神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

西山田圃左岸

2015-11-11 07:13:56 | 妙正寺川1

 再度切通し公園に戻って、今度は左岸沿いをめぐる水路を追います。途中杉並工高の敷地で痕跡が大きく失われているため、そのまま最短距離で三谷公園に向っていると、誤って解釈していましたが、「昭和22年空中写真」その他で、同高敷地内の経路を確認することができ、下掲地図の3.と4.が連絡しているなど、全体像を理解するに至りました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」  上掲地図のグレー枠の部分です。同一個所に同一番号を振っています。 

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    1. 切通し公園中腹の、左岸流の分岐点から始めます。左岸流の流路も→ 「昭和12年測図」の描く45m等高線と重なります。

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    2. 右写真は杉並工高方向で、間には本流も流れていました。 

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    3. 右カーブで東に向きを転じ、ワンブロックで杉並工高キャンパスに突き当たって中断します。 

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    4. キャンパスの北東角で再開します。最初は北に向かい、直ぐ右カーブで東に転じます。  

西山田圃右岸2

2015-11-10 07:50:49 | 妙正寺川1

 西山田圃の右岸をめぐる分流の二回目です。杉並工高前からしばらく水路の痕跡は失われますが、三谷公園横で車止め付きの路地が復活、百数十メートル連続した後、本流(井草川緑道)に合流して終了です。なお、今回の水路を右岸流として扱っていますが、これは区画整理後の改修、整備された水路に関しての話で、それ以前の地図(内務省復興局の1/5000など)のように、こちらをメインに描いているものもあります。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」  上掲地図のグレー枠の部分です。同一個所に同一番号を振っています。 

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    1. 三谷公園を南側から写したものです。その南縁が水路跡と重なります。

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    2. 公園の東南角に車止め付の路地が顔をのぞかせています。すぐに右折で東に向かいます。 

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    3. 2.から3.にかけての左手は、近くにある都立農芸高校の馬場になっています。 

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    4. 左折してすぐ井草川緑道と合流します。数回前にUPした緑道側からのショットは→ こちらです。  

西山田圃右岸

2015-11-09 06:36:19 | 妙正寺川1

 切通し公園下に戻って、西山田圃の右岸段丘沿いをめぐる分流(右岸流)を追います。杉並工高キャンパスに突き当たり中断する本流や左岸の流れに比べ、その南縁をめぐっているため、痕跡の大半が失われなかったのが特徴で、クネクネ、車止め、段差の水路跡三点セットの完備した路地が、200m弱続きます。なお、この水路のコース取りは数回前にUPした→ 「昭和12年測図」の描く等高線(45m)と一致しており、段丘の際をめぐっているのだと分かります。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 切通し公園下の本流との分岐点に戻り、右手の路地を進みます。ワンブロックで杉並工高裏の道路を越えます。 

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    2. 同高キャンパスの南縁をめぐります。右手が崖面になっていて、右岸段丘の際に沿っているのが分かります。 

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    3. 前半の整備され区画に対し、後半はこのまま進んで大丈夫なのか、ちょっと不安になってきますが。

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    4. フェンスに阻まれて中断します。3.まで戻り早稲田通り経由で杉並工高前まで回り込みます。

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    5. 回り込んだ先です。右写真は正門方向を見通したもので、道幅の広さは本流や左岸流との連絡水路を含んでのことでしょう。

西山田圃2

2015-11-07 07:24:53 | 妙正寺川1

 千川上水の助水を得た井草川は、切通し公園下で三筋の流れとなり、西山田圃を潤しながら東に向かいます。今回からしばらく、その三筋の流れを個別に追いますが、まずは中央を流れる本流です。前々回は切通し公園下でカーブ、ワンブロック先で右折した後、杉並工高に突き当たったところまででしたが、同キャンパスを横切り、正門前に設けられた三谷公園から井草川緑道へと連続します。なお、公園や小学校の名前に残る三谷(さんや)は、「新編武蔵風土記稿」で「青梅道の北の方にあり」とされる一帯の小名で、昭和7年(1832年)に成立した杉並区内の町名として採用されたものです。文字からは三つの谷との地形由来になりそうですが、「新編武蔵風土記稿」や「東京府志料」では三家と表記されていて、開拓当時三軒家だったためと考えられています。(この辺の事情は四谷、四家と同じです。)

 

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    ・ 三谷公園  杉並工高正門前に、道一つ挟んで向かい合う区立公園で、昭和43年(1968年)に開園しました。3000㎡弱の園内には遊具や噴水などが設けられています。

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    ・ 三谷公園  その北縁が井草川の流路にあたり、公園内から東に抜ける道路が、そのまま井草川緑道へと連続、妙正寺公園までほぼ途切れることはありません。

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    ・ 井草川緑道  三谷公園を離れてすぐの井草川緑道です。左手から合流する道路が、左岸段丘沿いをめぐる分流跡と重なります。

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    ・ 井草川緑道  上掲写真から70mほどのところです。今度は右手から合流する道路がありますが、こちらは右岸段丘沿いの水路跡と一致します。

西山田圃

2015-11-06 07:14:08 | 妙正寺川1

 切通し公園の斜面下にある井草川の谷頭は、谷頭(やがしら)という上井草村の字の由来と目されています。「谷頭 北の方にて、竹下新田の堺にあり」(「新編武蔵風土記稿」) ただ、矢頭との表記から別の解釈もありますが、該当個所で改めて触れるつもりです。一方、谷頭に広がる水田は、所有者の名前から西山田圃と通称されていました。西山田圃は昭和30年代まで存続していましたが、同38年(1963年)に開校した杉並工高の敷地となって消滅、現在も同高のキャンパスがその大部分を占めています。

 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」  杉並工高キャンパスを茶色の枠で示しました。周囲と重ならないよう、やや小さめにしています。緑色の枠で囲んだのは、左下隅が切通し公園、杉並工高の東にあるのが三谷公園です。

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    ・ 杉並工高西縁の道路  前回最後の→ 写真の正面の道路を、左岸台上から見通しています。路側帯の白い線のカーブで、谷底に当たる道幅が広くなっているのがわかります。

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    ・ 杉並工高東縁の道路  逆に右岸の早稲田通りから見通しています。谷底に当たる幅広の区画、120mほどのところを、奥を左岸流、中央を本流、手前を右岸流と、三本の水路が横切っていました。

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    ・ 杉並工高正門前  本流は正門右手の植込みのあたりから流れ出していました。なお、同校の開校時の航空写真が、goo地図サービスで閲覧できますが、校舎の建設と並行して、敷地の前後の水路が暗渠化されています。

切通し公園

2015-11-05 06:48:30 | 妙正寺川1

 谷頭口(新町口)のある青梅街道、井草八幡前交差点から、北東に数十メートルのところに、杉並区立の切通し公園があります。小高いところを開削して道を通すのが切通しですが、ここでは水路を切り開き千川用水の支分水を井草川の谷頭に落としていました。現在残されている水路の痕跡は、途中左右に流れを分け、どちらも段丘の際沿いを流れた後、谷頭の大半を占める杉並工高キャンパス先で本流に戻っています。段丘の際沿いという、谷筋の中では最も高いところを通し、まんべんなく給水するためのもので、灌漑用水路の配置としてはごく基本的なものです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年測図) / 吉祥寺」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 切通し公園の西縁に沿うこの道路から始めます。

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    2. 坂の中腹で左手に分岐する水路跡の道路です。途中、杉並工高で中断しますが、その先で本流(井草川遊歩道)に戻ります。 

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    3. 坂下の左カーブのところで、右手に右岸流を分岐します。こちらはキャンパスの南縁に沿ったあと、本流に戻っていました。 

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    4. 本流は次の通りで中断しますが、「地形図」のように、その先で右折していました。右写真の正面のフェンスの先は杉並工高です。  

妙正寺川と井草川2

2015-11-04 07:09:34 | 妙正寺川1

 妙正寺川と井草川の続です。往古は豊富な湧水を有する井草川でしたが、流域に水田が開拓されるに従い、灌漑用水としての水量は不足します。そこで、千川用水を青梅街道沿いに引き、その助水を得ることになるわけで、以降、妙正寺池からの流れに合流するまでの井草川は、自然河川というより千川用水の一部として認識されるようになります。「用水 多摩川上水の分水なり・・・・末流は下井草村へ達す」(「新編武蔵風土記稿」「上井草村」) 「村をふること十町余にして妙正寺流に合す」(同「下井草村」) 一方、妙正寺池以降に関しては、特に名前は記載されていません。「沼川にて幅二間許、水元は井草村妙正寺の池にてその末流なり」(同「上鷺ノ宮村」) 「無名の川なり、水元は井草村妙正寺池より出」(同「新井村」)

 

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    ・ 「東京近傍図 / 田無町」(参謀本部測量局 明治13年測量)及び「同 / 板橋駅」(明治14年測量)を合成、その一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境で大半が杉並区、細線は豊多摩郡当時の村や大字などの境です。

 この事情は明治に入ってからも変わらず、明治初年に成立した「東京府志料」は上下井草村の項で、「用水は多摩川上水支流ヲ引キ用ユ」とし、ただ、妙正寺池以降を井草川としています。「井草川 水源は仙川用水ニシテ・・・・竹下新田ヨリ分流シ・・・・上井草村ヲ過キ下井草村ニ至リテ妙正寺池ノ流ヘ合シ井草川ノ名起リ・・・・」 いずれにしても、千川用水の助水を得て以降、灌漑用水として機能していた時代を通して、上流部分は自然河川というより、千川用水の一部と考えられ、その余水を妙正寺池からの流れに落としていた、との認識だったということです。これは、三宝寺池からの流れが石神井川で、その上流は農業用水との、同時期の石神井川の理解とも似ています。ただ、現在の石神井川は上流まで含まれていて、三宝寺池からの流れのほうが支流扱いと、逆になってしまいましたが。 

 

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    ・ 井草八幡前交差点  井草八幡北参道の大灯篭のある、青梅街道と早稲田通りの交差点です。竹下新田から街道沿いにここまで来た千川上水七ヶ村分水は、この付近で最初の支分水を分岐していました。

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    ・ 切通し公園  七ヶ村分水の最初の支分水、谷頭口(明治10年「星野家文書」では新町口)の水路跡は、切通し公園の西に沿い、斜面を下る道路となっています。ここを小さな滝となって流れ落ちていたそうです。

妙正寺川と井草川

2015-11-02 07:28:49 | 妙正寺川1

 「妙正寺川は、杉並区の妙正寺池を水源に持ち、途中で江古田川を合わせ、新宿区内で神田川(高田馬場分水路)に注ぐ、延長9.7kmを有する一級河川です」(東京都建設局のホームページ) とすると、水源である妙正寺池から始めることになりそうですが、それは次のクールからの話で、まずは妙正寺池より上流部にある井草川から始めます。暗渠化され川とは呼べなくなっているため、正しくは「旧井草川」と書くべきかもしれませんが、井草川は妙正寺川の上流部の一支流、とするのが現在の一般的な理解です。「井草川 妙正寺川の支流。杉並区上井草四丁目の台地辺りを谷頭として、・・・・清水三丁目で妙正寺川に合流する。現在は、井草川遊歩道などに改修されている。」(菅原健二「川の地図辞典」)

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 井草川」(1/25000)  明治10年代に作成された「迅速測図」及び「東京近傍図」を参考に、明治初期の井草川の流路を重ねました。オレンジ線は区境で、大半は杉並区です。

 これに対し、「段彩陰影図」から想像できる往古の井草川は、隣接する善福寺川と比肩しうる自然河川で、おそらく谷頭(やがしらと読むと、一帯の字です)には湧水池もあったのでしょう。切通し公園を含む谷頭の西側斜面上には、河川流域の湧水を望む斜面という、縄文時代の集落の立地条件通り、およそ7~9千年前とされる井草遺跡が発見されていて、こうした想像を裏付けてくれます。なお、井草川谷頭付近の豊富な湧水については、杉並区郷土博物館「杉並の川と橋」が、昭和2年(1927年)、井荻町が町営の水道を開設するに当たり、その水源候補として善福寺池、妙正寺池と並んで、当時「西山田圃」と呼ばれていた谷頭があげられ、実際に調査が行われたことを書いています。(結局、善福寺池畔が井荻水道の水源となり、現在も都水道局杉並浄水所として、都内唯一の地下水を無ろ過で供給しています。)

 

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    ・ 妙正寺池  「妙正寺池 妙正寺より二町許北の方にあり、広さ二段許、・・・・此池より流れ出る水あり、妙正寺流と云、川の幅二間余、・・・・」(「新編武蔵風土記稿」)

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    ・ 落合橋  妙正寺川の最初の橋で、奥は妙正寺池のある妙正寺公園です。公園内で、井草川は妙正寺川に合流しています。