物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

5月の味

2013-05-27 14:08:21 | 日記・エッセイ・コラム

そそろ5月も終わりに近いが、私には5月の味はえんどう豆の味であり、そらまめの味である。

これは私が5月生まれであることからも来ているであろうが、戦後の食糧不足がちな時期に子ども時代を過ごしたこともあると思う。

獲れ立てのえんどう豆を炊きこんだ豆ごはんは私の好物の一つである。小さいときに母がつくってくれた、サバでだしをとったカレーライスと共になかなか忘れがたい味である。

いまではもう、サバでだしを取ったカレーライスなどあるはずもないが、戦後の食糧不足で腹を空かせていた子どもの一人であった、私にはご馳走はこのカレーと豆ごはんであった。

昔は肉を食べる習慣がほとんどなくて、牛肉をたべることができるのは年に数度のすきやきをするときくらいであった。

2歳から、5歳くらいまで朝鮮の鎮海というところで子ども時代を過ごした。そこは日本と同様に桜の花が春に咲き乱れる、桜の名所である。

戦後、すぐにはここでは桜は日本人の遺物ということで切られたらしいが、実は日本人がここに入植する以前から桜が鎮海にあったということが文書でわかり、また桜が植え直されて、ここは韓国一のサクラの名所となった。

サクラの季節にはここをそれこそ100万のオーダーの人が訪れる。この小さな町はこのときばかりは人で込み合う。

しかし、ひっそりとしている街しか私は知らないので、なかなかこの街をサクラの季節に訪れるという気にはならない。


惜櫟荘ものがたり

2013-05-27 13:41:23 | テレビ番組

昨晩、BS朝日で「惜櫟荘ものがたり」という放送があった。

これはこのブログでも取り上げた『「惜櫟荘だより」から』と関係がある。この放送ではとても魅力的なことが放送されたらしいが、私は残念なことに昼間の疲れで眠ってしまい、見たのは最初の部分と最後の部分くらいであった。

佐伯泰秀さんが自分のことを「惜櫟荘」の番人と謙遜して言われていたのが印象的であった。

そして、佐伯さんは岩波茂雄がこの別荘をつくったのは岩波文庫の収益をもとにしていたが、自分も文庫書下ろしの時代小説でこの荘を購入し、改装して番人になれたことに少なからぬ、縁を感じていると言われていたが、奇妙に納得した。

荘からは熱海の海がよく展望できるし、この放送が長年の企画の末のことであろうと思われた。

なんでも長期間の構想とか企画の末に実現するのであろう。人間の長期間の持続性をここで思わざるを得ない。

(付記) このマイナーなブログの日曜のアクセスが日曜としては結構な数にのぼった。18件ほどのアクセスがあったことが分かっている。これは新聞の佐伯さんのエッセイが単行書化されたときのアクセス数20と匹敵するものである。

マスコミの威力であろう。


びあびあ祭り

2013-05-27 13:20:26 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、妻に連れられて御荘のびあびあ祭りに行った。これは妻の知人の勧めによっている。

この「びあびあ」というと、ドイツ語のBier(ビアと発音する)と音が似ているので、一種のビール祭りかと思った。

地元の人の説明ではこれは地元の言葉で、獲れたマグロの新鮮なものを意味するらしい。

またびあびあ祭りにはたくさんの人が訪れており、テントがたくさん張ってあり、その下でマグロの刺身や豪快なマグロのたたきやにぎりすしとかを食べている人が多かった。

私たちもマグロを買って、食べようとテントの中の空いている席を探したが、なかなか席がなかった。

しかし、そのうちに食べ終わって席を立つ人があり、なんとか席を確保できた。たまたまこれは別の妻の知人と出会ったりして、数時間を楽しく過ごすことができた。その後、この地に住んでいる妻の知人にその近所を案内をしてもらった。

帰りの松山への高速道路はあまり混んでいなくて、思ったより早く松山近郊まで帰り、そこで妻の知人の畑のレタス菜を妻が摘んだのを、ビニール袋に入れたり、それを車のところまで運ぶ作業をした。

このレタスは普通に市場に出荷できるほどなのだが、品質Aであることを生産者が保ちたいために生産者個人が品質Bと思うものを、知人である私たちにそのレタスの摘果を開放しているからである。

その場でレタス菜の葉をかじって見たが、みずみずしくておいしい。もっとも私にはレタスを生で食べる習慣がない。

その後、帰宅したら、ちょうど夕方の6時であった。今朝起きたら、昨日の畑の収穫に腰をかがめたので、腰が痛くて困った。