物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

超能力は信じられるか

2019-02-13 13:51:04 | 日記

というタイトルの記事が『物理なぜなぜ事典」I (日本評論社)に出ている。この書は江沢洋先生と東京物理サークル編著となっている。

その論旨に誤りはないのだが、もう少しその主張が弱いのではないかという気がしている。もっとも私はこの事典が改訂される前の版しかもっていないので、ひょっとしたら、すでに書き換えられているかもしれない。

手品とか超能力とかいうものはたいてい社会の生産現場に立って、考えると生産現場には役立たないものだということができる。そういう主張をきちんとしているのは物理学者だった武谷三男の絶版となった、岩波新書『物理学入門』下の第1章か、第2章に出てくる(注)。私は武谷の『物理学入門』を最後まで通読はできていないが、そこだけはきちんと読み取っている。

この『物理なぜなぜ事典』の編者の東京物理サークルの代表者である、上條隆志さんがちくま文庫版『物理学入門』の解説を書かれたときにもこの点をふれてはいなかったので、アマゾンの書評か何かでそのことを指摘しておいた。

その個所は、武谷が大坂の中之島の公園での手品を見て、感じたことを述べたものである。弁当箱の中に卵を入れて風呂敷か何かをかけてそれを取れば、卵が消えるとか、その逆の手品をしていた。

これは手品であるから、べつに非難することではないが、もし空の弁当箱の上に風呂敷をかけて、それをとると卵が出てくるというときに、それを卵を生産するという現場として考えると、そうやって卵を生産して市場に売って儲けることなどできない。

要するに、実際に卵を生産するという立場からは役には立たないのである。

大体、超能力を生かして生産現場の機械を動かして、石油とか電力とかを節約できて、エネルギーを得するなどという話は全く出てこないのであって、そういう実際的に役立つならば、それは物質的な基盤があるはずだ。

だが、この『物理なぜなぜ事典』の論点はそこまでふれてほしいものであるが、そこまで至っていなかった。残念である。もっともそういう話までしている物理学者は武谷三男以外の書では私は見たことがない。

ちくま文庫版の武谷の『物理学入門』の解説を書いた、上條隆志さんにはそこまで突っ込んだ指摘がほしかった。

(注)しかし、『物理学入門』(季節社)は絶版にはなっていないはずである。

『フーリエの冒険』も

2019-02-13 12:41:16 | 数学

『フーリエの冒険』(ヒッポファミリークラブ)も読んでみたいと思っている。なかなか気の多いことである。

ベクトル解析のグリーンの定理、ガウスの定理、ストークスの定理がまだ片がついていないのに次から次へと課題が起きる。

それが関数の完備性とか正規直交系とかである。関数の規格化と私はいってきたが、正規化というのが標準的な用語となっているらしいので、規格化を正規化と言い換えている。『フーリエの冒険』にはFFT(Fast Fourier Transformation)とかの話題も入っていたと思う。

フーリエ変換の複素数の形式も出ていただろうか。これを見るには他の部屋においてある、その本をとって来て、見るだけでいい。もちろん『フーリエの冒険』のほうが『量子力学の冒険』よりもまえに出版されたのであるが、こちらのほうはあまり関心をもたなかった。

だが、フーリエ解析が問題になってきたので、関心が生じたというわけである。昨日もっているフーリエ解析の本をちらっと見たのだが、どのフーリエ解析もやはりなかなか手を尽くしたという感じではない。そこがちょっと現在存在するフーリエ解析にちょっとたりないところがあると感じさせられる理由である。

『フーリエの冒険』をもっと直截に、書き換えることに関心があり、また私からみて、もっと必要と思われることを追加した本をつくりたい。