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妙義に抱かれて その5 ( 富岡製糸場 その4 )

2013-10-20 06:52:20 | 建物紀行
 次は、昭和62年(1987)3月まで操業していたという「操糸場」です。


     
     操糸場 (1階内部一部見学可)


 『操糸場
  明治5年(1872)建築
  長さ 140.4m  幅 12.3m  高さ 12.1m
  操糸場は、繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。
  創業当初はフランス式の操糸器300釜が設置された世界最大規模の製糸工場でした。
  小屋組には「トラス構造」という従来の日本にない建築工法を用いています。
  そのため、建物内部には柱のない広い空間が保たれています。
  さらに採光のための多くのガラス窓や、屋根の上に蒸気抜きの越屋根が取り付けられました。』(パンフレットより) 


    
    操糸場内部 廊下


    
    現在は、昭和40年代以降に設置された自動操糸機が保存されています。


    
    たくさん配管された工場内部


    
    実際の作業の様子


    
    かなり複雑な自動操糸機概要図 


 広い工場の中は、当時の音やにおい(想像ですが・・・)など、雰囲気を十分に感じることができました。



    
    診察所 (外観見学のみ)

 『診療所
  昭和15年(1940)に建てられた3代目の診療所です(明治時代には病院といっていました)。
  当時の診療所は敷地の北東部分に建てられ、フランス人医師が治療にあたりました。
  また官営時代においては、治療費・薬代は工場側が負担していました。
  官営から片倉までの全期間を通じ厚生面が充実していたことがわかります。』(説明看板より)


    
    ブリュナ館(右)と寄宿舎(左) (外観見学のみ)


    
    高床のブリュナ館

『ブリュナ館
  明治6年(1873)建築
  建坪 320坪(約1056㎡)
  指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居です。
  後に建物は、寄宿舎や工女に読み書きや和裁などを教える夜学校として利用されました。
  これは企業内教育の先駆けといえます。
  建物は、木骨煉瓦造で建てられ、高床で回廊風のベランダをもつ風通しの良い開放感のあるつくりになっています。
  また、床下には、建設当時造られた煉瓦造りの地下室が現在も残っています。』(パンフレットより)



    
    寄宿舎 (外観見学のみ)


 「工場に行くと”生き血”を取られる。」(フランス人が飲むワインを”生き血”だと誤解したということです。)
と、働く人を募っても、なかなか集まらなかった・・・、というエピソードくらいしか知らなかった「富岡製糸場」ですが、1時間半弱、歩き廻って、当時のことに思いを馳せ、新しいものを受け入れ国が大きく飛躍していくエネルギーみたいなものを感じることができました。


  施設紹介   富岡製糸場  群馬県富岡市富岡 1-1
                     ☎ 0274-64-0005


                                                    つづく





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