神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

西山谷橋

2016-11-01 06:55:33 | 桃園川2

 高円寺前に架かっているのが、杉並村大字高円寺の小字が由来の西山谷(にしさんや)橋です。その左岸段丘際に杉並第八小学校がありますが、昭和7年(1932年)創立当時の桃園川の様子を「創立50周年記念誌 わたしたちの杉八」は次のように書いています。「川の南側は低くて、いつもじめじめしていました。せりがたくさんはえていて、いねも作れないあれ地になっていました。おかとの境め(今の学校の北門のあたり)からは水がわき出て沼地になっているところもあり、そこには、高さ二メートルぐらいのあしがいちめんにしげっていました。おかの方には林や原っぱがあってすすきなどがはえていました。」 

 

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    ・ 西山谷橋  高南通りの先は氷川小橋、氷川橋ときて、この西山谷のシリーズで、前後に西山谷上橋、西山谷小橋も架けられています。

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    ・ 杉並八小北門  西山谷橋の南、100mほどの右岸段丘の際にあります。この付近の湧水も「杉並の川と橋」の湧水リストに収録されています。

 <高円寺寺町>  杉並第八小学校の背後の台上には、明治末から大正にかけて寺町が形成され、現在も10近いお寺が立ち並んでいます。「杉並風土記(中巻)」(昭和62年 森泰樹)によると、地場産業だった藍染業が化学染料の輸入で打撃を受け、紺屋も兼ねていた地主が土地を手放したのがきっかけだったとか。折から区画整理で郊外に土地を探していた寺院が、四谷、市ヶ谷、浅草などの都心から次々と移転してきました。江戸幕府成立前後に創建されたお寺が多く、「農政本論」を著した佐藤信淵、浮世絵師池田英泉など、歴史上の人物のお墓もあります。

 

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    ・ 祥雲山福寿院  杉並八小の東隣にあります。明治41年(1908年)に四谷箪笥町から移転、寺町形成の先駆けとなったお寺です。