8月末に先生にいただいた課題、やっと今日から織り始めです。
はい、柄がきれいに出てきました。嬉しいことであります。
緯糸は20番2番手1本取り、この糸なら70羽/10cmにすればよかったのですが、つい60羽にしたので柄が横に伸びています。
緯糸も密度に対しては細いので柄が頼りないと言うか、あまり美しくない。いゃあ、やってみなければ分からないことだらけ。
組織図と踏み方を織り機に貼って間違えないように。
間違えた踏み順だとこんな柄…ともいえない変な柄。およよ。
今使っている織り機はクマクラ
クマクラは若い人が仕事を受け継ぎ、たった一人で注文に応じて手造りするそうです。高さなども初めにオーダーできるそうなので、この織り機は先生か、また別の体格のいい人用に作られたのかもしれません。
小さな私は腰掛に上がるのも「よっこらしょ」ですが、もう慣れました。自分の織り機・・・昔の人みたいでなんか嬉しいのでした。
写真再掲。クマクラの織り機は筬框の手前が広く、しかも手前が高く奥が低く、ちつよと変わった形をしています。
何で???と常々疑問でしたが、緯糸を織るとき、シャトルをその上に乗せると安定して走行し、早くきれいにできることに今日やっと気が付きました。
シャトルは舟とも言いますが、糸を巻いた糸をセットし、緯糸を織り込むための道具です。裏に小さなローラーが付いているので大変滑りがいいのです。
これは何と、中学の社会科、イギリスの産業革命のところで必ず習う「ケイの飛び杼」に源があるようです。
http://www.saburchill.com/history/chapters/IR/009.html
今使っているものとまったく同じように見えます。いゃあ、びっくりです。昔のイギリスの発明の恩恵を、今私が遠い東洋の国で受けているなんて。
それまでは板杼だったのかな。効率悪いです。画期的な発明だったということですよね。
豊田佐吉が考えたのは、簡単な操作で緯糸を自動的に織れる織り機だったとか。いずれにせよ、いかに効率よく織物をするかが近代産業の曙の時代の大課題。
自分のやってることがイギリス産業革命頃の手わざと知り、ちょっと安心したかな。ケイさん、ありがとう~