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春の空に雲一つ

2020-03-20 | 随想

本日11時からの葬儀に参列。

今は花が余っているのか、ピンクや赤の華やかな花がたくさんお供えされていて、それを次々お棺に入れる。

私は大きなガーベラの、ピンクをお顔に一番近いところへ置いた。

元は夫の高校の同級生とその奥様、昔もよくお付き合いしてその後中断、この五年くらいは四人で一緒に山歩きをした。はじめは年に二度、最近では二か月に一度、四人で出かけていた。

最後が年末の大竹の山。2月に再入院して、そこからは進行が速かったそうです。

両足を手術たことがあったとのことで、下山が特に難しそうだったけど、決して弱音を吐かず、黙々と歩いていたのはお人柄でしょう。山では性格がもろに出ますもんね。

私は山でも下界でも、「うるさいわね、いちいち指図して」と夫に逆らう人。彼女がご主人に逆らう姿、一度も見ていない。ご主人も奥様をいたわる。我が家と大違い。

どの山でも、男二人がさっさと下山するので、女同士ゆっくり下りていた。

その時二人で話していたのはたわいもないこと。子供や孫のこと、自分の昔のこと。でもそのたわいのない会話こそが、宝物だと今ならわかる。ずっと一緒に遊べると思っていたのに。

最後にお棺に花を手向けるとき、ご主人がずっと顔を見ておられた。その姿を見るうち、私は、45年くらい前、広島駅へ新婚旅行のお見送りに行った時のことを思い出していた。私たちが25歳くらいで、奥様は22歳くらい。

あれから長い年月が経った。みんな、あんなに若かったのに、こうして一人ずついなくなっていく。。。。

出棺の時、川の向こうの青空の低いところに小さな雲が、ぽっかりと浮かんでいた。

「あんなところに雲がひとつだけある」と夫に話し、それからお見送りして、駐車場へ戻る時、「もう雲がなくなった」と今度は夫が。

私は探さなかった。

常日頃、眼鏡、財布、鍵などなど何かしら探している人なので、雲だってぽっかりと出てくると思うけど、急に消えたのならそれでもいいなあと思った。

あの雲が**さんで、空の上から私たちにお別れ言っていた・・・と、メルヘンには流れない私ですが、そう思いたい気持ちもあった。

また落ち着いたら一緒に山歩きしたいと思う。私はもう行かない方がいいかなとは思うけど、どうなんでしょうか。まあ、成り行きで。

喪主あいさつがよかった。私の時もいい挨拶してねと夫に頼んだ。

本日の決意3つ

遺影用の笑顔の写真撮っておく。

個人の思い出の写真を見る場面がよかった。どれも笑顔で家族や友達と。私も10枚くらい、いい写真探しておく

要らないもの捨てる。一日一時間、捨てるものをより出す。

以上の三つです。ため込んだあれこれ、もう使わないと思うので。

 

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観音寺のヒロシマツバキを見る

2020-03-19 | 日記

今朝の地元新聞に紹介記事が。

行くことにしました。

山の下にチャリンコとめてお寺まで上がります。

右手にツバキがあります。

大きな花

つぼみたくさん。

森、ホテル、家、家、、、、

絵筆を振ったような細かな絞り。

秀忠の娘が浅野家に嫁入りして、浅野氏広島入城の折持参したという話があるそうです。

日当たりのいい東向きの丘の上、古木です。

今年も無事咲いたようですが、以前に比べて花が少ない感じ。

根元をよく掘り起こして肥料やればいいと思うけど、どうなんでしょうか。


いつも一緒に山へ行くご夫婦の、奥様の訃報が昨日届きました。

二年前の6月から闘病中、昨年の6月には退院して平地を一緒に歩くまでに快復、年末には岩山を登ったりしたのに、今年になって再入院、とうとう帰らない人になりました。

もう二度と四人で行くことはないのが残念です。あの山、この山、楽しかったことがいっぱい。

どんな山でも弱音もはかず、私みたいに文句も言わず、いつも笑顔の春風のような人でした。山の帰りにはお宅によって反省会も何度か。楽しかった~

どんなことにも終わりがある。それはわかっているけれど、もう少し先でもいいじゃないのと恨めしく思う。楽しいことが一つ減って、残念で悔しい。

本日お通夜、あすはご葬儀。

私だってもういつ何があってもおかしくない年。一日一日、大切に。悔いのないよう過ごしたいと改めて思った。

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同窓会、どうなる・・・

2020-03-18 | 日記

三年前、次は東京オリンピックの年の秋の初め?にと決まったけど、さてどうなるのでしょう?

幹事団はいつも地元の方たち、前回はとてもよく練られたプランで感謝でいっぱい。

今回も幹事団が決まり、会場も抑えているのでしょうが、まだまだ流動的ですよね。

一部、自慢話する人はうざいけど(特に某大都市に住む人たち。そこがそんなに偉いのか、ついでにお前も偉いのかと絲山秋子風に突っ込みたい)、昔の友達に会えるのは嬉しいし、楽しみ。

個人で会いたい人にだけ連絡とるのもいいのだけど、男の子=今はおじいちゃんだと、ちょっと億劫。その点、同窓会は便利なシステム。

そうですね。マックスから5キロやせたけど、高校時代からだと12キロ成長した私。何のかんのと言われるけど、めげずに行きます。

いや、もう人の自慢話聞くのが面倒で、やめておこうか。いや、そんなもの、聞こえないふりしてたらいいと思う。

でもまあ、ステージへ仲間で上がって自慢話もほどほどに。してもいいけど、幹事団への感謝の一言があればもっとよかったのに。まだまだこの国では謙虚が美徳。

いろいろな価値観に触れるので、まあ、同窓会はいろいろと面白いかな。

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庭掃除した

2020-03-18 | 随想

もう、お彼岸、入ってますよね。

朝から暖かい。

今日は、かねて気になっていた庭掃除します。

庭と言ってもマンションとビルに囲まれまくった、半日影の狭い庭。

隣地との境界線が確定してリフォームして早4年、少し落ち着き、少し不満も出て、庭のあれこれ、見直しです。

まず、木を一本抜きました。コバノズイナ、日陰で花が咲かず、葉もきれいに紅葉せず、処分することに。

地植えの木を抜くのはたいそうな労力でしたが、掘って掘って掘りまくり、何とか終了。やれやれ。

あとに何植えるかまだ決めていません。

4年前の本見て考えます。少し背の高い木も欲しいかな。車に積むには限度があるので、アラカシを実生で育てるとか・・・うーむ、寿命との競争だあ。

節約命の私、業者には頼まない。自分でできることは自分で。

うーーーむ、やはり近所の山に普通に生えているのが育てやすいのかも。

シデコブシ。きのうは一つだけ半開きが、きょうはもうこんなに咲いた。

30くらいつぼみかついている。楽しみ。

クリスマスローズもそろそろ終わり。

長く楽しませてもらった。

ヤブカンゾウ。今年も咲きますように。

一年に一度花が咲き、四つの花が四日間で咲いて終わり。山野草の宿命。

あと、シロモジも花盛りだけど、小さな花で前ボケの写真になったので省略。

庭の落ち葉もしっかり集めて、草抜いて、肥料まいたらもう昼。やれやれ。

午後から、庭でお茶しました。もう外でも寒くない。

夕方から猫除けの粒剤播きます。我が家をトイレ代わりにする猫、今は二匹。首輪ないので野良猫らしいが毛並みつやつや、元気いっぱい。

何が地域猫よ。フン!!

野良猫に餌をやる心優しき愛猫家の皆様、その猫がどこでフンしているか、想像していただけたら幸いです。黙ってフンの始末している者のいることもお忘れなく。

おやまあ、最後は喧嘩腰になりました。駄文深謝。

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二度死んだ子供たち

2020-03-17 | 随想

水ぬるむ本川(旧太田川) 2017年3月


https://www.youtube.com/watch?v=Nm0Hp8t2p58

前世紀のことですが、戦後初のアメリカ訪問の前に記者会見がありました。

わが地元中国新聞の記者が、広島の被爆者についてどう思うか尋ねると、そういう方面は研究していないのでわからないという回答だったと思います。

政治的発言を回避してのことと思いますが、それでも用心した上での何か一言があれば、気持ちが救われた人はたくさんいたことと思います。

ああそうなのか、やっぱりと、私はがっかりしました。

広島では建物疎開に動員されて被爆し、なくなった中学生、女学生がたくさんいます。物心ついたころから軍国主義教育で、非戦闘員なのに殺されてしまった子供たちに、戦争中なので、気の毒とは思うが仕方なかったと言う言葉だったと記憶しています。

それもまた政治的発言を避けてのことでしょうが、言い方、ニュアンスで、言葉にできない思いは伝わるはず。

仕方なかったでは、その人の為と教え込まれて死んだ子供たちが浮かばれません。

あのとき、広島の子供たちと、被爆死した人たちは二度死んだと思いました。

私は侮辱するのは許せないとビラを配る側には立ちません。この国にタブーがあるのが重苦しくていやなのです。

人を疎外する制度を一刻も早くなくし、制度の中の人たちには、今の日本人が持っている基本的人権、結婚、職業選択、移動の自由、奴隷的に拘束されない権利などを持ってもらいたいと思います。

その上で、旧家としてのその家の人たちを、個人で好きなのは全然かまわないと思います。あなたの好きなものはどうぞご自由に好きでいて。でも、私にまで強制しないで。そういう気持ちです。


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ひな人形片付けて模様替え

2020-03-17 | インテリア

昨日のうちに雛人形撤収、箱に詰めて二階に運び上げた。

本日は、午前中、模様替え。

まだまだ物が多い。

最近は軽快な北欧風が流行らしい。

濃い色が昭和風。

お舅様が使っていたもの、借りている。亡くなって25年、無期限拝借中。

久しぶりに観葉植物買う。

今まで一通り買って一通り枯らした。

今度は頑張りましょう。

敷物やめました。ホコリがたまる前に掃除する。できるかな~。

サンゴは昨年、沖縄の海岸で拾ってきた。

海岸全部がサンゴだったので驚いた。旅の思い出に出してみた。


もう少し春仕様にしたいけど、まだまだ寒い日もあり、しばらくはこれで。

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「家族の分け前」 森浩美

2020-03-16 | 読書

公民館で借りてきた。配本はどうなってるのかよく知らないけど、中央図書館で廃棄前に各公民館を回すのかな。古い本が多く、これも2011年が初版。

いろいろな形の家族、うまくいかないときもあるけど、最後はかすかな絆に気が付き、それを取り戻そうとする家族再生の話。

うーーん、現実はこう甘くないというのは簡単だけど、こうあればいいと希望をもらうのも読書の一つの効能。

先日の「子供たちの場所」が余りに暗かったので、そのあとでこの本に出合ったのはよかった。

著者は文壇の人ではなく、放送作家から作詞家に転身。田原俊彦、SMAP、Kink Kidsなどのヒット曲を作詞、その後小説を書くようになったそうです。

読みやすくてよかった。話の底に人への信頼があって、安心した。近くの人を大切に、信頼して行きていこう。そういうメッセージが込められている。

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市民もいろいろ

2020-03-16 | 随想

元の動画は消えてるのに、称賛するエントリーは消してない。

http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1996.html#comment

市民と言ってしまえばみんな市民。郡部に住んでない限りみんな市民。郡ってまだあったかしら。

先日、要望出した会の代表者も市民。市民って本当に都合のいい言葉だと思う。


昨日からふと考えたのですが、生身の人間を据えるのは生物学的にリスクが高すぎ。そのためにお妾制度が昔からあるのだけど、近代的一夫一婦制を取り入れた時点で、今のような先細り状態も考えられるわけで。

どうしますかねぇ。

例えば樫の大木とします。その木は立派で、大きく枝を広げ、遠くからでもよく見えて目印、木の下へ行くと涼しくて安心する。みんなが好きな木。たまに嫌いな人もいるけど咎められない。木を守るために死ねと、誰からも言われない。

木の樹齢が尽きる前に、どんぐりから育てた次の木が育っている。いよいよ枯れたときには若木がその地区の新しい目印。みんなの気分も一新する。

そう、伊勢の遷宮や、諏訪の御柱祭などのイメージ。

制度を担うのは生身の人間でなくてはいけませんか。人はみな同じように尊い。不可触の制度があることが、人を人から区別する大元になっていませんか。

何処の家に生まれるかは本人の手柄でも落ち度でもない。

一度、直筆の字が公開されたことがあります。とても癖のある字、長い間拘禁された窮屈さを感じさせる字でした。

彼の人の自我はどんなものだったのだろうと考えるのです。

何かをありがたり、それをありがたがる自分は偉くて、そんな自分が大好きな人は、生身の人間に頼るのではなく、対象は何でも、木でもいいじゃないですか。

木もこの国の制度ができたころには生えていて、ずっと代替わりした万世一系のありがたい木、それでいいじゃないですか。たとえですけど。


私は戦前を想像するのですが、窮屈だったのでは。なんでそんな窮屈な時代を称賛するかと言えば、その時代にいい思いをした一族の末裔なのでしょうか。また昔の栄華を取り戻したいのでしょうか。わかりませんけど。

とにかく昔の教育がよかったなんて言ってもらいたくない。自由にもの言えない時代に戻ってほしくない。

昔を称賛して、いつまでこんなことが続くのかと、暗澹たる思い。

私たち少数派?って、市民を称する会の代表が焦ってどうする。そんなことないと論陣張らなきゃ。誰か論破してくださいって、頼りないなあ。


最後に。
またまた記者会見しているけど、作文読むだけじゃ全然伝わらないですよね。なんで自分の言葉で話すことができないの。結局、能力って言葉なんですよね。言葉で人間はものを考えるんだから。それができないのは見ていて腹立たしいを通り越して痛々しい。
前もっておぜん立てしてもらわないと何もできないのでは、もう無理では?


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やれやれ、何はともあれ

2020-03-15 | 日記

近所の古民家雑貨屋さんで。2014年春


近所の中古マンションを衝動買いしそうになったのが1月末。

夫のいない空間が欲しいという私の事情。用途は、たまにそこへ行って好きなことする。煮詰まってきたら気分転換する。遠くの友達が来たら泊める。などなど。

しかし夫、友人、従妹に反対され断念。息子にマンションの話を振ると、別の場所なら買ってもいいという流れに。たまたま希望に近い物件が見つかり、あれこれあったけど、本日、息子の契約に夫と二人でついて行った。

やれやれ、重要事項説明書は事前にコピーもらって読んでたし、建物調査をこちらで建築士にお願いし、安心して契約できたのではないかと思う。

もちろん値切りましたよ。これは私の役割。なぜか私の役割。欲出さず、しかしまあそれなりにお願いして。

最上階角部屋。南向きで日当たりがよく、何よりも海と島が見えるのが解放感いっぱい。

前の持ち主はリフォームして住むつもりで、結局、ご実家で暮らしていたそうで、全然直さずに暮らせそう。

息子は家に帰ってもらって父親と暮らす。私は一人眺望抜群のマンションに住む。

夫にそう提案したら即却下された。もちろん冗談ですけど。冗談だけど、見果てぬ夢。


しかしまあ、私たちが元気なうちにこういうことになってよかった。

もちろん息子一人、親の家でも住めるのだけど、未婚の同居している子供が、結局は親の介護などの負担を負いがち。それだけはかわいそうで、できない。

これも終活の一つかな。住む建物が人を幸せにする。幸せな人生を歩んでもらいたいものです。

次の人生では、眺望のいいマンションか、広い庭のある家に住みたい。便利な場所がいいので、まあマンションかな。

そう思うだけで、次の人生が楽しみ。次の人生、誰とどこに住むのかな~♪

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「子供たちの居場所」 辻 章

2020-03-14 | 読書

やわらかに新芽青めるセーヌ河畔 2014年4月


短編集。二作までしか読めなかった。

一作目、小学生らしい子供の独白。兄は何かの病気で施設にいる。父親が夜な夜な、母親を殴る。お前のせいだと。子供はどうしようもない。そのうえ、自分も兄と同じ病気かもしれないと、誰にも言えず、症状が萌し始めたことに気が付いて怯えている。病気が何かは明かされず、短編は唐突に終わる。

これ、怖くて救いがないでしょう。

母親は暴力に反撃するでもなく耐えている。父親は病気をすべて母親のせいにして、怒りを暴力で表現する。

私なら、私なら・・・あの子は私たち二人の子供、私だけが責められるのはおかしい。責めて殴るのはおかしい。あなたも責任取って向き合ってほしい。殴るのはやめてほしい。やめないなら警察に言う。とまあ、このくらいは自分の尊厳を守るために言うつもり。言わなければならない。

本当に困ったときの人間の闇を書いたのだと思うけど、何か一つ最後に救いが欲しかった。

もう一つは中学生くらいの知的にしょうがいのある子を施設に預けに行き、そこで見聞きしたことをやはり救いのない描き方で。そうかもしれないけど、そうである意味を考えるのも人間。私がその立場になると、拒否し、混乱し、何も考えられなくなると思うけど、現実は変えられないとしたら、自分を変えるしかない、自分の考えと生き方を変えるしかないと、長い葛藤の末にその結論にたどり着くかも。

今朝の中国新聞に作家の辺見庸氏が、例の相模原事件について寄稿していた。障碍者は要らないと考えるのは犯人独自の思い込みではなく、社会の病理が犯罪の形をとって現れたのだと。

施設で働く犯人はしょうがい者の姿に衝撃を受けて、殺してもいいと思うようになったのは今の社会の考えと地続きであると。犯人に死刑を言い渡した時、国が殺してもいい人間を決めている。これもまた犯人と同じ地平にいることになる。

うまくまとめたかどうかわかりませんが、そのような内容だったと思います。

この小説は、重いしょうがいを持つ人間にどう向き合うかという深い問いかけがあり、答えは読む人にゆだねられています。

身内にそんな人間いないから他人事、と思ってはいけません。人はみな年を取る。年を取ると知的にも体力的にも衰える。それでも一つ一つの命は尊い。その前提がないと、人が大切にされる世の中は成り立ちません。

辺見氏は死刑に反対だそうです。実際、先進国で死刑が残っている数少ない国が日本。国家の名で人を殺すのなら、戦争にも歯止めがかからないと、辺見氏の立場は一貫しています。

私も、殺人犯は死刑よりは終身刑にして、自分の罪と向き合い、反省してもらう方がいいと思います。それに冤罪ということもあります。

ということを前提にして、身内が巻き込まれたら、宗旨替えするかもしれません。また既に事件の被害者遺族に、面と向かって死刑廃止とまでは言えません。

人の命の大切さを思いながら、人は何によって人なのか、ということをこの短編集は問いかけているのかもしれませんが、読み通すのはつらくて中断。

前の中上健次の小説が面白かったのですが、それは描かれる人物の魅力に負うところが大きいと思うに至った次第。

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月末から合同展

2020-03-13 | 水彩画

昨日、先生に、出す作品、5点決めていただきました。

昨日は彼岸桜、描き初めたけど失敗😵💧
 


クリスマスローズもまた失敗。

孫とおじいちゃんが気になって、、、

帰ると二人は遊び疲れてまったりしていました。そのうち下の子が寝てしまい、夕食に起こしたら機嫌悪かった。
 
ポテトの揚げたのが冷めていると大泣き。お母さんにチンしてもらってやっと機嫌なおしたのでした。
 
にぎやかな一日でしたが、途中、私は出かけたので、夫は大変だったと思う。
屋上のプランターの草抜きさせたり、はしごで塔屋へ上がったりして間が持てたようです。
よかった、よかった。
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孫、来ました😊

2020-03-12 | 日記

孫、来ました😊

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クリスマスローズの頃

2020-03-12 | 旅行

クリスマスローズの盛りですね。

強い花のようで、常緑の葉、大した手入れなしで毎年咲くのも嬉しい。

我が家の庭でも、今年も咲いています。

2014年6月。こちらフランス南西部、ガヴァル二―圏谷で咲く花。

標高は1,000メートル付近。

もしかしたら原種?

ヨーロッパからイギリス南部に分布するそうです。


本日、水彩のお稽古。月末には先生の弟子全員の合同展と懇親会。懇親会はどうなるかな~

その上、本日、孫二人が来る。

さてどんな一日になるでしょうか。

つい調子に乗って、昨日はDVD注文してしまった。

最高でしょ・・・二年くらい前、一度NHKテレビで見たけど、若い時なら最高にヤバイ。カラオケにはないそうで、素人は歌わない方が身のため、人のため。

かくいう私、カラオケへ行ったこと、一度もなし。人前で歌うのは気恥ずかしい。身内や友達なら恥ずかしくないのかしら????

 

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玉置浩二「幸せになるために生まれてきたんだから」 志田歩

2020-03-11 | 読書

朝早く目が覚めた時、あなたは何をしますか。

夏なら早朝に散歩すると気持ちいいけど、今はまだ寒くて暗い。そんな時は、私は本を読みます。本は買ったり借りたりで切らさないようにしていますが、たまにほかの本も読みたくなる。

これはアマゾンで中古本買って、10年前に読んだ。2006年の初版本。いまは改訂版が出てそれもすでに絶版、中古本が4,000円くらいするらしい。

二回読んだのでヤフオク出すかも。感想は前のブログをそのままコピペしました。

以下引用。元記事は2010/02/19です。


先週の火曜日に風邪を引いてなかなか治らない。きょうは思い切って午後からずっと横になっていたので、大分よくなった。
寝てばかりも退屈なので、先日のラジオ番組つながりで、すぐ読める本を一冊読了。

五年にわたる本人のインタビューをもとに書いた渾身のノンフィクションだそうです。著者は「ぴあ」の音楽担当社員から後にフリーのライターになった人。

安全地帯というバンドは80年代にヒット曲を連発、当時よく歌番組に出ていたものです。

コンサートにも何度か行き、あるとき知り合いの大学助教授♂にお会いして「私なんて場違いなんですが」とあちらが大変ばつの悪い顔をされたのは88年7月の広島サンプラザでしたか。文学評論の本を何冊か出された先生ですが、陽水の歌詞に惹かれるとある本の前書きで正直に吐露してしました。

歌で世に出る、歌がヒットして世間に知られる、引き続き音楽活動を続ける、、、どの場面でも選ばれたものが背負わねばならない大変さがひしひしと伝わってくる一冊。

後半のアルバムは聴いてないので、作る過程での裏話はちょっと分かりにくかったですが、バンドメンバーやスタッフとの行き違いから精神的に追い込まれ、ここでは言及されていない結婚、離婚にまつわるあれこれから(私の想像)とうとうふるさと旭川の親の家で半年もボーとしていた事もあったそうな。
帰れるふるさと、迎えてくれる親と友達のいる人はいいなあ…としみじみとしてしまった。

話し言葉だけで伝達できるのに、その上にそもそもなんで歌がある?
それはたぶん歌垣からの伝統でしょう。男と女が出会い、子孫を残していくために心を昂揚させるための。さらに遡ると動物のオスがメスを呼ぶときの鳴き声?
歌の作れない男が、彼女をドライブに誘い、安全地帯のカセットテープ聴かせて口説くというベタなsituationが当時日本全国でどれだけ展開された事でしょう。(すみません、えらそげで)

この本で印象的なエピソード、80年代の売れっ子のときは、新幹線の改札口、飛行機の搭乗口、食べ物屋、どこでも本人を待たせないようスタッフが段取りをしていたとか。作者はこれをsurviveと言っています。他の忙しい芸能人も似たようなものかも知れないが、逆に、生き急ぐ人はどこかで休まないとおかしくなる。私はそうも思いましたです。

この本では、パートナーを得て安定した生活をしているところで終わってますが、それからまたいろいろあって(まことに一処不在の運命の人のようで)、結局またオリジナルのメンバーでアルバムを作っているそうです。

20年ぶりくらいにコンサートに行ってみようかな…立ちっぱなしはきついのでシルバーシート用意してくれないかしら。


引用終わり。

このあと2010年7月、念願かなってコンサート行きましたが、それは長くなるので↓の記事に。

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安全地帯コンサート@広島 10年前

2020-03-11 | 随想

どうでもいい前置きを。

最近新型肺炎でどこへも行かず、退屈で気が滅入る。何かすればいいんだけど、差し迫ってしなければならないこともないし。機織りも洋裁もしなければそれで済んでいくし。

元気出すためにたまたま昔聞いていた音楽、Youtubeで流しながらブログ書いていたらだいぶ元気出てきた。

私はソロ活動の最初のアルバム「All I Do」から聞き始めたのかな。その前のいろいろなヒット曲は、歌もご本人も過剰でちょっと近寄りがたい感じだったけど、このアルバムは当時の私の鬱屈した心を元気づけてくれた思い出の曲。

それからコンサートも行くようになり、10回くらいは行ったと思う。年の頃なら30代終わりからの数年間。

あれから長い長い時間がたった。ずっと聴いてなかったのに、昔のコンサートのDVD流していると掃除もはかどる。

https://www.amazon.co.jp/me-%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%9C%B0%E5%B8%AFLIVE-DVD-%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%9C%B0%E5%B8%AF/dp/B00005HRNW/ref=sr_1_11?qid=1583902847&s=dvd&sr=1-11

えっ、こんなに高いの。ある時DVDがどれも1,500円くらいのセールしていて、そのときまとめて買った記憶が。

音楽の好みは人それぞれ。また時期によっても好みが変わる。今は、元気になるまでは安全地帯かな。

引用こちらから 2010年7月23日。


今夜は約二十年ぶりに安全地帯のコンサートへ。席は一階前の方の通路横。ステージがよく見えます。
19:10開始、最初からたくさんのヒット曲を歌いまくり。

キラキラのど肝を抜く衣装。ちょっと広島太郎みたいな感じ。
ん、広島太郎????広島太郎は広島市民ならだれでも知っている有名人。画像もたくさんあるのでgoogってみてください。
でもあの広島太郎である。やばいなあ~と思いつつ見ていたけれど、最初からpower全開でまあそんなことは気にならなくなった。
「プルシャンブルー…」の「さび」ではファンを一人ステージに引っ張り上げ、抱いて歌ってましたね。サービス精神旺盛。

アコースティっくな歌ではメンバーもギターも替えてしんみりと。昔持ち歌の少なかった頃の歌っていたという「小さな秋」…うまかったです。

インスタルメンツのあと、いきなり白い衣装で登場。会場を歌いながら回る。コンサートスタッフ数人が必死でガード。
私の目の前を通ったので、衣装の上からタッチ。いい生地でしたよ。たぶん麻。
ご本人、背は高からず低からず。いゃあ、二十年前でも結構気恥ずかしかったけど、この歳でいいのかと一瞬躊躇もしなかったけど、まあこの世の思い出に。

昔のコンサートでもこのビラビラ、会場に降ってたように思う。今回も。拾って振り回し、お土産に。これもまたこの世の思い出に。

実は連日の暑さにバテ気味。
その上、昼間は織りのおけいこ。昼夜帯は織り方が複雑で、どこを踏んでいたかすぐ分からなくなり、結果柄がめちゃくちゃに。
疲れ果てていたけれど、コンサートで騒ぐうち元気になった。会場では浴衣着た娘さんも。
私も着物着ていくつもりだったけど、体調イマイチで見送った。残念。

コンサートは7,800円+手数料で結構なお値段だったけど、元気になったのでまあ良かったかな。

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