神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

暗渠化(下流域)2

2015-09-29 06:35:39 | 千川用水6

 千川上水に戻ります。すぐに山手通り、そして国道17号(中山道)と交差します。17号との交差点には五兵衛(五平)橋がありました。といっても、昭和8年(1933年)開通の現中山道に架かっていたわけではなく、高田道(雑司ヶ谷道)と呼ばれる、下板橋宿から池袋、雑司ヶ谷を経て高田に至る古道に架かっていたものです。橋名は書かれていませんが、「千川素堀筋普請所積見分」に、洗堰から合計で135間(≒246m)のところに「板橋 渡り弐間横九尺」とあるのがそれで、また、→ 「千川用水3 / 伊勢(殿)橋」のところで紹介した、従来千川家が負担していた七橋の一つとして、大山橋に続いて「下板橋村字浄連寺裏東京高田道ニ架ス 一 板橋 長サ九尺巾六尺五寸」がリストアップされています。

 

Itas4

    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年第三回修正測図) / 王子」  山手通り、国道17号線(中山道)をグレーで重ねました。

 昭和4年(1929年)12月、「板橋町大字土合二七〇四番地先五兵衛橋ヨリ字山中一八五四番地先川越街道ニ至ル千川上水路」の暗渠化が、東京府によって許可されます。先だって板橋町より提出された申請書によると、一年前に許可され、3月には竣工していた五兵衛橋下流域の暗渠化工事を引き継ぐもので、周囲に人家が密集し土手を往来して危険なこと、ゴミの投棄による衛生上の問題など、その理由を列挙しています。こうして、五兵衛橋より下流の中山道との並行部分は昭和3~4年に、五兵衛橋から川越街道に架かる大山橋までは、昭和5~7年に各々暗渠化され、上掲「地形図」はその途中経過を反映したものになっています。

 

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    ・ 千川上水跡  山手通りを越えるところで、高架は首都高5号池袋線です。この区間の山手通りは、第二次大戦の中断を挟んで、戦後開通しました。

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    ・ 千川上水跡  中山道を越え、正面の路地へと連続します。右手奥に横断歩道の見えているのが、高田道の入口なので、交差点のほぼ中央に五兵衛橋が架かっていたことになります。