神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

洗堰3

2015-09-28 06:55:22 | 千川用水6

 洗堰の水路を追っての三回目で、石神井川との合流地点付近まで来ました。昨日UPの→ 「昭和4年第三回測図」で、氷川図書館前から合流地点までの流路は直線的ですが、これは昭和初期に行われた付替えの結果でした。石神井川の改修や周囲の道路の整備も同時期で、下掲「明治42年測図」と見比べると、その辺りの事情がよく分かります。なお同図に一部描かれているのは板橋競馬場です。明治41年(1908年)の一年間営業したのみで、あとは地元で馬券場と通称される原っぱとなっていたところです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 王子」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 板橋第九小学校の横を通り過ぎたところです。競馬場の走路と交差しているのはこのあたりです。

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    2. 突き当りを右折して石神井川に合流します。右折するあたりに水車小屋がありました。

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    3. 堰の上橋手前で石神井川に合流します。右写真は同橋から下流方向で、石神井川は大きく左カーブしています。

 <堰ノ上>  橋名は板橋町大字下板橋当時の字に由来しています。「いたばしの地名」によると、氷川神社の北側に堰が設けられており、その上流ということのようです。氷川神社にも「堰の氷川社」の異名があったとか。上掲「明治42年測図」の右上隅に、石神井川右岸に分岐する水路が描かれ、水車が二基設けられていますが、その関係なのでしょう。なお、→ 写真は氷川つり堀公園で、右手奥に社殿の屋根が見えますが、氷川神社の北側の石神井川沿いです。石神井川を直線的に改修した際、取り残された半月状の区画を釣堀として整備したところです。