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二度死んだ子供たち

2020-03-17 | 随想

水ぬるむ本川(旧太田川) 2017年3月


https://www.youtube.com/watch?v=Nm0Hp8t2p58

前世紀のことですが、戦後初のアメリカ訪問の前に記者会見がありました。

わが地元中国新聞の記者が、広島の被爆者についてどう思うか尋ねると、そういう方面は研究していないのでわからないという回答だったと思います。

政治的発言を回避してのことと思いますが、それでも用心した上での何か一言があれば、気持ちが救われた人はたくさんいたことと思います。

ああそうなのか、やっぱりと、私はがっかりしました。

広島では建物疎開に動員されて被爆し、なくなった中学生、女学生がたくさんいます。物心ついたころから軍国主義教育で、非戦闘員なのに殺されてしまった子供たちに、戦争中なので、気の毒とは思うが仕方なかったと言う言葉だったと記憶しています。

それもまた政治的発言を避けてのことでしょうが、言い方、ニュアンスで、言葉にできない思いは伝わるはず。

仕方なかったでは、その人の為と教え込まれて死んだ子供たちが浮かばれません。

あのとき、広島の子供たちと、被爆死した人たちは二度死んだと思いました。

私は侮辱するのは許せないとビラを配る側には立ちません。この国にタブーがあるのが重苦しくていやなのです。

人を疎外する制度を一刻も早くなくし、制度の中の人たちには、今の日本人が持っている基本的人権、結婚、職業選択、移動の自由、奴隷的に拘束されない権利などを持ってもらいたいと思います。

その上で、旧家としてのその家の人たちを、個人で好きなのは全然かまわないと思います。あなたの好きなものはどうぞご自由に好きでいて。でも、私にまで強制しないで。そういう気持ちです。


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