切通し公園の斜面下にある井草川の谷頭は、谷頭(やがしら)という上井草村の字の由来と目されています。「谷頭 北の方にて、竹下新田の堺にあり」(「新編武蔵風土記稿」) ただ、矢頭との表記から別の解釈もありますが、該当個所で改めて触れるつもりです。一方、谷頭に広がる水田は、所有者の名前から西山田圃と通称されていました。西山田圃は昭和30年代まで存続していましたが、同38年(1963年)に開校した杉並工高の敷地となって消滅、現在も同高のキャンパスがその大部分を占めています。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 杉並工高キャンパスを茶色の枠で示しました。周囲と重ならないよう、やや小さめにしています。緑色の枠で囲んだのは、左下隅が切通し公園、杉並工高の東にあるのが三谷公園です。
- ・ 杉並工高西縁の道路 前回最後の→ 写真の正面の道路を、左岸台上から見通しています。路側帯の白い線のカーブで、谷底に当たる道幅が広くなっているのがわかります。
- ・ 杉並工高東縁の道路 逆に右岸の早稲田通りから見通しています。谷底に当たる幅広の区画、120mほどのところを、奥を左岸流、中央を本流、手前を右岸流と、三本の水路が横切っていました。
- ・ 杉並工高正門前 本流は正門右手の植込みのあたりから流れ出していました。なお、同校の開校時の航空写真が、goo地図サービスで閲覧できますが、校舎の建設と並行して、敷地の前後の水路が暗渠化されています。