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鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史  小牟田哲彦

2021-07-28 | 読書

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夫が買ってきて、まだ読んでなさそうなので、拝借して読んだ。

大変面白かった。

ざっと言えば、鉄道草創期からやがて国有鉄道となり、近代化を支える大動脈として整備された経緯。

大物政治家が鉄道行政に介入して、経営的側面からだけではありえない紆余曲折のあれこれ。

世界銀行から借款して整備された新幹線。それはやがてシステム全体を輸出する一つの技術体系となっていく。と、ざっとこんなところでしょうか。


鉄道導入期、新政府の財政担当だった大隈重信は、お雇い外国人から「ところでゲージはどうしますか」と聞かれ、「そも、ゲージとは何たるか?」と聞かねばならないほど、それが当時の我が国の状況だった。

日本の鉄道は軌間1067cmの狭軌、輸送力は劣り、安定走行も劣る。世界基準とは違うけれど、当時の財政状況から広軌は難しく、大陸と違って地形の複雑な日本で、少しでも早く鉄道網を整備するためという事情もあったのではと、本書では類推している。

初めの新橋横浜間は、実用というよりも新政府の威光を示し、併せて諸外国に近代国家であることをアピールする意図があったとか。なるほど。やがて西南戦争を経て、その輸送力が次第に軍部にも理解されるようになり、鉄道網は次第に全国へと整備されていく。

昨年読んだ「不思議な鉄道路線」という本では、国防上、鉄道を内陸部に通したい軍部と、採算面から人口の多い沿岸部を結びたい鉄道当局の間の綱引きの歴史が興味深かった。

今でこそ、高速道路網が全国に張り巡らされ、鉄道一択の輸送体制ではないけれど、つい30年くらい前まで、地方では人と物の輸送にまだまだ鉄道の地位が高かった。

そこに政治家の地元への利益誘導という素地があり、私が若いころはよくそのことが話題(問題)になっていた。

田中角栄の上越新幹線、大野伴睦の東海道新幹線岐阜羽島駅、荒舩清十郎の鉄道ダイヤへの政治的介入などなど、今に記憶している。

今回分かったのは、岐阜羽島駅は地元への利益誘導の側面もあるけれど、岐阜県内に駅がないのが不満の地元民と国鉄の間に立って、調整した妥協の駅でもあること。岐阜市まで迂回すると高速性が損なわれ、岐阜と大垣と等距離の場所に作ったそうで、当時はものすごく批判されていたけど、まあ仕方ないかなと。もちろんのぞみは停まらない駅。

中央本線を、木曽谷、伊那谷どちらへ通すかの時は、木曽谷を通る代わりに、岡谷から伊那谷の入り口辰野まで南下してまた塩尻にに戻る。これも地元政治家の力でと言われているが、トンネルを作るのが大変だったという事情もあったそうで。

総じて、昔の人は鉄道が地元を通るかどうかは、その地域が発展するかどうかの分かれ目、死活問題だったのだと改めて知った。


その後、国鉄は巨大赤字で分割民営化、全国の赤字路線は多くが廃線となる。一方、新幹線は世界銀行から融資を受け、政権が変わっても継続して開発し、前の東京オリンピックの確か10日前、1964年9月30日に開業したと記憶している。

オリンピックもそうだけど、この開業に地方の高校生も、新しい時代が来たようで嬉しかったのを憶えている。

鉄道は時代がどんなに変わろうと、社会の基本インフラには違いない。一方、地方では道路が整備されて高校生の通学くらいにしか使われない路線も数多くありそう。なくなれば、住めなくなる人も出てくる。


長男はものすごい鉄道オタク。広島電鉄は各地の中古車両を買い受けたりして種類が様々。我が家は路面電車の音が聞こえる場所にあり、家にいるころは「・・・型」と電車の型番を当てていた。いつの間にか聞き分けられるようになったそうです。

先日、旅行土産を届けたら「子供のころ、鉄道で旅行したかった」と申しておりました。そうだね、子供を後ろへ積んでもっぱら車移動。楽で安上がり。どこへでも行けるし、鉄道は我が家には贅沢だった。

鉄道好きはユニークで、一芸に秀でた人も多いんだとか。三男の友達、東海道本線の駅名が全部言える人もいるそうで、その人のさまざまにエピソード、以前は聞くのが楽しみだった。

私は特に鉄道好きではありませんが、息子たちと話すときのネタの一つも仕入れたくて。夏の暑い時は、出歩かずに本を読むのもまたよし。

7/22 大分県九重町 千町無田水田公園で。ハスの花盛り。

コメント (4)
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