神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

中島橋、高円寺橋

2016-11-02 06:21:43 | 桃園川2

 杉並村大字高円寺の小字を冠した中島橋は、(名前はどうだったかは分りませんが)→ 「村絵図」→ 「東京近傍図」にも描かれた、青梅街道から高円寺前へと至る古道に架けられた橋です。以下は、「杉並歴史探訪」(昭和50年 森泰樹)の抜粋ですが、当時の桃園川は右岸段丘沿いに膨れていたので、中島橋は数十メートル南にありました。「ピンクの花もうせんを敷きつめたように、れんげ草が咲き乱れている田圃の中を、ゆっくりと桃園川が蛇行し、中島橋から原(北岸)を眺めると、青たたみを敷いたような麦畑が高円寺、氷川神社、長仙寺の森まで一面に拡がり、畑のあぜや農家の垣根に、赤い桃の花や白い雪柳、こてまりの花が咲きこぼれ、やや右手(高円寺南五丁目)に切花用の華かな花桃の群落が見え、本当に美しい風景でした。」 

 

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    ・ 中島橋  右岸に向かってのショットで、坂の中腹には光塩女子学園があります。昭和6年(1931年)開校のカトリック系の学校で、学校名は聖書の一節、「世の光、地の塩」に因っています。

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    ・ 高円寺橋  中島橋の先で環七通りを越えます。環七通りは昭和2年(1927年)の「大東京道路網計画」で計画されましたが、実現は遅れて同39年オリンピック開催時です。

 <六つ塚>  中島橋から古道を青梅街道方面に向かう途中の右手に高円寺図書館があり、その敷地の一角に「六つ塚跡」の解説プレートが立っています。付近にはかって六基の塚があり、「六つ塚」と呼ばれていたこと、太田道灌に滅ぼされた豊島方の落武者を葬ったのではとの説もあること、などが紹介されています。大正末から始まった区画整理事業の際、桃園川流域の低湿地を埋め立てるため、周囲の台地ともども取り崩されてしまったそうです。

 

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    ・ 高円寺図書館前  中島橋から青梅街道に向かう途中で、環七通りを越える手前です。環七と光塩女子学園の間の一角には、体育館もあります。