ブログ

 

京橋川、川べり散歩

2021-12-14 | 日記

土の上を歩きたい。

土のある川土手の道を歩きます。

 

赤い橋桁が国道2号線。

広島では東に川のある土地が好まれる。

この付近は戦前は別荘通りと呼ばれて、比治山を望む景勝地。大きな屋敷が多かったそうですが、今は代替わりしてほとんどがマンションに。

道は土の色に舗装している。

芝生が生えているのがほんとの土の道。

午前10時前。

日脚、長し。

鶴見橋と駅方向。

クヌギ?

クヌギとマンション。

斜面。

樹影。

カキとリュウキュウアサガオ。

筆柿?

川土手の小さな祠。延命地蔵尊。

イヌビワ。

平和大通り。あちら平和公園方向。

まだまだ紅い。

公共事業。

比治山橋袂の石柱。

大正15年=1926年製作。

削っているのは広島城内にあった第五師団の字?

こちら側だけ、削ったあと字をもう一度入れています。

おそらく敗戦(終戦)後、占領軍(進駐軍)の目を逃れるため、軍国主義的な部分を消したと思われます。

御便殿は、広島城内にあった日清戦争当時の天皇の宿舎。

のちに比治山に移し、神社のようにして拝んでいた。

原爆で倒壊後は再建されず。

味日本の敷地にアカザが生えています。

徒然草58段

紙のふすま、麻の衣、一はつのまうけ、あかざあつもの、いくばくか人のつひえをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。

質素なものの例え。今はたぶん誰も食べないけど、ホウレンソウに仲間じゃなかった?

などと徘徊しながら、今朝の散歩は終了。

中学生のころ読んだショートショートに、未来を描いた小説として、高層ビルに住む一人暮らしのお婆さん。一人でも寂しくないのは胸に下げたロケットの中に土を少しだけ入れているから・・・誰の作品だったのかな。

その時は、そんなものかなあと思ったけど、今はタワマンのベランダにはプランターも置けないのでしょうか。風が強すぎて。というか、見上げたところベランダもなさそうですが。

土があれば寂しくなく生きていけるって、うん、分かる分かる。

土が命をはぐくみ、記憶を喚起する。その上を歩くのが人間の本来の姿。舗装された道ばかり歩くと、自分が生き物だと忘れそう。

ばあちゃんは、硬い道で膝を悪くして、卒然として悟ったのです。


本日の暖かい工夫。

突っ張り棒2本に冬用のシーツ3枚。

昼休みに帰った夫が、文句言うので「カーテン反対って言うから、シーツにしたのに」と反論する。「カーテンレール、買いに行って返品して、車で二往復したのに・・・」

シーツはもっと反対だそうですが、もう掛けたもんね。

何か高貴な人の御座所のように見えませんか。

両側の帳とばりが開いて、内外に即位を宣言するという・・・

いえいえ、この冬は、この中で暖房して機織りの予定。

出来上がるまでは決して覗かないように・・・はツルの恩返し。

一枚織るたびに痩せればいいんですがなかなか・・・。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 機織り、続行 | トップ | ノブドウの散歩道 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (びこ)
2021-12-14 19:28:04
私の母も生前ベッドの周囲をカーテンで囲って同じようなことをしていました。帰省したときに一瞬「これ何?」と思いましたが、母なりの工夫だったようでした。たしかにヨーロッパのお城などで周囲を囲ったベッドを見た記憶も?
返信する
びこ様へ (frozenrose)
2021-12-15 17:17:07
こんにちは。
それはもしかしたら寒さ除けだったかもしれませんね。
ヨーロッパのお城は装飾も兼ねているのでしょうか。
ニトリで子供用の天蓋を、孫が買ってもらって、お姫様気分でした。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。