路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

西山に朧月あり晴予報

2013年02月28日 | Weblog


 オールナイトニッポン、名前も顔もわからないが二十代前半ぐらいと思われる女の子がパーソナリティでこれがまたよく笑う。その笑い声が特徴的で、なんというかキャーハハハ、みたいな脳天気というか屈託なさすぎというか、ともかく耳についてますます眠れない。


                      


 氏家セイ一郎 聞き書き塩野米松『昭和という時代を生きて』(2012 岩波書店)を本屋で見かけて2400円もしたのに買ってしまった。こういう衝動買いはやめようとそのたびに思っていまだにやめられない。

 かつての特ダネ記者というか、ナベツネの盟友、というか日テレのとっても偉い人というか、なんか2年前くらいに急に亡くなった人の回想録であるわけだけれども。
 真っ先にジブリの話から出てくる。親会社だから不思議はないわけだけれど、徳間康快から、「風の谷のナウシカ」を当時破格の4500万で買ったとか、そのあとの「ラピュタ」は9900万だったとかいう話。(いずれにしてもその後あれだけ放送してれば充分モトはとっただろうが。)
 徳間(というか「コクリコ坂」の徳丸理事長ですな。)も氏家も読売で元共産党だから付き合いは古いんだろうが、ともかくついでに、以前買った佐高信『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(2012 金曜日)も出してきたけど、こっちは著者の思い入れだけみたいなとこがあって、もっと事実だけを叙述してもらえばよかったと思ったことでした。


                      


 急死したせいか後半は駈足みたいになって、その分若い頃、ことに共産党員だった時代の事がけっこう詳しくて面白かったな。戦後すぐくらい東大経済学部全体900人のうち200人以上が共産党細胞だったというのは今からでは想像しがたいかもしれない。そういえば東大生の過半数が自民党支持になったといって驚いてたのは80年代くらいか。これだって今からではよく理解されないかもしれない。
 なかで網野善彦との付き合いについて、意外と厚い付き合いだったらしいことに驚いた。網野がかつて共産党員時代の論文について後年全否定したことについて、(この辺はちょっと評価が難しいのだろうが)彼がどのような転向を果たしたのか、それが自身の人生の最大関心事だとまで言っている。

 で、あとはやっぱりジブリ(というか宮崎、高畑両監督)との関係だな。
 今度の宮崎の作品の堀越二郎に憧れた少年というのは氏家のことらしい。
 それ以上に高畑勲への思い入れの強さである。氏家が最も評価していたのは「となりの山田くん」らしいし、二年前急死する以前に「かぐや姫」のコンテはだいぶできていたらしくて、「これは儲からない。だが損をしてもいいからいい作品をつくってもらう」旨社内に大号令出してるらしい。
 にしてもなんで高畑勲なのか。(たしか徳間康快もそうだったよな。)鈴木敏夫の巻末の解説によれば、鈴木が氏家にしたその質問に対して、「おれはあいつに惚れてる」「あの男にはマルキストの香りが残っている」と答えたという。なんかちょっと考えさせられる。
 (高畑との最初の邂逅のとき、「世界はこれからどうなるのか」という氏家の質問に、高畑が「地球の資源は有限。みんなでそれを争って無駄遣いしていたら、人類そのものが駄目になる。名前は違うだろうが、共産主義的なものでやっていくしかない。」と答え、それに対して氏家が一言「同感です」と応じたという。)

 巻末にはもう一本、辻井喬の解説がついている。期待して読んだけど、なんだかよくわからない文章だった。


こんなところでなにをしている屋根雪崩

2013年02月26日 | Weblog


 なかなか最高気温が零度を超えない。
 二月も終わろうとするが、雪も固いままだ。


                    


 とても小難しいものを読む気力も無いので、「軽いものを読む」シリーズで、庄野潤三『文学交友録』(平成十一年 新潮文庫)出してきた。


                     


 「ネッコろがってちょっとずつ」気分で読んだ。
 相変わらずの身辺雑記風回顧録。(後半になるほどそのカンジが濃くなる。)
 中学に入ったら先生に伊東静雄がいたり、大学に入ったら同じ学科に島尾敏雄がいたりする。こういう出会いができる人はやっぱりごく稀なんではなかろうか。出会いに恵まれる人というのはいるものである。加えて父親が帝塚山学院の創立者で、その筋からの出会いもあるし。
 この人の「静物」とか「夕べの雲」とかは昔面白く読んだけど、どうやらさしたる雌伏期間もないまま中央の主要誌から注文が来たりして、そのあと概ね、庭に鳥が来た、とか、柏餅貰って食べたらうまかった、みたいなこと書いて生涯終えられるのはまことに羨ましいかぎりである、という感想になってしまったわけであります。


はだれ雪光の粒の置き処

2013年02月22日 | Weblog


 毎朝トイレにストーブ入れて水を通さねばならぬ。便利は不便である。
 地上はスケートできるくらいにカチカチに凍ってしまった。そのうち転倒して頭打たねばいいが。


                      


 週末から確定申告ボツボツとやって、すぐに嫌になるから横になって本でも読む。何か軽いもので章立ての細かいもの、ということで、森銑三『思い出すことども』(中公文庫 1990)取り出してきてポツポツ読む。
 著作集の月報に書いたものをまとめたもので、各章が短いからちょうどよい。確定申告やんなって、ゴロリと横になって一章か二章読み、また勇気を出して数字を書いて、そんでまた横になって一,二章読む。そのうちに眠くなってうたた寝する。
 結局殆ど進まない。


                      


 というわけだけれども、『思い出すことども』自体はけっして軽い読み物ではない。軽く書き流しているようだけれど底には自恃と自負の強烈な思いが奔流となっている。
 ここにも学歴に頼らず徒手空拳で学問の世界に生きてきた明治人がいるわけだ。
 東大史料編纂所の雇員として、あからさまな差別と闘いながら独行して学問する人物の気迫と、同じような身分の者への共感と、学歴あって無能な人物への静かな怒りと。
 そしてやっぱり出会いだよなあ。いつのまにか彼の周囲にいて彼を励ます人たちの存在というか、出会いを呼ぶのはやっぱり本人の人間にあるという当たり前なことども。
 柴田宵曲はじめ縁の下にいることを好む実力者たちは、かつてのこの国の良質な知性を支えていたわけだ。

 まあ、なんだかよくわからん感想になったが、これから気をつけてこの人のものを探すことにしよう。

 それにしても、かつての中公文庫の良質と現在のそれのテイタラクよ、ということであります。




                     

別刷りで青空添付春の雪

2013年02月14日 | Weblog


 このところ眠れないからラジオなんぞ聞いている。
 四十年ぶりに深夜放送なんぞ聴いている。
 オールナイトニッポンなんて久しぶりだなあ。何年ぶりだ。四十年ぶりだけど。
 オードリーが意外と面白い。あとゼンゼン名前知らない女の子のとか。
 吉田拓郎が奥さん朝ドラで留守の間、俺はどうしたらいいんだろう、みたいに叫んでおった。そういえばこの前ジュリーとの対談見たばかりだ。


                    


 このところどうもサクサクしないので、というか魂が震えないというか、まあ小説でも読んでみんべえ、ということで、大江健三郎『万延元年のフットボール』(昭和42年 講談社)
 これも四十年ぶりくらいだな。
 最初に読んだときはグロテスクなイメージばかりがつきまとって、なんか胃に重い、でなんだったんだ結局、みたいな読後感だけが残った記憶があるが、今回は最初から内臓ごと掴み取られるような読書体験だった。見事な描写力に裏打ちされた重機で掘り出されるようなイメージの奔出に、一章ごと読んでしばらく気を静めないと先に進めない、そんな圧倒的な小説を読んだ。
 著者このとき32歳。本作を戦後最大の傑作とするむきもあるようだが、ワシもそれにまったく賛成である。(もっとも比較対照とすべき他の小説を殆ど読んでないが。)


                     


 文章が読みやすいのに驚いた。難解になっていくのはこれ以降のことか。
 フットボールというのは、今まではなんとなくアメフトみたいなイメージでいたけど、サッカーのことだろうか。サッカーという言葉は当時でも一般的だったと思うけれど、万延元年のサッカー、ではやはりサマニならん。むしろ当時としては野球のほうがありがちだろうが、万延元年のベースボール、ではこれはもうどうしようもない。題名だけでなく、作中谷間の若者たちに野球やらせちまったんではすべてがダイナシになっただろう。作者の才幹恐るべしである。

 高校時代、隣の席でのちに自殺する同級生が一日中本作の新潮文庫版を読みふけっていたのを思い出した。


怯えつつ憾む昔や冴え返る

2013年02月10日 | Weblog


 雪が多い。
 凍雪になって危ない。

 図書館で、草柳大蔵『実録満鉄調査部 上下』(朝日新聞社 昭和54年)を借りてきて読み出した頃風邪をひき、寝てるような起きてるような暮らしの中に、満蒙の野を染める真赤な落陽の夢を見た。なんというのはもちろん嘘で、読んで寝て、寝てちょっと読んだりしているとやっぱり途中からなんだかわからなくなった。


                


 満鉄調査部という巨大シンクタンクを扱った本書はよく調べてあって読み応えがあるが、それだけにある程度の基礎知識がないと読み応えがありすぎる。もっとクロニクル的な叙述に徹してくれたほうが良かったのではないか。
 これが週刊朝日に連載されていたときに時々読んだ記憶があるが、これだけのものを長期連載させたという意味で、当時の週刊誌の読者のほうが現在よりも知的レベルはだいぶ上だったんではないか。
 ともかく、新入社員は二年間は仕事といえば記事の切り抜きと読書だったという初期の満鉄調査部はおもしろい。

 巻末に附記として参考文献を載せないこととその理由が書かれているが、理由らしい理由でもない。
 何があったか知らないが、これだけの著作で参考文献を載せないのは、やはりあきらかな瑕疵であろう。