最近、しばしば老後のことを考える。自分はどんな老後を迎えるのだろうかと。で、目に留まったこの本、1988年筑摩書房から出されたのが、97年に文庫化、私が読んだのは昨年発行の第七刷。息の長い本と言えるだろう。
若い時は当然、毎日の出来事に追われ、かつ楽しみ、将来のことなど、この私も考えなかった。周りに年寄りはいたし、今だって年長者はそれなりにいるけれど、老いを考え言葉に残すのは案外していないと思う。
知識人、文筆を業とする人でさえ稀。楽しい話ではないし、生産的でもないし、そして歳とるという当たり前のことをわざわざ書き残さなくてもという思いもあると思う。
しかし、博覧強記を持ってする鶴見氏、選んだ人たちが古今東西まんべんなく、なるほど歳とるって、いろんな能力が落ちて、意識もはっきりとしなくなって、次第に死へと近付く時期なのだとやっとわかった。
昼間と夜の間の日暮れ時、と言ったのは森於菟、老いを自覚したら、体力能力気力、その他持ち物の現在高を確認、その後の道を決めるのは幸田文。なるほど。
人世の終末に向けて、今まで以上に自覚的に生きることを楽しみたいと思わされた。
鶴見さん、センスいいなあと思った。この人のお父さんが、我が息子の一人と同じ名前なので、それを知ってから、私はこの方が半分身内みたいに勝手に思っています。