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「耄碌寸前」 森於菟

2015-12-11 | 読書

母89歳。昨年の今頃、我が家で。耄碌寸前までは未だ行ってないけど、年寄りの写真がないので拝借。

笑顔に撮れたので、この後、引き延ばして額に入れて渡した。

葬式の写真、慌てて探さなくてもいいように、そこら辺に置いておきなさい。と指図する娘。


森鴎外の長男、於菟のエッセィなどを集めた本。書いたのは戦前から昭和30年代まで。

古風で端正な達意の文体が読んでたいそう心地よく、また解剖学者として、正確な言い回しも分かりやすかった。

この中では鴎外の自宅、千駄木の観潮楼に集まる、キラ星のごとき作家、歌人、などなどがとても興味深かった。そこでどんな話が交わされたのだろう。聞きたかったなあ。

ちなみに出てくる名前は、佐々木信綱、与謝野寛と晶子、伊藤左千夫、啄木、白秋、吉井勇、木下杢太郎、永井荷風、芥川龍之介、上田敏、斉藤茂吉・・・といずれもビッグネーム。これだけで文学全集が編めそう。

まだ海の見えていたその家は、鴎外没後人に貸し、次第に荒れて行き、最後は反社会的勢力が居座って立ち退きの裁判までするようになり、やがて失火で全焼。

過ぎた日々を家の来歴を通して哀切に追慕している。

広く知られているように、鴎外は最初の妻を長男が生まれたのちすぐに離縁し、ドイツから追ってきたエリゼは会わせぬままに親戚が追い返し、ずいぶんのちに母親の意にかなう年若い後妻を貰った人。

長男からすればいろいろ思うこともあっただろうが、そこは科学者らしく淡々と流している。子供のころから、本当に甘えるということを知らない人だったのかもしれない。父の名声を汚さないようにと、頑張った人生だったと思う。その人柄が端正な文章によく出ていて、心を打たれた。

解剖学者が、生きている人間より、水槽の中の解剖実習を待つ死体の方に親しみを感じ、心の中で対話すると言うのは「死者の驕り」を彷彿とさせる。これがネタ本かも。

もう出会うこともない古風な文章に、明治生まれの人の遠い声を聞いた気がした。

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