物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

サッカー選手の名言

2021-07-20 10:41:32 | 本と雑誌
昨夜は月曜日の夜だったので、NHKのEテレで「旅するためのドイツ語」の放送があった。そこでいつものようにサッカー選手の名言があった。

これは前にも書いたが、ここで繰り返しておく。

  Ich bin Fussballprofi. 
       Fussballprofi heisst, man muss f"ur Fussball alles geben.
       Es gibt kein Geheimnis.               Makoto Hasebe (長谷部 誠)
 

  私はサッカーのプロ選手です。
  サッカーのプロ選手はサッカーにすべてを捧げなければなりません。
  秘密はないのです。

言葉は音だということから、拙いが発音をカタカナで書いておく。ドイツ語の達者な人は無視してください。

 イッヒ ビン フスバルプロフィー
 フスバルプロフィー ハイスト、
 マン ムス フュア フスバル アッレス ゲーベン
 エス ギープト カイン ゲハイムニス



       


『武谷三男の生物学思想』

2021-07-19 10:28:36 | 本と雑誌
『武谷三男の生物学思想』を今年は取り上げることにした。

「他人から見た武谷三男」というタイトルでこの5,6年にわたって毎夏、徳島科学史会で話をしている。取扱いが難しいテーマということで伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』と中村静治『新・技術史論争史』が残っていた。

今年は中村静治『新・技術史論争史』を取り上げようとはじめたのだが、ある文章を読んだことで伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』を取り上げることとした。

昨日の日曜もこれの一部を読んで過ごした。伊藤さんはなかなか鋭く武谷三男の論を論破している。ここまでしなくてもいいのではないかと思われるくらいだが、武谷の書いたことに沿っており、そして、冷静で感情的ではない議論であるが、ちょっと辟易するくらいである。

少なくとも論理的には、これ以上に論理的に完全に論破した文章はないのではなかろうか。

しかし、それを読んでいるうちに、ある感慨が起こってきた。

一つは、ルイセンコ論争についてだが、マルクス主義者だった人にはメンデルの遺伝学を受け入れろとの圧力は社会主義への攻撃と思われていたのではないかと思った。社会主義をいいものと思っている人には資本主義者の圧力と思われていたとすると、思想信条としてはなかなか受け入れられないだろう。

もちろん、生物学も科学であるから、実験的な事実にもとづいて議論されなければならないのだが、ルイセンコの獲得形質の遺伝を攻撃する人は資本主義者の社会主義への攻撃だと思われたということがあっただろうという想像である。

現実はどうだったかはわからないが、そうだと思われる節もある。それが武谷とか生物史研究者の八杉貞利さんだとかが、なかなか獲得形質の遺伝学を捨てられなかった理由であろう。

もう一つは、武谷の思想に関してであるが、1946年ころと武谷が亡くなった2000年頃とはたぶん考え方は違っていたと思うのだが、そうではなくて、思想が変わらないかのように議論するのは間違っているのではないかということである。

たしかに伊藤さんの本の上ではもう武谷の生物学思想は完全に論破されてしまっている。だが、それは人の思想というか考えが不変というならそうだが、不変ではありえない。

そこがおかしいのではなかろうかと思いついた。

(2021.8.18付記) 上に書いたところで書き間違いがあった。「冷静で感情的ではない議論である」と書くべきところが、「冷静で感情的な議論である」と書かれていた。よく見直さなかった誤りである。「冷静で」とあるから、「感情的な議論である」とは書き間違いであろと推察されたとは思うが、書き間違いであった。

Spieglein, Spieglein

2021-07-17 13:38:49 | 本と雑誌
    Spieglein, Spieglein an der Wand, 
    Wer ist sch"onste K"onigin in der Welt ?
 シュピ―クライン、シュピ―クライン、アン デア ヴァント
 ヴェア イスト シェーンスト ケーニギン イン デア ヴェルト ?

  鏡よ、鏡よ、鏡さん
 世界で一番美しい女王は誰?

とはグリム童話だったか。 

こんな文句を思いだしたのは、実は鳥というドイツ語はSpiegelだったかねと妻が今朝言ったので、思い出してしまった。

妻の最初の問について答えれば、鳥はVogelという。よく似ているのは語尾の方であるが、まったく違う。der Spiegelは鏡である。また、das Spiegleinは小さな鏡のことである。

Spiegelという名の雑誌もある。このSpiegelのドイツ語はドイツ人でも難しいとか言われる。ちょっとインテリの読む雑誌であろうか。

(2021.7.22付記)Spiegel はカタカナで発音を示すとシュピーゲルであるが、Spiegleinとなるとシュピ―クラインとgが濁らないで、クという発音になる。このことにもうドイツ語学習歴60年を超えるのに気がつかなかったと、いつだったか、このブログで書いた。









ケーブル・テレビのミステリー

2021-07-17 13:27:25 | 本と雑誌
ケーブル・テレビのミステリーでいつも事件が解決しない前に外国語の講座にチャンネル替えをしてしまうのだが、金曜日はNHKの外国語のEテレ放送はないので、初めて事件解決まで見た。

警部さん本人が現場に指紋があったりして、殺人を疑われるので、捜査から外されてしまうという筋なのだが、最後に同僚の捜査主任となっている、警部補が殺害される直前に駆けつけて犯人を捕まえるという話であった。

テレビのドラマではあるが、やれやれということである。

NHKのイタリア語講座を見た

2021-07-16 10:44:47 | 本と雑誌
NHKのイタリア語講座を見た。

なかなかよくできた講座で、ゲストさんがマッテオさんに「~とはイタリア語ではどういうのですか」といって話を進めている。

やはりゲストがある程度イタリア語ができるからなのであろうか。かなり自然な感じである。

始めは
 Come si usa ? どう使うのですか
からはじまり、
 Come si prepara ? どう料理するのですか
とか
 Come si dice in Italiano ? イタリア語ではどういうのですか。
とか
 Come si fa ? どのようにするのですか
とかが出てきた。これらは私が聞いてその場で覚えた言い方を記憶で書いているのであまり確かではないが、なかなか楽しそうな自然な感じの講座である。Eテレでフランス語とかドイツ語も見ているが、一番自然な感じのEテレの放送である。
 「わかりました」Ho capitoとゲストさんが即座に答えているのも好感がもてる。

イタリア語は日本人も発音がしやすいと思うので、もっと学ぶ人が出てきてほしい。


高校物理の学習参考書の余談

2021-07-15 12:24:52 | 本と雑誌
高校物理の学習参考書の余談をしておこう。

妻のある年配の友人から孫の高校物理の学習参考書の問い合わせがあったということだが、今朝その問い合わせをされた人と話した。

電話で話をしたのだが、実は話は高校物理の学習参考書の問い合わせではなくて、孫が数学とか理科の物理がよくできる生徒だという自慢がしたいのだということが話の途中でわかった。

この人はある事情から孫を二人か、三人育てているのだが、その長女さんがよくできるという話であった。この人はとてもいい人なのだが、ちょっと苦労もしている。

そしてその気晴らしのために妻のところに電話を入れたということだったらしい。もっともそれはこちらの推察であってご本人から言われた話ではない。

まあ、孫のことを話のタネに気晴らしができる人はそれなりに恵まれているといえるだろうか。

ちなみに、お孫さんは女子生徒さんであり、数学もよくできるという。妻はリケジョを応援したいと電話で話していた。



Sidney Colemanの講義

2021-07-14 17:09:14 | 物理学
大栗さんの『探求する精神』(幻冬舎新書)を読んでいて、Sidney Colemanの方々の夏の学校とか冬の学校とかでした講義を集めた書”Aspects of Symmetry” (Cambridge Univ. Press)のことが書いてあって、Colemanが優れた講義者であったらしいことの一端が触れられていた。

Colemanは難しいことでもわかりやすく話をすることのできるいい教師だったらしく、どこの夏の学校でもよく招待されていたらしい。

あまり詳しくは触れられていないが、その一端は私も彼の講義録を一つか二つ読んだことがあるので、わかる気がした。

そういう教育の才のある人にイスラエルの研究者のLipkinがいる。"Lie Group for Pedestrians" (North Holland)は友人と一緒に読んだことがある。これはいわゆるプログレスPTPのIOOの論文を読んでもあまりよくわからなかった後で読んだ。

その後、わかりやすい講義ノートやテクストは他にも出まわるようになったが。


高校で学ぶ物理の参考書

2021-07-14 13:33:01 | 物理学
高校で学ぶ物理の参考書を推薦してほしいという電話が知人から昨日妻のところに入ったらしい。

これは私が元大学の物理の先生であったことから妻の知人から入った電話である。

もう受験などということから遠ざかって久しいのだが、急遽インターネットの物理の高校参考書を検索して見た。

何人かの予備校の人気講師が書いた本が推奨されているのだが、現物を見ていないので、はっきりとはどれがいいとかわからない。

極端に言うとどれを読んでもそれが読めさえすれば、いいのかもしれない。もっともそれが読めるかどうかが問題なのであろう。

いや困った困った。

橋元、為近、浜島、それにもう一人の方が高校物理の受験参考書の著者としてよく読まれている4人の講師らしい。いずれも有名な予備校の名物講師である。

それに私にとっては旧知の山本義隆さんの本を入れておこう。山本さんの本は私も持っているが、微積分を使って書かれているので、私のようなものにとっては読みやすい。ただ、高校生にとって読みやすいのかどうかは私にはわからない。

つまらない、こぼれ話

2021-07-14 12:11:22 | 物理学
学問の世界で生きている人は学位をみんな持っていると思っていたが、著名な人でも例外があるということを大栗さんの『探求する精神』で知った。

これは量子電磁気学で有名なF. J. Dyson教授である。彼は終身、プリンストンの高級研究所の教授であったが、博士の学位をもらう機会を逃した人だったという。

もちろん業績は優れた学者だったので、学位をとらないうちにCornel大学の教授となり、その半年後か1年後にはプリンストンの高級研究所の教授になったという。

普通の人ならば、周りから博士の学位をもっていないから、教授に任命するのは反対だととかいう人がでるのだろうが、さすがにそういう反対をする人はいなかったらしい。

もちろん、FeynmanとSchwingerの量子電磁気学の同等性を数学的に証明した業績で特に有名な方である。

1965年のTomonaga, Schwinger, Feynmanのノーベル賞受賞の中には入らなかったが、それと同等以上な業績があると思われていた。

どこかでちらった読んだことがあるのは、そのときのノーベル物理学賞の選考委員会は別のテーマで彼、Dysonにノーベル賞の受賞の機会があるのではないかと考えていたとか。

Dysonは数年前に95歳で亡くなったが、そういう人がおられるとは思わなかった。このこぼれ話はまた大栗さんがまだ博士の学位をとる前にすでに注目される学者であったことを示していることだ。というのも彼はまだ学位をとる前にプリンストンの高級研究所でポストドクとして研究していたからである。

彼の場合にはプリンストンからシカゴ大学に移る前に博士の学位をとるので、Dysonのようなことは起らなかったのだが。

(2021.7.15付記)  博士号をとることは研究者の世界では普通のことだが、あまりにも早熟の秀才にはその学位をとるよりも、すでに研究に注目されてしまうということが起こりうるのだという話である。だから博士号を持たないからといって、それだけで価値があるわけではない。



『探求する精神』

2021-07-14 11:48:16 | 本と雑誌
『探求する精神』は物理学者・大栗(おおぐり)博司さんのいわば自伝である。

1962年生まれの世界的に活躍する物理学者である。有名な賞はほとんどもらっておられるような方である。

それらの賞の由来を知っているわけではないが、その彼の自伝ともいうべき書を3/4くらい昨日読んだ。

他の仕事はほぼうちゃって読んだ。どこがどういうおもしろさなのかはなかなか簡単にいうことができないが、独創的なことをする人は過去の学問でもよく学ぶらしい。

私などは彼の学んだという本の中の一部しか読んだことしかない。彼はほぼ独学的である。もちろん、大学には行っているのだが、独学的である。

大学時代には友人と自主セミナーで一緒に読んだ本もあるらしいが、それでもランダウの理論物理学教程などをほとんど一人で読むなど学力が飛び離れている。

今日は彼の本の残りの1/4を読むつもりである。



大栗博司さんの本を手に入れた

2021-07-13 12:45:01 | 本と雑誌
注文していた大栗博司さんの書いた本を手に入れた。

『探求する精神』(幻冬舎新書)である。朝日新聞の書評で物理学者の須藤靖さんが激賞していた。

大栗さんには個人的な面識はないが、私たちの発行している「数学・物理通信」の送り先の一人である。大栗さんはもちろん京都大学名誉教授の中西襄先生の友人知人の一人であるから、中西先生からの推薦されたメールアドレスに加わっている。

数日はこの本で楽しむことができるであろう。

サッカー選手の名言

2021-07-13 12:23:04 | 本と雑誌
これも2度目になると思うが、なんどでも繰り返すのが外国語を話すための必須の条件だから繰り返す。

昨夜のNHKのEテレの「旅するためのドイツ語」での名言を書いておこう。

                  Der Ball ist mein Leben.
                  Alles anderes ist Dekoration.          ( Franz Bekcenbauer )
                  ボールは私の人生だ。
      他のすべてのものは飾りにすぎない。

    (デア バル イスト マイン レーベン
      アッレス アンデレス イスト デコラチオン)

いつものようにカタカナはドイツ語を知らない方のための発音の助けだからドイツ語をよくご存じの方は無視してください。

まずいなりにもカナで発音をつけているのは言葉は音だという信念からしていることです。まずは日本語風の発音でもいいから、カナに従って声に出して音読してみてください。

本当の発音はカナでは表せないですが。

私はよくは知らないですが、ドイツではどんな人でもBeckenbauerを知らない人はいないと言います。帝王とあだ名された人です。


ウインブルドン

2021-07-12 11:23:42 | 本と雑誌
ウインブルドンの男子テニスの決勝が昨夜遅く放送されていた。

第1セットをイタリア人のベレッキがとり、第2セットはジョコヴィッチがとったところで今日はワクチン接種の2回目であることからと思って12時半に就寝した。

妻にもどうなったと聞かれたが、知らないと答えたら、スマホでジョコヴィッチが優勝したらしいと調べて教えてくれた。

女子の決勝は土曜日の晩に見たが、こちらは新しいチャンピオンが誕生した。


土曜日に手に入れようとした雑誌を買った

2021-07-12 10:41:51 | 本と雑誌
ある必要があって、ある雑誌を購入した。まだその個所を読んではいない。午後にでも読むつもりである。

日曜には徳島科学史会で話すテーマの構想を練ろうとした。以前から問題にしていた課題として、二つまだ話すべきテーマが残っていたので、そのうちの一つにいやいや取り掛かっていたのだが、昨日、武谷三男の『現代の理論的諸問題』(岩波書店)の「序文に代えて」を読んだら、今年は取り扱わないと決めたほうのテーマへのヒントが書かれていた。

それで急遽して取り扱うテーマを変えることにした。この取り扱うことにしたテーマは『武谷三男の生物学思想』(風媒社)である。ここで著者の伊藤康彦さんに武谷三男のルイセンコ遺伝学についての見解を完膚なきまでに論破されたと感じていたからである。

だから、これを取り扱って論じるのはいつかはしなくてはいけないと思いながら、今まで引き延ばしてきた。武谷の『現代の理論的諸問題』は1968年であり、伊藤の『武谷三男の生物学思想』が出たのは2013年であるから、その間に45年ほどの年数の間隔がある。

ただ、私自身は伊藤の触れなかった武谷の書『死の灰』『原水爆実験』(岩波新書)についての言及をすべきだと前から考えていたのだが、実は武谷自身がこの2書について『現代の理論的諸問題』の「序文に代えて」で触れていたことに昨日気がついた。このことが私に伊藤の『武谷三男の生物学思想』について今年はとりあげようと思いつかせた。






必要があって買いに行ったが、

2021-07-10 12:10:33 | 本と雑誌
必要があって、ある雑誌を買いに近くの書店に行ったが、東京では7月8日発売だというのに松山では7月12日(月)でないと入荷しないと言われた。

一昨日、朝日新聞の新聞広告で見たのに、東京都と地方との時間差がやはりあるのだろう。

まあ、しかたがないか。それくらいは我慢のしどころだろう。