路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

柿若葉そよげば見ゆる蔵の窓

2005年06月30日 | Weblog

 朝雨音で目覚める。
 ようやく本降りか。
 7時頃にはあがる。

 ふらんす堂 坪内稔典『子規の一句』

 風板引け鉢植の花散る程に

 風板(ふうばん)というのは子規の要望で碧梧桐が作ってくれたものらしい。
 『病状六尺』をひくと、その六十八に、

  この頃の暑さにも堪へ兼て風を起す機械を欲しと言へば、碧梧桐の自ら作りて我が寝床の上に吊りくれたる、仮にこれを名づけて風板といふ。夏の季にもやなるべき。

 とある。
 明治三十五年七月十九日。死のちょうど二ヵ月前である。
 寝床の上に吊った、というのだから団扇みたいなものをとりつけたのだろうか。それを、引いて、使うらしいから、寝ている子規の手元に紐があったのか、傍らの誰かが引いていたのか。誰かが引いていたのならメンドくさかっただろう、直接団扇を扇いだ方がよっぽど楽だったに違いない。新しモノ好きの子規が、死の床で、看護する者(妹の律か)を督促するさまが彷彿される。碧梧桐もメイワクなものを作っちまったものだ、と思わなくもない。

 冬眠鼠さんは、夕方二度目の梅捥ぎ。
 本日小生はカンペキに見上げるだけの人。
 オーイ、気をつけろよー。
 彼女は夜遅くまで梅漬けの仕事。小生はサッサと就寝。
 夜は涼しくよく眠れる。


青梅は手に柔らかし妻見上ぐ

2005年06月29日 | Weblog

 夕方冬眠鼠さんと梅捥ぎ。
 青梅は葉っぱの色とほぼ同色。葉叢にもぐりこむと、どこにあるのかわからなくなる。
遠目に見ると、あああそこにあるなあ、と思うのだけれど、近づくと、あれどこだっけ、となる。

 青梅は青葉の陰や雨上がる  風湧

 なんかこう書くと名のある俳人の作みたいだけど、実は小生の旧作。秘かな自信作であります。
 去年はこんな感じだったけれど、今年は干天の梅。

 冬眠鼠さんはするすると木に登り、あちこちの枝に手を伸ばす。
 小生はそれを地上で見上げながら、オカアチャン、もうやめようよ、ネエってばあ。
見上げてるだけで、首が痛くなる。
 マシラの妻とその夫。
 青梅と青葉の境を見つめていると、そのあわいから、雨一粒二粒。ようやく降りだしたかな。

 今年は梅は不作らしい。我が家でも出来は悪い。ただ一粒づつではキレイである。
 これから漬けるまで冬眠鼠さんは大変だ。ごくろうさまです。

 夜にかけて、雨少しばかり降るが、長続きせず。
 北陸の方は大雨らしい。大変だなあ。
 どう考えても、このところ(もう何年も)地球はおかしい。



タンポポの綿毛と蜂が蜘蛛の巣に

2005年06月28日 | Weblog

 このごろぜんぜん俳句ができない。
 今日のなんかあきらかに俳句じゃネエもんな。(エッ、今までの俳句だったの?)
だいたい毎日パソコンの前に座ってから慌てて考えてんだから、当たり前だけど、もうちょっとマジメにやんないとね。

 朝NHK BS『わが心の旅』を偶然ちょっとだけ見る。
 山口昌男がベルギーのルデュを訪ねる話の再々放送くらい。
 フランス国境の山の中に、古本屋ばかり何十軒も集まる小さな村があって、世界中から本好きたちが集まってくる。近くの都市から自動車で行くのにも結構不便な山村なのに、みんな本を求めてせっせとやってくる。
 どうしてこういうことが可能なのか。夢のような話だけれど、現実だからしょうがない。
 古本村としては、イギリスのヘイ・オン・ワイが有名だけど、世界中にはこういう所が何ヶ所かあるらしい。
 一度行ってみたいけれど、日本語しかわからないからダメだろうな。山口昌男はフランス語でペラペラ話し、横文字ばっかりの本(あたりまえ)をひっくり返してたけど、そうならなけりゃ意味ないだろう。

 月末が近いので、支払いをいくつか。まだいくつか残っている。
 それにしても、お金というのは入って来る時は少しづつ遠慮勝ちに入って来るのに、出てく時は団体で隊列組んで出てくからな。そんなに肩組んで堂々と出てくなよ、寂しいじゃないか。
 で、それっきり戻らない。
 逝キテ、還ラズ。

 そういえば奥崎謙三が死んだらしい。
 これについてはコメントなし。(難しいので)
 同じ紙面で、長新太の死亡記事も。
 これについてもコメントなし。(考えたけど思いつかないので)

 暑いし、雨は降らないし。
 昨日の夜は暑くて寝苦しかったけれど、今日はそれほどではない。
 雨はいつ降るのか。もう降らないのかなあ。


会う毎にただ旱天を恨むのみ

2005年06月27日 | Weblog

 午後家族で城跡市文化会館の映画鑑賞会へ。
 新聞販売店の拡販サービスで只券を貰ったので。
 『北の零年』
 ちょっと重いのはしんどいなあ、と思っていたがそれほどでもなかった。
 で、どうなのよ。
 破綻はないが、面白みも特に、といったところか。
 少なくとも渡辺謙はミス・キャストではあるまいか。前半と後半でギャップがありすぎる。
 あの役を渡辺謙にやられたのでは、あのサムライは救われない。おそらく、吉永小百合に配するのには・・・ということなのだろうけれど。渡辺を起用するのなら、むしろトヨエツのやった会津藩士の方だろう。その上でそちらの交情の方をより濃密にする。
 では、吉永の夫役は誰が、ということだけれど、二枚目でも軽みがあって、壮語のなかに人生の苦渋を滲ませられて、かつ吉永に配して遜色ない役者、となるとなあ、ウーム。
 それを突き詰めていくと、そもそも吉永小百合の若妻というのが・・・ということになってしまって映画の大前提が崩れてしまう、ということか。
 それがあってか、途中から、女は勁い、みたいなテーマを唐突に加えてきた印象で、それがイマイチしっくりこない。吉永小百合ですからね、なんたってメインは、ってなカンジになってしまって脚本の流れにややムリが。
 いっそ全編徹底的にリリカルに、という方法もあったのだろうけれど、それだと吉永・渡辺では重過ぎる。むしろ柳葉・石田の方だろう。でも東映だからなあ。そうはいかないだろうなあ。

 その後同市内にあるショッピングモールへ。
 お茶したあと、二手に分かれて小生はツバメと新刊本屋へ。
 初めて入った書店だったけれど、なかなかいい本屋。
 新書の棚が独立裏表あって、文庫も中公が多いというこの辺では珍しい配書ぶり。その他の並びもなかなか目配りが効いているし、全体に広くてゆったりとしている。
 でもなあ、立地がやはりなあ。
 多くが若いひと対象だろうが、もはやこのあたりで若者に文化的志は全く通用しないだろう。おそらくここ十年ほどでこの辺の地方地力は急激に衰えている。この本屋も少しづつCDやゲームの売り場が増えていき、やがては100円ショップかなにかになって終わるのではあるまいか。今までいくつもの書店がそうであったように。

 なんか今日は語るなあ。たまにはこういうのもアリかもなあ。自己満足だけだけどなあ。ホントすんませんでした。


 

渓へ向けたなびきながら霞むもの

2005年06月26日 | Weblog

 デイリースムースの本日分に弥生・夢二美術館のことがでていて、あの坂は、暗闇坂というらしい。弥生坂というのは勝手な思い込みであった。そういえば暗闇坂という名は何かで読んだ記憶もあり、さてなんだったかなあ。

 今日は友人夫婦と会食。
 午後、その友人の長男の通う高校の、文化祭へ顔をだす。
 校内は熱気に加えて日差しの暑いこと。今日は、(今日も)暑いなあ。まだ六月なのに。
 偶然に入った音楽部の発表で、指揮を執っていた顧問の先生が中学時代の同級生であることにびっくり。彼とは結構仲が良かった。壇上と下とで、一方的な邂逅。すっかり貫禄のついた旧友に心でエールを送って、その場を去る。
 合唱もなかなか良かったよ。

 その後会場を山懐高く上ったレストランに移して、早めの夕食。
 ロッジ風に張り出されたテラスで貸切状態。
 標高が高いせいか風が通って心地よい。この辺に別荘でもあればいいかも。(不可能だけど)
 しばし歓談。いろいろなこと。

 7時半には帰宅。
 ツグミは友人たちとネコ額でプチ花火大会。
 夜は家族でDVDによる映画会。小生は眠くて早々に退場。
 暑い。


花の名も知らずに午後の庭におり

2005年06月25日 | Weblog

 空梅雨も窮まれりといったところまでの印象。雨は降らない。
 気温では30度を越したらしいが、風があるのでそれほど暑くは感じない。

 冬眠鼠さんはこのところ毎日庭造りに熱心。
 庭造りの基本はいつでも草取りだから大変。草だけはたちどころに生えてくる。水がなくてもどんどん生えてくるからなあ。
 我が家のネコ額では、コスモスがもう咲いているのがいくつか。
 この一見ひよわな花は、じつはどこにでもどんどん侵食していく生命力を持っていて、手をかけなくても夏から秋まで咲き通す。あの花が無かったら、嫌われモノの雑草の大関クラスにはなっていただろう。

 少雨で、全国的に農家は大変らしい。まだ田植えのできない所も少なくないらしい。自然相手というのは難儀なものだ。去年は集中豪雨で、今年は旱魃。
 小生以前より、この国の将来は、農業立国しかありえないと思っていたし、産業の農業化しか社会の悪構造を変える手立ては無いと思っているが、それには何よりも、人が自然と共生する覚悟が必要で、これはなかなかヤサシイことではないだろう。
 ウム、たまにはマジメなハナシもできるのであります。
 ただしあんまり面白くないけど。
 ともかく、とうぶん雨は降らずに、暑いらしい。
 いやだなあ。


塀越しにケータイのゆく梅雨暑し

2005年06月24日 | Weblog

 普通に朝四時半に目覚める。
 コンフェデ杯対ブラジル戦を後半から見る。
 なんかアジア予選より動きが美しい感じが。相手が強いとそれにつられて流れも生まれるのかなあ。
 俊輔のフリーキックに大黒があわせて同点。久しぶりに俊ちゃん大活躍を見ましたね。

 『大杉栄自叙伝』先日買ったのを夜一気に読了。
 幼年期、少年期と続いて途中から突然《闇の中の祝祭》になる。
 例の日蔭茶屋事件。
 伊藤野枝と神近市子、それに本来の、というか“糟糠の妻”堀保子もいたわけだから、まことに美は乱調にアリすぎ。

  「私、あなたを殺すことに決心しましたから。」
  彼女は僕の前に立って勝利者のような態度で言った。
  「うん、それもよかろう。が、殺すんなら、今までのおなじみがいに、せめては一息で死ぬように殺してくれ」
      (略)
  「そのときになって卑怯なまねはしないでね」
  「ええ ええ 一息にさえ殺していただければね」

 神近市子は出所後、戦後は確か社会党の衆院議員になったんじゃなかったかなあ。
 大杉が金に困って、こともあろうに後藤新平に借りに行くところも面白い。
 ちなみに大杉といえば、語学の天才、一犯一語(収監されるごとに外国語をひとつ習得する)が有名だけど、ベースには幼年期の素読の訓練があるのかもしれない。
 時々昔の人の評伝を読むと、学歴など無い人でもかなりの語学力があることに驚くけれど、やはり言語に対する基礎的な修練が現代人とは比較にならないのだろうな。

 サッカーを見終わるころに雨降り出す。
 二時間ほど降って、その後曇天。
 昼に葬式一件。喪服を着ると汗ダクダク。


 

蛙より無聊なる日や草を引く

2005年06月23日 | Weblog

 午前中久しぶりの雨。
 雨が降ると少し肌寒い。
 それでも午後には雨もあがり、曇天。
 動いていると汗、上着をぬぐとやや寒い。

 「清水昶の新俳句航海日誌」によると、清水さんの出講している某女子大の創作科で四十数人の学生のうち、太宰治の名前を知っている者は二人だけだったとか。にわかには信じがたいが、そんなものか、とも思う。
 例えば、新刊書店の新潮文庫の棚では、二十年前と比べてラインナップが全く様変わりする中、太宰は漱石などとともに数少ない老舗、古顔を張っている。
 新潮文庫は3ヶ月毎だかに売れない本はどんどん品揃えから落としていくらしいから、太宰の需要が無いわけではないのだろうが、そもそも、もはや学生(創作科でも)が文芸書を読むことは(つまり文庫の棚に近ずくことじたいが)無くなっているのかもしれない。

 夜ネットの上をフラフラ漂っていると、どこやらの学生の卒論研究の日々を綴ったブログに行きつく。
 社会学を専攻しているらしきその学生の研究、読書生活を覗いて少し驚く。
 読書量の豊富さ、着眼のユニークさ、分析の目配りの良さと精緻。たいしたものである。最近の学生も侮れない。というより分野はちがえど、小生とても及びもつかない。
 すっかり落ち込む。

 落ち込んだまま就寝。
 夜更け少しばかり雨降り出した様子。


築地より猫つぎつぎと出でて消ゆ

2005年06月21日 | Weblog

 齢を取ると疲れは一日か二日たって来る、というのをまさに忠実に実践しつつある。
 体が重いぜ。季節も悪いな。
 
 原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』を読み始める。面白いんだけど、こちらのアブラが切れかかっているから視線が滑らかに滑っていかない。原武史お得意の鉄チャンものだけど、動かないからどうしようもない。

 ツバメは試験前日。な~んか余裕。
 あんまり余裕なので久しぶりに少し怒る。
 マア、大変ですな。試験は嫌い。お互いに。

 いつになったら雨は降るのか?
 体がギシギシいってるので、今日はおしまい。