路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

とどまってふと引き返す蜻蛉かな

2012年08月31日 | Weblog

 8月が終わる。
 あまりにも暑くてエンジン切れかかって、からだの節々からノッキングの音が聞こえてくる気がする。どうしったって暑すぎる。
 それで、9月になればどうにかなるかと思ったら9月もまだまだ暑いらしい。どうかしてるぜ。

                      

 暑すぎて、ただ呼吸してるだけみたいな夏だから読書なんかまともにできやしない。何冊か手にとって何冊か読み終えたが、殆ど頭に入らんな。多くが再読だけどな。
 原武志『出雲という思想』 どうも古代は苦手である。近代思想史家の筆者が出雲を書いてることに意味があるんだろうが煮詰まった頭脳では何がなんだかわからなくなる。吉本隆明『戦後詩史論』なんてのも引っ張り出して読んだりもしたが、もう三十年も前の出版で清水哲男とか新人の部類だからな。それで『荒川洋治詩集』思潮社の昔のヤツ出してきたが、やっぱり早くからうまいモンだった。谷沢永一『文豪たちの大喧嘩』がちくま文庫の新刊で出てたので買って読んだけど、面白かったけど文体が大仰というか大時代的というか修飾過多というか、要するに読みにくくてもうちょっとなんとかならんかと思ったことでした。それから稲田智宏『三種の神器』なんてのも読んだな。ザッと読むと面白いけど、精読するとよくわからなくなるな。古代とか中世というのはどうも身が入らない。あと家人が借りてきた石川啄木、筑摩の文庫の全集のヤツ読んだ。啄木は年々好きになるな。不思議だな。日記と詩がいい。えーと、それからまだなんか読んだ気がする。なんだったっけな。読んだ気がする、程度だからなんにも頭には入っちゃいないな。

                       

 なんか、携帯から画像送れなくなったぞ。

 暑すぎてみんなワヤになってるのかな。

 とりあえず、そんなところ。
 そんなところだが、もうすぐ脳みそ蒸発するな。


太宰閉じてサイレンを聞く広島忌

2012年08月06日 | Weblog

 久しぶりに雨が降った。半月ぶりくらいか。
 雨が降って少しだけ涼しく感じた。涼しくなると晩夏の風情。
 でも、明日からまた暑いらしい。

                     

 太宰治は二十歳前後に読んだ。当時どう思ったか記憶があやふやだけれど、三十代半ばくらいにいくつかを再読して、その見事さに認識を新たにした。
 で、読んだのは殆どが新潮文庫である。新潮文庫でその殆どを読んだと思っていたが、古本屋で、『津軽通信』(昭和57年)という始めて見る表紙を見つけたので買ってきた。

                     

 表題から敗戦前後のいくつかの文章、まあ落穂拾いのようなものかと思い読み始め、たしかに落穂拾いな文集であったが、さすがというかタダの落穂ではなかった。
 うまいものである。どれもこれも。
 太宰は天才だった、ということでいいのではないか。この筆捌きはやっぱりタダゴトではない気がする。易々と時代を超えてしまうもんナア。
 「嘘」なんて、完璧な短篇だと思う。ふつうはコレ一篇で「作家」としてやってけるのではないか。

 と、そんなわけで、やっぱり太宰が好きでした。



炎熱や左右で音の違う下駄

2012年08月05日 | Weblog

 古本屋で『安住敦集』(平成六年 社団法人俳人協会)が文字通り転がってたので、文字通り拾ってきた。
 新書版150ページくらいだけど、定価1,200円である。

                        

 安住敦は好きだ。
 戦後、市井、都市、というか、まあ「春燈」の叙情だな。文字通り。


     てんとむし一兵われの死なざりし

     雁啼くや一つ机に兄いもと

     しぐるるや駅に西口東口

     ランプ売るひとつランプを霧にともし

     門川にうつる門火を焚きにけり

     みごもりしことはまことか四月馬鹿

     麦秋のしんかんたるに耐えゐたる

     夏帽や反吐のでるほどへりくだり

     籐椅子あり夕べはひとを想うべし

     初電車子の恋人と乗りあはす

     雪の降る町といふ唄ありし忘れたり

 
 適当に書き抜いてどれもよく知られた句ばかり。
 個人的には、「しぐるるや・・・」の句、今まで読んだ俳句の中でもっとも好きかもしれない。
 天才の一句だな。

                           

 ともかく、あまりにも暑いので、日曜日何もせず、ところどころ開いてはすぐにゴロチャンと半死半醒みたいに過ごす。
 暑すぎるのだよ。

     世にも暑にも寡黙をもって抗しけり


 明日からはチャンと草取りしよう。


     栄達に遠しはこべら道に咲き


 そういうわけ。



三伏の左サイドを疾駆せよ

2012年08月05日 | Weblog

 連日異様な暑さである。
 年々異様な暑さばかりである。まだ8月も始まりというのに。

 毎朝の草取りを一週間ほど続けてきたら、体が油切れでガジガジと歯車噛み合わなくなってきた音を聞く気がしてきた。ここでちょっと休むとずっと休みそうな気もする。毎年のように。でも日曜日だとて休んでしまう。オリンピックのサッカーもあるからね。

                       

 配達で大学のある街へ行ったから、久しぶりにK堂へ寄る。
 レジでオヤジと前にも話したな、みたいな話をしていると、恰幅のいいTシャツ姿の厄年くらいの男が入って来て、今日はどちらから?みたいなことになる。
 ―マツヤマ、四国の。
 ―山、ですか?
 ―そう、明日から。
 ―マツヤマ、というと子規、ですね。
 ―ウーン、子規というより「坊ちゃん」
 ―ああ、そうですね。
 ―「坊ちゃん」だけで飯食おうと思ってる街。実際「坊ちゃん」で百年食ってる。
 といった会話を背中に店を出る。

                       

 和田芳恵『ひとつの文壇史』(2008 講談社文芸文庫)は古本というほどでもないがなんとなく買ってしまった。
 昭和六年から十年間の著者の新潮社編集者の頃の回顧。
 大衆誌「日の出」の編集が中心なので、出てくる作家たちがいわゆる大衆文芸作家たち。谷譲次、長谷川伸、山岡荘八、三上於菟吉等々。その間に、竹田敏彦とか森本巌夫とか今井達夫とか、聞いたこともない作家たちがヒョコヒョコ出てきて、それぞれがそれなりに当時は名の通ったひとたちであったらしい。まさに、ひとつの文壇史。
 著者の名前は昭和五十年ころによく聞いた。「接木の台」とかよく喧伝されていて、読んだけどすっかり忘れてしまった。今読めばどんな感じだろうか。

 土曜日は標高1000m以上のところを少しドライブ。
 軽自動車はエンジン音急に高くなるな。
 雲の峰が輪郭くっきりと石膏トルソのように立ち上がっておりました。