神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

中野村

2016-11-15 06:00:56 | 桃園川3

 新クール、「支流編(桃園川3)」の開始と同時に、桃園川の流域は高円寺村から中野村に入ります。「中野村は、郡の東にあり、郷庄の唱をうしなふ、江戸日本橋より行程二里半、村名の起詳ならされど、此辺すべて武蔵野なればその中の村の意なるか、已に古くは上野・中野・下野共にありしが其後上下の名は失ひて中野のみ残りしなりと云」(「新編武蔵風土記稿」) 「小田原衆所領役帳」に「中野郷」「中野内阿佐ヶ谷」「中野内大場」など、一村を越えた広域地名だっとことをうかがわせる記述も見えます。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 板橋駅」(参謀本部測量局 明治14年測量)及び「同 / 内藤新宿」(明治13年測量)を合成、その一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は杉並、中野の区境です。 

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    ・ 氷川神社  桃園川を左岸から望む舌状台地の先端にあり、「新編武蔵風土記稿」に「東の方にあり、村の鎮守なり」と記載されています。

 <中野御囲>  上掲「近傍図」の左上隅には、長方形の区画が均等に並んでいます。「生類憐みの令」によって、10万頭ともいわれる野犬を収容した中野御囲(中野御用屋敷)の名残の区割りです。元禄8年(1695年)に16万坪で完成、その後拡張され、同10年作成の平面図によると、5万坪前後の5つのブロック(御囲)の合計が28万坪余、他の関連施設を合わせると30万坪近い敷地を有していました。あと、長方形の区画にはなっていませんが、中野駅の東南に当たる桃園川左岸段丘が「壱之御囲」、南西にあたる桃園川左岸段丘は「五之御囲」、また地図からは切れる西隣りの高円寺村まで「四之御囲」が設けられました

 

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    ・ 中野駅北口  サンプラザや区役所は「弐之御囲」、再開発なった西隣の警察学校跡地は「参之御囲」です。区役所前の記念碑は→ こちらです。