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軽井沢・信濃追分文学紀行 2006年10月17~18日

2016-09-03 | 旅行

ホームページの移行が難しそうで、こちらへ移します。10年も前、私も今よりは若かった。。。。

この時は東京経由で往復。松本経由よりは楽。軽井沢町の植物園は時間なくて行けず。いまだ果たせていない。

 軽井沢 高原文学の面影      2006/10/18  



  10/18 今日もいい天気。食事の前に追分宿のはずれまで行ってみる。
子供達が通学している。いいところに住んで幸せな子供達。
しかし当人達はコンビニ行きたいとか考えているのかも。

食事のあと、「今日は軽井沢へ行きます」と言って宿を出る。駅まで、別荘地を抜けて20分くらい。
いいところだなあ。こんどは萱草(わすれぐさ)=キスゲの咲く頃来ようかな。


 軽井沢 

 
旧三笠ホテル・1905築・国の重要文化財

 
 
立原道造の思い出というものは極めて愉しい。軽井沢の私の家の庭には雨ざらしの木の椅子があって立原は午前に(追分から)やって来ると、私が仕事をしているのを見て声はかけないで、その木の椅子に腰を下ろして、大概の日は、眼を瞑って憩んでいた。・・・(中略)・・・いつ来ても睡い男だ、そよ風が頬を撫で、昏々と彼はからだぐるみ、そよ風に委せているふうであった。

                          室生犀星 我が愛する詩人の傳記  中央公論社 1970  
 
室生犀星記念館・1931築
 
私が療養所を訪ねた日は雪ふりの後で・・・(中略)・・・立原はふとんの中で大事にしまってある自分の手を、いくらか重そうにして、出してみせた。それは命のたすからない人の手であって、たすからないことを対手に知らせるための手であり、本人はそれでいて未だ充分にたすかる信仰を持っている手であった。
                        室生犀星 我が愛する詩人の傳記  中央公論社 1970




 
 旧軽井沢、「大倉」のアウトレットショップで絵付け用に購入。広島まで持って帰った。真っ白で軽く、金線も鮮やか。 


 
聖パウロカトリック教会・1935築
堀辰雄「美しき村」「風たちぬ」に登場


 

塩沢湖周辺のレジャー施設。
直通バスが運休時は軽井沢南口より無料送迎あり




軽井沢高原文庫
軽井沢に関する文学資料の収集、展示。
敷地内に堀辰雄第四山荘、野上八重子書斎、道を挟んで有島武郎別荘などが移築されている。
写真は高原文庫敷地内の「立原道造文学碑」
「のちのおもひに」の初めの一節が刻まれている。
製図台をモチーフとして磯崎新が設計。立原が建築家だったのはよく知られるところ



 

有島武郎の別荘を移築
今は文学資料館と「一房の葡萄」という喫茶店に



 

ペイネ美術館前のバラ




 

深沢紅子(こうこ)野の花美術館(旧軽井沢郵便局・1911築)
立原道造とも交流のあった画家。立原は盛岡の彼女の実家の別荘に滞在したこともある。

 

軽井沢・信濃追分文学紀行1  


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