路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

若い父よ腰手拭の青田風

2024年04月29日 | Weblog
 春がゆく。
 またしても。

 花盛りも知らず。
 花かげに立つこともなく。

               

  生きがたき此の生のはてに桃植ゑて死も明からせむそのはなざかり    岡井隆

               

               

 もはや言葉は虚言でしかなく、なにが嘘なのかもわからない世界に住んでいる。
 春がまたたくまに過ぎ去って、その過ぎ去ったものしか信じられない。

                

                

 「こうして私は時代に対して完全に真正面からの関心を喪失してしまった。私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ、空語、空語、空語!としてしか感受できないのである。私はたいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。」

                            林達夫「歴史の暮方」

                 

 そんな時代は、とうの昔に終わっているはずではないのか。

                 

 先生に、久しぶりにオンラインでお会いした。
 ますます闊達、ますます自在。
 通史を完成させて、ひとまずは達観かと思いきや、実は多くの上梓前の達成がおありになるらしい。
 この知的活力の逞しさの風に吹かれることの、その心地よさに酔いしれるばかり。

                 

 「ところが、一般に学問的研究はさらにこういうことをも前提する。それから出てくる結果がなにか「知るに値する」という意味で重要な事柄である、という前提がそれである。そして明らかにこの前提のうちにこそわれわれの全問題はひそんでいるのである。なぜなら、ある研究の成果が重要であるかどうかは、学問上の手段によっては論証しえないからである。」

                            マックス・ウェーバー「職業としての学問」

                   

                   

 知性が他者を豊かにするものを、功利によって計ろうとするこの国に、もはや完全に未来はない。

                   

                   

 そういえば、森内俊雄も死んでしまった。
 「桜桃」のような神品だけを遺して。

                    

 私といえば、いまだに深夜、燃え盛る火炎のみ見つめている。
 たった独りで。
 飛び散る火の粉を。
 「フォーム」に飛び散るサクランボのように。

                    

                    

  ぼくはでてゆく
  冬の圧力の真むかうへ
  ひとりつきりで耐えられないから
  たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
  ひとりつきりで抗争できないから
  たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
             
                    吉本隆明「ちひさな群への挨拶」抄

                     

                     

 独りでゆくことの哀れさ、そんなものを嘲笑しようとしたこともかつてはあったかもしれない。
 図書館の独学者に対するように。
 でも、今は憧れが勝つ。
 それはいったいどういうことなのか。

                      

                      

 「突然、彼が最近参照した書物の著者の名が、記憶に浮んだ。ランベール、ラングロワ、ラルバレトリエ、ラスッテクス、ラヴェルニュ。私は忽然と悟った。独学者の方法を発見したのだ。彼は書物をアルファベット順に読んでいる。」

                                     J・P・サルトル「嘔吐」

                       

                       

 書物をアルファベット順に読んで何がいけないのか。
 その愚直な勇気に渇仰せよ。
 もとより、憧れを知らぬものに苦悩はない。

                       

                       

 「それはつづめていえば「言え、お前は何者であるか?」という、倫理ないしスタイルに関連した問いである。(中略)甚だ煩わしい問いであるが、そうした好事の人々の安心のために、著者はG・ソレルの大変明快な答えを、そのまま本著における著者自身の立場として、提示できるように思う。
  「私は、私自身の教育のために役立ったノートを、若干の人々に提示する一人のautodidacteである。」」

                              橋川文三「増補 日本浪漫派批判序説」

                        

                        

 かくして、このようにして私は生きてゆかねばならぬのであるが・・・。

                       

                       

  名もしれぬちひさき星をたづねゆきて住まばやと思ふ夜半もありけり   落合直文

                       

                       

  雲がゆく
  おれもゆく
  アジアのうちにどこか
  さびしくてにぎやかで
  馬車も食堂も
  景色も泥くさいが
  ゆったりとしたところはないか
  どっしりした男が
  五六人
  おゝきな手をひろげて
  話をする
  そんなところはないか
  雲よ
  むろんおれは貧乏だが
  いいじゃないか つれてゆけよ

                谷川雁「雲よ」

                       

                       

 つれてゆけよ



  

砂時計零れ暮春の転機かな

2023年04月30日 | Weblog
 また春が逝く。
 
 何かがあったわけでもないとして、何かがあらねばならないように、日が移ろってゆく。

 なにものかを待つばかりの季節が、また暮れてゆく。

                     

  待つ人のあるにはあらねど何もかも待つ思ひする春の夕暮
                              西田幾多郎

                     

 研究会も久しぶりの対面主体で、論叢も見事に十周年を閲した。

 五味先生はじめ、幹部の皆さんの努力の賜物である。

                     

                     

 大寺さんは立上って、本棚の下から紅茶茶碗を取出そうと身を屈めた。ごとん、頭のなかの錘の仕掛が動くか外れるかして、忘れていた眩暈が不意にやって来た。どうして仕掛が動いたのか判らない。気を附けなくちゃ不可ない。凝っとその儘の姿勢でいると、どこか遠くで古い懐しい旋律が聞えるような気がした。
                                        小沼丹「眼鏡」

                      

                      

 頭のなかの錘が動くか外れるかして、古い懐かしい旋律が聞こえることが、多くなった。

                      

 調布で会ったとき、大学のころの話をして、ほんとうにあのころはなにひとつわかってなかった、と私があきれると、しげちゃんはふっと涙ぐんで、言った。ほんとうよねえ、人生って、ただごとじゃないのよねえ、それなのに、私たちは、あんなに大いばりで、生きてた。
                              須賀敦子『遠い朝の本たち』

                       

 私たちがあんなに大いばりで生きていたあの頃は、例えば誰彼のカバンの中には大江健三郎の文庫本が蔵われていた、あの頃だ。

                       

                       

 お寺の隣の市立図書館は、入口で番号札を取ると、踊り場のある階段をギシギシと登って、狭い閲覧室の四人掛けの机に隣を気にしながら座った。
 受験生でいっぱいの日曜日の閲覧室で、時に『中央公論』の最新号を借り出しては、連載中の庄司薫『僕の大好きな青髭』を繰り返し読んだ。
 中村紘子のカットがついたそれは、延々に連載中で、毎月出かけても一向に終わりが見えないのだった。

                      

                      

 問 日本文学とは何か?
 答 それは、大江健三郎『万延元年のフットボール』である。

 それで正解でいいのではないか。
 知らんけど。

                      

                      

                      

 人間にとって、いや、少くともこのぼくにとってほんとうに怖いのは、年老いて、遥かな時間と疲労の厚い壁の向うに夢と情熱に溢れた十八歳を持つそのことではなく、実は十八歳の自分をそのまま持ちながら年老いるということなのではあるまいか?自分にも十八歳の時には夢があったと年老いて語ることが怖いのではなく、そう語りながらもなお夢は消えないというそのことこそ恐しいのではなかろうか?と。
                                庄司薫『ぼくの大好きな青髭』

                       

                       

 老いた自身のなかに、十八歳を見出してしまうことの、恐ろしさ・・・。

                       

                       
 懐古とは人間の命の鳥影のやうなものである。
                         井伏鱒二『本日休診』

                       

                       

                       

 命の鳥影、とは何であるか。

 このまま鳥影を引くように生きねばならぬか。

                       

                       

  そんな古里を訪ねて、
  僕は、二十年ぶりに春の水に両手をついた。
  水の中の男よ、それも見なれぬ・・・
  君だけはいったい、
  どこでなにをしていたのか。
  どんなに君がひざまずいても、
  生きようとする影が、草の高さを越えた以上、
  チャーリーは言うだろう。
  羽月野かめは言うだろう。
  ちょっと、そこをどいてくれないか。
  われわれの後退に、
  折れ曲がった栞をはさみ込まれるのは、
  迷惑だからと。
                     清水哲男「チャーリー・ブラウン」

                        

                        

 生きようとする影・・・。

                        

                        

  実際
  ブッキッシュな飲みかたなんだよなあ
  死ぬときだって
  きっと こうなんだよなあ
  きみはいつだって
  娘に残していくものだけを
  考えてるんだもんなあ
                    清水哲男「麦の酒よ」

                        

  丘の上のちょうちょうが何かしら手渡すために越えてゆきたり
                                山崎方代

                        

 私に、手渡すものなど何かあるのだろうか。

                        

                        

  大江 「そうして、最後は、Raging in the dark暗闇の中で怒り狂って叫んでいるというふうにして、僕は終わると思っているね。」
                             「文学の不易流行」

                        

 Raging in the dark・・・。

 そうかもしれない。

                         

                         

 また来る春を信じて。


             

残花ありて夕映へといふ帰心かな

2022年04月16日 | Weblog
 また新しい春ではあるが。

 崩れ去るものの音が確実に聞こえる。

  はるかなるものの悲しさかがよひて辛夷の花の一木が見ゆる
                              佐藤佐太郎

 辛夷も白木蓮も散ってしまった。

                     

 研究会もすっかりリモート慣れである。

 常ならぬ日常が、すでに日常であって、どうやらそれはまだ明けない。

                    

 「目を醒ますと、列車は降りしきる雪の中を、漣ひとつ立たない入り江に辷り込む孤帆のように、北に向かって静かに流れていた。夜明けが近いのか、暗色に閉ざされていた空は仄かに白み始め、吹雪に包まれた雪景色の単調な描線が闇から浮かび上がってきた。」
                                                 外岡秀俊『北帰行』冒頭

                   

 年明け、外岡秀俊の訃を聞く。

 ネット情報では、スキー場のゴンドラ内での突然の死であったとも。

                   

 田舎の小さな本屋の平台の上に一冊だけあった『北帰行』を手に取った、その自身の指先を今でも覚えている気がする。
 もう40数年前のことだ。

 そのころ大学生であった白皙の青年は、やがては日本文学を牽引する存在となるはずであり、私もそれを熱く想った。

 彼が朝日新聞へ入ったと聞いたときは、意外のような当然のような、ともかく、その署名記事はやはり我が半生の傍らにあり続けた

 この国のジャーナリズムにとって、そのひとの喪失は大きい、そのような人物になった人のデビュー作を、かつて貪るように読んだ遥かな記憶。

                   

 デビュー直後の外岡を、清水哲男がインタビューしている。  
                        『球には海を』所収

 外岡が、好きな作家としてサン・テグジュペリと五木寛之をあげているのはやや意外だが。
 それをうけて清水が「この作家の今後には、大きい意味でのエンターティナーとしての方向を期待」しているのは、炯眼と言っていいのか。
 卒業したら新聞記者になって様々な体験をしてみたいが、それも若い時だけ、将来は札幌に帰って暮らす、という外岡の言は、まさに自身の未来を言い当てたということか。
 西部劇を見ることと、毎日数キロのマラソンが趣味だと答える若き日の外岡秀俊を羨望し、今も憧れ続ける自身を見出す。

                   

 そして、清水哲男も死んでしまった。

 春が来る頃。

                   

 一編の詩によって、人生が強く規定される。
 そんなことがあるかといえば、それは確実にあるのだけれど。

 少なくとも、人生に対する態度が、一片の詩によって定められ、それが半世紀たっても変わることはない、そういうことは間違いなくある。

                  

  だが
  あなたの思い出はない
  私のなかには
  花もない
  学校もない
  あなたの網膜のあわいには
  吐息につつまれた町と
  敵の後姿が
  やさしく光っている
  未来に関する
  希望に関する
  残酷な哲学のなかで
  あなたは眠ることさえできるのだ
  けだものの目蓋を透かして
  私が所有する
  あなた
  その肺胞
  その涙
  空の思想
  はりつめているだけの痛み
  むしろ私は
  しんみりと眠ってみたい
  あなたの髪につつまれた
  暗闇の片隅に
  皿のような光る鏡をおいて

  そんなことができるもんか
  あなたは
  コオヒィの湯気のむこうがわにいて
  胸のかたちを整え
  少し血のにじんだ頬を
  朝の光にたたかせて
  ああ
  じっと喝采に聞きいっている
                    清水哲男「喝采」

                           

 かつて、窓のあかない傾いたアパートの四畳半で、清水哲男詩集を抱えてひたすら眠ろうとしていた日々にも、胸を張って背走し続けていた人よ。

  男は歯をむきだして笑い
  今度こそは
  故意に落球してやろうと思い
  そして背走をつづけながら
  やはりしっかりと
  掴んでしまうのであった
                  「笑う外野手」

                          

 あなたが、

  すねている俺は嫌いだが
  すねていないきみたちはもっと嫌いだ
                  「きみたちこそが与太者である」

 と言うから。

                         

 あなたが、

  人間は生きぬいていくのではなくて
  生きてしまう
                    「PRINT d」

 と言うから。

                       

 だから

  しかし 暗い心は手くらがりから手くらがりへと
  灯芯のような闘志を執拗に育てつづけていて
  「クラくなければオトコじゃないぜ」と
  灯火親しむの候には 誰かが必ず書いたものだったよ
                      「灯火親しむの候」

 本当に昔はよかったよ。

                        

  では聞くが
  両のてのひらで
  こわれないようにそおっと
  何かにつつみこまれたことはあるかい
                       「てのひらほどのうた」

                         

 もういい加減にしなくてはならない。
 子供ではないのだから。

  少年は生きるしかなし花の冷え    清水哲男

                        

 こうしているうちにも、春だって逝くのだから。

  真昼の日そらに白みぬ春暮れて夏たちそむる嵐のなかに     若山牧水

                          

 崩れ去って行くものの音だけが聞こえる。

  舟を押す(口笛もなく・・・・)
  故郷はいつだって水を割って帰るところだ
                          「舟に託して」


                         

 「「どこへ行くんだい、おおどこへ・・・・」
  年老いた母の皺だらけの手が暗闇に揺れるのを、私の眼は今でもはっきりと捉えている。」
                                  外岡秀俊『北帰行』最終行

                          

 そしてまた、五月は来るか。
 
 どのような・・・。

                           

  唄が火に包まれる
  楽器の浅い水が揺れる
  頬と帽子をかすめて飛ぶ
  ナイフのような希望を捨てて
  私は何処へ歩こうか
  記憶の石英を剥すために
  握った果実は投げなければ
  たった一人を呼び返すために
  声の刺青は消さなければ
  私はあきらめる
  光の中の出合いを
  私はあきらめる
  かがみこむほどの愛を
  私はあきらめる
  そして五月を。
              清水哲男「美しい五月」

                            

 次の春、私は何を書けばいいのか。









                         

 

上京を柏若葉に垣間見て

2021年04月19日 | Weblog
 惜春。
 春は早く来て、いつのまにか過ぎゆこうとしている。

 去りゆく春の日を哭く。

                 

 春の日々は、今年もまた常ならざる日々である。

 すべからく理解の外である。

                 

 研究会も遂にリモートである。
 やってみるとさして違わないような、違うような。
 ともかく、老若男女が当たり前のように語って、終わる。
 こんな御時世にもかかわらず、むしろ闊達、且つ成果も目を見張るべく。

                  

 勉強しなければならない。

                   

 私たちが、すでに昔話だと思っていたもの。
 すでに超克し得たものと思っていたもの。
 それが今眼前にある。
 どう理解すればいいのか。

                    


  この
  雨に濡れた鉄道線路に
  散らばった米を拾ってくれたまえ
  これはバクダンといわれて
  汽車の窓から駅近くなって放り出された米袋だ
  その米袋からこぼれ出た米だ
  このレールの上に レールの傍に
  雨に打たれ 散らばった米を拾ってくれたまえ
  そしてさっき汽車の外へ 荒々しく
  曳かれていったかつぎやの女を連れてきてくれたまえ
  どうして夫が戦争に引き出され 殺され
  どうして貯えもなく残された子供らを育て
  どうして命をつないできたかを たずねてくれたまえ
  そうしてその子供らは
  こんな白い米を腹一杯喰ったことがあったかどうかをたずねてくれたまえ
  自分に恥じないしずかな言葉でたずねてくれたまえ
  雨と泥の中でじっとひかっている
  このむざんに散らばったものは
  愚直で貧乏な日本の百姓の辛抱がこしらえた米だ
  この美しい米を拾ってくれたまえ
  何も云わず
  一粒ずつ拾ってくれたまえ。

                         天野忠「米」


                     

 まさか21世紀に、天野忠の「米」を痛切に思い出す日が来るとは思わなかった。

 状況ではない、私たちの立つべき心の態度として。

                       

 自分に恥じないしずかな言葉を、誰も口にしようとはしない。
 恥じようと恥じまいと出来るだけ大声でと教えられている。
 自分に恥じないしずかな言葉に、耳を傾けようとするものはいない。
 しずかな言葉しか発せられないものは相手にする必要はないと勝者が誇っている。

                       

 傲岸、不遜、恫喝、揶揄、追従、そして冷笑。

 言葉とともにあるものはそんなものでしかない。

                        

 パンドラの匣はとっくに毀たれているのに、みんな気付かないふりをしている。

                        
 勉強しなければならない。

 このまま死ぬわけにはいかない。

 何も知らないままで。

                          

  
  文庫(ふみくら)の窓あけはなつ五月来て柏の若葉ひらきとめたり
                                 岡麓


                           

 勉強しなければならない。

                           

 また春が来るまで。



つくしんぼ系図持たざる農の裔

2020年04月09日 | Weblog
 思いがけない春は、それでもやはり清らかに思える。
 誰がこんな春を予想しただろうか。

               

 ウイルス禍のおかげで研究会総会も流れてしまった。
 五味先生にもお会いしたかったのだけれど。

               

 皆様お元気だろうか。
 知の営みは続いているが。

               

 それにしても先生の知的力業には脱帽である。
 『文学で読む日本の歴史』近世編まで読んで、何ともかんともよくこんなに書けるものだと驚嘆していたら、『伝統文化』が出て、『鎌倉時代論』と続けざまに、これはもう事件であろう。
 仰ぎ見るにしても途方もない。

                

 ワシもこうしてはいられない、とちょっとだけ踏ん張ってみようと思ったけれど・・・。
 やっぱなぁ、地金が違いすぎる。

                

 冬の鍛錬が違うのだろうか。

                 

 それにしても、春。
 ウイルス禍はいつかは終息するのだろうが。

                  

 この国は、もうダメだろう。

                   

  その下からやがて春の立ちあがれと雪が降りつむ
  無限のふかい空からしずかにしずかに
  非情のやさしさをもって雪が降りつむ
  かなしみの国に雪が降りつむ
                     永瀬清子「降りつむ」抄

                    

 非情のやさしさ、って何だろう。
 誰か教えてくれないか。

                     

  非望のきはみ
  非望のいのち
  はげしく一つのものに向って
  誰がこの階段をおりていったか
  時空をこえて屹立する地平をのぞんで
  そこに立てば
  かきむしるやうに悲風はつんざき
  季節はすでに終りであった
                     森川義信「勾配」抄

                      

 一体どういうことだろう。
 非情も非望も、それだけが美しいのは。

                       

 季節も、終わるのか。



 





 

 

青空や閉門までは春である

2019年04月08日 | Weblog

 また春である。
 いつだって春である。

           

  坂道や振り向くための峡の花

           

 もはやすべてが春である。
 そう決めたのである。
 時々揺らぐ春の花である。

           

 『放送大学日本史学論叢』も第6号である。
 皆様お若い。
 迸る情熱。

           

 小生もウカウカしてはいられない、と思うのである。
 投稿しても一年以上ナシのツブテの某誌のことなど、かまってはいられないのである。
 どうやらそんなことはフツーのことであるらしい。Iさんもしょっちゅうであるとのこと。

           

 久しぶりにお会いした五味先生もお若い。
 今や中世史家というより、その射程は完全に近世に及び、御存じの通りの健筆ぶり。
 先生を見ているとまさに老年の理想を見る思いがする。
 快活で明晰。

           

 当方のすっかりの草臥れぶりが恥ずかしい。

           

 元気で若いといえば、清水哲男の復活も。
 『換気扇の下の小さな椅子で』
 何年ぶりだろう、あの、詩を読む喜びを。

           

 老いた、と自嘲する、けれども半世紀前の瑞々しくくきやかに後退する清水哲男が復活するなんて。

           

 どこでもいい、どれでもいい、ここにあるのは森羅万象、日々日常、それらを一刀両断に叙情する屹立する詩精神なのであります。
 どこでもいい。

           

   どこかでセミが抜け殻を残して鳴きはじめ
   どこかでバッタが水鏡に見入っている
   玩具店の日除けのかげでは
   売れない鉛の兵隊が整列しはじめ
   実家の玄関先では
   亡き母が見送りの手を振っている

               清水哲男「酷暑抄」抄

            

 また、夏が来るのだろうか。

 では、また、必ず。





 

そのかみの飛行機雲の穹に融け

2018年04月10日 | Weblog

 もう少し、中年や、にしとこうかしらん。
 老年如何に生くべきか、の覚悟が到底できておらんからに。

 春だなあ。

 懐かしきもの皆美しく・・・。


              

 
 「放送大学日本史学論叢」第五号見事に刊行されました。
 従来どおりIさんはじめ今回は若手のMさんの御尽力もあって、先端技術の編集によっての完成らしい。
 ともかく、研究会幹部の皆様の無私の労働の美しい結晶。


              


 論文三編、研究ノート一編。
 考古学から中世、近世、近代と網羅しております。
 どれも執念の珠玉の論考。
 どこを切っても鮮血迸る文業。
 世のひとびとよ、括目せよ。


              


 もちろん五味文彦先生の御貢献、もはや頭が下がるどころではない。
 先日久しぶりにお会いしたけれど、ますます意気軒高。
 現在は専ら近世に関わっておられるらしい。
 近くまた新刊を上梓、その後も続々と研究成果が世に問われることとなる由。
 スゴイ。


              


 いつも笑顔で、快活で、ワシのようなものにも明るく話しかけてくださって。
 知性というものは、なんと伸びやかなものであるかと・・・。


              


 はてさて、くすぶってばかりのわが身であるが、限りあるこの身試さん・・・とて。
 
 春、でもあるし。


              


 こちらは、今をトキメク呉座勇一先生も寄稿なさる信濃史学会「信濃」


               


 百年近い伝統と千有余人を数える会員を擁する堂々の月刊史誌。
 マア、ガッコウのセンセたちのお仲間雑誌でもあるらしきが。
 なんてったって、どうやら査読だけで一年超、その後、万が一にも掲載が決まったとしても、実際の掲載までは順番待ちが年単位、というウワサ。
 要するに、シロートのイチゲンさんが顔をだしたところで、誰だお前は、的な権威を誇るシロモノ雑誌ではあります。
 なんせガッコウのセンセイたちだからね。
 基本、庶民は相手にされない。
 それがどうした、といわれれば、特にどうもしないのだけれど。


               


 そういうわけで、はてさてまた一年。
 この次の春は、はたして如何なる春であろうか。


 ともかくも、生きてありたし。
 出来得る事ならば、身の力かくも有りてと振り返るべく。


               


 それでは。






 


 


              

チューリップ光をこぼすたなごころ

2017年04月18日 | Weblog

 
 春、であります。

                 
                      

 一年(と、ちょっと)が経ったわけであります。

                      

 この一年、いろんなことがあったような、なかったような。
 ともかく、水は橋の下を流れ続けて、今もなお流れております。(一応な。)

                       

 そういうわけで、『放送大学日本史学論叢 第4号』及び『会報8』刊行されております。
 Iさんはじめ、編集委員の皆様の無私の賜物が見事に今年も結実いたしました。

                       

 『論叢』には「論文」二篇、「研究ノート」二篇。『会報』にそれぞれ三篇づつ。市井の隠れた知の結晶が穏やかに輝いているのでありました。

                       

 なんといっても、五味文彦「織田信長の政権構想」であります。
 五味先生の御健筆を心から寿ぐものであります。
 すでに視野は中世から近世へと、先年のお話では近代をも五味史学の範疇とすべく、スゴイなあ。

                       

 というわけで、また一年。
 フンレイドリョクと行きたいものの、さて、どうなりますか。
 
                       

 相も変わらぬ後方凡走ではありますが、(もはや「走」ですらないけれど)中年、とも言い難く。
 「初老」は如何にあるべきか。
 溜息混じりで背を屈め・・・。

                       

 では、また。




 

碩学に名を呼ばれをり春の雪

2016年03月14日 | Weblog

 というわけで、また春が来て~、ということですが、ブログの投稿の仕方がほんとにわからなくなっているのであります。

                  
                  


 久しぶりに自分のブログ読んでみたら、けっこうおもしろい気がするけどなあ。
 まあ、そういうわけだ。
 どういうわけかわからないが。


                  


 というわけで、「放送大学日本史学論叢」第三号がめでたく刊行されたわけであります。
 ともかく3号、見事な出来栄えは創刊時からお一人で編集にあたっているらしいIさんの無私な努力の賜物である。
 論文3篇、史料紹介と書評もついて、在野の志が犇めいているのであります。


                  


 で今回は同時に刊行の『会報』7号。こちらはもう7号、これもIさんの無私の結晶。
 今回は特に、五味先生退職記念号として、会員各位の奮闘の記録満載。
 これを読むと、皆様まことにハイレベルなテーマに長い時間真摯に取り組まれていて、まことにもって頭がさがる。
  
 
                  


 それにしても五味先生。定年というのは残念であるが、その学恩遥かに深い。
 学部生、院生それぞれ指導し、各地(全県に亙る)に出かけて講義講演、さらにはOBの会にも出席されて指導、それぞれがたいがい泊りがけの合宿で夜の飲み会もこまめにお付き合いくださる。それでいて重量級の学術書を毎年複数冊出される。それ以外にも公職多く、はたから見ても多忙多事であろうに学生や会員の拙い論文にもすべて目を通してびっしり朱を入れて返送してくださる。ともかくその知的活力には驚嘆のほかない。


                   


 ということで、ワシもあたら人生を浪費していてはいけないと思うのであります。思うのではありますが・・・。
 先生と話をすると、本当に仰ぎ見る、という感じになるなあ。忸怩たる、というのはこういう時である。


                   


 ということで、次回はまた一年後か。
 括目して、と言いたいところではあるが・・・。
 それでは。





 

春疾風甲斐駒甲斐を照覧す

2015年03月23日 | Weblog

 しかし更新やめると閲覧数はほんとに減るなあ。
 前回から一年御無沙汰である。


                


 一年たって、「放送大学日本史学論叢」第2号が届く。
 まことに欣快至極。
 今回は、五味文彦、杉森哲也両教授の論考が載るという豪華版。
 五味文彦「源実朝の身体―和歌から実朝を探る」は新しいテーマの顔見世かもしれない。これから読みます。
 杉森哲也「肥前国横瀬浦八ノ子島の十字架について」あの十字架ですよね。これから読みます。
 他にも力作論考が載っております。


                


 ツイッター界の住人になってから、全然ブログ見てないから、次は来年、第3号発行の記事になるかしらん。
 気まぐれにまた戻ることがあるかどうか。
 まあ、歳月はどんどん過ぎて行くばかりである。


                


 じゃ。