『武谷三男の生物学思想』を今年は取り上げることにした。
「他人から見た武谷三男」というタイトルでこの5,6年にわたって毎夏、徳島科学史会で話をしている。取扱いが難しいテーマということで伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』と中村静治『新・技術史論争史』が残っていた。
今年は中村静治『新・技術史論争史』を取り上げようとはじめたのだが、ある文章を読んだことで伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』を取り上げることとした。
昨日の日曜もこれの一部を読んで過ごした。伊藤さんはなかなか鋭く武谷三男の論を論破している。ここまでしなくてもいいのではないかと思われるくらいだが、武谷の書いたことに沿っており、そして、冷静で感情的ではない議論であるが、ちょっと辟易するくらいである。
少なくとも論理的には、これ以上に論理的に完全に論破した文章はないのではなかろうか。
しかし、それを読んでいるうちに、ある感慨が起こってきた。
一つは、ルイセンコ論争についてだが、マルクス主義者だった人にはメンデルの遺伝学を受け入れろとの圧力は社会主義への攻撃と思われていたのではないかと思った。社会主義をいいものと思っている人には資本主義者の圧力と思われていたとすると、思想信条としてはなかなか受け入れられないだろう。
もちろん、生物学も科学であるから、実験的な事実にもとづいて議論されなければならないのだが、ルイセンコの獲得形質の遺伝を攻撃する人は資本主義者の社会主義への攻撃だと思われたということがあっただろうという想像である。
現実はどうだったかはわからないが、そうだと思われる節もある。それが武谷とか生物史研究者の八杉貞利さんだとかが、なかなか獲得形質の遺伝学を捨てられなかった理由であろう。
もう一つは、武谷の思想に関してであるが、1946年ころと武谷が亡くなった2000年頃とはたぶん考え方は違っていたと思うのだが、そうではなくて、思想が変わらないかのように議論するのは間違っているのではないかということである。
たしかに伊藤さんの本の上ではもう武谷の生物学思想は完全に論破されてしまっている。だが、それは人の思想というか考えが不変というならそうだが、不変ではありえない。
そこがおかしいのではなかろうかと思いついた。
(2021.8.18付記) 上に書いたところで書き間違いがあった。「冷静で感情的ではない議論である」と書くべきところが、「冷静で感情的な議論である」と書かれていた。よく見直さなかった誤りである。「冷静で」とあるから、「感情的な議論である」とは書き間違いであろと推察されたとは思うが、書き間違いであった。