである。

 今回このムックを手にとって、そのとき爆笑したなかでも最も爆笑した四コマの一部が目次のバックに使われていて、涙が出るほど感激し、目が点になる(この言葉もいしい漫画に由来するはず)ほど感慨に耽ったのである。

 安下宿共斗会議のバイトくんは送電線破壊の指名を受け、同志の声援を受けて鉄塔に登らんとする。ビビるバイトくんに対し同志たちが「大丈夫だ、命綱を着けといてやる。」と腰に綱をしばりつける。「命綱の端は俺たちがしっかり握っているから落ちても心配ない。」と仲間に言われたバイトくんは、覚悟を決めて、腰に綱をしばりつけたまま鉄塔を登って行く・・・。
 で、三コマめと四コマめが以下のふたつである。


                     

                     


 これを読んだとき、ワシはほんとに死ぬんじゃないかと思うくらい笑ったのである。
それまでの起承転結を墨守するだけのつまらない四コマを革命的に破壊し、後進に決定的に影響を与えた見事な傑作と今も信じるが、文章で書いたんではやっぱり面白くないな。

 それ以後、ワシは会う人ごとにこの天才の出現を説いたのだけれど、人によってさして面白がらない者もいるのが不思議であった。
 そんななかある友人に『Oh!バイトくん』1~3巻を貸して、数日して返してもらい、返してもらいがてら居酒屋なんぞでいしいひさいちを熱く語り、別れて帰宅して数日後、間違いなく返してもらった『Oh!バイトくん』がないのに気付いたのである。どうやら居酒屋に忘れてきてしまったらしい。なんたる不覚!
 かくして、ワシはかつては間違いなく所有していた『Oh!バイトくん』という日本文化の金字塔をいまや手にとることができないのである。痛恨の極みであるのである。

 その後、いしいひさいちは「タブチくん」によって一躍寵児となり、ワシも十年くらい前までは、出るものを必ず買っていたのだけれど、ナゼだろう、なんとなくオトナになってしまって、最近は全く買わない。
 ついでに言えば、絶対に素顔を明かさないとされるいしいひさいちがほぼ唯一マスコミに素顔を晒したとされる、文春漫画賞受賞時の週刊文春もワシは持っていたのである。持っていたのであるのに、ヘンにオトナになったばかりに、あるとき他の雑誌類といっしょに処分してしまった。
 とっときゃよかったなあ。

 細身の優男であった記憶。



眠られず明ければ寒の稜聖し

2012年12月26日 | Weblog


最近ずっとパソコン起動させると必ず「コンピューターが危険にさらされている可能性があります」というのが出て、ネットにつなぐと「コンピューターが保護されていない可能性があります」というのが出るけど、なんだろな。
 ネットにつながるから問題ないし、保護されてない、というのは自由に閲覧ができるということなのだろうか。
 よくわからんからホッといてるけど。


                   


 本棚見てたら井伏鱒二がもう一個出てきた。『集金旅行』(新潮文庫)昭和32年初版で、あったのは昭和53年三十二刷である。
 よく見たらカバーが香月泰男である。探したら『駅前旅館』も『黒い雨』も香月である。新潮文庫の井伏はみんなそうなのかなあ。

 収録されているのは標題作のほかに「追剥の話」「因ノ島」「白毛」「丑寅爺さん」「開墾村の与作」「釣場」
 どれも佳篇ぞろい。「白毛」は何度か読んで記憶にあったが、今回読んで「丑寅爺さん」が名篇だと思った。
 なんというか、やっぱり井伏は油断がならない。


                   


 であるのであるが、標題作「集金旅行」がなあ。なんかよくわからん。
 映画にもなって喧伝されているけど、そもそも設定がなんかおかしい。アパートの主人が死んで男の子が残され、「私」が部屋代を踏み倒した連中から金を取り立てる旅に出る。それにアパートの住人で美人の「コマツさん」が昔の恋人たちから慰謝料を取り立てるために同行する、ってカンゼンに無理があるよなあ。
 最初出てきてすぐ関係なくなる小学生の遺児が何のために必要だったのかよくワカランし、「コマツさん」じたいもよくわからん。「私」の集金先に「コマツさん」の昔の恋人もいるのも不自然だし、男の子の母親に会って、ただ金を請求するだけなのも変だ。なにより突然福山郊外の加茂村(井伏の故郷)で筆者自身の戯画みたいな人物を登場させたまま、なんの解決も無く終わりにしてしまうのも不自然すぎる。
 コレ、失敗作だよなあ。
 そんで、筆者自身がわけわかんなくなって途中で止めちまった、としか思えん。

 で、そのへんを井伏自身がどう言ってるのか気になって、『井伏鱒二自選全集 第一巻』(新潮社 昭和60年)を出してきて、(一応全巻持ってるのです)巻末の「覚え書」を見てみたら、集金旅行についてはただ一行、「心象風景の一つ。」とあるのみ。


                   


 他の作品については、あれこれ書いてるのに、心象風景で片付けられても。
 だいたい、どう考えてもこれが心象風景だとは考えにくいんだけれどナア。そもそも「心象風景」って何?

 これまたナンかウラがあるのか?





                     

掌編に改行多し今朝の雪

2012年12月24日 | Weblog


 結局人類は滅びなかったんだね。
 そのかわりというか、眼がさめてみたらけっこうな雪。
 このところは近所の若い衆が雪かきする音聞きながら、寝たふりしてても特に良心のカシャクを感じない。


                 


 日曜日にナンか読むかと本棚をあさって、長いものや硬いものは閉口だからと、川端康成『掌の小説 五十編』(昭和49年 旺文社文庫)があったので引っ張り出してきた。
 もう四十年近く前の文庫で、中に栞代わりに挟んだらしい輪ゴムがガチガチに圧着されて薄く染み付いていた。

 五十編とあるけれど、実際には百二十数編あるらしい。川端の初期の詩的精神の結晶みたいな掌編集。(彼自身は晩年に否定的自己評価をしてるらしいが。)
 大正初期から戦後までの執筆年がそれぞれの文末に記されている。さすが旺文社文庫。各頁に言葉の注釈があって、「ペイブメント」を「舗装道路」というような丁寧な説明。さすが旺文社文庫。

 掌編といっても、なかにはそこそこ長いのもある。どれにも悲しみと死の影が通奏低音として流れている。
 文章はやっぱりうまいなあ。

 考えてみると、川端作品はあんまり読んでない。
 最近は文庫でも見かけないような気がする。
 時間がたつとこんなものか。


                 


 中学二年のとき、国語の教科書の冒頭に川端の随筆が載っていた。
 その年に赴任してきた女教師が最初の授業の始めに、黒板を右に教室の南の窓から空を見上げるように視線を少し上げて、右手の親指と人差し指でチョークをつまむように持ち、左手を軽くメガネのフレームに触れながら、
 「これから勉強するのは偉大な作家川端康成の・・・」といきなり言った。
 ソレを聞いてワシはすっかり驚いてしまった。
 それまで国語という科目を「勉強」するものだとは思ってもいなかった。教科書をかわるがわる読んで、感想を言い合って、それで終わりのモノだと思っていた。ましてや、「偉大な」というような形容詞が突然入ってくるのは田舎の教室ではマッタク考えられないことだった。

 それからしばらく、この文章がここの伏線になってとか、ここに作者の気持が隠れていて、とかいうような初体験の授業が続いて、四月の半ば、不意に川端が自殺した。
 その翌日の授業で、その女教師が何と言うのか、ワシはわくわくして待った。
 授業はいつものようになにごともなく始まったが、半分ほど過ぎたあたり、なにかの文章の真意みたいなのを説明しながら、
 「・・・こんなところからも、彼があのような死を選んだ意味が・・・」みたいな話になって、それが途中から涙声になったのには驚いた。驚きながら急速に気持が萎えて、ナンだよツマンネエナ、もっと面白いこと言えよ、と思った。 

 思えば、初めてブンガクに触れた春であった。(かもしれない。)



うかばない言葉ころがす寒波来

2012年12月22日 | Weblog


 忘年会へ行ってきた。
 帰ってきて、ラジオ聞きながら炬燵で寝た。何十年ぶりだろう。昔はコレが通常だった。
 で、やっぱり眠れなかった。


                   


 「忘年会の余興で、・・・」昔ラジオで清水哲男が言っていた。「龍の鳴き声ってのをやるんですよ。誰も聞いたことないからどうやってもかまわない。」

 十代後半で清水哲男の詩を読み出して、毎日清水哲男のラジオを聞いて、清水哲男の本ばかり集めて、書店で清水・・とあればそれだけでドキドキして、毎日「増俳」を開いて、掲示板の騒動にアワアワしながら近づけなくて、ツイッター覗きながらウロウロしている。
 無害なストーカーである。
 それで眠れないとやっぱり清水哲男を読み出したりする。

 ワシがこうなっちまったのも、何分の一かは清水哲男のせいだな。
 なんだろうね、マッタク。


                   


  ・・・
  轟く空の下の首ふれぬジラフを友として
  俺のなかのしろいものは
  きみたちの桃色の肉に背を向ける
  へろへろへったらへろへろへ
  たいらばやしかひらりんか
  すねている俺は嫌いだが
  すねていないきみたちはもっと嫌いだ
  ・・・
               清水哲男「きみたちこそが与太者である」抄
                       詩集「東京」(1985 書肆山田)


冬至眠れず夢魔妄言を聞くばかり

2012年12月21日 | Weblog


 珍品堂主人で思い出して、辻征夫『天使・蝶・白い雲などいくつかの瞑想』(書肆山田 1987)を出してきた。
 久しぶりだな。ふらんす装で硬い透明カバーがついてる。なんか辻征夫の最高潮のころだった気がする。もう四半世紀前だなんてウソみたいだ。
 読み返してみると散文詩が多いのに驚いた。小説志向が始まってたのか。巻頭にあるのが「拳銃」だし。

 この中に、「珍品堂主人、読了セリ」というのがある。今度読み返すといい詩だな。
 短歌とそのあとに文語調の回想。
 父親が死の前日に珍品堂主人が読みたいと言う。買ってきて渡すと父が「黒い雨」のことなどを少し話す。昭和二十年八月七日、兵士として広島を歩いたことなどそれまで殆ど話したことの無かったことを息子である詩人と二人だけで話す。
 その翌日死んだ父は結局珍品堂主人は読めずに、後日息子が読了する。
 淡々と叙事だけ綴って詩の言葉が靭い。


                    


  自転車に乗っていて 
  紋白蝶を
  轢いてしまったことがある

  ■

  路上に
  しみのようなもの
  なにかわからない黒っぽい
  小さなもの
  があった
  紋白蝶にも
  それが見えたにちがいない
  なぜって
  正確にその一点に
  舞い降りたから――
  自転車が通過した

  ■

  ぼくはときどき
  顔を覆って
  (叫び)をこらえることがある
  ほんの一瞬だけれども

             辻征夫「蝶」



歳晩を選良どもがおらびさわげる

2012年12月20日 | Weblog


 日曜日に、何か読もうかと思って、さりとて買った本も借りた本もないから本棚眺め回して、井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記・本日休診』(角川文庫 昭和54年)があったから取り出す。
 標題二編とあと一篇。それが「珍品堂主人」だったからちょっと驚く。「珍品堂主人」は中公文庫で一冊になったのが我が家のどっかにあるはず。それに標題二編より他の一篇のほうがずっと長い。

 「本日休診」から読み出してちょっと驚く。たぶん三十年前に読んでるはずだけど、それ以来抱いていた印象とぜんぜん違う。なんとなく市井の庶民の哀歓をコミカルに描いた、みたいな気がしてたけど、これ悲劇である。
 いきなりやってくるのが若いレイプ被害者だし、登場するのは最後まで悲惨な境遇の人々だし、最終的に救われないアンハッピイ・エンドだし。
 にもかかわらず全編井伏調というか温かさがこもっているのは、なんでだろうか。文は人なりなのか。文章がものすごくうまいせいなのか。(ほんとにうまいよなあ)

 「珍品堂主人」もぜんぜん印象違ってた。
 これもやっぱりどっちかというと悲劇だよなあ。それ以前に大ウンチク小説だった。ウンチクの羅列が緊密というか稠密というか、ともかく読者に隙を与えさせないところがあるからケッコウ読むのにも気が入る。で、やっぱり文章がめちゃくちゃうまい。


                  


 今度都知事になったオジサンはよっぽど井伏嫌いらしく、「ジョン万次郎」も「山椒魚」もことごとく盗作だということになっていて、そのへんはよくわからんが、仮に元本があったとしてもそれをこれほどまでに見事な文章に置き換えられるのは、やはり天才の所業だと思う。

 いうまでもなく、文学とは、すなわち文章のことである。(たぶん。)



 

窓からの花岡山の枯木立

2012年12月16日 | Weblog


 本屋へ行って新刊棚に、『大正という時代 「100年前」に日本の今を探る』(毎日新聞社)というのがあったので買う気になってレジに持っていこうとしたときに、定価・本体2,400円(税別)とあるのに気付いて、税込みだといくらになるのか必死で計算し、それから財布の中を確認して、千円札2枚とあと小銭が幾枚か、新刊棚の前で一円玉まで探って、結局10何円か足りないとわかってあきらめた。
 いつものことながら、買えないとなるとすごく欲しくなってしまって、出直して買ったけれど、買ってから、税別2,400円とは高いのではないかとムラムラ腹が立ってきた。


                    


 もともと新聞連載を本にしたものらしく、その部分はさして取るに足らない。対談が三本、(原武史×佐藤卓巳、長山靖生×成田龍一、原武史×森まゆみ)これが読みどころといえば読みどころだけれど、税別2,400円に腹立ちながら読んでるからあんまり面白くない。新聞記事で金取って、そのあと本にしてまた金取るとはアコギである、と思いながら読み終わり、それにしてもナンデ2,520円も払っちまったかナアといつまでも、今でも悔やんで落ち込んでおります。



排水にキュウリ流るる寒さかな

2012年12月15日 | Weblog


 ハハ、完璧パクリ。
 ヨソのフソン。
 でも、易水に葱流れるより、排水に胡瓜流れたほうが寒い気がするなあ。


 まあそういうわけで、久しぶりに本屋行って、中公文庫買おうとしたけど新刊じゃないから案の定なくて、新刊で岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』なんてのがあったから買ってしまった。
 妖怪的ではなくてホンモノの妖怪(だと筆者が言ってる)岸信介てのはハテ何者。ということだけど、この妖怪、たいへんな秀才だったらしいから、秀才ってのは始末におえんよなあ。
 なんのことやら。

 で、本棚見たら政治家つながりで、江田五月『出発のためのメモランダム』(毎日新聞 平成八年)てのがあったから引っ張り出してみた。再刊らしい。
 こっちはたしか現役だよなあ。
 そんでもってこっちも秀才。
 高校時代は生徒会活動と部活(書道部と水泳部)ばかりやっていて勉強なんかせず、高三の秋に閑になったので全国模試初めて受けてみたらいきなり成績上位者に名前が載り、センセイが東大受けろというから受けたら入った、みたいなことが書いてある。司法試験だって在学中に特に受験勉強しなかったけどトップで合格した、らしい。
 秀才はイヤミである。
 そのぶんさして面白くも無いが。


                    


 というわけで、なんとなく橋川文三『柳田国男 その人間と思想』(講談社学術文庫 昭和52年)を引っ張り出して読んだら、短いのですぐ読めて、面白かった。

 年末年始は久しぶりに柳田でも読むかなあ。

 来年は、ツイッターというものを知りたい。
 そして再来年くらいにはツイッターをやりたい。
 うむ、遠大な計画である。

 今のところ、さっぱり理解できない、ツイッター。



師走きて銀行前で妻を待つ

2012年12月05日 | Weblog


 いよいよ歳末選挙とてかまびすしいことである。
 あまりうるさい奴には絶対に投票しないのである。
 結局入れたい奴もいないのである。


                     


 丸谷才一つながりで、上田哲『歌ってよいか、友よ』(1978 講談社)出してきて読み出したら面白くて読了してしまった。
 選挙の季節に再読したのは偶然だけれども。
 1978年12月に第一刷で手元のは翌年7月の第四刷である。帯に「絶賛!!ベストセラー」とあるけれど、たしかにそうだったのかもしれない。

 それにしても上田哲、現在の評価はどうなのだろう。記憶ではその晩年にはもはや過去の人的な扱い(マスコミの)だったような気がするが。
 日本社会党の最後の一人、社会党にこだわり、非武装中立にこだわり、『戦後軍拡60年史』を遺して逝った執念の人。というより一般的にはアクが強くて目立ちたがりで、やたら弁はたつけどなんかウラがありそう、みたいなイメージだった気がするが。

 本書は、いたるところにそんな自己誇示調というか、上昇志向を言葉巧みに理屈付けしているとしか思えんような、なんとも鼻白む、まあ政治家になるような奴の文章だな的な表現が散見する。(だいたい表題自体が、どうもなあ、であるが。)
 にもかかわらず面白いのは、やはりその時代も人も濃い青春期のゆえだろうなあ。いまどきはこんな青春はなかなか送ろうたって送れはしない。
 旧制新潟高校から始まって、卒業後大学進学はせずに(主に経済的理由から)小学校教師となり、(新制)高校教師となり、高校教師をやりながら京大に入学し、NHKに入り、教師時代の教え子と結婚し、やがて、かのポリオ根絶キャンペーンの主役となって、映画のモデルにもなる。筆者17歳から33歳までが描かれる。その行く所々で獅子奮迅(筆者の言を信じれば)、旧制調で言えばシュトゥルウム・ウント・ドランクであります。


                     


 というわけだけれど、なんで丸谷才一つながりかということですが。
 冒頭近く、旧制新潟高校の青春が語られるわけだけれど、戦後すぐ食糧事情のひどく悪い寮生活において炊事場から米一斗が盗まれるという事件が発生する。なんやかんやがあって犯人4人がみつかるわけだけれど、これまたなんやかんやあって、とある月の深夜、全寮制がグランドに集められる。そこに現れるのが寮総務の丸谷才一、羽織袴に威儀を正した彼は一場の演説を行い、やがて鉄拳制裁、つまりは犯人たちをはじからブン殴るわけだ。青春の丸谷才一、権威をカサに着る強圧的人物としての記述は他にも。
 なんか、ソレっぽいな。

 ところで、丸谷の『裏声で歌へ君が代』ってのはこの数年後に出るんだけど、『歌ってよいか』ってのに呼応した、ていうのは違うでしょうな、モチロン。



右肩に冬月のせて棄田道

2012年12月03日 | Weblog


 いよいよ12月になってしまった。
 もう何回目の12月だろう。12月は毎年やってくる。たいがい寒い。


                   


 丸谷才一『エホバの顔を避けて』(昭和52年 中公文庫)
 丸谷才一は苦手だ。というかキライだ。あのエリート臭というか上から目線というか、インギン鼻笑い(?)みたいな文章がどうしても好きになれない。と云っておいて実は小説は殆ど読んでなくて、『たった一人の反乱』読んだくらいだけど印象は変わらない。見識すぐれ文章もうまくて、だけど特に面白くなくて読者を小馬鹿にしてるような文を「丸谷才一のエッセイみたい」と表現しているのは、もちろんワタクシだけであります。
 であるのだけれど最近岡崎武志さんのブログ読んでたらこの本がすごく絶賛されてたので、本棚から探してきて読んでしまった。


                    


 ヨナってのは預言者だったと思ったけど、予言者になってる。なんか意味があるんだろうけど、まあどうでもいいや。
 で、けっこう面白く読んだ。三島由紀夫に似ているとフト思ったけど、二人は同い年か?最後のほうになると筒井康隆っぽくなるような気がしたけど、どちらも的外れだよな、きっと。
 というわけで丸谷再評価、となったかというと、やっぱりならない。なんか自信満々だもんなあ。自信満々で口跡明瞭ってヤツは苦手である。
 
 要するに、アワナイんでしょうね。基本的に。