神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

上井草球場

2015-11-16 07:05:50 | 妙正寺川1

 昭和11年(1936年)、かって道灌山とか向山とか呼ばれた深い山林で、崖には豊島方の落武者が隠れたとの伝承もある横穴のあった井草川左岸の台上に、プロ野球「東京セネタース」の本拠地グランドとして、セネタースに出資していた西武鉄道により、東京球場(のち上井草球場)が建設されます。鉄道プラス球場によって都市近郊を開発しようとの、現代にも通ずるプロジェクトの先駆でもあります。両翼100.6m、中堅118.9m、収容人数29500人(戦後拡張され45500人)、入場料は高田馬場から上井草までの西武線の運賃込みで50銭だったと、球場跡地にある上井草スポーツセンターに展示された解説パネル「上井草スポーツセンターの歴史」は述べています。

 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影空中写真」  戦争中はグランドに穴を掘り、資材や油缶などの貯蔵倉庫となっていた球場ですが、終戦の年には全国の球場中もっとも早く復興し、区民野球大会なども開催されたそうです。

 ただ、翌昭和12年には後楽園球場ができたため、交通の便で及ばない上井草球場の公式戦は徐々に減り、昭和25年に設立されたパリーグの試合が最後となりました。もっとも、戦後しばらくは神宮球場が米軍に接収されていたため、東京六大学リーグや高校野球は盛んに行われたようです。昭和30年代には、朝霞から送水される利根川水系の水道水を貯水するため、上井草給水所配水池が建設され、上井草球場の歴史は幕を閉じました。現在は配水池上に野球場4面を有する人工芝のグランド、体育館、温水プールなどが建設され、杉並区の総合スポーツセンターになっています。

 

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    ・ 井草川遊歩道  三谷小学校を過ぎたところから、左岸台上方面のショットです。台上左手に見える茂みが井草中学キャンパス、上井草スポーツセンターはその奥に当たります。

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    ・ 上井草スポーツセンター  井草中交差点からのショットで、奥の黄色いドームが温水プール、左手のフェンスは人工芝グランドのものですが、その外周は650mのジョギングコースです。