実際に経験したことではないが、ヨーロッパと日本では温泉のあり方がちがうようだ。
日本では温泉は裸で入るのが普通であるが、ヨーロッパでは水着を着て入る。それにだいたいリラックスとか気分転換のために温泉に行くのが日本では大部分だが、ヨーロッパでは病気の治療のためにいくのが普通であり、その温泉の水を医師に処方されて、治療のために飲んだりもする。
そういう処方も日本でもあるかもしれないが、たぶんまれであろう。
実際に経験したことではないが、ヨーロッパと日本では温泉のあり方がちがうようだ。
日本では温泉は裸で入るのが普通であるが、ヨーロッパでは水着を着て入る。それにだいたいリラックスとか気分転換のために温泉に行くのが日本では大部分だが、ヨーロッパでは病気の治療のためにいくのが普通であり、その温泉の水を医師に処方されて、治療のために飲んだりもする。
そういう処方も日本でもあるかもしれないが、たぶんまれであろう。
祖母の50回忌が来たと連絡があった。法事がある。私の子どもが生まれる直前だったかに亡くなった。子どもはまだ50歳ではないので、数えでいって50歳なのであろう。
そういえば、私の大学の上司だったA教授が定年で辞める前に彼のお父さんの50回忌を、お兄さんとしたという話を聞いたことがあった。
A教授は若い時に父親を亡くされた。それも父親の留学中のドイツでだった。
普通には、子どもが自分の父親なり母親の50回忌をするという例はまれであろう。それでも祖母とか祖父とかいうことになると、それほどまれなことではなく、普通に起こることである。
親戚の方から、孫は祖母や祖父の生まれ変わりとかいわれることがあるが、それはちがうだろう。しかし、亡くなることもある一方新しく生命を受けて生まれることがあるので、生まれ変わりだとか世の中でいわれたりするが、単に近親で年老いたものがなくなり、近親で子どもが生まれるが近くに起こるためだろうと言われた。
そういった親戚の者ももう亡くなった。祖母は厳しい人であったが、私にはそれほど厳しくはなかった。
ほんの幼児のころ、朝鮮(今の韓国)住んでいたが、そこで祖母が50歳になったと言っているのを聞いたことがあった。3,4歳の幼児である私にとっては祖母は老齢としか感じられなかったが、いまから考えるとまだまだ若かったわけである。その祖母は80代半ばで亡くなった。
だから、30数年を祖母と一緒に同時代を生きたわけである。明治21年の生まれだったと聞いている。
braベクトルとketベクトルで量子力学を記述するのはDiracの量子力学の本である。
<A|はbraブラベクトルであり、|A>はketケットベクトルと呼ばれる。braベクトルもketベクトルも状態関数である。その間に挟まれているもの、たとえば1行下の式ではHは演算子である。
そして、<A|H|B>は、かっこ(bracket)が< にはじまり、>で終わって、完成するので、bracketと呼ばれる。
なんのことはない、かっこbracketを3つに分けて、bra|c|ketとし(縦線で3つの部分にわけた)、前の部分をbraと名づけ、後ろの部分をketと名づけ、それが完成するとbracketと名づける。
そしてこのbracketは積分で書くことができる。braベクトルはketベクトルの複素共役である。すなわち、(<A|)^{*}=|A>が成り立つ。
Diracの量子力学の本は難しいので、その一部を読むのに工学部の大学院生の講義としたことが数年あった。
もっとも数学者などにいわせると、この本はとてもわかりやすいのだというから、難しいとかなんとかいうのもやはり人によるだろう。
ところで、話がここから急に展開する。Diracが亡くなったあとにPhysics Todayに誰かがobituaryを書いていたのを読んだのだが、普通braはBrassiere(ブラジャー)の略語であるから、braベクトルとかいうのはそういうユーモアからきたのではないかと思う人もあろう(注1)。
私の子どもたちが、ほんの子どもだったころよく見ていたテレビ・アニメの中に「死ね死ね団」という、悪者のグループがあって、そのあまりの命名の安易さにおかしくて、何時間も笑いが止まらなかったことがある。braとketの類もそういうものであろう。
(注1)Brassiereはフランス語から来たと辞書にはある。この綴りは今日初めて英語の辞書を引いて知った。
(注2)Diracは寡黙な人であまり自分から話すことがなかったという。それは自分自身の性質から来たところもあるではあろうが、お父さんがスイス出身のフランス語の先生であり、夕食などのときに、Diracにフランス語を話すことを強制したので、寡黙となったという事情もあるとかいわれている。
フランスからDiracに会いに来た学者が一生懸命拙い英語で話をした後で、Diracがフランス語を流ちょうに話すと知って驚いたという話をどこかで読んだことがある。彼はそういうことを会話のときにはまったくいいだしもしなかったとか。