都道420号線から右カーブで離れた後、千川上水は川越街道を越えます。といっても、本来の川越街道ではなく、昭和一ケタに開設された新しいもの(国道254号)で、池袋六又陸橋交差点で春日通りから連続、川越を目指します。一方、旧川越街道のほうは、日本橋を起点に、板橋宿平尾追分で中山道から分岐、川越城下に至る街道で、両者は一部重なりつつ並行しています。下掲「昭和12年第四回修正」で、右側からいったん合流しているのが旧街道で、右上隅で千川上水と交差しているところに、次々回テーマの大山橋が架かっていました。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正測図) / 練馬」と「同 / 王子」の合成です。この時期は大山橋を挟んで、暗渠と開渠が併存していたのが分かります。
- ・ 千川上水跡跡 田崎病院と川越街道の間です。フェンスで囲まれた一角には、都第四建設事務所の「千川管理地」の看板が立っています。
- ・ 川越街道 武蔵高校生徒が訪れた昭和15年当時、この前後も暗渠化され、コンクリート橋の欄干のみが残っていました。
- ・ 千川上水跡 上掲写真の信金前の道路へと連続します。明治末の「郵便地図」には、ここから左手に向かい石神井川に落ちる水路が描かれています。