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天皇制と家制度

2021-10-14 | 随想

眞子さま結婚問題に下重暁子氏「崩壊した『家制度』を皇族にだけ求める愚かさ」|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

短いけれど、大変分かりやすいインタビューでした。納得。

私の違和感はいまだ家制度を残していることに。いえ、一部の国民が家制度を続けるよう望んでいることに。

すぐにはなくならないでしょうが、人権については最大限配慮してもらいたいもの。

不敬罪のなくなった今、名誉棄損は政府が代わって告発するそうですが、これも運用は難しい。としたら、とりあえず、毎日の暮らしの中で、ご本人たちがあまり拘束を感じないやり方なら、工夫次第で何とかできそうですが。

先日の女子会でいちばん雰囲気悪くなったのは、自称旧皇族の某タレントをほめそやす人がいて、私が反対の考えを言ったから。

彼女はどこかで・・・テレビかな・・・で見てその分かりやすい話に共感したらしい。

私もいつか見たことがある。

司会者に「また皇族に戻ってほしいと言われたらどうしますか」と聞かれて、嬉しそうに「お断りします」と言っていたので、元は皇族とばかり思っていた。明治天皇の玄孫と言うことだし。それも男系と早とちりしていました。

あの人、元は皇族の家の生まれだけど、民間人になってから生まれたので、元皇族と言うのは厳密には違うようです。そんなこと人の価値を決める材料にならないけど、ご本人が訂正しないのはわざと勘違いしてほしいからかなと思い、あえてここにも書いておきます。

明治天皇の皇女が、南北朝時代に天皇家から分かれた家に嫁いだその子孫のようですよ。男系を辿るなら、ものすごく縁は薄い。

その話を友達に言うと、知らなかったのでしょう、ふーーんと言う顔をしていました。自分がいいと思うものに賛同してくれず、不本意だったのでしょう。

例え南北朝時代に枝分かれしたとはいえ、天皇の血筋が誇りなのでしょう。どんなことにでも誇りを持ち、それに相応しい人間になろうと努力するのはとてもいいことと思いますが、その誤解されたままの肩書で世間に何かを語るのは、有難がる人もたくさんいるので慎重にと願いたいものです。

この二、三日、この衰えつつある頭でつらつら考えたことは、天皇制はすぐにはなくならない、なくせないだろうということ。

この先、76年前の敗戦のように、日本社会が大きく変わる時にはまたその機会もあるかもしれない。全くなくせない制度ではないというところに希望をつなぎましょう。

直接の知り合いではないので、私は好きでも嫌いでもないのですが、好きな人もいることでしょう。災害地へ首相が行っても年寄りは涙流さないのに、もはや信仰の領域。信仰をどうこう言うのは難しいのです。

続いて行くとしたら、私はとりあえず女系を取り入れ、そのあとは男女で生まれた順にでいいと思います。

男系にこだわり、どんな人がいるのか知りませんが、調べる気もないけど、明治天皇には大正天皇しか男児がいなかったらしいので、遡るとどんなに近く見積もっても江戸後期以前でしょうか。

その人を呼び出して天皇に据えるよりは、血縁関係の近い、今いる女性皇族が結婚して繋いでいく方が自然だと思います。

y染色体にこだわっても、昔々に別れた後、膨大な人がそれを受け継いでいるはず。

民間では、女の子ばかりの家では養子に来てもらい(いえ、名字を受け継いだ別の戸籍を作り)、商売や会社、継いでいますよね。そして子供につないでいく。

いやいや、どうしても男系でないといけない。そう言われて、会ったこともない遠い遠い縁のほぼ他人が、いきなりやってきて、あなたたちは女系でY染色体がつながってないのでこの家出て行ってとはならない。

全然知らない他人が身内と言われ、きょうからここを継ぐと言われても・・・私が親ならなら困るし、拒否しますね。

男系天皇に固執するのもこれと似たようなものでしょうか。違うかな。あるお宅だけ、女性ゆえに一段劣った扱いをされ、女性ゆえに自分や子供まで継ぐ資格がないと言われるのもおかしな話と私は思います。

こういうことは男女に関係なく、血縁の濃さと思いますが。

有識者会議が、時代にふさわしいいい結論を出してくれると期待しています。

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Y染色体と姦通罪

2021-10-13 | 随想

小室圭氏のことについてはこちらのブログから多くの気付きをいただきました。

小室さんバッシング、私の考え - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ - (goo.ne.jp)

私は女性の方の人権が気になっていましたが、男性方も同じだけ、それ以上に人権を侵害されている。そのことに気が付きました。そしてうまくまとめていただいているので、考えに筋道が立ちました。ありがとうございます。

非難する人は、自分でサイトなりブログを作って言えばまだましですが、ヤフーニュースその他に匿名で短いコメント付けるだけで、発言の責任は取らない。こんなのは意見とも言えないのですが、言われる当人は気になりますよね。

見ないに限ります。理不尽な相手、世界観の違う相手とは戦わない。無視するのが最大の防御。そして防御は最大の攻撃なり。

昨日アマゾンで本を探している時に、今回の騒動に関しても本がいろいろ出ていることを知りました。粗製乱造の際物がほとんどのようですが、ある本のカスタマーレビューに神武天皇から続くY染色体を他の男性のものに替えていいのかとあり、なるほど男系にこだわる人はそう考えるのだと気が付きました。

この本のキャッチコピーは「民間男性が陛下に!?こんなに危ない女性宮家」と言うもので、暗に小室圭氏を皇室に入れるなと扇動しているものだと思いました。

これはもしそうだとしたら言いがかりです。今の法律で結婚した女性は民間人になり、皇位継承には一切関係しない。法律でよしんば女性宮家を作るとしても今回の結婚にさかのぼっては当てはまらない。法律とはそういうものと私は理解しています。

ネット上ではそのことを知らないのか、知ってての確信犯なのか、小室圭氏を皇室に入れるなと騒いでいます。

大丈夫ですよ。

女性宮家が認められても配偶者がいきなり天皇になるわけではない、その子供に皇位が継承されていくだけで。法律はそのように変わると思います。それの何が問題なのでしょうか。なぜ男系でなければいけないのか・・・Y染色体でなければいけないのか。私には解けない謎です。誰か答えられる人がいるのでしょうか。続いているからえらいのだというのは答えになってませんね。

と、これは一般論。早く決めないと今皇室にいる未婚の女性の将来も不確定。男系にこだわると今いる10代の男の子にすべてを託すことになる。継続のためにははなはだ危ない。

その時になって、もちろん法律も換える必要がありますが、何代か前の男系を辿ってその子孫にいきなり天皇になってもらうことに果たして国民的な合意が得られるのか。私には女系天皇より、そちらの方が違和感ありまくり。血縁重視といっても、血縁関係も薄いし。

もちろん昨日まで民間人でも、立派な御殿に住み、きれいな服を着て(たまには古代の衣装も)、おっとりと物を言いゆっくりとした動作をすれば、そしてマスコミがほめそやす報道をすればそれらしくなりそうですが、そんなにしてまで続けていく必要があるのかと私は思います。

今回の女性のことも心配ですが、弟にあたる人のメンタルも気になります。十代のいちばん多感な時期に、自分がどういう立場か分かってきて、お姉ちゃんの騒動も見て、何を考えるのでしょうか。

男系にこだわるのは、男性が女性より偉い、そういう世の中をこれからも続けていきたいと考えるからでしょうか。女性宮家を作るとして、その次の世代の皇位継承はやはり男性だけなのか、女性も混ぜて生まれた順なのか。そこらあたりもどうするのでしょうか。女性に皇統をつなぐとしたら、男女の区別はなくさないと話のつじつまが合わないように思います。

戦前の皇室は皇后以外の女性がいました。これは男の子が生まれる可能性を求めてのことだったのでしょう。明治天皇も大正天皇も正室から生まれたのではないのです。男の子を得るためには複数の女性の存在を認める。そうやって男系を続けていく。

上がそうだから、民間でも裕福な家はお妾さんがよくありました。で、男性には婚外の付き合いが認められても、女性にだけ姦通罪があるのは、他の男性の血が混ざらないようにするためと、はたと気が付きました。

男系にこだわる天皇制と、女性の姦通罪は対をなしている。昔の大奥も女性は代替わりまで閉じ込められる。これもまた他の血が混じらないように。

皇室にお妾制度がなくなったのはいつからでしょうか。そこらあたりは触れてはいけないことでしょうが、この百年ばかりはそれがなくても男子が複数生まれてしのいできました。また戦後の民法で家制度はなくなり、結婚して新しい家族ができ、子供たちも独立して、親世代が死に絶えるとその家も消滅すると法律的にはなったので、あちらのお宅でもお妾制度もそれに合わせて自然消滅したのかと思います。

しかし、皇室は日本で唯一、法律的に、世代を超えて家が残っていく存在。男系をこれからも続けるなら、嫁いだ女性は必ず男の子を産まないといけない。国民は一人の女性に過剰な役割を期待しすぎ。

大名家も、将軍家も、天皇家も、続いてきたのは複数の女性がいたから。しかし今からそれを認めるのは国民の感覚から言って果たしてどうでしょうか。私は、何よりも制度の内側の人の人権を守る意味から、この制度はいずれなくなってもいいと思っていますが、続けていくなら男系にこだわるのは無理があるのでは。

皇室に来てもらった元民間人の天皇にまた男の子ができなかったら、また民間から呼び寄せる?大変なことです。それよりは今皇室に入る人達で今の継承順の後には、女性も混ぜて繋いでいく。それでいいのでは。

昔々のその昔、京都だったか奈良の朝廷で、いやもっと前かに皇統が絶えて、8代前にさかのぼる越後の天皇家の筋を探し出して天皇にしたということがあったようですね。その名も携帯天皇。(何という変換だあ・・・)継体天皇です。そこらあたりの経緯はうやむやになっているのかな。興味のある方、調べて教えてください。ホントに、ほんとに男系?

今となっては謎?万世一系って本当?

姦通罪に話を戻すと、ばれなければ婚外性交してもいいはず。炭鉱王と結婚した彼の美人歌人も複数の男性と付き合っている。夫の愛情が乏しく、癒しをほかに求めてのことでしょうが、お妾制度は正妻の気持ちも不安定にしている。

またお妾さんには姦通罪適用していた?

それははやりすぎで片手落ち。男性は自分の子だと思ってもお妾さんを24時間拘束するわけではなく、そう思い込んでいるだけの場合もありそう。奥さんだって。そう、男系ってその程度のものではないでしょうか。

皇室での男系にこだわる限り、この国での女性差別はなくならないと私は思います。夫婦別姓を認めないのも根は同じ。たかが名字のことだけど、家制度がなくなった今では名字を継ぐのが概念として(ファンタジーとしての)家を継ぐことになっている。家制度がなくなっても女性はよその家に入り、嫁として扱われる習俗も続いて行く。

都会で活躍していても、盆正月には夫実家で嫁をする。それで離婚になった例を私は身近に知っています。家制度もほどほどに。

夫婦別姓は選択的ですから、法律で全員がそうなるわけではなく希望者だけ。したくない人はしなくてもいい。それなのに反対するのは脳内に昔からの家制度が残り、日本全国の女は男の下について言うこと聞くべきと言う考えの顕れなのかな。公民館サークルでも、女性会員を自分の嫁か娘のように扱う人がいます。そう言うのにはこまめにたてつくに限ります。

私はもう夫の姓を名乗っているので、今さら変えるのもめんどくさいけど、変えたらものすごく開放感があると思う。夫親族から嫁扱いもされなくなると期待している。もう代が変わったのだから、私の好きなようにさせてもらう。先日夫にそう宣言しました。

好きなことして、好きな所へ行って、好きなもの買って、好きなもの食べて、要するに好きにする。先日夫に宣言。80歳までもう十年もありません。し残したことがないよう、一つずつやっていく。

夫は「今までも好きなことしてきた」と申しますが、まだまだ。動ける間にこの人生を極めます。好きなもの食べるはちょっと控えないといけませんが。

取り留めもない長話、深謝します。

 

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小室圭さんのこと

2021-10-12 | 随想

ずっと否定的な意見が多くて気が滅入っていましたが、そうでない人もいることが分かり、ちょっと安心しました。

小室圭は何が悪いのか?【嫉妬とネットリンチ大好き国民】 | ぼっちライダーのひとり旅 (lornrider.com)

ちょっと前、ニューヨークの街をテレビで見ました。ビルがたくさんで、きらきらしていて、お若い二人が早く彼の地で新生活を始められたらいいなあと思いました。頑張って勉強して資格とったのに全然褒めないばかりか、未だに何のかんのと言いがかり。いつから日本人はこんな情けないことになったのでしょう。

(変な人と)結婚したら皇室の権威が地に落ちる、敬愛できない、もう解体するしかないなんて言うのは言いがかりで暴論ではないでしょうか。

あなたの敬愛はその程度のものだったのかと問いたい。私は自分の思いを貫いて立派だと思います。ご本人がこの人がいいと言っているのに、なんでえらそげに口を出すのかとはなはだ疑問。その根拠は何?

解体するしかないと言ったって、制度の解体は国民の総意が必要、憲法上は。今の憲法では国民が主権者、国民が象徴天皇制を選んだのだから要らないと決めるのも国民。

特定の個人を言いがかりをつけて叩きまくる。人が幸せになるのが妬ましい人は心が病んでいるとしか思えませんが、こんなことがこの先繰り返されるなら、誰も皇族と結婚しようなんて思いませんよね。身内の話を暴かれて叩かれるなんて、考えただけでもおぞましい。

今回の反対意見は、皇室のためを思っているつもりでも、実は逆になっているのではないでしょうか。そのことに早く気が付いてください。いえいえ、ただ面白くてネット上で騒いでいるだけ。底は浅いと思います。

私の友人の一人もこの件では容認できない派で、何の根拠も示さずに「在日」と決めつけていました。「在日」・・・嫌な言葉ですね。差別感丸出し。友達止めようかと思った一瞬でしたが、他の所はいい人なので、この先どうしますかねぇ・・・

こういう素朴な差別主義者が、マスコミの操作で、はたまたネット上での噂で人を傷つけるのでしょうか。誠に暗澹とした光景。

スッキリとした秋空のように、早く新しい一歩を踏み出していただきたいもの。

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まあすぐにはなくならないでしようが・・・

2021-10-10 | 随想

内に向けては疎外、外に向けては抑圧。何か言うと、長崎市長のようなことがある。

こんな取り扱いの難しいもの、これからも未来永劫続けていくのでしょうか。

国民主権の憲法のもと、制度の存続は国民の総意に基づくもの。国民が要らないと思えばなくなっていくし、どちらでもいい、あった方がいいなら続いて行くでしょう。

しかし今あるそれを盾にして、もの言えない時代に戻してほしくない。また中の人の人権は最大限配慮するべきと思います。

玉川徹氏 眞子さまと小室圭さんの結婚を応援「もっと皇族の方々の自由を認める制度であってほしい」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

三浦瑠麗氏、眞子さま結婚報道に苦言 「心を傷つけられるような一般人コメント誘発」|ニフティニュース (nifty.com)

無責任な、面白半分のコメント、ご本人は気にしていちいち見ていたのでしょうか。面と向かって言われるより、匿名で公表される意見の方に、人はうんと傷つきます。

嫌なものは見ない、聞かない、自分の心を守るにはそうした方がいいと思います。


こういうことは成育歴、若い時に世の中のことをどう考えたか、結婚の経緯などに影響される。先日、友達複数と話していて改めてそう思いました。

価値観はもうこの年では変えようがないので、人さまがいろいろな考えを持っていることがわかったのが収穫と言えば収穫。

その節目節目で、私はまあ好きにしてきたようです。結婚も初めは反対されたけど、言うこと聞かなかったので、その後、どんなことがあっても親に一言も愚痴を言わなかったという自負があります。

もし親の気に入った人と一緒になっても、もちろんいろいろあるはず。その時に後悔しないかと言えば、したかもしれない。あの時自分の思いを貫いていればと。


先日の友達は、私以外はお見合い結婚だそうで、ご実家が、世間でいうところの家柄のいいお金持ちの人が特に、恋愛したかったとしみじみ話していました。

私は以前彼女の家で、「明治天皇はんが遊びに来はった時に使わはった器」と言うものを見せてもらい、お菓子を載せていただきました。

ってこんなこと自慢するのが天皇制の空間ですね。いえいえ、史実が分かって面白がっているだけですが。

明治天皇は東京へ行ってから生活が激変、京都では御殿の外へ出ず地面も踏んだことないと言われてますが、彼女によるとこっそり塀の破れたところから抜け出して公家のお宅へ遊びにに行ってたとか。京都時代の方が自由だったのでしょうか。

今みたいにがんじがらめにしなくてもいいのでは。

そして気に入らない人と結婚するので尊敬できなくなるとか、制度がなくなってしまうと心配し、なくなってもいいのかと言うのは、どうでしょうか。

そんなことですぐになくなるほどやわな制度ではないと思います。良くも悪くも。

それだからこそ、今の時代にふさわしく変えていくことも必要。

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断捨離で尊厳を取り戻す

2021-09-13 | 随想

昨日、BSで断捨離の番組やっていた。普段はほとんど見ない。一度片付けても性格替えない限り、また元の木阿弥と思うので。

ても、今回はどんな風に片付くのか見てみた。

史上最強12部屋! “母の執着”で埋もれた家 | ウチ、“断捨離”しました! | BS朝日 (bs-asahi.co.jp)

両親は元教師、庭付き一軒家は台所と居間以外にたくさんの部屋があり広い。途中から見たのだけど、家にものが多すぎて、台所も調理するスペースがなくて今は近くで部屋を借りているらしい(介護施設に暮らすらしい。お父さんが家に帰りたいという希望)。そこから見た。

どの部屋も、背の高さぐらいに積み重なったものであふれている。姑様の部屋を思い出した。姑様の場合は50㎝くらい。片付けるのは次女、長女は片付けのことで母親と喧嘩して以後、絶交渉だそうで。

お母さん、全部がゴミではないと言い張る。新聞紙などの紙屑の間にも大事な(写真?)があるので捨ててはいけないそうで。人から見たらゴミにしか見えないものも本人には思い入れがある。

教師をしていたのなら教養もあると思うけど、人のことでは正しい判断ができても、自分のことになると、性格+今までの生き方から、娘の言うことを素直に聞いて物を捨てるということができないらしい。

断捨離アドバイザー、友人、業者も入れて1週間で片づける。広くなった部屋の、ゴミの奥から出てきたお父さんお気に入りのソファーに掛けて、みんなでお茶飲んで、お母さんがやっと「ありがとうね」というところで番組終了。

この先もゴミ、ため込まないといいなあと思った。

アドバイザーのやましたひでこさんが、断捨離は個人の尊厳を取り戻すため。と話していた。

しばらく考えたけれど、ゴミだらけの家に住む人は、汚いものでも平気な自堕落な人間と見られがち。という意味かなと思う

人は見た目が大切と言われるけれど、その人の印象は容姿、服装、そして住む家によって左右される。

容姿は親からの貰い物、服装はお金かけていいもの着るのが手っ取り早い。でも片付けは個人の努力でいくらでも出来るし、気持ちすっきりして達成感があるし、努力に対して報われる効果が大きいものだと私は思う。

やましたひでこさんによると、目の前のゴミを見ると意識がそちらに吸い取られてしまい、気持ちがマイナス方向へ行く。そんな話だと思った。

しかしまあ、たとえ親子でも自分のものでないものを片付けるのは大変。

お母さん、詩吟をしていた時のピンクの草履がいるという。出てきたのを見ると、80歳の人が履くには派手過ぎると思うけれど、若くて元気で楽しく活動していた時の思い出の品。捨てたくないのだろうと思った。

15年くらい前、姑様が物置にしていた。住み込み従業員の部屋3つをつなげてオーディオルームを作った。壁を取り払うなどは業者に頼み、内装などは自分で材料買って休みごとに少しずつ整備していた。

その際は、部屋を明け渡したくない姑と夫の間でいろいろあったらしい。置いていたのは古い衣類に布団、古い畳もたくさんあったらしい。私は現場見てませんが。新たに買うとお金がかかるので、いつか使えると取っておいたのでしょう。昔の人はそういう考えしますよね。

捨てるときもだいぶ抵抗したらしい。使えるもの捨てるのは罰が当たるって。夫が勝手に捨てるのでそれまでは姑様も対抗手段で鍵かけていたけれど、とうとう落城。あの時、思い切って捨ててもらってよかったと今では思う。そのあとも、あの部屋のもの、活用することはなかったはず。

あの時はもう大型ごみは有料になっていた。どちらがいくら払ったかは知らない。有料になる前日、南区では**町が集配ということで、夫に言われて、車に積んで公園の傍へ置きに言った記憶がある。その時も抵抗したのかな。私は現場見ていませんけど。

夫の努力の甲斐あって仏壇のある座敷だけは、何とか人を通しても恥ずかしくないくらいに片付いた。他の部屋はまだまだ。

台所、洗面所、トイレ・・・家で介護している時には義妹が一月に一度、施設に入っても面会できるときは2か月に一度来て泊まっていたけど、掃除にまで手が回らなかったらしい。

ドアを引き戸にする話をしていたら、義妹が家の中を変えないで欲しいと言っていたけれど、やがて歩けなくなってそれも不要になった。

今、姑様の家の掃除の責任者は誰?

私でないことは確か。自分の責任でない場所が汚れているのは、気持ちが萎えるけど、見て見ぬふりするしかない。以前、まだ家で介護していて、義妹夫婦が来る前に、あまりに姑様の布団が匂うのでさすがにまずいと思って、布団に消臭剤を掛けたら夫からえらく怒られた。

親の布団は匂わないのでしょうか。消臭剤は気になっても。不思議。姑様の、古い電気毛布持って帰っていたけれど、こちらも同じ匂い。即、捨てました。


おやおや、葬儀関係の記事は昨日で終わるつもりでしたが、最後はまたまた愚痴になったようで、失礼しました。

私もネガティブな思いの周りでぐるぐる回っていては、気持ちが落ち込むばかり。これからは心機一転、前向きに頑張ります。

日曜日の昼、二通目の書留郵便が届く。多分そうだろうと夫に出てもらったらやはり。お線香上げに来たい人から。夫がいいように処理するでしょう。お任せ。

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方言あれこれ、チミキル、ヒニシル

2021-07-31 | 随想

7/23 大分県、千町無田の水田公園で


前のエントリーで方言のこと書きましたが、私の実家の方言を少し思い出しました。

方言とは別に私の祖父はお菓子=おかしと言えずに「おっくわし」と発音。これは古い「か」の発音の名残ではないかと思います。あと、小皿を「おてっしょ」。これは手塩皿のなまったもの。一部、促音化するのが祖父の、そしてたぶん地元の方言の特徴かと思います。

それで表題のチミキル、ヒニシルですが、標準語ではまとめて「つねる」になるのでしょうか。

指先で、親指と人差し指で皮膚をつまんでひねる。主にお仕置き、いたずら、などでする動作ですが、チミキルはさらにバージョンアップして爪の先で手の甲の皮膚をつまんでひねる

どちらも痛いけど、力を入れずに相手にダメージを与えるのはチミキルの方。攻撃が目立たない利点もある。ちょっと陰険。

こちらへ来て、チミキルに当たる言葉がないことに気が付きました。言葉がないので多分、そんな攻撃もないのかもしれません。

実態が言葉を作り、言葉のないところには実態がないという例かもしれません。それとも当地にもチミキに当たる言葉があり、密かに行われているとか。

方言はまだまだ奥が深い。夏の暑くて長い自粛期間、面白い方言、また思い出したら書いてみます。

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コロナワクチン、打った方がいいのでは?

2021-07-30 | 随想

と言っても、私にはうまく話を展開する能力がないのでリンク付けときます。

ワクチン陰謀論を煽って金に換えたい人々の思惑(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

ワクチンで何人が亡くなったという、週刊誌の見出しを散見しますが、ワクチンのせいでなくなったか、それとも他の原因なのか、はっきりしてもらいたいところです。これだけたくさんの人が接種しているので、悪いものなら、死亡率が有意に上がりそうなものですが。それは隠しているんだと言われそう。隠し通せますか?

ヤフーニュースで、政府に信頼感がない国はワクチンにも信頼感がなく、日本はその信頼度の低い国だそうです。なるほど。今の政府、思いっきり信頼できないですものね。悪いけど。

でも、信頼感とワクチンは別。科学に感情は入れたくないです。

子宮頸がんワクチンも、後遺症が出るということで、今はされてないようです。体がマヒしたという女の子の映像がありました。あの子はその後どうしたのでしょう。続報が待たれます。

早く国民全体のワクチン接種が終わり、また元の暮らしに戻りたいと切望する私でありました。

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東京

2021-07-17 | 随想

きょうは東京の日だそうで、ブログのお友達がそのタイトルで記事書かれていた。それに喚起されていろんなこと、ズザザザザッーと思い出し、まあこの先まとめて書くこともないだろうから書いてみることにした。

2010年8月 浅草


初めて東京へ行ったのは1967年2月末。

目的、私立大学の受験。私18歳、同行者、実母、41歳。服装は高校の制服に買ってもらったばかりのスプリングコート、寒かった。母は旅行だからとこれまた洋服。寒そうだった。

交通手段。四国高松から対岸の岡山県宇野までは国鉄連絡船。約一時間の船旅。そこからは夜行列車の急行瀬戸。東京まで12時間くらいかかったかな。宇野線、山陽本線、当時新大阪までだった新幹線なら2回の乗り換え、で直通列車に乗ったと思う。

静岡くらいで夜が明けたのかな。富士山見たかどうか記憶にない。寝台車は六人一部屋。朝には三人掛けの向かい合った椅子二つになる。コンパ―メントのメンバーは、いまはなき東京教育大学の体育科を受ける徳島の男の子、屈強。私大の医学部を受ける気弱そうな松山の男の子、母親同道、出張旅行の中年男性。それに私たち親子。

本州に向かう連絡船は高松発のみだったので、四国の鉄道線路はすべて高松に集まり、桟橋に向けてホームが並んでいる。日本では大きな都市でも鉄道が接続しているので、路線が複数の頭端駅は珍しい。今は連絡船はありませんが、線路はやはり昔の桟橋に向いて終わっている。故郷の好きな光景です。

東京駅には結婚したばかりの、祖母違いの従兄が迎えに来てくれていて、そこで母が預かっていた海苔巻き寿司の重箱を渡す。高田の馬場駅近くの宿まで送ってくれたのかな。宿に荷物置いて文学部へ行ってみたと思う。そこだけ本部と離れているのです。

受験生らしい女の子、長い髪に真っ赤なミニ丈のオーバーコート、黒いロングブーツ、都会の女の子に目をぱちくり。

宿は和風旅館。暖房なし。廊下に面して部屋が並び、鍵もなかったような。だから女親がついて行くのが普通だった。親も旅行できて一石二鳥。

創立者の銅像のある大きな大学の、私は50人くらい入る教室で受験。試験は国語、古典、英語、日本史だけ。一日で終わる。後ろの席の男の子が試験中に私の背中をつつき、「あのう・・・チリ紙ください」というので後ろ手で渡す。ポケットティッシュなどのはるか前。あの子、受かったのかなあ。

私は受かったけど、父親に強硬に反対されて東京へ行かせてもらえなかった。願書出すときは父は胃の手術で入院中、その時も反対されたけど、無視してたのでした。

半世紀以上前、東京はとても遠いところでした。それに私自身、東京で是非これをしたいというものがなかったので親を説得することもできなかった。


結局、こちらの学校へ来て、在学中には二回東京へ行った。

一回目は高校時代からの彼氏に会いに。二回目は別れを言いに。このあたりのことはあまり書かない。ユーミンなら「恨んでも覚えてて」だけど、あまりに長い時間が経ってしまって、いろんな感情も薄れてしまった。都合悪いことは忘れることにしている。

弟の下宿に帰ると「遅かったけど何してたん」と聞かれたので、「別れ話がこじれていた」と答える。その日は新宿から高田の馬場まで夜道を延々歩いていた。

別れるのに言葉はいらない。黙ってfade outすればいいのに。わざわざ行くなんて。若くて未熟な私。東京は少し甘美で、とても苦い思い出の街。


子育てに忙しいころ、友達に手紙を書くような気持ちで小説を書いていた。誰にも見せないけれど、自分が慰められる自分の読みたい小説。人付き合いに臆病で、うまく会話のできない私の唯一の気持ちを吐く場所。

たまたま市が市民の文芸作品を募集して選考し、本にするという試みが始まり、それを息子たちを体操教室に連れて行った施設のポスターで知った。

締め切りまで一か月、100枚まで。書き始めたら、あまり苦労せず97枚になったのでキリで穴をあけて紐を通して、封筒に入れて応募した。その頃は原稿用紙に手書き。

それは思いがけずに賞をいただき、本にもしていただいた。今は読み返すことはないけれど、初心な素直な作品。それがよかったと思う。素人が技巧に走ったっていいことはない。

それがきっかけで地元の小説の同人誌に誘われ、そこで書いたものを見てもらったりしていた。

同人雑誌は多士済々、癖のある、面白い人が多かった。何かのつてで東京から参加した人が、「東京はサラリーマンの住むところじゃない。東京は才能のある人が自分の夢を実現するところ」と言っていたのが印象に残っている。

そうなんだあ。そんなんだろうなあ。


1980年代の終わり、出版社に御縁ができて何度か上京。飛行機や新幹線で。東京駅の丸の内口へ出ると、タクシーがずらっと―客待ちしていて、行く先注げるとどこへでも行ってくれると思うくらい、私は田舎ものでした。

出てもなんか広々しているだけで、タクシーなんていないし。地方都市とは違う都会の大きさにいい年して驚いたり。

今はなき赤プリのレストランへ出版社の人に連れて行って貰ったこともありましたね。

フランス語に日本語を併記したメニュー見ても何頼んでいいか分からないし、最後にお任せコースというのが手書きで書き加えてあって、それをお願いして事なきを得ましたね。ホテルのエレベーターに乗り合わせた和服着た女性がものすごくきれいだったり。いゃあ、田舎者には東京のいちいちが驚くことばかり。

あの時は結局、最寄りのJR駅前でタクシーに乗ったら「下町専門なので知らない」と言われてびっくり。手持ちの地図で私が道案内。東京まで行って、なんで私がドライバーさんに道を教える・・・と思ったけど、どんなことでも起きるのが大都会でありましよう。

出版社との御縁も切れた後は、旅行で何回か。結局、全部で10回くらいしか行っていない。若い時は、遠くできらきらと輝く魅力いっぱいの都市というイメージだったけど、今は大変なことになっている大変な場所というイメージ。

オリパラはするのでしょうが、なるだけ傷は小さく、そしてまた人の集まれる魅力いっぱいの街になって復活していただきたいものです。


2010年8月。東武橋から。


高校の同窓会、東京在住者は元気いっぱい。それはきっと長い間、東京の持つエネルギーに当たり続けたからでしょう。楽しいこといっぱいありそうだし、何でもできそうだし。

でも私は行くともう疲れるかも。もう行きたいとも思わない。会いたい人も行きたい場所もない縁のない場所。そう思うと少し寂しい。

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夏の家居に

2021-07-16 | 随想

近所の駐車場の端に生えていた、メヒシバにエノコログサ。

野草は耕作地には生えない。純粋な山野草のことでしょうか。

雑草は田や畑に生えて作物と競合する。競合せずに水田や畑の周りの人手の加わった場所を生育環境とするものもある。

水田の雑草はイネと一緒に伝わってきたと考えられ、主なものはメヒシバ、オヒシバ、イヌビエ、シロザなど。(湿田ではまた違う植生)

我が家付近は明治期に干拓した、元からの市街地。この百年あまり、水田になったことはないけれど、上記、イヌビエ以外はよく見る。ヒエはイネと同じ環境でないと育たないけど、他のは水田の縁から乾燥した市街地のほんの少しの土の上まで、環境に適応しやすいのだと思う。

シロザ、アカザはホウレンソウの仲間。徒然草には、貧しい食べ物の例えで「藜の(こんな漢字なんだあ、パソコンが勝手に変換した)おひたし」というのがある。室町時代は食べていたのでしょう。今でも宅地造成したようなところにまず顔を出すのがシロザ、アカザ。

どんな味?ホウレンソウみたい?

道に生えている草も、環境に適合し、生存競争に勝った結果と思いながら見ると楽しい。

このほか、我が家付近で子供のころに見たことなかったのはヘラオオバコ(外来種)、ヒルガオ、最近ではチガヤなど。道路の緑地帯に群落作っている。やがてススキへと変わる。ススキもたまに見るので、秋にわざわざ買いに行かなくていい。

車道と歩道の段差にたまったわずかな土に根を下ろして、たくましい。

光。


友達のお嬢ちゃんが作った携帯ケース。

長らく死蔵していたけど、くっつけてみました。

紅絹裏を割いて咲き織りにしたもので作ります。

山葡萄の籠バッグはたいていのものが合う。それはバッグというよりはインテリアか建物の感覚。何でも受け入れる。

今だとブラウスの、レースの替え襟。秋だと紺絣の袋。冬は毛皮系統。いろいろ工夫して、楽しく持つ人のブログもありました。


先日、広島駅前エールエールA館地下の百均で、とても素敵な山葡萄持っている人が。太くて曲がったひごで編んだ個性的な逸品。こんな感じ。

山葡萄bag 7 | iichi ハンドメイド

実物見たのは初めて。いえいえ、見ていたかもしれないけど、興味ないので他の籠に見えていたと思う。

いくらぐらいかなあ。国産のツルだと最低でも10万とか20万とか、そごうで見たのは35万円だった。

買ったばかりなのにあんなのも欲しいなあと思った。そんなことにお金使うのが、他に楽しみのない寂しい人生かなと思い、すぐに買うのは自分に許せない。

それで山葡萄貯金することにしました。原資は日々の節約。無理しない程度に。先日は外でご飯食べてもよかったけど、帰宅。冷凍うどんにおかず適宜。それで千円節約できたので、そのお金、別にしておく。

10万円だと100回の食事代。週一でためて100週間、2年半くらい?

目指せ、山葡萄二個目。

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コロナワクチンで考えたこと

2021-06-21 | 随想

昨日、第一回目の接種をしていただきました。

場所は近所の大型ホテル、たぶん結婚式する会場らしく、海のよく見える大きな宴会場みたいなところ。

持ち物は接種券とか問診票とか。念のためにお薬手帳持って行ったので、予診のとき説明が要らなくてよかった。書類などすぐ出し入れ出来て床にも置けるかごバッグ。肩がすぐ出せるフレンチスリーブのブラウスの上からカーディガン羽織って行った。

係員が多くて人がうまく流れるようにできている。

接種は一瞬、ほとんど痛くないし気が付いたら終わっていた。インフルエンザの10分の1以下の痛さ。

で、注射はあっという間に終わったけれど、これは百年に一度のパンデミックに人類が挑む歴史的な注射なんだと思うと、感慨があった。

前のスペイン風邪では、父方の祖父の最初の連れ合いが感染して亡くなっている。他の誰もかからなかったのに、もしかしら別の病気だったのかなと思うけど、もう確かめようがない。幼い子供を二人残して24歳で亡くなり、私の祖母が後添えで嫁いだって聞いた。

その頃の治療って、どうだったんだろう。多分、熱冷ます対処療法くらい。何かいい薬があったのでしょうか。なかったかもしれない。運のいい人は生還できてそうでない人は亡くなったのでしょう。

私は今まで、まあ普通にしていれば罹ることないと高をくくっていたけど、先日友達二人の話を聞き、地元でも密かに高齢の感染者が出ているし、医療にアクセスできずにホテルや自宅で待機するとなると、気を引き締めて感染者が出なくなるまで、なるだけ身元の分かっている人以外とは会わないようにしたいと思った。

先日、私より10歳くらい年上の友達が、コロナが収まってももう前みたいな葬式はしなくなるんじゃないのと話していた。私もそう思う。

コロナが終わると、無駄なことを止めて、実質のあることだけをするようになるのでは。経済的に豊かな人は暮らしはそう変わらないけど、そうでない人は厳しくなるのかもしれない。また持つ人と持たない人の格差も広がると思う。持つのはお金と人の縁、そして自分のために使える時間などでしょうか。

経済の回復はやがてできるだろうけど、人と会わずに済ませる暮らしを経験した人が、人との信頼関係を回復してまたみんなで仲良くできるのでしょうか。

恵まれないと感じる人が増えると、極端な排外主義や、ポピュリズム、新興宗教などが流行るんではないでしょうか。どんな経験もいいように生かすことができるといいのでしょうが、とかく人は攻撃する対象を欲しがり、またあり得ないものに救いを求めようとします。中世のペストの時代にお互いを鞭でしばく運動が起きたり、吉村昭の小説ですが、金魚を拝んで空襲をよけるとか。

冷静に、今の時代の医学の成果を受ける、そして人ごみに行かない。私はそうしたいと思います。

次は来月、夫は二回目は具合悪そうでしたか、すぐ治りました。私も何事もないことを願っています。

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つくづく恐ろしい東京オリンピック

2021-06-08 | 随想

近くの公園、スモークツリー。誰かが植えたらしい。


東京オリンピックが近づいています。報道陣などの関係者も続々来日している模様。その報道はほとんど見ませんが。

で、インドからの来日者は隔離も免除、宿舎から自由に出入りして飲食、そのほか濃厚接触する場所へも出入りしているって、本当でしょうか。

田中龍作ジャーナル | インド人のオリンピック放送スタッフ 自由に外食、夜は歌舞伎町に (tanakaryusaku.jp)

これが本当なら、感染が日本で増えたりしませんか。

地方に住む者はパラの終わる9月5日まで(くしくも誕生日だあ~)家にじっとしていようと思ったけど、ぬあんとインドの報道陣、京都や広島を観光するそうで。

宮島でしょうか。宮島もコロナが収まるまで行かない方がよさそう。

オリンピックを楽しみに待たれている方には申し訳ないけど、私は生まれつきの運動音痴で、長じても体育、スポーツを楽しめない人間(唯一歩くのだけは出来ますが)、好きな方とは思い入れも違うのですが、オリンピック、やめられませんか?

震災と原発事故からの復興がテーマだったけど、今はスポーツイベントで元気になってもらってコロナに打ち勝つでしたっけ。

その実は政権の人気取りと、来年の北京オリンピックに負けたくないという見栄かなと愚考するわけです。

もう中国には経済面で負けてるんだから無理しなくてもいいのに。

今朝、IOCの経理担当の責任者の方が鉄道自殺したというニュースが入ってきました。本当に痛ましいことです。その方は何を知って、何に絶望したのでしょうか。何か大きな事件の時には自殺者が出る。今回も自殺者が出た。それだけオリンピックの闇は深そうです。

見たいテレビ番組がなくなって、ニッポン、ニッポンって連呼して、嫌がるものは非国民みたいな言われ方。戦争中もこんなんだったのかなあ。この国で長生きして、この先いいことあるのかなあと今朝は思わされました。

オリンピックを楽しみにされている方、ごめんなさい。あくまでも私の個人的な思いです。

 

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引き続き自粛中

2021-05-27 | 随想

今月は写経の会も水彩画もお休み。来月の茶話会も、緊急事態宣言が長引くので早々と中止決定。

午前中は、録画番組見ながら、昔の納税資料の整理と廃棄の準備。結局一年分だけしかできなかった。

午後は久しぶりに写経してみる。

字を書いているうちに、心が落ち着いてくる。

姑様の葬儀は質素にするそうで、あんた、お経詠めと言われている。しかし、私が詠んだのでは成仏できなさそう。もちろん断わりましたよ。

それにしても一人の人間の一生分の荷物、ものすごい量。反面教師にして私も今から捨てないといけないのですが・・・


絵に描くつもりで姑様のアジサイ、もらってきた。

でもきょうは描けなかった。花が枯れないうちに描けるかなあ。

姑様はアジサイが好きなだった。たくさんあったのに夫が処分したのかこれしか残っていない。

カップボードの器を少し減らした。扉がないのでどうしてもホコリがたまる。

この棚の器、ほとんど使わない。普段はマグカップ使用。

私が棚を取り付けたので、ある日、落下しないかと急に心配。

これだって使わないなら不要。不要なら捨てるの三段論法だけど、持っているだけで心の安らぎ。人はそれを執着心という。物への執着を捨てたとき、とても軽やかな広い世界がありそうな気がする。

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自粛は続くよどこまでも

2021-05-26 | 随想

広島県の感染者、なかなか減りません。

機織りも終わったし、行きたいところはどこも閉まっているし、とりあえず近場で楽しいこと見つけるしかないわけで。

めげずに歩いてみましょう。

 

シラカシの若葉。

ワルナスビ。帰化植物。棘がある。

 

ヒナギキョウ。

 

小さいのはビオラ?

大きいのがパンジー?

最近は寄せ植え用に花も小型化。

 

 

キレハノブドウ。

マテバシイ。花粉が生臭い。

ヘラオオバコ。帰化植物。乾燥に強い。

スイバ。我が実家地方ではシービン。酸い葉のなまったもの?

赤いのは食べていたけど、こちらは細かく刻んで配合飼料と水で練り、鶏のエサに。

もちろん、野菜くずのことが多かったけど。

ミントの花?

 

線路のモニュメント。日清戦争直前、広島駅から港までの突貫工事で完成。

旧陸軍桟橋は今は第六管区海上本部の桟橋に。

向こうプリンスホテル。釣りをする人あり。


市松模様ってすっきりとモダン。

経糸が4本取りなのでしっかりした織り上がりになりました。

さて、次は何を織りましょうか。


前に読んだ本。

掃除は嫌になるまでしない。嫌になる前にやめる。最長15分。細切れに毎日の時間の中に組み入れる。

なるほど。

18時になってから、カップボードのホコリが気になってとりあえず全部出す。

器をきれいにして、棚も掃除して元へ戻す。20分くらいかかった。

自粛期間中、家の中を整理して不要なものは捨てたいのですがなかなか・・・

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旅行をキャンセルした

2021-05-01 | 随想

広島県は昨日99人、湯崎知事が不要不急の旅行を控えるよう呼び掛けていた。併せて、連休明けには40万人のPCR検査をすることも発表。

こんな時だからこそ、お金使って経済廻すという考えもあるけれど、病気や医療ひっ迫のニュースばかりで心が弾まない。

昨年は、大分県と山口県で、県外者入店お断りの店に遭遇したし、無理して出かけても楽しくないので、今朝、楽天トラベルの予約をキャンセルした。

間際なのでキャンセル料が発生。ホテルの方はそうでもなかったけど、温泉旅館はえっと驚くキャンセル料。

直接宿へ支払う手もあるけれど、そしてずいぶん前に四国の宿から請求されないこともあったけど、今はみんなで痛みを分かち合う時期。キャンセル料、カード決済にした。

私は景色も観光地もどうでもよくて、料理と風呂、自分でしなくてもいいのだけが楽しみだったけど、今の状態では行っても心の底から楽しめないだろうと思い、県外には出ないことにした。

決めたのは一月くらい前。今ほど感染者も増えてなくてなんとか行けるだろうと思っていたけど。


気を取り直して午前中は二階の片づけ。ついでに端午の節句らしく。

着物は長男が生まれた45年前、実家の母が送ってくれた。

人形はその時、こちらで買ったけど、ガラスケースは危ないのでだいぶ前に捨てた。

菖蒲の代わりに庭のシャガで。

うんうん、少しだけ気持ち上向き。


午後からパルコまで買い物に。

今までの私だったら往復電車で行くはず。

けど、この一月、海や山や、近所の植え込みで食料調達して、はたまたフリマで無料で恵んでもらった服を直してと地道な節約も吹っ飛んでしまう温泉旅館のキャンセル料。

パルコまで自転車と徒歩で。

自転車はフジに停めてあとは歩く。

平和大通りの鳩。

鳩にはコロナはないのかしら。

いいなあ。うらやましいなあ。

パルコ新館8階から見る広島市市街地。

テレビ塔があるのが比治山。

今朝のテレビ番組で紹介されていた便利なターナー買いました。

確かに、炒めて良し、掬って良し。

汁物までは掬えないけど、しばらく使ってみます。

化粧水とボトルも買う。無印の化粧水がいいと、三男のお嫁ちゃんに勧められたから。

買い置きの資生堂のがあるけれど、行ったついでに買ってみました。老いては嫁に従えであります。

ハーブ類もこうなっていると便利。これも番組情報。

ガーリックバターソースはフジには売ってなかった。

久しぶりにパスタ作ってバジルソース使ってみた。おいしかった。

明日から旅行のつもりで、食材買ってなかったので、あるもので簡単に。

右手前、採って来たワカメにキュウリと納豆で、ねばねばサラダ。と勝手に名前つけました。

たけのこご飯ももう最後でしょうか。

あーあ、キャンセルしたのは残念。これからしばらくは直前まで様子見てから予約したいと思います。

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四月もあと少し

2021-04-28 | 随想

今日は外出の予定もないので、かねて懸案の預金の預け替えに銀行へ行く。

窓口に出金を申し込むと、全然大した金額じゃないのに目的を聞かれる。

「息子が集金したお金をカバンごと電車の網棚に忘れて、会社に知られたくないので急いで振り込んで欲しいと泣いて電話があったんですうーーー」という理由ではないので出金してもらえたけれど、払い出しの仕方など、丁寧に教えてくれる。

最近はタッチパネル方式。

預けに行った別の銀行でも、大した金額でもないのにどうするのかと聞かれる。

うーーーむ、どうもこの年齢になると一人前には扱ってくれないようです。年寄りが一人で預金の出し入れしてはいけないという無言の縛りを感じる。でもそこはまあ、利用者を守ってくれるありがたいマニュアルと思い、素直に従い、言われるとおりにする。

これからは若い人に従う場面が増える予感。あまり逆らわず世の中の流れと若い世代には従って行きましょう。

年金世代は節約第一。春はいろいろ採集して、食費も浮かします。

山で採った筍と海で採ったワカメの炊き合わせ。

ワカメは味醂と醤油、水と炒り子で20分ほどじっくり煮たらとても柔らかくなっておいしいしい。返す返すも葉を捨ててきたのが悔やまれます。

もう長い間、四月にワカメ採ったことなかったので、四月でも柔らかいこと忘れていた。

でもたくさんあったら後の調理が疲れるので、来年もほどほどに。

夫は一緒に歩いて私に遅れるのが悔しいのか、散歩に誘っても最近は個別行動。仕方ないので、午後から買い物などを全行程歩いて済ませる。

もう一緒に山へは行けなくなるのかなあ。それなら私は別の方法考えないと。

二年前まで、夫の友達の奥様も一緒に、四人で山へ行ってたのに、奥様は亡くなられ、夫は腰が痛くて早く歩けない。

夫友達と私だけで行くわけにもいかず、何事も終わりがあるのだなとしみじみ。同じメンバー、同じ季節に、同じ山へ行くことはいつだって決してない。

山歩きは一期一会、それだからこそ、下界のしがらみを忘れて、一人の人間として一緒に喜び、心配ごととおやつは分け合い、心が触れ合う付き合いができるのだと思う。

そういう時間がもてたことを喜びとしよう。振り返って、しみじみとそう思う。

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