→ 「堀之内村絵図」で、村境を越えてすぐ右岸に分岐する用水があります。「新編武蔵風土記稿」が「村の南の方を流る、長さ二十町許、流末は是も和田村に至」と記述するものです。「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)にある山下の堰も、その場所からいってこの用水にかかわるものと思われます。「山下の堰 堀之内2-37 武蔵野橋付近。昭和10年ころまで使用。対岸が向山であり、その下にあったのでこの名があった」 ただ、「村絵図」は右岸への分岐を一ヶ所から、→ 「東京近傍図」では二ヶ所から描いていますが、現在確認できるのは三ケ所となっています。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 直線的に改修された現行の善福寺川の流路をブルーで、済美公園をグリーンで重ねています。
- ・ 済美公園 武蔵野橋から右岸方向のショットです。最初に分岐した用水は、済美公園の段丘の際を流れ、次の用水は公園の東縁に沿う道路となっています。
- ・ 善福寺川 武蔵野橋から下流方向です。平成17年の集中豪雨後の護岸工事に際し、済美公園と一体化した親水施設が設けられました。
|