そそろ5月も終わりに近いが、私には5月の味はえんどう豆の味であり、そらまめの味である。
これは私が5月生まれであることからも来ているであろうが、戦後の食糧不足がちな時期に子ども時代を過ごしたこともあると思う。
獲れ立てのえんどう豆を炊きこんだ豆ごはんは私の好物の一つである。小さいときに母がつくってくれた、サバでだしをとったカレーライスと共になかなか忘れがたい味である。
いまではもう、サバでだしを取ったカレーライスなどあるはずもないが、戦後の食糧不足で腹を空かせていた子どもの一人であった、私にはご馳走はこのカレーと豆ごはんであった。
昔は肉を食べる習慣がほとんどなくて、牛肉をたべることができるのは年に数度のすきやきをするときくらいであった。
2歳から、5歳くらいまで朝鮮の鎮海というところで子ども時代を過ごした。そこは日本と同様に桜の花が春に咲き乱れる、桜の名所である。
戦後、すぐにはここでは桜は日本人の遺物ということで切られたらしいが、実は日本人がここに入植する以前から桜が鎮海にあったということが文書でわかり、また桜が植え直されて、ここは韓国一のサクラの名所となった。
サクラの季節にはここをそれこそ100万のオーダーの人が訪れる。この小さな町はこのときばかりは人で込み合う。
しかし、ひっそりとしている街しか私は知らないので、なかなかこの街をサクラの季節に訪れるという気にはならない。